第十四話 トイレ
「確認事項?」
「ああ、くに丸さんっていう探索者の初心者用動画を見ててね。動画で折に触れて確認した方がいいダンジョン注意事項みたいなのを教えてくれてたから書き出してきたんだ」
「祐太、細かい……」
「自分が死にかけたばっかりなのに、そういうこと言わないでほしいな」
「そりゃそうだけど。忘れてることなんてないと思うけどな」
「確認と点検。ダンジョンでは絶対面倒臭がらない。死ぬよりはマシでしょ。それより俺が確認事項を読むから周りの警戒をしてね」
「はいはい」
1階層のサバンナは草刈りなんて誰もしないから、かなり草原の草が深い。だからゴブリンがしゃがめばしっかり注意していないと見逃してしまう。
初期のダンジョンだと隠れる知恵があるゴブリンはいないそうだが、できて1年も経っているダンジョンだと、そういう技術を覚えて使ってくるそうだ。
「じゃあまず確認事項1項目目」
「はいはい」
「拳銃の銃弾を補充しています……か……」
「……」
二人とも言葉を失った。そういえば忘れてた。一発もないわけではないがかなり減っているはずである。
「や、やっぱり確認点検は大事ね」
桐山さんの額にたらりと汗が流れる。
「美鈴は警戒してて、俺がマガジンに補充し直すから」
そう言って俺は拳銃からマガジンを取り出すと、銃弾を込めていく。これを忘れてゴブリンとの戦いで弾切れを起こして、また死にかけたらアホである。
「祐太ー」
「何?」
「万事、粗忽者ですがよろしくお願いします」
マガジンの補充が終わると桐山さんが殊勝なことを言ってきた。
「いや俺も読むまで忘れてたから」
「でも私、基本的に祐太の言うこと聞くようにする」
「その動画の人が言ってたんだけどさ。『人間は習慣になっていないことを忘れるんだ』って。だから最初は徹底的に確認点検。ダンジョンの場合はそれを怠ると死ぬって」
しかし、くに丸さんの動画は本当に参考になるな。
ここまで賢いのに拳銃で経験値が入らないことを知らないのだろうか?
いや、ひょっとするとくに丸さんは知ってるんじゃないだろうか? そして俺達がゴブリンに対してやるような拳銃の使い方をすでに実践してるんじゃないだろうか?
それを言わない理由は簡単だ。拳銃を使わずに近接戦闘を下手に薦めると一歩間違えば死人が出る。動画なんかでおいそれと薦められることじゃない。
「あり得ることだな」
「何が?」
「いや、いいんだ。それより10分経ったね」
「そうですねー」
「じゃあ作戦を決めよう。まず5体以上の群れのゴブリンは、初手の段階では拳銃ではなく弓を使って4体にする。そして矢がなかなか当たらない場合に拳銃を使う。その後、ゴブリンには走って近づくんじゃなくて、二人で並んでゆっくり近づいていく」
「まあこっちから近づかなくても、人間に気づいたゴブリンは速攻で襲い掛かってくるしね」
色々思い出して桐山さんはうんざりした顔をした。
「その際、ゴブリンが予測不能な動きをしていると判断した時点で、3体まで拳銃で射殺する。逆に予測可能な動きだと判断したら予定通りだ。その判断は俺がするってことでいいね?」
「OK」
「それとゴブリンと体が密着するほどの接近戦になった場合は慌てずコンバットナイフを使う」
「了解。そっかコンバットナイフ持ってたんだったね。何かいろいろ忘れてるわー」
ゴブリンをどんな時でも3体にしたほうが安全だが、あまりに安全策をとりすぎると魔法やスキルが出てこなかったりする。ステータスの上がりも悪い。それだと今は良くても先で詰んでしまう。だからこれがベストだと判断した。
「じゃあ行こう」
「イエッサー」
周囲を見回した。そしてすぐにゴブリンの徒党を組んだ6体を発見する。
「祐太。右前方、ゴブリン6体発見。他のゴブリンはいないよ」
「後方は少し離れた場所にいるよ。でもゴブリンの察知能力だと美鈴の見つけた6体を優先しても、後方のゴブリンはこっちには全然気づかないと思う」
「了解。じゃあ前の方から行こう」
二人でゴブリンへと近づいていく。ゴブリン側はまだこちらには気づいていなかった。草原に隠れるように体を沈ませて、さらに近づいていく。近づくと6体のゴブリンの装備がはっきりしてきた。
「3体が刀やコンバットナイフを所持した普通のやつ。1体がアーチャー。もう2体が大きいのだ」
「むむ」
早速、予測していたのと違うパターンだ。
大きいゴブリンをどう扱うか考えてなかった。ゴブリンは大抵が小学6年生の男子ぐらいのサイズだが、中には人間の大人サイズになっている者もいる。当然デカい分だけ強い。今までは問答無用で撃ち殺してきた。
「どうする祐太? 普通のを4体相手するつもりでいたんだよね。アーチャーと大きいの2体は拳銃で倒しちゃう?」
「いや、大人のゴブリン2体は的が大きくなるんだし、美鈴が弓で打ってみたらどうかな。ゴブリンアーチャーに関しては俺が前に出て矢を防護盾で防ぐ。ゴブリンアーチャーがもし後ろに控えて弓を打つ構えなら、やっぱりアーチャーも矢で仕留めて、普通のゴブリンは3体を二人で相手にする。どうかな?」
「うんー。上手くいくかどうか分からないけどとりあえずやってみる?」
「だね。危険だと判断した時点で拳銃にしよう」
俺が提案した想定の中に入らないことになったら、容赦なく拳銃で全滅させる。方針を決めて桐山さんが弓矢を構えた。鋭く放つ。と、矢がコンバットナイフを所持した普通のゴブリンにヒットした。大人のゴブリンに当てるはずが、当たらなくていいゴブリンに当たった。
「むむ」
「プッ」
「わ、笑わないでよー。結構難しいんだから」
思った通りにはなかなかいかないものだ。まだ100m以上離れていたから、そりゃ矢が思い通り当たるはずもない。むしろよく狙えている方だろう。
俺はまだゴブリン達と距離があるうちに拳銃を両手で構えた。片目を閉じてドットサイトを覗き込み、しっかりと狙いを定める。
パンパンパンパンパン
パンパンパンパンパンパン
ゴブリンの群れが走り寄ってくる中で、ゴブリンアーチャーだけが後ろで控えて弓を構えていた。まだ距離はあるが、余裕のあるうちに容赦なく6発使って仕留めた。距離があるとやはり狙いを定め難いが、多めに撃てば何とかなった。
そこからさらに大人のゴブリンを1体だけ拳銃で仕留めた。途中で弾切れしてスペアの拳銃に入れ替えていた。その間に桐山さんは何とか矢の当たったゴブリンにもう一発矢を当てて完全に動けなくした。
「よし。美鈴は通常サイズをお願い。でかいのは俺がやる」
「任せて。次はちゃんとやるから」
俺たちは気持ちを落ち着かせ、向こうから向かってくるのを待つ。
都合のいいことに大人のゴブリンが俺めがけて巨大な棍棒を振り上げてきた。思いっきり振り下ろされた棍棒を防護盾で受け止めると腕がしびれた。しかし動けないほどじゃない。
日本刀を抜き放つと横に薙いだ。
大人ゴブリンの腹が切り裂かれて内臓が飛び出す。それでも即死することはなく動いてくるゴブリンに、刃をさらに大上段から振り下ろすと、頭蓋骨の半分ほどまでめり込み脳天がかち割れた。
「よし」
大人ゴブリンの頭を蹴っ飛ばして刀を外した。桐山さんは二体同時の攻撃を受けていた。十字槍を振りかぶると1体目を十字槍の横に出た刃の部分で突き刺し、2体目の攻撃は避けた。
「やられっぱなしじゃないからね!」
速攻で1体目のゴブリンに刺さった刃を抜いて、さらに突き刺した。
しかしその間にゴブリンが抱きついてくる。今度は慌てずにコンバットナイフを抜いて横腹に突き刺す。抱きついていたゴブリンがズルズルと地面に落ちていく。
桐山さんはさらに足を振りかぶるとゴブリンの首を思いっきり踏みつけて潰した。離れた場所で弓矢で行動不能にしただけのゴブリンアーチャーも、桐山さんが走っていってコンバットナイフでとどめを刺した。
「よしよし、こういう感じでいいよね」
コンバットナイフを使ったために返り血を浴びて、いい笑顔になる桐山さんが、見ようによっては恐ろしい。
だがダンジョンではその姿こそ正しい。二人ともパターンを掴むとそこからは早かった。無理だと思ったら拳銃で容赦なく撃った。そして余裕があれば予定通り弓で射抜く。慣れてくれば2対2でも苦戦しなくなってくる。
一度ゴブリンアーチャーを弓も拳銃もなしで倒すことにも挑戦した。
正直これが一番苦戦した。やはり遠距離攻撃は相手にやられると恐ろしい。それでも俺が前面に出て盾でゴブリンアーチャーの矢を防ぐ。ある程度の距離まで近づくと、向こうが矢を射るよりこっちの方が早い。
「わかってくると、こいつも敵じゃないね」
リラックスして桐山さんが言ってきた。ゴブリンアーチャーの心臓を突き刺しながら、しゃべる。ゴブリンを殺すことに対する抵抗は桐山さんもだが、
「そうだね。レベル2でこれなんだから、レベル3になったら、ここではレベルが上がらなくなるわけだね」
俺もゴブリンを刀で突き刺しながら喋っていた。
慣れてくればくるほど効率が良くなる。午前中のうちにかなりのゴブリンを倒した。そして60体を超えるところで、昼時が来て、休憩を取ることになった。
自分たちがゴブリンを倒しまくったことで、ゴブリンがいない空間ができていてそこで昼食を取る。
周囲がゴブリンの死体だらけで、草食動物もビビって近づいてこない。それでもご飯が食べられるのだから、1日で随分慣れたものだ。
「はい。麦茶」
桐山さんが水筒に入れた麦茶をコップに注いで渡してくれた。
かなり暑かったので冷たいのが気持ちがいい。昼食のメニューはコンビニおにぎりである。ずっと動き回っていたからかなりお腹が空いて、俺は鮭やオカカやタラコを五つも食べて桐山さんは四つも食べた。
「ふう、まだいけるけどあんまりお腹いっぱいにしないほうがいいよね」
「ハハハ」
「なんで笑うのよー。祐太、さっきから私にちょっと失礼よ。そりゃ女にしてはおにぎり4個は食べすぎかもしれないけど」
「いやそうじゃなくて。桐山さんとこんなところで、ゴブリンの死体に囲まれて、おにぎり食べてるのがなんか不思議だって」
「まあ、確かに。祐太とこんな事してるなんて不思議だ。って言うかまた名前戻ってる」
「あ、美鈴だったね」
かなり名前を呼び捨てにすることにも抵抗がなくなっているのだが、それでも気が抜けると桐山さんと呼んでしまう。
「まあ祐太らしいっちゃ、らしいけどさ。あ、ご飯粒ついてる」
桐山さんが自然と俺の口元に手を出して、ご飯粒を取ると自分の口に運んだ。
「こんな事、女子にされてるのが不思議だ」
「私もこんな事、男子にしてるのが不思議だ」
なんとなく顔を見合わせると笑い合った。
「美鈴、あと50体ぐらいかな」
「ああ、レベル3はゴブリン50体だったよね。じゃあ、そのぐらいか。ところで」
「何?」
「食べるもの食べたら、その、催してきた」
気まずげに桐山さんが言ってきた。桐山さんは不慮の事故で何度か途中で出てしまっているが、もう3、4時間前のことになるし、そもそもダンジョン内が暑いので水分補給はこまめにしていた。
「ああ、実は俺もトイレ行きたい。ダンジョンショップに戻ろうか」
まだ1階層なので戻ろうと思えば戻れる距離だ。
「そうじゃなくて。祐太、催してきたからここでしたいの」
「え? 漏れそうなの?」
ゴブリンに襲われて漏らした桐山さんの姿を思い出した。なぜそこまで我慢してしまったのか。
「漏れないわよ! そういう意味じゃなくて、私たち今日中に多分レベル3になれそうでしょ。そうしたらもう次の段階に入るんだよ。2階層に降りる階段を見つけるのに直径100kmの円の中を走り回って探さなきゃいけない。つまりもうダンジョンに泊まり込むぐらいしなきゃいけないんだ」
「あ、ああ、そうか泊まり込みだね」
ダンジョンでの泊まり込みは探索者にとっては避けて通れないものだ。1階層はまだ無理をすれば帰れなくもないし、そもそも元は俺一人だけのつもりだったから、見張り役がいないので帰らざるをえない。そう考えて、伊万里には夜には帰ってくると話していた。
だが2人なら泊まれる。泊まれるなら泊まるのが探索者においては常識だ。ましてやレベル1000を目指すような探索者ならば、ダンジョンで宿泊する事には早く慣れた方が良かった。
「明日か明後日くらいにはダンジョンの中に泊まらなきゃいけなくなるんだよ。トイレのたびにダンジョンショップに帰れるのは今のうちだけ。だから慣れた方がいいでしょ」
桐山さんの顔を見ると、ほんのり赤くなってた。
「慣れるって……」
「祐太にはもう色々見られちゃってるし、私は恥ずかしくないから、私からする。私が終わったら祐太もする。問題ないでしょ」
桐山さん……いや、美鈴は宣言するとホルスターを外して自分のズボンをおろしてしまった。下着が見えた。白だった。白い太腿と汗に濡れたパンツが目に飛び込む。
「祐太、このまま私がするの最後まで見てる?」
「い、いやいや、ごめん!」
パンツに手をかけようとしていた美鈴のジト目。俺もさすがにこのまま見ている勇気はない。周囲を警戒して、絶対にモンスターに近づかれないように気をつけた。聞こえてくる音はどうしても耳に入ってくるが、気にしないようにする。
それでもどうしても気になって、この音を俺が聞いていいのかと不安に駆られた。やがて音がしなくなる。次に衣擦れの音がした。
「いいよ」
と言われて美鈴を見ると服装が整えられていた。
残念に思ってしまっている自分を恥ずかしく思いながら、今度は自分の番になる。美鈴がそばにいると思うと緊張して、なかなか出なかったが、それでも、なんとか終わらせた。
「美鈴、これってアレだね。まだ小さい方だからいいけど」
「祐太、私はもうその覚悟はちゃんとしてるから心配しないで。でも」
美鈴がこちらをじっと見てきた。
「何?」
「言っとくけど、私、他の男子の前でこんなことしないから。デリカシー無い女とか思わないでね」
「え、でも、他の男子とダンジョンに入ることになったらどうするの?」
「そんな予定ないから考えたことない」
「そうなんだ……」
俺は彼氏でもないのにホッとした。美鈴に相当気を許されていることは間違いないようだ。それが素直に嬉しくて、やはり好きだと思った。
ともかく、そこから俺たちはゴブリンアーチャーや大人のゴブリンに苦戦しながらも、最終的には美鈴も単体の大人のゴブリンに勝つことができるようになった。そしてもうそろそろレベルアップしそうな頃に、
「これって……? 祐太、ちょっと来て!」
この辺の名前と名字呼びが混同するのがちょっと分かりにくいという意見があったので、軽く修正しました。
まだここが変かなと思うところがあれば誤字報告でお知らせください。





