第百四十三話 翠聖兎神の大森林
意識が戻ってくる。現実の方へとピントが合っていく。俺は周囲を見渡した。雲の上。どうやら自分が飛んでいるようだと認識できた。何かに乗っていることに気づいて下を見る。黒い毛並み。黒桜だとすぐに気付いた。
「黒桜。状況は?」
余計な言葉は省いた。このネコは俺よりもはるかに知能が高い。一々こちらが聞きたいことを説明しなくても、勝手に理解してくれる。聞きながら周りを見渡す。周りに人がいない。広がるのは青い空と雲だけだった。
「祐太は今、襲ってきた赤竜の召喚士との戦闘を避け、逃亡中にゃよ。主達の方は黒桜に祐太を任せて、別方向に逃亡してるにゃ。理由は祐太の意識がもどらなくて狙われた場合、守りながらじゃ戦えないと判断したにゃ。主達が逃げる選択をしたのは、人間との戦闘を避けたかったからにゃね」
「どれぐらい意識がなかった?」
「一時間ぐらいにゃね」
「一時間……そ、そんなに……」
俺は思わず呻いた。探索者でなくても一時間も意識を失えば、その間に全ての決着がついていてもおかしくない。そして俺たちは探索者である。一時間というのはあまりにも長すぎる時間だ。
「とにかく伊万里たちのもとに向かってくれ!」《伊万里! 伊万里!》
急いで【意思疎通】で連絡する。命を狙われる可能性が一番高かったのは死の予言をされている伊万里である。どこの誰がなんのためにを狙って来たのかも気になるが、伊万里の安否確認が先だ。
赤竜、そしてそれに乗る男を思い出す。気配は俺よりも強い。それが敵意をもっていることも感じた。くそが、どうして自分より強い奴らがごろごろといるんだ。ことによってはミカエラ級……。
「《伊万里! 返事をするんだ伊万里!》」
思わず自分の声にも出して叫んでいた。しかし、応答がない。伊万里と繋がっている感じがしない。どこか遠くに連れて行かれてしまったのか? それともまさかもう死んでるのか?
「落ち着くにゃよ。それに【意思疎通】は無駄にゃ。赤竜の召喚士は多分、【意思疎通】や【探索網】の【妨害網】を使ってるにゃ」
「【妨害網】……」
「【意思疎通】や【探索網】を使えなくする魔法にゃよ。空気中に念波を妨害する念波が出てるのを感じるにゃ」
そんなものが出ているのか? それを意識してみる。そうすると確かに【意思疎通】が防がれている感覚がする。【探索網】も使ってみるが、なんというか五感が強くなっていく感覚が全くしなかった。
「確かに防がれているような感覚がする。妨害電波みたいなものがスキルにあるということか?」
「そうにゃ。ついでに【盗聴】や【強制探知】の魔導具もあるにゃよ。【盗聴】は電波も念波も盗聴するにゃ。【強制探知】は【意思疎通】が放たれている場所を強引に特定するにゃ。にゃから、【意思疎通】を使えたとしても、使うのは避けたほうがいいにゃ」
「まさかブロンズエリアで【意思疎通】は使えないのか?」
「敵がその魔導具を所持してる場合はやめておく方がいいにゃ」
「持ってるのか?」
「多分、持ってるにゃよ。大八洲国だとダンジョンのクエストはほとんど国が請け負うにゃ。だとすると、あいつは国の武官にゃ」
「な、何とか使う方法はないのか?」
「まあ上位互換で【転移通信】があるにゃ。でもゴールドスキルにゃから祐太はまだまだ使えにゃい」
「使えないスキルじゃ……。って、黒桜、お前、どうしてそんなに詳しいんだ?」
気持ちが焦る。こうしている間にも伊万里達が死んでいるかもしれない。俺はそれに対して何もできない。【意思疎通】と【探索網】が使えないのでは落ち合う方法がない。まずい。詰んでるぞ。
【妨害網】は赤竜の召喚士のスキルか? それとも仲間がいるのか? 組織だった敵ならミカエラどころの脅威じゃない。俺は黒桜のさらに下の大地を見る。深い森の中。そんな言葉では、生温いほどの広大な森だった。
雲よりも高い位置を飛んでいるというのに、地平線の彼方まですべて緑が続いている。最果てが分からない。雲よりも高い巨大な山が見えるだけで、どちらに行けばいいのか見当もつかなかった。
「詳しいのは黒桜の出身地がここだからにゃ。でも、全部は答えられないにゃ。白蓮様は黒桜の記憶に所々蓋をしてるにゃ。こうしないと【秘密事項】に引っかかって主の召喚獣になることができなかったにゃ」
「そうなのか……。だが少しでも詳しい存在がそばにいてくれるだけでも有難い。礼を言う」
「照れるにゃね。もっと感謝していいんにゃよ」
「恥を忍んで聞くが、黒桜。この次の手で黒桜が最善と思う手はなんだ?」
遠回りをしている暇はなかった。今はとにかく最善の手を打たないと、誰かが死ぬかもしれないのだ。
「祐太、まず下に降りるにゃ。それで【探索糸】を使うにゃ」
「【探索糸】?」
「そうにゃ。それ、かなり長距離まで探索できるから結構便利にゃよ」
黒桜が【異界反応】とスキルを呟く。そうすると不思議とここにいながら別の場所に居るような感覚にとらわれる。そのまま地面に向かって急下降していく。赤竜の召喚士に狙われないかと警戒するが、そんな状況にもならずに地面に着地した。
「今のは?」
初めての感覚に思わず目が輝いた。
「祐太。そんにゃの気にしてる場合じゃないにゃ」
「そ、そうだったな。で、【探索糸】はどうやって使うんだ? 【探索網】の方が便利すぎて、使う意味が分からないんだが」
「【探索網】が使えないときに使えるスキルにゃ。持ってるやつがほとんどいないからきっと裏をかけるにゃ。地面のあらゆる場所に蜘蛛の巣を張り巡らせるイメージをするにゃ。別に網の目は粗くていいにゃ。その巣に触れた者の位置が把握できるんにゃよ」
「触るだけで位置が把握できるのか?」
「【探索網】ほど詳しくは把握できないにゃ。だから、把握したら相手に絡みつかせるイメージをするにゃ。でも、絡みつかせるのは人間の大きさに限定するにゃよ。じゃないと祐太のSPがすぐに無くなるにゃ」
名前からして【探索網】と被っている気がした。だから使わずにいたのだが、使うことを意識すると【探索網】よりもはるかに広大な範囲に網を張ることが出来ると気付く。
「【探索糸】」
地面を足がかりに一気に網が広がっていく。急激にSPがガリガリと消費されて行くのを感じる。これじゃあ1㎞も広がらずにSPが尽きてしまう。もっと網の目を広く。大雑把でいいんだ。
相手は移動しているはずだから、必ずそれでも踏むはずだ。いくつもの生物に網の目が引っかかる。糸に生物がかかるとその大きさと体重がなんとなく伝わってくる。体重1tを超えるような生物が、かなりの数いる。
【探索糸】に触られてもあまり気にしてないように感じた。【探索網】と同じで使っていることが相手にわからないのか? 感覚的にはクモの糸のような細いものが広がっている。その程度のものが当たっても気にならないのか?
と、いろんなものが引っかかっていく中で人だと思えるものが引っかかった。
「これか?」
五感が徹底的に強化される【探索網】と違い相手の状況がつかみにくい。伊万里なのか他の存在かが分からなかった。それでも人間程度の体重が網の糸に乗っていると気付く。引っかかった対象物の情報がある程度入ってくる。
イメージ的にはアクティブソナーを放ったような気分である。あんな感じで対象物の大雑把な感触しかわからない。それでも闇雲に探すよりはいい。SPの無駄な消費になる他の網を消した。そして引っかかった対象物に糸を絡ませた。
「かなり離れてる。10……いや、20㎞を超えてる」
「とにかくそっちに向かうにゃ。【探索糸】を絡ませると相手はそれに気付くにゃ。伊万里たちは祐太の【探索糸】を知ってるからその糸を切ろうとしないはずにゃ。にゃから、切らないなら美鈴か伊万里の可能性が高いにゃ」
「そうか。エヴィーはラーイに乗ってるもんな。うん。切る様子はないぞ」
「でも静かにするにゃ。召喚士はまだこの森の中に居るにゃ。召喚士にこっちの場所がバレて先手を取られたら、一人の祐太はかなり高い確率で殺されてしまうにゃよ」
「俺たちも狙われてるのか?」
「伊万里を殺すために何が一番近道かを考えてると思うにゃ」
「それだと間違いなく俺を狙うな」
伊万里を狙う時点で俺の敵だ。万が一にも既に死んでいたら……。考えただけでもはらわたが煮えくり返る。例え敵が何であろうとも、俺はそれを許さない。絶対に許さない。
「祐太、どっちにゃ?」
「ちょっと右に向かってくれ」
俺が言葉にして、指差した方角へと黒桜が音もなく動き出した。その動きは動いていると分からないほど気配がない。【気配遮断】も使っているのだろうが、それにしてもこれほどそばに居る俺にも一切音が聞こえないのだ。
「祐太も【気配遮断】使うにゃよ」
「あ、ああ、分かった」
そんな場合じゃないと分かりながらも、この黒桜が一体何者なのか、激しく気になった。ただのエヴィーの召喚獣ではなさそうだ。このエリア出身だと言っていたよな……。
「黒桜のこと気になるにゃ?」
「えっと。すまん。正直気になる。でも【意思疎通】を使えないのに喋るのはまずいよな」
呑気に喋っていて、こちらの声を拾われたら、伊万里を探す以前の問題になってしまう。
「まあそうにゃけど敵が近くにいる気配はないにゃ。向こうだって【探索網】を使えないはずにゃから大丈夫にゃ」
「そうなのか……伊万里、いや、美鈴もエヴィーも無事だよな?」
「主が黒桜に『祐太を連れ出せ』って命令をだした時は少なくともみんなちゃんと生きてたにゃ。その後のことは知らないにゃ」
じゃあ殺されてる可能性があるのかよ。絶対に伊万里を守ると誓った矢先のこの体たらくである。死の予言など、もっと余裕のあることだと思っていたのに、こんな意図的に即行ではめられることになるとは想像もしていなかった。
「そもそもなんなんだ? 黒桜は『ダンジョンがグル』とか言ってたよな? そんなのどうしようもないじゃないか!」
まだ敵が探索者やモンスターだというなら、なんとかしようと思う。だがダンジョンとなればそもそも何をどうしたところで勝てるはずがない。探索者でもない一般人が、軍隊に喧嘩を売るようなものだ。
ダンジョンそのものを創った存在。ルルティエラ。その気になれば伊万里を殺すことなんてとても簡単なことだろう。
「まあ落ち着くにゃ」
「黒桜。お前は他人事だからそんなこと言えるんだ!」
「黒桜は主の召喚獣だから他人事じゃないにゃ」
「でも!」
「それにちょっと冷静になればわかることがあるはずにゃ」
「冷静……冷静って。お前が『ダンジョンがグルだ』とかいうから焦ってるんじゃないか」
「むしろそれはいいことにゃ。他のシルバー以上の探索者が敵になっていたにゃら、 そっちの方がはるかに怖いと思わないかにゃ?」
「何を言ってるダンジョン以上の敵など存在しないだ——」
と口にして言葉が止まった。
「いや、そうか……」
俺は自分で言葉にしてみてものすごい違和感に気づいた。
「そうにゃ」
「ルルティエラはダンジョンを創った存在だよな。それなのに、どうしてこんなにまどろっこしい方法をとっているんだ?」
ダンジョンならばそんなことする必要はないはずなのだ。そもそも誰かと組んでなにかをするなんてこと自体が変である。人間を殺したいならば、もっと簡単に殺せるはずだ。それがなぜか【赤竜の召喚士】という存在を派遣している。
「なぜだ? 伊万里を殺したいならもっと簡単に殺せるはずだよな……黒桜、知ってるのか?」
「黒桜は知らないにゃ。でも、白蓮様の話では、『ルルティエラもまた自分の創ったルールに縛られているのじゃ』だそうにゃ」
「ルール?」
「そうにゃ。『そのルールをルルティエラが守らねばいけない限りは、完全な絶望というものはないのじゃ』って話にゃよ」
「どんなルールなんだ?」
「至ってシンプルにゃ。『ルルティエラは最初から可能性がゼロであることをしてはいけない』というルールらしいにゃよ』
「可能性がゼロ?」
「そうにゃ。例えば赤竜の召喚士が、シルバー級以上の探索者だとするにゃ。そうすると祐太が勝てる可能性はゼロになるにゃ。余程レベルアップの時に酷いことをしていない限りは倍も差があるとほぼ勝つ可能性はゼロと言われているにゃ。これはレベルが上がるほど顕著になってくることにゃ」
「俺だとどれぐらい差があると無理になるんだ?」
「レベル200以上にゃね。そもそもミカエラに勝てたのは奇跡もいいところにゃ。相手がちょっとでも本気で祐太と戦おうとした時点で負けたはずにゃ。だからこれがルルティエラ様がしたことだからこそ、それ以上なんてことはありえないにゃ」
「なんなんだそのルール?」
かなり違和感のあるルールである。そんな足枷のようなルールをどうしてルルティエラという存在は守らなければいけないのだろう?
「黒桜は理由を知らないにゃ。ただ、白蓮様は言ってたにゃ『ルルティエラは何があってもそのルールだけは絶対に守るのじゃ』って」
「そうなのか……。黒桜、赤竜の召喚士のレベルはいくつか分かるか?」
「多分、レベル200にゃ。正直、ミカエラより強いかもしれないにゃ。この国の探索者は時間をかけてレベル200になってるにゃ。戦闘経験が豊富で恐ろしく強いにゃ」
ミカエラより上の強さを持つ敵。俺はミカエラのクエストを達成したことによって報酬が得られている。そのおかげで、ミカエラのときよりはまだ強くなっている。それでもまだミカエラに勝てる気がしない。
「いや、でも、逃げるぐらいならなんとかなったか……」
美鈴達は三人ともそれぞれに特化した強さがある。逃げるだけならどうにかなったはずである。そう思って気持ちをなんとか落ち着けた。
「そうにゃ。だから落ち着くにゃ」
「この国の探索者とか言ってたな。それだと複数人が敵である可能性はないか?」
「それは分からないにゃ。祐太は一人でミカエラをなんとかできたにゃ。そう考えると四人組で向こうがくる可能性は否定できないにゃ」
レベル200が四人もいる可能性? ああ、想像しただけでゾッとする。それが全員ミカエラ級ならやばいなんてものではない。
「ただ、その可能性は低いと思うにゃ。チームで動くと探索者の強さは倍どころじゃなくなるにゃ。居たとしても二人までだと思うにゃよ。ただ、祐太たちのレベルが上がるのを許してしまった場合は、向こうも増員してくると思うにゃ」
「それだと俺たちが強くなっても難易度が変わらないのでは……」
「まあそうなるにゃ」
「うげー」
それにしても、この森はどこまで広がっているんだ?
「全然モンスターが襲ってこないな」
【探索糸】にはモンスターがかなりの数引っ掛かっている。それらを避けるように進んでいるということもあったが、それにしても襲いかかってくる様子がなかった。
「こんなもんにゃよ。まあ中には攻撃的なやつらもいるにゃけど、モンスターの敵は別に絶対人間である必要はないにゃ」
「じゃあ、ストーンエリアが異質なのか?」
「そうにゃ。ストーンエリアはむしろ【人間を積極的に襲え】ってダンジョンに言われてるにゃ」
「あいつらそんなこと言われてたの?」
「そうにゃ」
「質問ばっかりで悪いんだけどさ。黒桜。それでここはどこなの?」
十一階層でいいのかも自信が持てない。何かの手違いでもっと下の場所に転移でもさせられたのかと思う。ステータスを開いてみるがクエストらしいものすらも出ていなかった。
「ここは大八洲国にゃ」
「大八洲国はダンジョンの中にあるの?」
「そうにゃよ」
「どれぐらいの広さなんだ?」
「大八洲国全体で地球と同じぐらいだったと思うにゃ」
「十一階層でOK?」
「十一階層でOKにゃけど、正確に言うと大八洲国は十一階層~二十階層にゃ。それと日本にあるブロンズの入り口は全部この大八洲国に繋がってるにゃ」
「それってつまり日本に居るブロンズの探索者が全員ここに居ると?」
「そうにゃ。あと、どの階層にも自由に行ける転移駅があるにゃ。そこから二十階層に直接行くこともできるにゃ。それとこの十一階層は【翠聖兎神の大森林】と呼ばれてるにゃ。翠聖兎神はうさぎの神様でここの元締めにゃ。レベル1000を超えた半神にゃから喧嘩売ったら死ぬにゃ」
「売らないよ。ここの広さってどのぐらいあるの?」
何その恐ろしいウサギ。というより、12英傑級の強い存在がこんな所にいるんだな。ブロンズエリアだからレベル200までの存在しかいないとかそういう感じですらないのか。そっか……。
「ここの広さは日本の50倍ぐらいにゃ」
「道理で果てが見えないわけだ」
「もう一つ付け加えるにゃ。階層と言っても別に階段で分かれているわけじゃないにゃ。十の大陸があって、海を渡れば隣の階層に行くこともできるにゃ。まあそんにゃことする奴居にゃいけど」
「今までと随分システムが違うんだな」
「かなり違うにゃ。ダンジョンから出されるクエストもなくなるにゃ。代わりに探索局でクエスト受注するにゃ。あんまりいいのがないからなかなかレベルが上がらないにゃ。でも今回はある意味ラッキーにゃね」
「何が?」
「ダンジョンが伊万里を殺すならそれはクエストという形で、こちらにも何か報酬が用意されているはずにゃ。白蓮様曰く『ルルティエラは一方的に人に害を加えることができないのじゃ』という話にゃ」
「つまり、このことで、より早く下に降りる可能性もあるのか……」
「そうにゃ」
災い転じて福となすとは言うが、その掛け金が伊万里の命というのか……。
「はあ」
思わず盛大な溜息が出た。俺は12英傑がたった五年でレベル1000に至ったその理由の一端に触れてるのかもしれない。ある意味ダンジョンからのボーナスなのかもしれない。だがその代わりに伊万里が死ぬなんてことになったら……。
「とにかくダンジョンに対して一つだけ思ったことがある」
「なんにゃ?」
「性根が悪い」
「ダンジョンから好かれた探索者は全員そう思うらしいにゃ」
「だろうな」
そうしゃべりながらも【探索糸】で絡みとった気配に近づいているのが分かる。1㎞ほど先にいる。しかし、これほど近づいても、相手が逃げる気配はなかった。一応敵である可能性も考えて、お互い喋ることもしなくなった。
相手が赤竜の召喚士だった場合は出会ったその瞬間に戦闘になる。首飾りとなった美火丸に触れる。腰に自然と帯刀された。あの美火丸のストーリーを見てから俺の姿は外出用の私服になっていた。
伊万里が買ってくれたラルフローレンの白いポロシャツとデニムパンツ。伊万里のブランド好きはともかく、どうやら美火丸の首飾りはこの衣服に対しても強度を付与してくれるようである。戦闘しても破れない服というわけだ。
南雲さんにちょっと近づいている気がして嬉しい俺。いや、それどころじゃない。
「……」
気合いを入れ直した。慎重にそしてすばやく黒桜が移動する。相手も気配をできるだけ悟らせないようにしているようだ。掴むのに時間がかかった。だがここまで近付けば気配を完全に掴んだ。しかし、これは……。
巨木に邪魔される事無く【探索糸】で掴んでいる相手を視界に収められるところまできた。
「……」
「……」
向こうの姿が見えた瞬間。相手もこちらに気づいて見てきた。胸の大きな小柄な女の子。
「伊万里!」
「祐太!」
慌てて近づいていく。その姿を俺が見間違うわけがなく、伊万里が確かにいた。
「二人ともストップにゃ!」
だが、もう10mほどの距離まで来て、黒桜に止められた。
「姿を変える魔法はいくらでもあるにゃ。伊万里。自分のスリーサイズを言うにゃ」
「え、ええ? 言うの?」
伊万里はちょっと恥ずかしいのか、赤面している。
「言うにゃ。言えないなら偽物にゃ」
「言えるけど、えっとバスト91、ウエスト56、ヒップ80だけど」
「祐太。合ってるかにゃ」
「人のスリーサイズなんてちゃんと覚えてるわけないだろうがバカ!」
伊万里に下着のプレゼントなんてしたこともない。いくらなんでもスリーサイズなんて覚えてるわけがない。
「……えー。じゃあ昨日の夜に祐太は何を食べたにゃ」
「カツ丼」
「ダンジョンに入る前は?」
「カツ丼」
「その前の日は?」
「カツ丼」
「昨日のお昼は?」
「カツ丼」
「祐太。偏食はよくにゃいにゃ」
「うるさい! 伊万里! 大丈夫だったか、敵は?」
俺が伊万里の傍によると、伊万里が抱きついてきた。
「大丈夫。エヴィーさんが『逃げましょう』って言って、みんなで逃げたの。でも、赤い竜の他にも召喚獣がいて分断されちゃった」
「そうか……そいつ近くに居るか?」
「分からない。私は探索スキルを何も持ってないから」
「俺も伊万里がそばにいたから気づいただけだしな」
それでも20㎞離れていたのだ。探索者が全力で移動しているのだから100㎞、200㎞離れたとしてもおかしくない。
「あの二人、大丈夫か……」
「祐太。美鈴さんとエヴィーさんは別々だと思う。あの召喚士は、追加で四体召喚獣を出して、私達をそれぞれ分断してきたから一緒に居られるとは思えない」
「召喚獣で別れさせて【妨害網】で連絡を取れない状態にする。そこから各個撃破していく算段か……。これでまだもう一人探索者の敵がいる可能性もあるか」
俺と合流することができた伊万里よりもむしろあの二人の方が状況は悪いか。なんとかして二人とも合流したいが、方法が思いつかなかった。いや、目的が美鈴とエヴィーではないのなら、分断できた時点で狙いは伊万里に絞られてるか?
「そもそもどうして勇者が狙われるんだ? 黒桜、知ってるか?」
「黒桜はところどころ記憶を封印されてるにゃ」
やはり何か禁忌に関わることか。それに関わる項目になると、簡単にはしゃべれないようにされているようだ。勇者の秘密は少なくとも地上では一切知られていない。禁忌の可能性は高い。となると自分たちでその情報を仕入れるしかない。
「伊万里。何か情報はあるか?」
「うん。赤い竜の召喚士が私の方を追いかけてきたの。だから少しだけ会話をしたよ」
その時のことを伊万里は話してくれた。
『主命とはいえ、子供を殺せとは気が進まんな。ああ、娘御よ。悪く思うな』
『不憫な子供』
『リュカ。できるだけ苦しまないように殺してやれ』
美火丸と同じく和式の甲冑を着た男だったらしい。見た目の年齢は50歳前後。口ヒゲを生やしていて、見た目的に歴戦の強者という感じだったらしい。隙のない動きで常にこちらはよく観察していたという話だ。
そして赤い竜も普通にしゃべることができたらしい。その辺はラーイたちと同じということか。だとするとラーイ達並みに賢い。それに召喚獣もレベル200のはずだ。
『ま、待って。せめて私が狙われる理由だけでも教えてもらえない? 死ぬ理由ぐらいは知っておきたいの』
それでも自分の能力的に逃げる自信があった伊万里は、抵抗する意志がないポーズを見せて、なんとか情報を聞き出そうとしたらしい。
『主。ただ殺すのではあまりにも残酷である。死ぬ理由ぐらい教えてあげてもよいではないか?』
リュカと呼ばれる赤竜がそう言ってくれたらしい。
『確かにな。娘御よ。その理由は貴様が勇者だからと聞き及んでおる。おぬしは勇者で相違あるまい?』
『う、うん。まあ、どうして勇者だと死ななきゃいけないの?』
『残念ながらそれがしも詳細は知らぬ。ただ、勇者が現れれば殺す。そういう仕来りなのだ。それがしが生まれるずっと昔よりの決まり事と聞いている。ゆえに貴様はいずれ死ぬ。それがしが見逃したところで誰かが殺すのだ。だから汚れ役をそれがしが買って出ることにした。子供の殺害などは若いもんにはさせられぬ。すまぬな』
『私が生き残る方法はないの?』
『生き残る方法とな……』
考え込んだ男は、その方法を知らないこともないようだった。だから伊万里は再度尋ねたらしい。
『お願い。方法があるなら教えて。私はどうしても生きなきゃいけない。祐太が生きてる限り私も生きてそばに居ると決めてるの』
『好いた男がいるということか?』
『居る。一緒に生きて一緒に死ぬって決めてる人』
『それほどか……それがし独り身ゆえ、その男が少し羨ましくもあるな。ふむ。まあ人として命を授かった以上は生きたいと思うのは当然の権利よな。無理とは思うが教えておいてやろう。それがしが聞いたところでは、お主たちは外の探索者であるな?』
『うん』
『そうか……。では情報制限もあるし、知らなくても当然か。それがしも知っているというほどのものではない。だが“勇者とは理を生み出す悪”。ということだけは有名だ。それ以上のことは何も知らぬ。ただ、悪であるならば殺すしかあるまいよ。さて、娘御。甘んじて死ね。お前は悪なのだから死んだ方が、その男の為にもなろう』
そこまで聞いて伊万里はそこで逃げたらしい。
「よく逃げられたな」
聞いている限り、決して甘い相手ではなさそうに思う。出された命令に対してはきっちりこなすタイプに思えた。いわゆる軍人気質だ。そういう人間は俺たち側からすればどれほど理不尽に思えても、容赦などしないように思えた。
何よりもそうでなければ、勇者はもっと生き残っているだろう。
「うん。【光天道】があるし、逃げるだけならどうにでもできたんだ」
「ああ、あのスキルな。確かにあれは逃げるのに向いてるよな」
伊万里が生きていることに心底安堵する。もう人の生き死にを見たくない。何よりも伊万里と美鈴とエヴィーの死だけは絶対に避けたかった。
「祐太。私、このまま一緒にいたら迷惑だよね?」
「そんなこと言わなくて良い。悩む必要もない。伊万里はダンジョンにすら警戒されてるんだ。これを乗り切れたら、きっとすごいことになる。そんな気がするんだ」
それは黒桜も言っていたことだ。ことが大きくなるほどダンジョンは大きい報酬を用意しなければいけない。ましてや勇者は能動的にダンジョンが殺そうとしているのだ。
「迷惑じゃない?」
「迷惑じゃない。むしろ生きていてくれないと困る。美鈴もエヴィーも料理はできないって言ってたしね」
「……」
それでも伊万里が余計なことを考えないかと心配になってしまう。この問題を早く解決しないとその悩みはきっと深くなっていく。とにかく伊万里が狙われる理由をちゃんと突き止めて、狙われない状態までもっていく必要がある。
その糸口があるとすれば、二つある。
「黒桜。統合階層に白蓮様はまだいるのか?」
そしてそのうちの一つがその人物だ。リッチグレモンの存在も気になるが、居所に関する情報がない。探すにしても手がかりがなさすぎる。それに伊万里の話を聞く限り、そのアンデッドに会うにはこれを乗り越えなければいけないようだ。
「もう居ないにゃよ。もともと白蓮様は統合階層にいない存在にゃし」
「じゃあこの翠聖兎神の大森林には居ないのか?」
いまいちこの階層のことが理解できなかった。それでもとてつもなく広い森林であることだけは理解できた。
「居ないにゃよ。でも大八洲国のどこかにいるはずにゃ。黒桜の記憶には居場所の情報はないにゃけど、『わしを見つけて会いに来るのじゃ』って伝えるように言われてたにゃ。記憶が断片的で気持ち悪いにゃ……。けど、それは不思議と今思い出したにゃよ」
「なるほど」
黒桜の記憶にはどうもかなり事細かな制限があるようだ。もし希望があるとすれば、この黒桜の記憶と、その飼い主である白蓮様だけである。白蓮様がどれほどの存在なのかは知らない。
だがダンジョンに許しを得ることなく勝手にエヴィーのクエストボーナスを変えたような内容が書き込まれていた。それは白蓮様からのなんらかのメッセージなのかもしれない。だから、彼女に会いに行く。
そして、それ以前にまずエヴィーと美鈴に合流する必要があった。
「祐太。まずいにゃね」
黒桜の言葉を聞くと伊万里と二人で、即座に臨戦態勢を取る。俺には何も感じられなかった。それでもこのネコの言うことが馬鹿にできないことが段々と分かってきた。
「黒桜。赤竜の召喚士か?」
「すぐ近く?」
「いや、主がピンチみたいにゃ。一瞬、主が黒桜を転移させようとして止めたにゃ」
「行ってくれ! こっちは俺が絶対なんとかする!」
強制的な意識のブラックアウトがない限りは、そう何度も遅れは取らない。 あんな無茶苦茶なことをダンジョンが何回も仕掛けて来るとは思えない。そもそも黒桜の話からしてダンジョンが俺に直接何かするのは禁止だろう。
「祐太。あの山に見えるぐらい大きな木。【翠聖樹】の足下に行くにゃ。翠聖兎神様の直轄領にゃから、たとえどんな勢力でも作戦行動は取れないにゃ」
「分かった。いいから行け!」
そう言い終わるか、言い終わらないかのうちに、黒桜の姿が消えてしまった。翠聖兎神についてとかもっと聞きたいことはたくさんあるが、聞いている間にエヴィーが手遅れになったら洒落にならない。
「大丈夫かな?」
「エヴィーとかなり離れているみたいで位置が分からない。黒桜がどうやって移動したかも分からないし、どうにもならない。くそ」
できることがずいぶん増えたと思ったのに、それでもまだこんなにできることが少ない。それ以前に黒桜頼りで、あのネコがいなかったら詰んでいたかもしれない。それを見越していたらしい白蓮様とのコンタクトがやはり最優先だ。
「伊万里。エヴィーと美鈴はあの召喚士に追われたままなのか?」
「ごめん。それは分からない。確証は無いけどあの二人はたぶん逃げられたと思うとしか……」
「そうか」
「【意思疎通】も使えないままだよ」
伊万里はかなり不安に感じているようだった。何よりも自分のせいで二人が死ぬようなことがあってはいけないと思うのだろう。
「不安はある。でも、今は黒桜の言う翠聖樹を目指そう。行動するにしても二人と離れているのか、近づいているのかも分からないんじゃ、闇雲に動き回ってどうにかなる状況でもない。それよりは黒桜の話を聞く限り、俺達に手出しできなくなる翠聖兎神の直轄領というものに入ることが優先だ。きっと赤竜の召喚士はその状況になるのが一番嫌なはずだ。つまり俺たちがそこに近づけば近づくほど」
「赤竜の召喚士は私たちに対応しなきゃいけなくなってエヴィーさんたちに構ってる暇がなくなる」
「その通り」
一番の目的は伊万里だろう。慎重に行動する事を忘れずに俺たちは移動を開始した。
皆様が読んでくださるお陰さまで、
【ダンジョンができて5年】はWebでも連載を開始することになりました!
チャンピオンクロスにて無料で漫画を読むことができます!
下記のページより、直接ページに飛べるのでよろしくお願いします!
https://championcross.jp/series/2ab40e058a94f
また、こちらのほうでも【いいね】や【お気に入り登録】をしてもらえると非常に励みになります!
どうぞよろしくお願いします!





