第百三十八話 選択
目の前には体中に傷跡が残る大鬼と、美鈴の元へと行きたいのに、邪魔されて行くことができないミカエラがいた。
「追い付かれた」
三時間ミカエラが、美鈴達を殺せなければ俺の勝ち。今やっと10分だ。そのことを美鈴とエヴィーに伝えられれば、クエストの達成はそれほど難しくない。だができなかった。美鈴は詳細を聞きたがったが俺は口にもできなかった。
【約束の頚木】の効果は絶大で、ダンジョンから強制されたものと同じぐらい、絶対的な遵守を強いられる。『逃げろ』以上の忠告に類する言葉は何ひとつ口にできなかった。
「ミカエラ! もうこんなことやめて三時間待て! そうすれば俺はお前と友達だ!」
「いや! あとたった三人殺せば、あなたと永遠に生きられる方が良いもの!」
轟音とでも言うべき破壊音を響かせていた美鈴の所へ、ミカエラが最初に現れた。そのミカエラへと俺が追いついた。血だらけになっている大鬼の横に立つ。先ほどまで美鈴と戦っていたはずの大鬼。
それなのに状況からしてこの大鬼は美鈴をかばってくれた。やはりラストもアウラと同じでかなり人間的な部分があるようだ。まあよく考えてみれば知能が人間ほど高い時点で、ただただ人間の敵になるなんてことは難しいだろう。
「すまない」
大鬼に俺はまず謝った。この状況、どう見ても美鈴のクエストを邪魔している。
「気持ちよく死のうという時に、貴様は呑気に痴話喧嘩か?」
「……違う。だが、そう見られるよな」
俺は自分の選択の甘さに俯いた。
「ふん、俯くな。レベル100になったのであろう。何度も死にそうになり、それでもなんとか生き延びて、ようやく一人前になったのであろう。ならば俯くな!」
「ラスト……」
「だいたい謝るのならば逃げざるを得なくなってしまったあの小娘に対してであろう」
「ああ、そうだ」
美鈴は俺のクエストの邪魔をしてはいけない。だから、ミカエラに手をだすことができない。だがミカエラを相手に手を出すことができないなんて言っていたら殺される。どうしようもなくなった美鈴は逃げるしかなかった。
「で、どうして、お前たちは殺意を向けあっていない?」
「ふふ、愛し合う二人になるためよ」
「お前には聞いておらん。頭のおかしな小娘」
「失礼しちゃう。ねえ、大鬼さん。あなたモンスターでしょ? 六条君を引き留めてくれない? 代わりに私が美鈴を殺してあげる」
「引き受けるわけが……なかろう」
「あっそ。じゃあバン!」
ミカエラが起こす一番小規模な爆発。大鬼の膝が爆発する。防ぐことも出来なくて大鬼が片膝をついた。そもそも心臓がないのだ。動くことすら奇跡に近い。
「だ、大丈夫か?」
「いや、実を言えば死ぬ寸前だ」
「……ふふ……実を言わなくても分かってるわよ。ゆっくり横におなりなさい。バン!」
残った足をミカエラが爆発させる。威風堂々とした大鬼が、地面に尻をついた。
「ふむ、体が自由に動かんな。カカ、死にそうなぐらいで情けなきことよ。だが! まだ動く!」
膝から下がなくなった大鬼が、そんな足の状態でまた立ち上がった。
「なんなのお前? モンスターでしょ。人間のために無理なんてしないで死んでなさいよ!」
「心配するな小娘。もう無理をする意味もなくなった」
「は?」
「のう美鈴! もうよかろう! 殺せ! お前なら聞こえておろう! お前の男が追いついた! 我はもう持たん! さっさと殺して終いにせよ!」
大鬼は美鈴に自分を殺せと言っているのか? 美鈴は大鬼が庇ってくれたから無事だったんだろ? それなのに殺す? 美鈴にそれができるのかと思った。しかし、遠く離れた場所からだ。やけに明瞭な小さな声が聞こえた。
「【爆雷槍】」
確かにそう聞こえた。
美鈴の声。
落雷のような音が響く。
まるで地面を雷が走ったようだった。
雷が大鬼に衝突したのだと思った一瞬後。
大鬼の首が根元から吹き飛んだ。
「よし。見事だ……」
大鬼の巨大な頭が地面を転がる。
【遠雷の射手が十階層のクエストをS判定でクリアしたことをお知らせします】
クエスト達成の女の機械的な声がする。大鬼をあっさりと殺した。美鈴はこんなにあっさり助けてくれた敵を殺せるのか?
「あら怖い。庇ってくれたのにね」
美鈴は今の俺の状況を正確には知らない。『逃げろ』と伝えただけなのだから当然だ。しかし【意思疎通】は声もだが、感情も伝わりやすい。何か俺が迷っていることだけは伝わったのかもしれない。
その俺の予想を肯定するように美鈴から【意思疎通】が届いた。
《祐太。何か迷っているって伝わってきたよ。その女のことを祐太がどう思って同情してるのか私は知らないよ。それでもその女はちゃんと殺さないと駄目。生きて許されるような女じゃない。祐太だって分かってるでしょ?》
美鈴からきっぱり殺せと言われた。そんなに感情が伝わったのか? 生きて許される女ではない。あまりにも無駄に人を殺しすぎた。助けたいと思う自分の気持ちが間違っている。何よりもラストが美鈴を庇わなかったらどうなっていた?
美鈴が死んでいた。
ミカエラが美鈴を本当に殺していた。
俺は間に合っていなかった。
この意味は重い。そしてミカエラの目的は俺の大事な三人を殺すこと。改めて美鈴の声を聞くとそれがどれほど自分にとって重大なことか思い出す。美鈴を失う。ミカエラの青い瞳と目が合う。
「すごい殺気。恋人が殺されかけて、やっぱり君も私を殺したくなった?」
「心を読まないのか? 読めばすぐに分かるぞ」
「あなたの為よ。心を読まれるのは嫌でしょ? だから、もうあなたの心は読まないと決めた。六条君は一度私を好きだと思ってくれた。それで十分だもの」
「嘘をつけ。この怖がり」
美火丸に手をかけた。心を読めるということをリアルに想像してみると良い事ばかりではない。信じている人が自分に対して、真っ白な心を持っていてくれることなどありえない。いやなことは必ず考えるものだ。
死んでほしいと思うことだってあるかもしれない。
そして嫌な気持ちほどよく目立つ。
たとえ100の褒める言葉があっても、たった一つの傷つける言葉があれば、それが苦しくなる。ミカエラは今の状況で俺の心を読まないのは戦闘する意味で不利だ。ポーションを飲んだといっても1000万のものである。
全快しているわけがなく。心を読まないことにしたら、俺に負けることだってあり得る。それでも読まない。読みたくない。怖いから。お前のことを俺はよく知ってるんだよ。
「……私を行かせてくれないの?」
「今殺しておかなければ一生後悔することになるのかと考えている」
「ふふ、嫌だわ。好きな人ほど心を読みたくなくなるのね。髮?ココ君のときはそんなことなかったのに」
「そいつのことは心を読んだ後、すぐに自分で殺してしまったんだろう? お前はそうやって人を傷つけるたびに、どんどん怖がりになっていってるんだよ」
人を殺して平気な人間。そんなものはこの世に存在しない。傷つければ傷つけただけ。自分も心のどこかが死んでいってる。ミカエラはその典型的なタイプで、最初に人を殺してから、どんどんと自分の心が人を怖がるようになってきてる。
【東堂伊万里が八階層のクエストをS判定でクリアしたことをお知らせします】
その時、俺の頭の中に、機械的な女の人の声がまた響いた。
《祐太。繋がったってことは生きてるよね? 私、祐太のために頑張ったよ。だから、祐太も私のために頑張って。多分、祐太はミカエラを殺すかどうか悩むと思う。池本和也のことでも殺して傷ついていたから。でも、祐太。ミカエラはきっと助けられない。殺すしかない。迷ったらダメだからね》
美鈴に続いて、伊万里まで同じような事を言ってくる。体の中に美鈴と伊万里がクエストをこなしたことで力が漲ってくる。力、素早さ、防御、器用のステータスが+120。そして【空間把握】と【索敵糸】が生えたはずである。
仲間に恵まれていないミカエラは、この統合階層のクエストをマトモにこなせていないはずだ。なみ達が一人でこの階層のクエストをこなせるわけがない。つまり120のステータス分、今この瞬間、追いついた。
これなら、殺せるか?
嫌になってくる。助けようと本気で思ったのに、どんどんと殺さなければと思い始めている。美鈴を傷つけられたくない。伊万里もエヴィーもだ。
「ミカエラ。お前が殺そうとしている美鈴達が、お前を『殺せ』と言ってきた。自分たちが殺されそうなことに気づいたかな?」
「勘のいい子達ね。祐太君。私なんかと天秤にかけたから怒ってるのかもよ」
「怖いな。後で殺されるかもな」
「ひどい女たちだわ。ねえ、私は君を怒ったりなんてしない。だから、やっぱり私の方がいい女だわ。そう思わない?」
「思うよ」
「そう」
少し笑ったミカエラは悲しげな顔になる。俺は気を高めた。だんだんと自分の心がミカエラを殺す方へと傾いていく。そうしなければ、こいつはあっさり美鈴達を殺してしまう。
「六条君」
「祐太でいい」
「……祐太君。そんな顔しないでよ」
「ミカエラ」
「真莉愛。野木崎真莉愛」
「マリア?」
「こう書くの」
ミカエラは空中に自分の字を書いた。本当に空中に書くことができるみたいで黒い文字が浮かんで儚く消えた。
「良い名だ」
「昔はね、よく変わった名前だってからかわれた。だから自分の名前が好きじゃなかったの。だって、お父さんが昔見ていたアニメのヒロインの名前なんだよ。ひどいよね。でも、六条君は覚えておいて、私の名前」
「まるでこれから死ぬ奴みたいだな」
「ふふ、だって私は君を傷つけられないもの」
「……」
「ああ、それと、クリスティーナだっけ? 別にいいわよ。その子には上げないけど、君になら私の魂を上げる」
「真莉愛、俺は!」
「言わないで。私を殺すって決めちゃったんでしょ? そう思われても100年ぐらい頑張ったらきっと君が好きになってくれると思ったから頑張れると思った。なのにやっぱりそれが怖い。だからこれで終わり」
ミカエラの額にある瞳が開いた。その瞳は真っ黒に染まっていた。
「真剣に来いよ。別に俺が殺されてもかまわない」
「ふふ、あーあ、【約束の頚木】。一生懸命創ったのにあんまり意味なかったな」
「今からでも真剣にやればいいじゃないか」
「無理ね。自分でもわかるの。ううん。今その顔を見て気づいた。私は君に嫌われることに耐えられない。でも今更正しくもなれない。いっぱい殺したわ。100人以上殺したかな。あなたの恋人の言う通り自分だけ幸せになんて都合が良すぎるでしょ?」
「そうか……」
確かにそうだった。俺の考えは都合が良すぎたのだ。
「じゃあ殺してやるよ。でも真莉愛にだって生きる権利はある。精一杯抵抗してこいよ」
「あなたこそちゃんとするのよ。私が君を殺しちゃったら、美鈴達にきっと死ぬまで追いかけられるに決まってる」
「おっかないな」
「本当……」
ミカエラが気を高めていく。俺もミカエラをちゃんと殺せるように極限まで集中していく。ミカエラからも戦気の高まりを感じる。ちらりと横を見た。ラストの首が転がっていた。美鈴はちゃんと殺した。
ラストの性格は知ってる。きっと殺し難かったと思う。ましてや自分を庇ってくれたとなれば、なおさらである。それでもちゃんと覚悟を決めた。俺は何をしている? 迷ってばかりで結局傷つけてるだけじゃないか。
「許せ」
「謝らないで、 私はちゃんと見つけられた。それだけで幸せ」
ああ、本当に嫌になる。自分はそれでも選ぶのだ。
俺が言う。
「【灰】」
ほとんど同時にミカエラが言う。
「【黒】」
狙いが外れないようにとしっかりと構えた。向こうも俺の知らない魔法を唱えようとしている。ミカエラの額の瞳が黒く輝く。俺の方は美火丸の鞘の中で赤い炎が渦巻く。さらにそれが黄色になり白になり青にまでなった。
力の高まりを感じて最後の言葉を言う。
「【燼】!」
ミカエラも口にした。
「【煌】!」
ミカエラの魔法。黒い光が向かってきた。俺が放ったのは【灰燼】の青い炎。【黒煌】の墨を塗りつぶしたような光とぶつかり合う。本来なら俺が勝てるはずのない真っ正面のぶつかり合い。しかし、青い炎の刃は黒い光を押しのけていく。
地面を瞬時に溶かし、さらに蒸発させて進んでいく。
そして、炎がミカエラを包んだ。
「真莉愛……」
【灰燼】の炎がミカエラと衝突すると同時に、火柱となって立ち上る。凄まじい勢いの青い炎の中にミカエラが包まれて消えていく。
「手を抜くなと言っただろう」
そのまま何もかも消えてなくなってしまえと思った。そうしたらこの胸の苦しみなどなくなる。
しかし、
「【氷月】」
俺の炎に氷の塊が襲いかかった。本来ならどれほど冷たい氷だろうと跡形もなく、蒸発させるだけの青い炎である。しかし、溶けない氷がミカエラを包み込んだ。そして、氷の塊の中にミカエラの赤と青の瞳だけがうかんだ。
胸が軋むように痛んだ。
自分はまた殺してる。
ああ、南雲さん。真莉愛が死にましたよ。
【六条祐太は九階層のクエストをクリアしたことをお知らせします】
今日、三度目となる声が聞こえた。これでクエストをこなしたことになるらしい。でもこれでミカエラを助けたなどという気にはなれなかった。
「ごめんね。邪魔をしてしまって。でもこのままじゃミカエラの体が塵も残らないと思ったの。祐太、クエストはどうだったの?」
振り返ると玲香がいた。パワードスーツで頭まで隠しているところを見ると、よく考えずとも、美鈴から顔を隠したいのだなと思った。
「クエストは……達成されたみたいです」
クエスト内容は秘密事項だったから玲香に話していない。それ以前にそこまで話す気もなかった。玲香はこちらの様子を見ていて何がクエストだったのか、だいたい推理しているようだった。
それにしてもこのタイミングでこの攻撃……。どうやら玲香はミカエラにすら気付かせずにこちらを見ていたようだ。米崎もそんなことをしていたことがある。何かの上級アイテムを使っているのだろうか?
「良かった。それにしても殺す機会は何度かあるように見受けられたけど、随分と余計な手間をかけたのね。【奈落の花】のときはどうして助けたりしたの? おかげで、目玉しか残ってないわ。これでちゃんと魂が留まっているかしら?」
こちらの様子をしっかりと伺っていたようで、大体のことは把握しているようだ。それを許したのは自分だったが、気分は悪かった。様子を見ていたのなら、こちらの気分ぐらい察しろと思った。
「簡単に言うんですね」
「何かご不満が?」
「いえ……ミカエラも人だったとは思うから」
「ぷっ、相手は殺人鬼よ。むしろ死ねば喜ぶべき相手では? それだけの極悪人だったはずよ」
「まあ、そうですけど」
子供じみた腹立ちだ。怒るようなことではない。きっとこんなことで腹が立つのは俺だけだ。
「やっぱりかなり不満な顔をしているわ。私が冷たいとでも思うの?」
「どうでしょうね」
結局は殺すことを選んだ自分。ミカエラの気持ちを分かっておきながら、最終的にはそうした。 冷たいというなら、俺の方だ。でもきっと殺さないことを選んだ方が後悔することになる。
どうしても不機嫌な顔が抜けない俺を玲香は仕方がないと肩をすくめた。
「祐太。クリスがミカエラの魂を使う。この件に関して、博士からはあなたの許可をもらってくるようにと言われているわ。構わないわね?」
ミカエラ自身が良いと言っていた。それは間違いなかった。
「本人が良いと言っていた。俺の許可はいりません」
「それじゃ困るわ。博士からはあなたからちゃんと『言質を取れ』と言われているの。『いやなら中止で良い』とのことよ」
「随分と殊勝なことで」
「本心は知らないけど、博士はあなたの顔を立ててるわ。あなただって手を組む相手に勝手になんでもされるの腹立たしいでしょ?」
「そうですね。それは腹が立つ。でも、聞かれてすぐに答えが出せるほど、俺は割り切れる性格じゃない」
「きっと若いからよ」
「自分も色々後悔しているくせによく言う」
「あら、言うわね」
ミカエラが死んだショックがまだかなりあった。
「まあ分かった。待つから答えを出して」
玲香は黙った。だが結局それほど時間はかからなかった。
「——玲香。ミカエラがそうして欲しいと言っていたんだ。それを尊重しようと思ってる。それがミカエラの何かの罪滅ぼしになるかもしれない」
「罪滅ぼし……」
「ああ、ダンジョンが現れてから、あの世があるということもほぼ確定している。ミカエラがこのままなんの罪滅ぼしもしなかったら、きっと、とんでもない地獄に堕とされる。それが回避できるなら、そうした方がいい。だから、そうする」
だんだん、玲香を相手に丁寧語を使うのがばかばかしくなってくる。
「そう。博士はきっとあなたは『ミカエラに同情するだろう』と言っていた。それでも『最終的には、殺すだろう』とも言っていた。私にはミカエラに同情する意味が分からないわ。でも最終的にあなたは殺して美鈴たちを優先させた。私でもそうする。そういうことでいいわね?」
「ご自由に。理解されたいとは思わない」
「あっそ。ねえ、そっちの死体ももらっていい?」
玲香が大鬼の死体を見て言った。
「なんだ人間? 我も連れて行くのか?」
二人してドキッとして一歩引いた。玲香が指さしたのはラストの頭。横向きに倒れていて、よく見ると目が開いて、こちらを見ていた。それが喋ったのだ。巨大な横倒しの頭だけが喋る。昼間でなければホラーだ。
「い、生きてる? 美鈴はクエストを達成したはずじゃ……」
「さすがにこの状態ではじきに死ぬ。達成と言ったところで、何の問題もなかろう。正確性にかけるというなら、理由は簡単だ。ダンジョンはよほどお前が贔屓なのだろうよ。一刻も早くお前のステータスをあげたかったのだ」
「……」
「おい、そこの性悪そうな女。我の頭など持ち帰ってどうする?」
「しょ、性悪っ」
「違うとでも?」
「くっ、魂をマークさんに使おうと思ってるだけよ」
玲香は大鬼が『もうすぐ死ぬ』と聞いて言ってもいいかと思ったようだ。しかし、性悪か。口の悪い奴だな。よくそんな本当のことが言えたものだ。
「マーク……銃を使う奴か?」
ラストは知っているようだった。
「そうです」
「カカ! あの男か……まあ、悪くない。だが!」
大鬼は首だけが不思議なことにふわりと浮かび上がっていく。そしてその首だけの状態でゆっくりと回り、こちらをしっかりと見てきた。凄まじいホラー映像だ。ダンジョンに入りたてでこんな光景を見たらちびったかもしれない。
不意に震える音が聞こえた。玲香の足がガタガタと震えていた。玲香がこちらを見てきたので馬鹿にしたように笑ってやると真っ赤になった。
「女! 震えるか! カカ! その程度で我の魂を使うならば覚悟せよ! あるいはマークとやらを呑み込み、お前の頭を食いちぎるかもしれんぞ!」
ラストはそう言う。命の理から外れた行為である。リスクを伴う行為なのは間違いないと思えた。
「そ、そのリスクは承知しています。では本人が納得してくれると?」
「構わん。人間と一緒になるなど考えたこともないが、繰り返すだけの人生よりは面白みがあるやもしれん。我が抵抗しなければうまくいくだろうよ。しかし、笑えるものだ。我が人とは、これもなんぞ奴の企みか。カカ!」
「奴? 誰のことだ?」
「気にするな。いずれ知る時がこよう。ほら、女。さっさと運べ」
ラストは頭だけの状態だというのに、偉そうだった。それにしても頭だけなのに元気な奴である。そう思っていたら、目がカッと開いたまま地面に落ちた。ラストから言葉が途絶えた。今度こそ死んだか?
「死んだ?」
俺はペタペタとデカい顔を触ってみる。 それにしても頭だけなのに俺の腰ぐらいまであるな。
「玲香。これ、持ち運ぶのか?」
とてつもなくでかい頭。これを持ち運ぶというのはどうなんだろう?
「ご心配なく。博士からマジックバッグを預かってきてるわ。3トンまで大丈夫なやつだから」
玲香はそう言って、ラストの頭を氷漬けにした。そしてバッグを近づけた。怖がりながらするので代わってやると、ラストの頭がすぽっと中に入った。ミカエラの目玉の方は別のケースに収めて、そこで人の近付いてくる気配を感じた。
「美鈴だ」
俺が間違うわけがなくて、美鈴が近づいてきていると確信した。こちらから戦闘の音がしなくなって決着がついたのだと思ったか。玲香をちらっと見る。
《なによ》
【意思疎通】だった。これぐらいの距離だと美鈴だと余裕で聞こえるもんな。
《いいんですか?》
《挨拶ぐらいしていくわ。祐太は気づいてるんでしょうけど、話さないでね》
《いずればれますよ》
《わかってる。でも黙っていて。いいでしょ》
《俺のせいにしないでくれるならね》
《ふふ、するかも》
俺が気付いてから美鈴が姿を見せるまでは、ほんの数秒のことだった。その事に美鈴の成長を感じる。以前の美鈴ならここまで速くなかった。
「——祐太。この人誰?」
美鈴が姿を見せて、元気そのものだった。手に持っているのは間違いなく虹アイテムだろう。たった一つのアイテムなのに、美火丸すべてを合わせても足りないような存在感を放っている。
「ああ、えっと」
美鈴がやはり玲香のことを知らないのか、警戒するように目を向けた。隠していたことが後でバレるのは嫌なのだが、俺はちらりと玲香を見た。
「米崎博士の下で働いている。カンレと言います。あなたがレベル200になればまた会うこともあると思うのでお見知りおきを」
玲香はぺこりと頭を下げた。米崎に自分の体を身売りした。その代償として手に入れることができたレベル200の体。そんな独善的な行動を妹に知られたくない。
《問題の先送りは後悔するよ》
恥部は言ってしまったほうが楽なのにな。
《じゃああなたなら言うの?》
《言わないに決まってるじゃないか》
「あ、うん。よろしくお願いします?」
「では祐太。もう行きますね」
玲香は長居する気はないとさっさといなくなる。ずっと姉妹として生きてきて、おまけに感覚が異常なほど鋭くなっている美鈴が誤魔化されるだろうか?
「今の人、外国人?」
「え?」
誤魔化されるようだ。美鈴って、たまにポンコツだよな。いや、まあ、美鈴から聞く姉の人物像と玲香はかなりかけ離れているように思う。違いすぎて合致しなかったのだろう。そんなことを思いながら、首を振った。
「違うよ。日本人。どうして外国人だって思ったの?」
「だって祐太のこと呼び捨てだったし、カンレなんて日本人の名前じゃないでしょ?」
「まあ美鈴も最初から呼び捨てだったけど」
「私はいいんだよ。彼女だし」
そう言いながらも、疑わしそうに見てくる。そういう視線はやめなさい。痛くもないのにお腹が痛くなるだろう。言っておくけど浮気はしてないから。でも美鈴の顔が見られて、今まで波立っていた心が落ち着いていくのを感じた。
「美鈴、エヴィーは?」
「今レベル上げ中。100まであと2、3週間はかかるんじゃないかな? 伊万里ちゃんも一緒だよ」
「そういえば伊万里はずいぶんクエストに苦労してるみたいだったけど達成できたんだ」
ミカエラへの対抗策として、心を読まれても大丈夫なようにと三人への連絡を最小限にとどめていた。そして三人にも俺に自分達の情報を入れないようにと話していた。だから、仲間の状況をほとんど知らなかった。
「私も詳しくは聞いてないけどね。五体満足で無事にクエストを達成したってこっちには連絡きたよ」
「そっか」
伊万里はなんというか放っておいても自分で黙々とやっちゃう。今回だってクエスト内容すらどんなものかよくわからないまま勝手に終わっていた。
「伊万里ちゃん相変わらずだよね。リッチ・グレモンの秘宝ってなんだったんだろう? 帰ってきたら絶対教えてもらおう」
そんなことを話しながら全然違うことを考えていた。マジックバッグの中にたくさん入っているミカエラに作ってあげようと思っていたカップラーメン。俺が全部食べるのか。あいつ貧乏なくせに箱で三箱も買いやがった。
「祐太。泣いてるの?」
ミカエラは一度俺がカップラーメンを作ってから、ニャー君に作らせるためにカップラーメンしか食わなくなった。それがちょっと後悔だ。思い出すとたった十日間だけどいろんなことがあった。
毎日風呂に入れようとするし、チョコレートを食べさせようとするし、抱きしめてないと寝れないとか抜かすし、暑苦しくて迷惑なやつだった。
「美鈴」
また泣いてるか。ずいぶん泣き虫になったものである。
「うん?」
「いや、やっとここまで来たな」
「うん。やっとここまで来た」
わずか半年ほどのことである。きっと普通に学校に通っていたら、そこまで濃厚な日々ではないし、半年などあっという間だったと思う。ダンジョンの中にいて何度も死にかけ、いろんな経験をしたから随分と長く思えた。
俺が地面に腰を下ろすと、美鈴も隣に座った。最初にダンジョンに入ったときも、こんな感じだったなと思い出した。あのひ弱だった自分が、ずいぶんと強くなったものである。【灰燼】でできた地面の傷跡を見る。
南雲さんが穂積達を殺したとき、あの大地が二つに分かたれたような凄まじい斬撃には及ばない。でも少しは近づいた気がした。
「良いことも悪いことも起きたな」
そのいいことの一つである。美鈴に手を伸ばした。しっかりと抱き締める。美鈴からも抱き締め返してきた。そのまま唇が触れ合う。体をまさぐると、美鈴の口から甘い声が漏れた。
それから、二週間経って伊万里が合流して、召喚獣のレベル上げもあって、エヴィーはそれから三日後に合流してきた。
「一番早くクエストをこなしたのに、一番遅れたわ」
エヴィーが気にしているようだった。
「仕方ないさ。召喚獣のレベル上げもあるしね。それよりも、こうしてみんな無事に生きて会えて良かった」
「まあそうだけど……」
それでめでたしめでたしなはずなのに、何故かじいっとエヴィーの綺麗な蒼い瞳で見られた。いや、まあ、理由は分かっているのだ。早く終わった美鈴と俺が何をしていたのかということだろう。
何もしていなかったわけもないので、そっと目をそらした。
「美鈴! 私結構頑張ってたわよ!」
「ふふん。早い者勝ち」
「くっ、まさか伊万里も!?」
「まあ、それなりによろしくしましたね。もっとも私は三日だけだったし、ガチャコイン集めがメインでしたよ」
仲間がまだ探索やレベル上げをしている間。それが露骨な時間稼ぎでない限りは、モンスターを倒すと、通常通りの頻度でガチャコインが落ちてくれる。おかげでエヴィーがレベル上げをしている間。かなりのガチャコインを集めることができた。
「そんなこと言ってるけど、伊万里ちゃん。私に見張りさせてかなり祐太とシッポリしてたからね。私なんて見張りがいないから、途中でモンスターから邪魔されて、何回途中で終わったことか」
「……祐太?」
「な、なに?」
「下に降りることが優先されるのは分かってるわ。遅れたのは自分だし、贅沢は言わない。けど……一日だけだめ?」
エヴィーが上目遣いに見てくる。前までの俺なら考えられなかったこと。自分が求めなくても向こうから求めてくる。むしろ向こうの方が俺と一緒にいたいようだ。美鈴も伊万里も何も言わなくてもかなり何でもしてくれる。
ミカエラだって、なみ達にさえ引っかからなければありえたかもしれない仲間。ちょっとだけ間違えただけだったのにな。どうして……。
「はあ」
「どうしたの? 私がいや?」
自分が嫌がられていると思ったのかエヴィーが心配そうに見てきた。
「真莉愛」
「え?」
「ミカエラの名前。とんでもない問題児だったけどさ。それでも頑張って生きていたことだけは間違いないんだ。だから俺はずっとこの名前、覚えておこうと思う」
「そう……」
やはり俺は泣いてしまう。本当にどうにも駄目だな。そう思った。





