第百三十三話 Side美鈴 大鬼
毘沙門天を手に入れたことで、自分でも調子に乗っていたんだと思う。モンスターを狩りみたいに楽しんで殺してしまった。ハイになっていたのが治まってくると、沸き起こってくる後悔。
「あんなテンションで大鬼に向かっていたらと思うと……」
間違いなく殺されていた。【探索網】に目一杯集中する。隠す気もない巨大な気配。どんどんと恐ろしげな大鬼が迫ってくるのが分かる。この距離がゼロになれば私が負ける。それまでになんとか仕留めなければいけない。
「【気配遮断】」
他のモンスターが邪魔してくることはないと思うが、一応唱えておく。それに【気配遮断】はレベル3まで上がっているから、大鬼だって私の気配が分かりにくくなるはず。 次に精一杯に【探索網】を飛ばす。
こちらはレベル5に上がってかなり距離が伸びた。常時発動することができるから、常に展開しているのだけど、その時々によって探索できる範囲は変わる。今みたいに大鬼がはっきり気配をこちらに向けている時などは、10㎞先でも分かる。
そしていま10㎞も離れていないことも分かる。建物を一切よけることもせずに直進してきている。それでもスピードはほとんど変わっていない。まるでミサイルのように、いや、それ以上の破壊力を持って、ばく進してきている。
離れていてもその轟音が鳴り響き、上海のビル群が破壊されながら進むことで火山が噴火したような土煙が空へと舞い上がる。
「化け物と戦うんだ」
圧倒的に強い大鬼。私の足が怖くて震えている。きっと普通に弓で攻撃しても当たらない。だから【誘導射】に【変色】と【金剛弓】を込める。さらに【気配遮断】を矢槍に付与する。とにかく裏をかかなきゃ、向こうの方が強いんだ。
「お願い。少しは効いてよ!」
【毘沙門天の弓槍】から矢槍を放つ。私はまず東京スカイツリーを迂回するように【誘導射】で操作する。ほぼ遅れることなく、反対側に向かって同じスキルを込めた矢槍を放つ。そして次に真正面から【毘沙門天の弓槍】を引く。
「これでどうよ!」
【爆雷槍】を放つ。それらすべてを放ち終わるのに1秒もかからなかった。自分でもよくぞここまで素早く放てるようになったと思う。一番に大鬼へと到達したのは最後に放った【爆雷槍】だ。
上海のビル群に穴を穿ち、まっすぐに大鬼と私を繋ぎ、まるで稲妻が走ったように光が明滅して、真正面からとらえた。
「【轟滅衝】!」
大鬼は私の攻撃を避けることもしなかった。【爆雷槍】は間にビルがあり、邪魔されてもその威力を全く緩めず、大鬼の棍棒とぶつかり合う。大鬼の巨大な棍棒は木で出来ているように見えた。
それなのに、金属同士がぶつかり合ったような耳障りな音がする。激しい火花が散る。矢槍が大鬼ラストを殺さんとする。
「ガア!!!」
まさに力技だった。衝撃波を撒き散らしたぶつかり合いは大鬼が矢槍を退けてしまう。それでも私の集中はまだ切れてなかった。放った【誘導射】を二本操作し続けていた。大鬼がこちらへの突進をやめない。
距離がどんどんと近づいてくる。まだ離れている。それでも押しつぶされそうな圧迫感を感じる。その大鬼の足を【誘導射】の矢槍が貫いた。大鬼の足が大きく抉れた。
「ほお、まだあるか!」
【誘導射】の二撃目も頭に当てようと思ったが、叩き落された。しかし足を潰した。勝てる。いや、女オーガのことを思い出した。油断したら殺されかけたのだ。確実にこいつを殺すまで安心できない。
余裕なんてなかった。確実に殺せる方法で殺して、私もS判定をもらって祐太と伊万里ちゃんの助けになるんだ。
「遠慮はしない。【誘導射】【爆雷槍】!」
落雷のような轟音を響かせながら、一筋の光となって、矢槍が突き進む。今度は【爆雷槍】を【誘導射】で誘導して確実にあててみせる。
「って、あ、あれ?」
でも動かない。【爆雷槍】を誘導しようとしたけど、直進しようとする運動エネルギーが大きすぎて全く曲がろうとしない。
「カカ! この間抜け! 【轟滅掌】!」
まだ結構離れてるのに私がやろうとしていることが分かったのか笑われる。またもや大鬼の棍棒とぶつかり合う。耳障りな金属音。そして衝撃波が巻き起こり、光が明滅する。その眩しさの中で私の目に、棍棒に亀裂が入るのが見えた。
それでもまた【爆雷槍】が退けられた。
だがチャンスだ。ここで確実に仕留めるんだ。
「う、動きにくい、あれ?」
それなのに【爆雷槍】を連続で放った事と、余計なスキルを込めようとしたことで、目眩がした。祐太があまりに強いスキルは体に負担がくると言っていた。これがそうかと思う。だからってポーションで回復している暇などない。
しっかりと歯を食い縛る。【毘沙門天の弓槍】を構える。きっとこれで殺せる。
「行け! おかわりの【爆雷槍】!」
放った瞬間。体にとんでもない虚脱感が沸き起こる。立っていることができずに膝をついた。意識が飛んでしまいそうで慌ててポーションを取り出す。まだ意識を失うわけにはいかないんだ。
そして落雷のごとく突き進んだ矢槍が、今度こそ大鬼の頭をとらえる。
「これで終わりよ!」
思わず叫んでいた。ほんの少しの間、数秒の間戦っていただけなのに、恐ろしく疲れるのだ。こんな化け物はできる限り早く殺したい。長引けば私の体力の方が先に尽きる。着弾した矢槍が大鬼の頭に食い込んでさらに“爆発”した。
「よし!」
まさに【“爆”雷槍】だった。レールガンみたいに超速で進むだけじゃないんだ。着弾したら爆発までする。爆発はこちらの任意でできるからここぞという時を狙っていた。凄まじい爆発で大鬼の4mある巨体が煙で見えなくなった。
爆発の衝撃がこちらまで届いて、思わず手で庇う。凄い威力だ。改めて【毘沙門天の弓槍】の凄さを知る。この上、まだスキル名さえ分からないスキルが五つもある。最後の一つは、一体どんな威力なのかと恐ろしくなる。
そしてこんなものを食らった大鬼はさすがに死んでくれたかもしれない。
「勝てた?」
思いのほか簡単に終わったか? 手に握ったままになってしまっていたポーションを飲む。こんなにあっさり終わるわけがないと思うけど、さすがの大鬼も【毘沙門天の弓槍】から放たれた三連続の【爆雷槍】である。
煙が晴れていく。完全に晴れて私は見ることができた。大鬼はそこにいる。頭を失って地べたに寝そべっている。
「死んだよ……ね?」
頭を失っているのだから死んだ。かなり距離が離れているとはいえ、私の視力は【探索網】で人の常識外まで高められている。確かに大鬼の死体が見えるのだ。でも心臓のドキドキが消えない。
何かを見落としている気がして仕方なかった。なぜか強烈な胸騒ぎが消えない。この感覚は?
「【危険感知】?」
私の【危険感知】はレベル100になった時に生えた。正直使い慣れてなかった。どういう感じで危険を知らせてくれるのか分からなかった。何よりも相手が大鬼だったことで【危険感知】よりも心臓の音がうるさすぎた。
それでも後ろに何か現れた気がした。私は急いで前のめりに転がった。その後、すぐに巨大な棍棒が私の立っていた場所を通り過ぎた。
「ほお、小娘。あの頃から少しは成長したようだな」
その声は真後ろから。近づいちゃダメなのに近づいてる。私は恐怖と共にその4mもある大鬼。ラストを見上げた。怖くて体が縮み上がった。膀胱が自然と緩んでおしっこちびっていた。心臓を鷲づかみにされたような怖さがあった。
「な、なんで生きてるの?」
「【身代わり石像】という魔法でな。便利な魔法みたいだったのでな。この間覚えたのだ。あれはただの石ころだ。石ころでもそう期待して見ると本物に見えてしまう。小娘。ションベンなどチビって大丈夫か? 褒めた言葉は取り消した方がいいのか?」
「も、もう一回離れた位置から『よーいどん』ってしてくれない?」
「ふざけているか?」
「わ、割と本気……」
「では断る」
「……こ、これから死んでしまうあなたの前で、恥をかいたからってなんなのよ!?」
ヤケクソになって叫んだ。強い言葉を吐いて、自分の心を必死に落ち着けた。まだ負けたわけじゃない。大鬼は顔が大きく抉れていて、片足がなかった。よく見るとダメージは与えられているみたいだ。
「のう小娘」
相手は4mもあり、見下ろされるとたまったものじゃなかった。向こうの方が怪我をしているのに、何一つ、私になんて怯えてなかった。それがまた果てしなく強く見えた。私なんかじゃ全然届かないんじゃないかと思えた。
「なに?」
「死にたがっている我を相手にしたぐらいで子鹿のように怯えるな。相手を恐れれば体が萎縮するものだ。実力など半分も出ぬぞ。恐れを捨てよ。でなければ我は殺してもらうことができん」
「じゃ、じゃあ、動かないでくれる? それなら簡単に殺せるから怖がらないよ」
「そうはいかん。ただ死ぬのでは納得がいかん」
大鬼は会話を楽しんでいるように見えた。私は怖くて仕方がない。恐竜みたいな化け物が表情だけニコニコして殴りかかってくるんだもん。
「どうすれば納得できるの?」
「小娘。ならば人としての輝きを見せろ。最後にそれが見られたなら、大人しく死んでやっても構わん」
大鬼の体がしゃべりながらも再生していく。顔の火傷が人間では考えられないようなスピードで消えていくのだ。左足が無くなりかけていたのに、かなりの部分が復活してきていた。時間をかければかけるほど不利になる。
せっかく与えたダメージがゼロになる。早く動かなきゃダメだ。そうじゃないと回復し切った瞬間、殺される。これは私のことを考えて会話してくれているんじゃない。自分の体が回復するのを待っているだけだ。
動け!
「【韋駄天】!」
レベル100と同時にもう一つスキルが生えた。【韋駄天】。 祐太はもっと早く生えていたけど、私にもようやく生えた。
「カカ! ようやく動けたか!」
大鬼が叫んだ。いつ動くのかと叱咤し待ってくれていたんだ。何もかも待ってもらっていてどうする。相手はモンスターだ。
「私をバカにするな!」
「されたくなければ示せ! お前にはまだ何も見るべきものがない!」
速度を重視して【精緻八射】を連続して放つ。
「ぬるいぞ!!!」
大鬼がその巨体で信じられないほど速く動いた。手が消えた。私の八本ある矢槍を全て棍棒で受け止めて弾き返す。息をする暇すら惜しかった。【毘沙門天の弓槍】から無数に放った私の矢槍。少しは大鬼の体を掠める。
なら続ける! 徐々にあの頑丈そうな体が削れていく。やっぱり効くんだ! 押し切れ。押し切れ。押し切れ。押し切れ。押し切れ。押し切れ。押し切れ。押し切れ!!!
自分の怖さを誤魔化した。
自分の弱さを誤魔化した。
逃げたい気持ちを誤魔化した。
それでもじりじりと近づいてこられる。大鬼との距離が近づいてくる。そのたびに逃げ出したくなる。もう勘弁してくれと泣きたくなる。マシンガンすら超えるような連射が自分の手から放たれていく。
【器用:1008】が無ければとてもじゃないが、こんな連射はできなかった。大鬼の治りかけていた体が、腕に矢槍が刺さり、腹も突き抜ける。それでも向こうは止まらない。いや、止まらないどころじゃなかった。
「なかなか良いではないか小娘! では死んでくれるなよ!」
大鬼からの圧迫感が急激に高まる。何か大技が来る。避けるべきだと考えるが、横に跳ぼうとした瞬間【危険感知】から激しい警鐘が聞こえてくる。これが【危険感知】? 避けたらダメってこと? 考えている時間などない。
どうしよう?
いや考えてたら死ぬ。私は今現在最も頼れる存在を信じるしかなかった。【毘沙門天の弓槍】を構えた。 先ほど【爆雷槍】と【轟滅掌】が拮抗した。でも、その時よりも気配が大きい。大鬼が本気で何かをする気なんだ。
出し惜しんでいる場合じゃなかった。レベル100になった事で解放された最後の最後。多分射れば私の体にかなり影響が出そうで躊躇したスキル。
「行くよ! 毘沙門天! あなたも私にまだまだ使われたいでしょ!?」
だったら私を勝たせて。私の全部をあなたに注ぎ込むから。
「ブロンズ級装備スキル開放。大鬼! 毘沙門天の前にひれ伏せ!」
私は自分に言い聞かせた。これで絶対に勝てるはずだと。体中から全ての力が抜け落ちていく感覚。これはかなりまずい。射れば動けなくなる。それでもこれじゃないとダメだということだけは分かった。私が放てる中で、今一番のスキル。
「【覇】!」
【毘沙門天の弓槍】にエネルギーが溜まっていく。私だけじゃ足りなくて、周囲からも貪欲に集めているのがわかる。周囲から熱が消えて冷たくなったのがわかる。放った瞬間悲鳴のようなものが聞こえた。
「【哭】!」
「【炎】!」
私が放った瞬間、大鬼も何か棍棒を中心に炎が巻き上がる。
「【黒】!」
それなのに光ってなくて黒かった。
「【滅】!」
何か黒い炎の波動のようなものが向かってくる。それが壁のように凍ったこちら側を押しつぶしてくる。そして私の攻撃も波動のようだった。私の放った矢槍が白い光の波のようになった。上海の街の空中で衝撃波がぶつかり合う。
押し負けたら死ぬ。周りにあるビルが衝撃波に耐えきれずに崩れていく。大型ミサイルでも落下したような威力。レベル100になると人間がミサイルを撃てるようになるらしい。【覇哭】の反動で動かなくなった私の体が吹き飛びそうだった。
大鬼と目が合う。そうするだけで怯みそうになる自分がいる。駄目だ。動くのが酷く疲れる。その中でポーションに手を伸ばす。急いで飲んだ。衝撃波がせめぎ合いエネルギーを打ち消し合う。威力は互角。
私の【覇哭】と大鬼の【炎黒滅】が対消滅した。
その瞬間、大鬼が私めがけて、
「【轟滅掌】!」
「【爆雷槍】!」
攻撃を放ってきて距離を詰めてくる。【韋駄天】はまだ切れてない。距離を置かなきゃこんな化け物と近接戦なんてやってられるか。逃げながら矢槍を次々と放つ。でもポーションを飲んだのに足がもつれる。
「もうそろそろ限界みたいだな!」
「死にたいくせに私を殺せそうで楽しそうだ!」
「ああ楽しい! 私はお前たちの光が楽しい!」
恐ろしげな顔に満面の笑みが浮かぶ。私はもう足から崩れ落ちたいんだ。死にたいくせにまだまだ遊び足りない顔をするな。こいつの体力の底はどこにあるんだ? 大鬼がポーションなんて飲んでる様子はないぞ。
体だって矢槍を当てても、すぐに回復してくる。ひょっとしてこいつは私の攻撃なんかじゃ死なないんじゃないか? そう思うと、心が挫けてくる。
「あなたは本当に死ぬ気があるの?」
心の底からそう思った。
「あるぞ」
「本当に?」
「言ったであろう! 我はお前たちの光が楽しいのだ! 刹那の命の中で生きんと足掻くお前たちは輝いている! それに比べて我が命のなんとつまらぬことよ! 負けて死にもせぬ! 翌日になればまた生きている! 飽いたのだ小娘! このような命に何の価値があるのかと嘆いたのだ!」
「それならもっと簡単に死んでよ!」
【爆雷槍】を放つ。目眩が激しい。ポーションを飲んでるのに疲れが取れない。私は片膝をついた。何か精神的な部分が摩耗している。足が動かない。それでも【毘沙門天の弓槍】を構え、矢槍を放つ。なんのスキルも込めることができなかった。
「もう終いか!」
攻撃は大鬼にあっさりと弾かれた。
「はは、きついな……」
大鬼がついに目の前にまで来てしまった。この距離は私の得意分野じゃない。この距離になる前に勝つ必要があった。
「小娘。動け」
「無理かも……。殺すなら殺しなさいよ。恨んでやるから」
「また我につまらぬ命を繰り返せというのか?」
「はは、そんなにつまらないなら自殺でもしたら?」
「もうダメなのか?」
大鬼が棍棒を振り上げた。私が負けても勝ったことにしてくれるなんて親切心は無いようである。
「もうダメよ。私にしてはよくやった方だって思うわ」
体が動かない。急激に重くなってくる。なんでもいいからもう寝かせてくれと思った。それでもこんなところで死ぬのかと思うと悔しくて、泣きたくなってくる。
「負ければ努力など無いと同じ。我に勝てぬなら死ね」
大鬼の巨大な棍棒が全力をもって振りおろされてくる。レベル100になって防御力もかなり上がった。それでもこんな攻撃を喰らったらペシャンコだ。きっと私のペシャンコになった死体を見ても、祐太だって私だって気づくことなどない。
「ごめんね」
衝撃音が聞こえた。そして、
「?」
毘沙門天をなんとか立てて棍棒を受け止めた。一度受け止めたところで、この距離はもう詰みだった。そうだ。大鬼に私の攻撃が通ってなければ詰みだった。首を動かすのも辛いと思いながら上を見る。
大鬼の心臓に私の矢槍が刺さっていた。
「これは?」
「【誘導射】。弾幕の中に紛れさせて放ったの。全く動けないふりをしたら、ちょっとぐらい引っかかってくれるかと思ったの」
「なるほど……」
「普段のあなたならきっと気づいたんだと思う。でも、死に場所を求めるあなたはそこまで考えなかった」
「そうだな。小娘。見事に我の上手を行ったな」
「どうよ? 私は輝いていたでしょ?」
「最期としては物足りぬ小娘と思ったが、なかなかどうして、お前で良かったぞ」
大鬼は私の頭に手を置いて撫でた。それを優しいと感じてしまう。そしてそのまま地面に倒れた。
「すっきりした?」
まだ生きているだろうと思って声を掛けた。
「どうだろうな。これで良かったと思っている。だが、もう蘇ることがないと思うと寂しくはあるな」
「本当に私なんかが最期でごめんね」
自分の強さにいまいち自信の持てない私が言った。
「いや、散々弱き人を殺してきた身としては十分だ」
大鬼は心臓を貫かれて徐々に意識を失っているようだった。気配が小さくなっていく。
「ああ、これが死か……。思った以上に怖くて容赦のないものなのだな。そう。怖いか。死ぬるは怖いものなのだな」
その顔が寂しそうに見えて、私は大きな手を握った。温もりがなくなっていくのが分かった。
「なんだ?」
「怖いって言うからさなんとなく」
「カカ! そうか」
大鬼が私の顔を見た。 あれほど怖かった鬼の形相が、今ではそうでもなかった。
「存外。悪くないものよな……」
大鬼の気配がなくなっていく。そして消えた。死んだのだとわかった。
「……なんとか殺せたけど、強かったな」
呆れるほど強い。それでも勝てたのは、向こうが死ぬことを望んでいて、こちらが生きることを望んでいたからだ。この差が結局のところ大きかったんだ。しばらくその場所から動く気が起きなくて、じっとしてしまう。
ほかのモンスターの気配はない。近づいてくる様子もない。ボスと呼ばれていたこの大鬼が死んだことに思うところはあるのだろうか? 私は立ち上がった。祐太からの返事は期待できないから、エヴィーに連絡を入れた。
《エヴィー、エヴィー、今、いいですかー?》
しんみりしてしまった気持ちをごまかすように、明るく声をかけた。
《美鈴、無事!?》
《うん。なんとか大鬼に勝てた。まだクエスト達成の声が聞こえてこないけど、もうすぐだと思う》
《そう。よかった。ずっと心配していたのよ》
エヴィーとの【意思疎通】に安堵する。学校に通っていた頃は友達とはその場限りの付き合い程度に感じていたけど、エヴィーは友達というかなんというか、仲間で、今まで学校で感じてきた繋がりとは全然違うものを感じた。
《そっちはレベル上げ順調?》
《ええ、順調よ。レベル55まで来たわ。美鈴がクエストを達成したから、もうすぐもっと順調になるでしょ》
クエスト報酬がもうすぐ手に入る。そうすれば必要な4つのステータスが底上げされる。思ったよりもダンジョンからの声が遅いことだけが気になったけど、大鬼の生命力である。まだ完璧に死んでいないということなのだろう。
まさか生き返るなんてことないよね。と思いながら大鬼の死体を見る。地面に変わらず横たわっていた。でもなんだろう? クエストが達成されたはずなのに、いくらなんでも遅すぎないだろうか?
それに鳴りやんだはずの【危険感知】からの警鐘が聞こえた。
《美鈴。どうかした?》
《うん……》
なんだろうか? モンスターが攻めてくるのか? それとも大鬼が生きているのか? でも死んだふりをして、後ろから不意打ちをするような性格には見えなかった。それともそれすらも私の考えが甘いのか?
どうしてか、【危険感知】から知らせてくる警鐘はひたすら煩く鳴っている。やはり大鬼が生きているのか? いやクエスト達成の知らせがないから生きていることは間違いないと思う。でも心臓がなくなっているんだ。
この状態で動き回るとは思えない。念のために頭を射抜くか? 正直、その行動は非常に躊躇われた。だってこいつにもちゃんと感情があって、私はその感情が嫌いじゃなかった。そんな相手の死にかけている頭を吹き飛ばす。
《美鈴? ねえ何かあったの?》
《……》
ごめん。エヴィー。答えられない。今一瞬でも気を抜いたらダメだという気がして、【意思疎通】ですら送り返すことができなかった。
《そう。美鈴……返事はしなくていい。でも死ぬんじゃないわよ》
こちらに何かあったとエヴィーが気付く。【意思疎通】が切れた。 私は心の中でエヴィーに謝りながらも【毘沙門天の弓槍】を大鬼に向けて構えた。この行動がもし勘違いなら、死体をいたぶっているだけである。
後悔するかもしれない。それでも、私はあなたと違ってまだまだ生きたいから、
「ごめん。ちゃんと殺しておく【金剛弓】!」
矢槍が大鬼の頭を完全に破壊しようとして、巨体が動いた。
「!」
やはりまだ生きていたのか。駄目だ。迷っていた分だけ体の反応が鈍い。というか、先ほどからの虚脱感がまだ全然抜けてなかった。大鬼の大きな手が向かってくる。私がその手をさっきまで死ぬ時ぐらいと思って握ってあげていた。
それなのに、その手で襲いかかってくるとか酷いじゃないか。
「ちょっと!」
体ごと鷲掴みにされる。掴まれた時点で私に何かできるわけがない。本当にやばい。私の体が引き寄せられて、頭から食い殺されるんだと思った。その瞬間だった。後ろで爆発が起きた。爆風が背中を襲う。
「え?」
「バカが。我に集中しすぎだ。あんなあからさまな気配に気付かぬとは。そもそもスキルにも頼りすぎだ」
「あーあ、簡単に殺しちゃおうと思ったのに何をするの?」
私は大鬼に握られながら、苦しいと思いつつも振り向いた。
「目を見るな」
そして大鬼に怒られる。その大きな手で顔を隠される。それでも分かった。分かってしまう。
「いつからモンスターは人間の味方になったのかな? 私は一人で戦ってきたのに、一度も味方なんてしてもらったことないよ。不公平じゃないの?」
なんでこいつがこんなところにいる? 祐太はどうした。まさか祐太が殺されたのか? だから連絡がないのか? もし殺されたのなら、私はこいつだけは許すことができない。そう。“魔眼病ミカエラ”。お前なんだろう?
「離して! こいつ祐太を殺したんだ!」
「黙っておれ、小娘。お前の男は死んでおらん」
「本当?」
「本当だ。だから大人しくしておけ」
心臓の無い大鬼の体が立ち上がり、すぐ後に爆発がいくつも起きた。
「ふふ、相変わらず頑丈なやつね。次はどうやって殺してやろうかしら? あの時は頭以外全部吹き飛ばしてあげたわよね?」
「ミカエラよ。お前の相手はこの小娘ではあるまい。こんなところを何故うろついている?」
「簡単よ。六条君の大事なものを全て壊しているの。ねえ鬼さん。もう、邪魔だから消えない?」
「大人しく死ぬつもりだったのだがな。ゴホッ。これはなんの因果か」
大鬼が血を吐いた。
「ああ、嫉妬しちゃう」
「気持ちの良い小娘もいると思えば、気色の悪い小娘もいる。何をそんなに泣き叫ぶ? うるさくて死んでられんではないか」
「どけ」
「どけたくばどけてみせろ」
私の体が大鬼の後ろに優しく降ろされた。
「こやつはお前では勝てぬ。逃げよ」
「でも」
「安心しろ。ちゃんとお前に殺されてやる。だから行け」
私は大鬼を見上げる。心臓の部分がなくなったままだ。私がしたんだ。
《美鈴。逃げろ》
私に【意思疎通】が届いた。この声は?
《早く!》
祐太に違いなかった。生きていてくれたんだと思うと本当にホッとした。
《祐太。私心配してたんだよ》
《ごめん。でも逃げろとしか言えない》
その言葉に悔しくなってくる。せっかく強くなったのに……。
「大鬼さん。あなたを殺したのは私だから」
「分かっている。うかうかとこんな小娘に殺されてやるものか。この小娘にはとくと我が誰かを教えてやろう」
私は走りだした。逃げるために。
《祐太。後は任せるからね》
この言葉に返事はなかった。





