第百五十三話 Side美鈴 呼び出し
さてと伊万里ちゃんとエヴィーの命がかかってるんだから、こっちも真剣にやらないとね。ハエは確かに後ろからついてきている。他のほとんどの人には見えてないけど私にはその色も見えた。
赤色をしていて、どこかクーモと似ている雰囲気がある。ここで私が黒桜と二手に分かれたらまず間違いなくハエは、探索者である私についてくると思う。こうなってしまっては何もかもご破算である。だからそれではダメなのだ。
「ねえ黒桜。本当にうまくいくかな」
あらかじめ打ち合わせした内容通りに黒桜と話し始める。
「まあ大丈夫にゃよ。黒桜が【異界反応】で、主を助け出せばいいだけにゃ」
ハエは自分の存在に私が気づいているかの判断はついていないはず。
「【異界反応】ってそんなに便利な魔法なんだね」
「白蓮様仕込みの超スペシャル魔法にゃ。久兵衛程度じゃ最初から見てない限り、絶対黒桜の存在に気づかないにゃ」
「ちょっと安心した。エヴィーが死ぬなんてことはないんだよね?」
「白蓮様のペット。この超スペシャル猫、黒桜にお任せにゃ。主の召喚獣になったとはいえ、かなりいろんな魔法を使えるままにゃ。安心して大船に乗ったつもりで祐太たちと待ってるにゃ。この黒桜、見事に主を助け出してみせるにゃ」
この内容が全てハエに伝わっているはずである。赤いハエは私たちの10mぐらい後ろをブーンと飛びながら、ずっとつけてきている。この話を聞けばどう思うだろうか。うさん臭いと思うだろうか。
でもそう思ってもいい。それでもハエは黒桜を無視できないはずである。だが逆にこんなことを言えば、久兵衛に連絡されて、エヴィーに黒桜を呼び戻されてしまう可能性も考えた。いやそれよりももっと奇妙なこともある。
黒桜が伝言役なら伝言が終わった時点で呼び戻しているはず。まあ、これはエヴィーが久兵衛たちの言うことを聞かず呼び戻さないのだろうと思った。でも久兵衛はどうして黒桜を伝言役などにしたのだ。伝言役など誰にでもできたのに。
『久兵衛の行動で、その行動だけがかなり奇妙に感じられた』
と、祐太は私に久兵衛への疑問を伝えていた。
「じゃあ黒桜。エヴィーのこと頼んだよ」
「了解にゃ」
そして黒桜は私と別れた。黒桜と私。どちらについて行くべきかハエが困っているのが分かる。それでも【翠聖都】への転移駅に黒桜が向かっていく。エヴィーを助けるという目的を持って。
ハエはそれを無視することはできなかったようだ。転移門を潜り【翠聖都】へと黒桜が1匹で消えていくのを私は見ていた。その後ろをハエがついていく。
「もういないよね?」
改めてもう一度しっかり集中して、自分を監視しているものがいないか確かめる。
「よし。いない。待っててねエヴィー。絶対助けるから」
【探索網】を最大限に展開したままにしておいた。1㎞先の人間の呼吸音まで聞こえてくる。【気配遮断】を使わない限りは、私のこの極端なほど上がった五感から逃れる術はないはずだ。
とてもうるさくて大変なのだけど、レベルが上がると知能も上がる。おかげでそれらの雑音を処理して重要なことだけを聞き分けることもできた。
「なんかでも嫌な予感がするんだよね」
誰もいないとは思いつつも緊張している。
私は1人こっそり再びガチャ屋敷へと戻ってきた。そしてその屋敷の横にある甲府ゲートを見つめた。私のスキル【危険感知】は先ほどから鳴り続けている。でも行かなきゃいけない。どうしてもこれだけはやらなきゃいけない。
「ゲートをくぐるだけでこんなに緊張するとはな」
まるで初めてゲートをくぐったあの日みたいだ。
「行こう」
覚悟を決めてゲートをくぐる。一瞬だけ感じる違和感。一瞬で日本に戻っていた。まだ夜だった。甲府の中心部は結構都会なのだけど、ゲートのある部分はど田舎である。ダンジョンが現れたおかげで開発は進んでいる。
けど、まだまだ田舎なのだ。それでも元気な探索者の姿が結構ある。その中でダンジョンショップが今も営業していて明るかった。ふとストーンエリアで探索者を続けているはずの芽依お姉ちゃんのことが気になる。
もうかなり家にも帰っていない。だから余計に芽依お姉ちゃんが心配だ。でも芽依お姉ちゃんのことだから、大丈夫なはずだと信じるしかない。私は人だかりから少し離れた場所まできた。そして、
「えっと……」
探索者用のスマホを手に取る。そのまま祐太に教えてもらった電話番号を打ち込む。電話先は米崎の秘書さんだ。祐太もその人のことは『秘書さん』と呼んでいて名前も知らないそうだ。
数度のコール音の後。秘書さんが電話を取ってくれた。
『はいもしもし。こちらは人工レベルアップ研究所所長室になります。ご用件を承ります』
それはとても綺麗で明瞭な声だった。そしてなんというか懐かしさを感じる声だった。その人はなんだか玲香お姉ちゃんと声が似てた。
「あ、えっと。私、六条祐太君のパーティー仲間の桐山美鈴と言います。所長の米崎さんはいらっしゃいますか?」
私はこういう形式ばったところに電話するのがものすごく緊張する。おまけに相手は米崎だけど所長さんである。祐太の話では、米崎は人工レベルアップ研究所のトップであり、相当認められた人物なのだそうだ。
それを私みたいな15歳の女の子が呼び出している。かなり場違いな気がした。
『……』
そのせいか秘書さんからも返事がない。私が場違いなことは分かっているけど、急いでいるから早く返事がほしいのだけど。
「あの、どうかしましたか?」
『あ、いえ。そうですか。ええ、米崎所長ですね』
「はい。できれば急いでほしいです」
『今、米崎は少し出ているのですが、緊急のご用件でしょうか?』
うわ。この人、米崎を呼び捨てだ。そうだよね。会社とかって上の人のことでもお客さんとしゃべる時は、呼び捨てにするんだよね。私は改めてそういう場所に電話してるんだなと思った。
「それが……」
ここで内容まで言ってしまっていいのかどうか迷った。でもまさかこの人がジャックと繋がっているなんてことはないだろう。いやだからって内容はまずいか。
「あの私。どうしても六条君から、米崎所長に連絡を取ってほしいと言われているんです。本当にできる限り急がなきゃいけないんですけど!」
心は焦る。でも落ち着かなきゃいけないと思った。
『そう言われましても、米崎はダンジョンに出かけていなくなることもしばしばで、帰ってこない時は3日も4日も帰ってこないこともあります』
「ええ、そんな……。あの、“また”米崎所長は三階層にいるんですか?」
米崎のフィールドワーク。何が楽しいのかわからないけどゴブリン観察である。米崎がダンジョンでしていることといえばそれ以外の印象がない。今だとゴブリン集落にまた女の人が囚われていてもおかしくない。
それを見たら助けたくなる。いや助けるけど、米崎と揉めたくないな。そんなことを考えながらも、迎えにいく算段を考え始めた。まだ余裕はある。でも、どこのゴブリン集落にいるかによって、かなりの時間ロスだ。
『いえ、それが、「そろそろ僕も勘が鈍らないようにしないとね」。と言ってましたから、いるのはブロンズエリアだと思います』
「ブロンズエリアですか?」
『はい。そうです』
地球規模の大八洲国。そのどこにいるかも分からない人間を探せというのか。いくらなんでも無理だ。絶対に間に合わないぞ。
「じゃあ見つけるの無理……」
さすがに今からブロンズエリアをくまなく探す暇なんてない。どうしよう。エヴィーが死んじゃう。いやエヴィーどころかパーティー全滅だってありうる。
『そうなります。あの用件だけでも承っておきましょうか?』
「ううん。あ、そうだ。六条君が『クリスティーナと助手さんにもできれば手伝ってほしい』って言っていたんですけど。その2人はいますか?」
『助手さんというのは多分私のことだと思います。ですがクリスティーナは現在調整中で、私もその調整をサポートする必要があります。ですから私ども二人も今すぐというのは不可能です』
「なんとかなりませんか。あの、仲間が死ぬかもしれないんです」
『……仲間が死ぬ』
私がそう口にした瞬間、助手さんは黙ってしまった。多分、私ののっぴきならない気配が伝わったのだと思う。
『どうしても急ぐのでしょうか?』
「どうしても急ぎます」
『困りましたね』
なんだかその言葉がそんなところにいるわけがないのに、玲香お姉ちゃんのように聞こえた。
『ですが他ならぬ六条様からの頼みごとですしね。無下にはできませんね』
そうすると本当に玲香お姉ちゃんが喋っているように聞こえてくる。家族のことが心配だからって秘書さんのことをお姉ちゃんに見立ててしまうなんて、私もどうかしてる。
『分かりました。なんとか私が出られるように調整してみます』
「本当ですか!?」
ほっとした。確か祐太の話ではこの人もレベル200だったはずだ。だとすればレベル200の助っ人ができる。
『ええ、仕方ありません。ただ……』
「誰がそんなことをしていいと言ったんだい?」
助手さんが仕方なしに頷いてくれた。しかし、言葉にした瞬間私の後ろから気配がして、それは、まるで突然現れたようだった。私の探索者用スマホが手からするりと抜き取られた。今の私に気配を感じさせない。
これは誰だ?
いやそんなことできるのは1人しかいない。あの草原の中でもそうだった。この男は突然横から現れるのだ。あの時は気づけなかった。そして今も気づけなかったことが悔しかった。
「玲香君。君は予定通り動きなさい。この程度の行動予測が僕にできないと思っているのかい?」
『は、博士、そちらにいらしてるんですか?』
「いらしてるよ。だいたい、君がこちらに来てなんになるんだい。ブロンズエリアで六条君に起こっているような揉め事だよ。間違いなく飛び切りの揉め事だよ。君では力不足だ。それよりもそちらのことの方が重要だ。クリスティーナくんから目を離してはいけないよ。分かったね」
『は、はい。かしこまりました』
米崎はあっさりと私のスマホを切って返してきた。米崎がいた。いや、でも、それより、れいか? 今米崎はれいかと言わなかっただろうか? それってお姉ちゃんと同じ名前だよね。あの人お姉ちゃんとそっくりの声をしていた。
声も似ていて名前も同じ。でもちょっと待ってそんなところにいるはずない。玲香お姉ちゃんは、ダンジョンになんて入ってるわけがないんだ。
「あの、今、“れいか”って言いませんでした?」
「言ったよ。それがどうかしたかい?」
「今の人って私のお姉ちゃんとものすごく声が似てたんです。おまけにれいかってお姉ちゃんと同じ名前なんだけど」
「それはそうだろう。君の姉だと聞いているよ」
その点の何に問題があるのか。米崎は全く分からないようだった。頭がいいくせに人の機微には疎いようだ。
「お、お姉ちゃんがどうしてあなたの助手をしてるの?」
「半年ほど前だったかな。レベルアップの実験体になりたいと言ってきたので、のぞみを叶えてあげた。彼女は今レベル200だね」
「お姉ちゃんがレベル200? え? 何それ?」
「うるさい。それよりさっさと状況説明したまえ。時間がないのではなかったのかい」
「それはそうだけど!」
その話も同じぐらい重要だった。お姉ちゃんが米崎の実験体? 祐太は知ってたの? じゃあどうして言わないの? 頭の中がモヤモヤした。だからって米崎に懇切丁寧な説明など期待できない。
私は絶対にこの件が終わったら、お姉ちゃんと祐太を問い詰めると心に決めた。
だが、
《うん? 君あの猫はなんだい?》
そこにいるはずのない猫が甲府の二番ゲートから出てきた。その猫は黒くてしっぽが3本あって、額に桜の紋様がある。私はとてもその猫に見覚えがあった。
「こ、黒桜!? どうしてここにいるの!?」
でも返事をしたのは黒桜ではなかった。
「へえ、本当に助けを呼ぼうとして出てきたのか? 恐れ入ったぜ」
最近、結構賑やかな甲府ダンジョン。それでもブロンズエリアの入り口ゲートは静かだった。大八洲国は外に出る必要がないほど、発展した国であり、ブロンズ級の探索者はほとんど外に出てこない。
そのはずなのに一人の男が出てきた。その男は鼻にピアスをしていた。額には【殺】と文字が刻んである。そして鬼神のスカジャンを着ている。【危険感知】が嫌というほど頭に鳴り響いてくる。
【危険感知】が危ないぞって言ってたのは知ってる。でも私はこうするしかなかった。もっと他の方法があったのならその方法からちゃんと教えてほしかった。
「よお、お久しぶりだねー。というほどでもないか」
「どうしてここにあなたがいるのよ!」
ニャーと鳴いて黒桜が巨大化してきた。ジャックがゲートから出てきた。ありえないはずのこと。でもありえること。祐太が心配していた。ブロンズアイテムは何も自分たちだけが使えるわけじゃないと。
「悪いな女。ここでお前ら3人とも殺させてもらうぞ」
《3人か。誰のことかな。誰も彼の後ろからはついてきていないみたいだけどね。あ、僕の名前を呼んじゃだめだよ。僕の存在はトップシークレットにしなきゃね》
《米崎。いや、米崎さん! 【意思疎通】は【盗聴】が!》
《安心したまえ。日本で【盗聴】はできない。そのまま【意思疎通】を使うんだ》
《えっと……どうなってるの!?》
とりあえず、今合流したばかりなのに、私よりも状況を理解してそうな米崎に聞いた。





