第百三十六話 迷い
『君は殺そうと決めた人をちゃんと殺すんだ!』
米崎の言葉が頭に浮かんだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」
ミカエラがその場にうずくまる。【奈落の花】が人間に何を見せるのか? それを知る者は居ない。【奈落の花】の精神波をくらった者は殆ど死んでいるからだ。生き残れる高レベル探索者は、何も語らない。
知ったところで意味がない。耐えられなければ死ぬだけなのだから。そしてミカエラは耐えられないようだった。うずくまった状態で激しく自分の頭を地面に叩きつける。自分の手で自分の顔に爪を食い込ませ狂乱状態だ。
【奈落の花】がゴールド級であることを考えると当然の結果だ。このまま放置すれば俺は労せずして、ミカエラを殺すことができる。
「……これでいいんだよな?」
こんな簡単な事をダンジョンは求めたのだろうか? 確かに【奈落の花】はクエストでの使用を許可されていた。それでもこれが本当に治癒なのか? 何か間違ってない?
『なあ六条の君。お前が死んだらきっとみんな喜ぶぞ』
ふいに池本に言われた言葉を思い出す。俺のトラウマの中にまだあいつが生きている。
『だからさ。お前、ここで死んで見せろよ』
『はは、い、池本。それは勘弁してくれよ』
あれは屋上に小野田と後藤も連れて上がった時である。何故か俺まで連れて行かれた。
『そうそう池本。こいつが死んだら俺ら疑われるじゃん? だから殴って楽しむのが一番いいんだって』
『小野田。でもこいつが死んでも誰も悲しまないのは本当だろ? 弁護士の親に捨てられたんだろ?』
『ぷっ。まあ、そりゃそうだけどな』
ミカエラもなみ達に同じような扱いを受けていたのか? なみ達ですらきっと死んだら悲しんだ者はいるのに……。大体、こんなもので何が治っているんだ?
巨大な爆発音がした。
ミカエラが自分に向かって【大爆発】を唱えたのだ。俺の足を奪った爆発。それでもミカエラは小さな火傷程度の傷しか負っていなかった。
「早く死ななきゃ! 私は早く死ななきゃあああ!!!」
ミカエラの叫び声が聞こえる。その正気を無くした声は、俺の心を抉ってくる。何度も爆発が起きた。そのたびにミカエラの体にダメージが蓄積されていく。ミカエラの腕が変な方向に曲がっている。ミカエラの服が、破れて血が出ている。
さらに爆発が起きる。今度は足が曲がってしまった。
「私は! 私は生まれてこなければよかった!」
ミカエラが地面に倒れてまた爆発を起こした。
「私の人生は辛いことばかりだ」
『俺の人生は辛いことばかりだ』
ふいにミカエラの言葉と俺が中学で口にした言葉が重なって聞こえた。【探索網】はこれほど離れていてもミカエラの声を確かに俺の耳に届けてくれた。またもや爆発音がする。ミカエラは自分の傷口に向かって爆発を起こした。
「そんなことしたら」
ミカエラの体中に亀裂が生じて血が噴き出す。
自業自得の結果……。
殺人鬼の成れの果て……。
この世で誰一人としてミカエラが死んだからって悲しんだりしない。
なのに、
「あれ?」
泣いていたのだ。
自分の顔に手で触れて確かめてみる。指が濡れていた。
『私ね。人は共感できないことでは泣けないものだと思うよ。だから君がうまく泣けないのは君が冷たいんじゃなくてね。今まで普通の人と共感できない事が多すぎたんだ。だからね。君はよく頑張っていると私は思うよ』
そういえば昔、そんなことを言っていた教師がいた。男なのに女のように喋って自分のことを私などという変わった教師だった。涙とは自分が共感できることで流れるものだ。俺は泣くことを忘れたみたいに泣けなかった。
そうか。どれ程の不幸を目にしても、自分と同じだとは思えなかった。共感できる部分を何も感じなかった。でも、今、俺はミカエラに共感している。ミカエラの悲しみを俺は共感できる。
「そうか……俺はお前を……」
殺したいんじゃない。
助けたいんだ。
「【韋駄天】」
気づけば何度も俺を助けてくれたスキルを唱えていた。アウラが死んだ。デビットも死んだ。アンナも死んだ。古見達も死んだ。皆この女が殺したのだ。それなのに俺は死にかけたミカエラの体を抱えていた。
でも、
「これは……」
【奈落の花】の精神波の影響が俺の体に来た。分かっていれば抵抗できると思った。【奈落の花】は人に幻でも見せているのかと思った。それならどんなものを見ても動揺せずに範囲外に逃げればいいと思った。
今の俺なら3㎞などすぐだ。
だが、違った。
それは強烈な虚無感。
寂しさと後悔。
背徳と懺悔。
今までの自分のしてきたことに対するすべての“否定”。
親に放置されたのは俺が悪い子だったから。虐められたのは俺が池本に嫌われるようなことをしたから。なのに殺した。先生に逆らってダンジョン高校に行かなかった。ゴブリンを殺し、自分のレベルを上げるために命を奪った。
アウラも俺のせいで死んだ。
死ぬべきだ。
俺という人間は死ぬべきだ。
それ以外のことが考えられない。
【奈落の花】
そのせいでこんなことを考えていると分かる。分かるのに考えることをやめられない。自分という存在そのものを早く破壊したい。自分が生き延びるためにここから逃げる。逃げろ。逃げるんだ。ここから離れろ。
いや、自分なんかが生き延びてどうする? 俺みたいな最低な人間が生き延びることに何の意味がある? 俺は美火丸を抜いた。美火丸を普通に刺すだけでは、死なない頑丈な体になっている。
一刻も早く死ぬ為にスキルを唱えなきゃいけない。
「【炎】」
ごめんなさい。
「【流】」
ごめんなさい。
「【…】」
自分に向かってスキルを唱えようとした。瞬間。体が何かに縛られた。そして引っ張られる。誰だ? 俺は自分を縛る何かを見た。それは白い糸だった。
蜘蛛の糸?
アウラ……。
どうして……。
朦朧とする意識の中で運ばれていく。【奈落の花】から少しでも離れるために。
「——げほ! げほ!」
俺は吐いた。盛大に吐いた。自分の考えていたことが気持ち悪くて仕方がなかった。あれは俺であって俺じゃない。俺は絶対あんな考え方はしない。育児放棄した親父が悪い。俺を殺そうとした池本を殺して何が悪い。
むしろあいつはもう一度殺したい。
【奈落の花】の影響を受けていると分かっていたのに、それでも自殺しようとしてしまった。むしろ生きるために自分がする行動全てが悪に思えた。こんなものを街中に仕掛けたイカレ野郎がいるのか?
「にしても、ありがとうアウラ。助かったよ。お前は本当に俺がピンチの時に助けてくれるよな。お前は大丈夫だったか?」
そう尋ねる。横を見るとアウラが、
「アウラ?」
しかし、そこには誰もいなかった。歩き去っていく大蜘蛛の姿が見えただけだった。
「あいつが助けてくれた?」
クーモのような存在だろうか? アウラの眷族で、アウラの意思を守っているのか? モンスターというのは、奇妙な行動をとる。そもそもあいつらは人間の敵なのか?
リーンもラーイもクーモもモンスターで、普通に共存できるんじゃないのかとすら思える。しかし、ダンジョンの中では圧倒的に悪で、人間を殺しにくる。
「ありがとう」
助かったのは事実で、俺は大蜘蛛に向かって頭を下げた。
「あいつらは【奈落の花】が平気なんだな」
どうやら【奈落の花】は精神構造が人間に近くないと効果がないようだ。
「それにしても何やってるんだよ俺」
ミカエラなんかを助けようとして危うく死にかけた。というよりも、自分が殺そうとしたのに助けようとしてしまった。
「どうかしてるな」
俺は自嘲した。可哀想だが、あのままあそこで死んでもらおう。次にあんなところに助けに行ったら間違いなく死ぬ。助けようとしたのは気の迷いだ。アウラだってあの女が死んでくれて清々しているだろう。
そう思って、無事にクエストが達成できたことに安堵して、自分が何か柔らかいものを抱えていることに気付いた。
「うぅっ……」
そこには死にかけたミカエラが抱えられていた。左手一本で腰に下げるような感じだった。
「……」
俺は自分が死にかけてもミカエラを運び出してしまったようだ。ミカエラがいる。どうしよう……。助けたところで敵対されたら終わり。助けるのか? 今ならこいつを簡単に殺せるぞ。
どうする。今は優位でも助けた瞬間、圧倒的不利になる。
「でも助けたい」
だが、助けた瞬間にこちらが殺されかねない。
「何か助けてもこちらが殺されないような方法はないか?」
そう口にして一つだけ思いつくことがあった。それはとても気が進まないことではあるが、そうすれば助けても不利にならずにすむ。いや不利は不利だけど、不利を少なくできる。要はミカエラの強さの源が何かということだ。
ミカエラの強さの源は“魔眼”である。
そして何よりもこの魔眼がミカエラを不幸に突き落とした。
だから、
「こいつ自身にとっても要らないものなんだから、排除してもいいよな?」
俺はミカエラの体に馬乗りになった。そしてその綺麗な両の瞳に人差し指と中指を当てた。そのまま食い込ませていく。ミカエラの体が痛さに跳ねた。それでも瀕死状態のミカエラの体は暴れ出したりはしなかった。
ゆっくりと俺の指がミカエラの眼窩へと沈んでいく。俺はそのままミカエラの瞳を刳りぬいた。取り出されたのは、ミカエラの赤い瞳と青い瞳。特にこの青い瞳が、ミカエラを呪い続けた元凶。
それを握りつぶした。
そしてミカエラのもう一つの強さの源。自在に爆発現象を操る赤い瞳も握りつぶした。手にイヤな感触が残る。だがさらに燃やした。炎を操るスキルをいくつも持っているせいか、どうすれば火を出せるのか分かった。
「燃やした……」
人の瞳を勝手に燃やした。我ながら外道な行為である。でもこれぐらいしないとミカエラは俺の手に負える存在ではない。助けてやるなどと傲慢なことを言ったところで殺されるのだ。あとミカエラの強さにおいて厄介なのが第三の瞳である。
「って、目がないぞ?」
額を確かめるが第三の瞳は、スキルを発動させて初めて現れるものなのか、額を触っても瞳らしきものはなかった。どうする。まだこの状態だとミカエラは結構強い。でも、青と赤の目がないのならかなり強さは半減されている。
この状態ならばなんとか俺の手にもおえると思う。
「いやいやまだダメだ。できるだけ弱体化させておかないと安心できない」
さらにマジックバッグを確かめた。
「エリクサーは無いみたいだな」
というよりもミカエラは回復アイテムを持っていないみたいだった。貧乏すぎて買えないのか? いや自前の回復魔法があるのかもしれない。だとしてもブロンズ級では部位欠損は治せないはずである。
「でも、そんなのネット情報だからあてにならないよな。大体、俺こいつのステータスには詳しくないんだよな」
ミカエラは日記に自分のスキルや魔法については書いていなかった。その辺の警戒心はちゃんと持っているようなのだ。
「どうする。ここまでしたら助けていい?」
いったい誰に許可を求めているのか? ミカエラを助けたいと思いすぎて助ける理由を探している。どこまでいっても助けていい存在ではない。分かっている。でも探している。
いいよな?
そもそもあんな状態で治癒だとは信じられなかった。ミカエラを殺すのはいいが、ダンジョンからクエスト失敗だと言われたらどうする。クエスト達成にならなかったら、かなり大きな報酬を逃すことになる。
ブロンズ級スキル【煉獄斬】
ステータスはまだ後でなんとか取り戻せる。だが、報酬の【煉獄斬】。これはかなり大きいスキルのように思えた。何しろミカエラの治癒の対価なのだ。ダンジョンもミカエラの治癒がどれだけ無茶振りなのか分かっているのだと思う。
「ああ、もういい! どうしても助けたいんだから助ける! 無理ならなんとか殺す!」
俺はポーションを出してミカエラの口の中に入れた。最初はなかなか上手く呑み込めないようだったが、なんとか口の中に流し込んだ。ミカエラの体が回復していく。
「これで正しいよな?」
頭をガシガシと掻いた。
「うん……」
ミカエラはポーションをきっかけに顔に色艶が戻ってきた。そのことが嬉しい。レベル200である。恐ろしいほどタフなはず。すぐに回復してくるぞ。覚悟を決めなければいけない。もうミカエラを治癒するしかない。
治癒するのなら逃げ回れないぞ。上手くいくかどうかわからないが、俺はミカエラの体を起こした。先程与えたのは1000万のポーションで、眼球をくり抜かれた傷口はふさがっても、眼球そのものは復活しないはずだ。
「ここは?」
ミカエラが目を開けた。その奥の眼窩には何もなかった。
「ミカエラ。自分の状況が理解できるか?」
「その声は……六条君?」
ミカエラが尋ねてきた。どうして自分の視界が暗いのか、そのことに対する言及はなかった。
「そうだ」
「私を助けたのは六条君?」
「そうなる。だが、お前を殺そうとしたのも俺だ」
「殺そうとした……ひょっとしてあの赤い花?」
「そうだ。俺は俺に粘着してきて、俺の心が気にくわなければ殺そうとしたお前が邪魔だった。だから、殺そうとした」
「でも私は生きてる?」
目が見えないので、自分の状況がイマイチわからないようだ。ミカエラは手を開いて、自分の自由を確かめた。暴れ出すような様子はないが油断できない。ミカエラには第三の目がある。それが開かないかどうかだけは見ていた。
「ああ、お前は生きている。俺は死のうとするお前を見て、どうしても助けたくなって助けた。だがお前が俺を殺さない保証が欲しかった。だから俺はお前の両目を抉って、傷だけを治した。お前はこれで俺の心を読めない。違うか?」
「……本当だ。両目が無いわ」
ミカエラは自分の目があった部分をペタペタと触った。そこに自分の瞳が無いことを確かめると、動揺した様子も見せずに、マジックバッグから手探りで眼帯を取り出した。黒くてちょっとおしゃれなやつである。
その眼帯をミカエラは俺に抱えられながらつけた。
「ミカエラ。なぜ眼帯なんてものを持ってるんだ?」
「さあ? よくわからないけど、ガチャから出て来たの。結構前のことよ。まさか役に立つとは思わなかったわ」
「……なあミカエラ」
ミカエラのお腹の鳴る音が聞こえた。
「お腹がすいてるのか?」
「そういえば一ヶ月ぐらい何も食べてないかも」
それでも普通に活動できるのがレベル200のすごいところだが、そろそろ活動することに支障が出てくる。俺はマジックバッグの中を調べた。そして一つの白カプセルを見つけた。
「これ、 食べるか?」
俺は目の見えないミカエラが躓かないようにちゃんと座らせる。そして白カプセルの中にあるカレーを取り出した。日本人でカレーを嫌いというやつはいないだろう。
「いいの?」
ミカエラのお腹がまた鳴った。
「ああ、いい」
俺はカレーをミカエラにすすめると、自分もピザがあったから、取り出して食べた。ミカエラはカレーを口に運ぼうとして失敗した。うまくカレーを口まで持ってくることができなかった。口がカレーで汚れてしまう。
俺は慌ててミカエラの口を拭いてやると、スプーンを持って食べさせてやった。
「美味いか?」
「うん。美味しい。カプセルのご飯は久しぶり」
「お前はもうちょっと自分の体を気遣った方がいいと思うぞ。ほら、あーん」
「あーん」
ミカエラは貧乏だ。日記を読む限り、ガチャ運もあまり良くないようだった。そのためダンジョンの中ではカップラーメンなどを食べることが多く、食料事情はお世辞にも良いとは言えなかった。
「まあそうだけど、あんまり興味ないし」
それでもミカエラならば、お金のことを意識すれば、もっとましな生活になるのだ。
「私は綺麗な心の人を見つけたかったから」
それはミカエラにとって遊びではなく切実な願いだった。
「それはやめたらダメなのか?」
「じゃあ六条君。君がそうなってくれる?」
声のする方角で判断されたのだろう。ミカエラの顔がこちらを見た。顔を覗き込まれた。殺人鬼とは思えないぐらい可愛い顔をしていた。ただ俺が刳りぬいてしまったから目がないのだ。
「俺はお前が心配だ。元気でいてほしいと思っている。ほら、あーん」
「あーん。うん。美味しい。ふふ」
「目玉がなくなったのによく笑えるな」
「ねえ、なんとなく分かるの。君が私の目を奪ったのは、私のことを思っているからだって。ねえ、私は君ならいいと思っているの。分かるの。私と六条君は相性がいい。きっと一緒に生きていけば楽しいと思う。だから」
ミカエラが俺の傍により、存在しない瞳で俺の顔を見てきた。ミカエラも魅力80なのだ。どうやらダンジョンから好かれる者は魅力80になる傾向があるようだ。俺の顔は自分が自分に惚れるほど綺麗で、それが女の子だと、
「六条君」
とんでもない威力だった。
「なんだ?」
「私と生きていこうよ。そしたら私の全部をあなたにあげる。君がそうしてくれるなら、私はもう二度と誰の心も読んだりしないよ」
「……」
「私、顔、綺麗でしょ? ダンジョンがこうしたの。六条君もそうだよね? 私たちはダンジョンに好かれているの。ダンジョンから好かれた私と君なら、きっとレベル1000を越えられるよ。そうしたら、ねえ、私と二人で1000年生きよう」
「二人で1000年?」
「うん。そして私とずっと抱きしめ合って繋がり続けるの。片時も私はあなたのそばから離れないと誓える。あなたも私のそばから離れないの。それって素晴らしいことでしょう?」
言葉が頭の中に浸み込んでくる。精神攻撃を受けているわけではないと思う。ただ、俺の根本的な部分が、そういう生き方に憧れを持っている。何よりもミカエラの魅力80の顔で言われると蠱惑的に頭の中に残る。
美鈴達がいる俺が迷ってはいけないところなのに、ミカエラに言われると激しく迷ってしまった。何よりも彼女を助けるという意味でそれは間違いなく一番近道だ。ミカエラはそうすれば確実に凶行を止める。
あとは一生俺が傍にいてやればいいだけだ。ミカエラが俺の手を握った。
「いい?」
甘えるように頭を寄せてきた。ミカエラの可愛い顔が間近にあった。
「それは……駄目だ」
「どうして?」
ミカエラのおでこがくっついて鼻もくっついた。喋ればお互いの息がかかった。
「俺は……」
今ここでミカエラに美鈴たちのことを言うのはどうなんだろう?
「俺は?」
「……ミカエラを助けたい。お前を見ていると心配になってくる」
「六条君……嬉しい。君のことは心読まなくても信じられるの。まるでずっと一緒に暮らしていたみたいな気がする。ねえ、私、君のことが好きになったみたい。ものすごく胸がどきどきしているの。ね? 確かめて」
ミカエラが俺の手を自分の胸にあてた。その柔らかさとともに確かにかなり鼓動が大きく伝わってきた。
「俺のことが好き? 俺はお前を殺そうとしたんだ」
「でも殺さなかった」
「でも殺そうとしたんだ」
「いいの。ねえ、キスするよ?」
もうほとんど唇に触れそうだった。これはいけない。拒絶しなければいけない。ミカエラの腕が俺の頭に回される。そしてしっかりと唇が重なる。ミカエラから舌が差し込まれてきた。唾が送り込まれてくる。何度も何度も。
時間を忘れるぐらい愛しているという想いを、ミカエラが一生懸命にぶつけてきた。ミカエラにとって殺されそうになったことなど、どうでもいいようだった。それ以上に俺がミカエラを助けたいと思う。
それがミカエラにとっては重要なようだ。
「うん、んっんんんっうん、好き、大好き、六条君」
しっかりと抱きしめられて、いつの間にか押し倒されていた。
「ミカエラ……」
「私ね。20歳も超えてるのに、初めてキスした。初めてが六条君で良かったよ」
「これでお前はやめられるのか? もう誰も殺さずに生きていけるのか?」
「うん」
ミカエラは頷いた。
「そうか……」
ホッとした。口約束だけだけど上手くいったのだとホッとした。しかし美鈴たちのことがある。特に伊万里は俺がいないと死んでしまう。それに俺はミカエラとこういう関係を望んでいる訳ではないのだ。
「あのなミカエラ。俺はお前の気持ちに応えることができないんだ」
「ええ、知ってるわ。私はちゃんとそのことも理解しているのよ。美鈴と伊万里とエヴィーだよね?」
「あ、ああ……」
榊の心を読んだから分かっているということか?
「くすくす。六条君。君は優しすぎる」
そう言ってミカエラは俺の体をしっかりと抱きしめてきた。体に隙間がないほど密着して、ミカエラの眼帯をした顔が正面にあった。
「優しい?」
自分のことをそう考えたことはなかった。
「ええ、優しい……でも」
ミカエラが自分の眼帯を開いた。
そこには、
「?」
青い瞳があった。
その瞬間、あまりにも愚かな自分を殺してやりたくなった。
「くっそ!」
俺はミカエラに強く抱きしめられた体を振りほどいて、ミカエラの視界の外に飛んだ。
「すごい。思いっきり抱きしめているつもりだったのに振りほどいた。さすが私を助けたいと思っただけのことはあるね。おかげで少ししか心を見ることができなかったわ」
「なぜ、その目が復活している!?」
「【超速再生】って知ってる?」
「高レベルのモンスターが使うアレか?」
建物の陰に隠れて尋ねた。
「そうよ。私が持っている特別なスキル。散々仲間の肉盾になっていたら生えたの。私はね。どれだけ体が欠損してもすぐに回復するの。エリクサーがなくても、瞳の一つや二つすぐに治るわ。まあ、さっきのは自分でダメージを与えすぎてヤバかったけどね。それもあなたがくれたポーションとご飯でかなり回復した」
くそ。眼帯をしたのは醜い部分を隠したいとかじゃなくて、俺に魔眼が治っていくのがバレないようにする為かよ。これは駄目だ。あのまま殺してクエスト達成になったのかは分からないが、殺すべきだった。
俺がミカエラを助けたいと思ってしまっている時点で、ミカエラはどうとでもやりようがある。つまり治癒など無理な話なのだ。そもそもクエストを理由にして助けたいと思ってしまったのが間違いだ。
「逃げないで六条君。あなたへの害意はないわ。それにもう二度とあなたの心を読まないと誓う」
「嘘をつくな! やっぱり俺はお前を助けるべきじゃなかった! あのまま殺すべきだった!」
「酷いわ。この言葉は本当よ。私には以前、一人だけ好きな人がいたのだけど、いつも震えて何もしなかった。あの時は残念だったけど、そのおかげであなたに綺麗な体が与えられる。本当にあなたは私のことを想ってくれている。私のことを心配してくれている。ああ、私はようやく見つけた」
ミカエラは自分の体を抱きしめて震えた。
「……俺はお前に好かれたいわけじゃない」
「ええ、そうね。あなたは私を心配してくれているだけだもの。でも、私をほんの少し好きでもあるでしょ? でも美鈴たちほどじゃない? 残念。あなたが私と一番に出会っていれば、きっと私と一生一緒に生きていこうと思った。ええ、そう。だから、あの美鈴と伊万里とエヴィーを殺してしまいましょう」
「そんなことをすれば俺は本気でお前を憎むぞ」
できると思った。自分なら助けられると思った。
「別にいいの」
「何故だ? 俺はお前の好きな相手なんだろう?」
「六条君。人の怒りはいつまで続くの? 100年? それとも200年?」
「は?」
「六条君はとても優しい人。私にはそれが分かる。きっと君はいつか私を許してくれる。それからはもうずっと一緒」
「ミカエラ……」
うぬぼれていたのだ。自分なら大丈夫だと思ってしまった。ちょっとばかり強くなったから、こんな気狂いを正気に戻せる?
ミカエラは本当に楽しそうに笑っていた。
それは本当に美鈴達を殺せば自分に幸せがやってくると信じているようだった。





