第百二十八話 Sideエヴィー 魔女②
「電気が通っているの?」
今まで電気の通らない暗い建物しか見てこなかった私には意外だった。巨大な建物の中に誰が電気を通しているのだろう。シャンデリアの光が大理石を照らす。アラブの人と思しき服を着た人間が歩いているのが見えた。
「どうなってるの?」
「なに、暇だったから、ほんの戯れじゃよ」
パンッと手を叩く音がする。そうすると明かりが消えて、先ほどまで存在した人々も消えていた。幻でも見せられていたようで、なんだかとても奇妙な気分だ。ただ、建物だけが残っていた。誰もいない巨大建造物。
大きくて煌びやかなものだけに、誰も存在しなくなると、不安感が強烈に襲ってくる。不安を紛らわせるように声のした方を見る。私は何かを見間違えたのかと目を瞬いた。
「よく来たのう。久しぶりの客人」
年寄りのしわがれた声だった。でも声は少し高くて女だということがわかる。暗闇の中を浮かびながら降りてくる童女がいた。声から想像できないほどの幼い見た目の女。
「あなたは誰?」
私が乗っているラーイが童女を恐れるように一歩下がった。私は警戒しながらたずねる。黒髪に黒目。おかっぱ頭で服装は白を基調にしたもの。見たことがある姿だ。呪師の系列で、【陰陽師】と呼ばれるものの服装だった。
身長が私の半分ほどしかない。それぐらい小さく見えた。それでいて、その場から感じる存在感が、強すぎて気味が悪い。童女がこの建物より巨大な気配を漂わせている。でも同時に安心してしまった。
これは戦いになる相手ではない。
「魔女じゃよ。名は白蓮。お前さんに依頼がある」
「?」
私はその言葉を奇妙に思った。私のできることで彼女にできないことがあるとは思えなかった。同時に彼女が叶えられない希望で、私が叶えられるものなど、何一つ無い。それなのにどうしてこの童女は私に頼むのだ。
というよりなんだこの姿は? 中身と外見が違い過ぎないのだろうか?
「それは仕方ないことじゃ。もう随分と長く生きているのじゃ。年相応の見た目にしたらとんでもない皺くちゃ婆さんになってしまうのじゃ。それはさすがに嫌なのじゃ。わしとて乙女。女として恥じらいがあるのじゃよ」
「恥じらい?」
私にはこれ以上ないほど堂々としている人に見えた。隠すところなど何もないというぐらい存在を誇示しているように見えた。だからこそ、ここにモンスターが近づいてこないのだろう。
「まあ、そうなんじゃけどね。だってあの子達を招き入れると食べ物も勝手に食べてしまったりするのじゃ。この間もせっかく買ってきてもらったカステーラを食べられてのう。ありゃ、悲しかった。一晩、泣いたのじゃ」
一晩も?
「そうじゃよ。だってお主ら二年ぐらい来なくなるって聞いてたからのう。二年も我慢するのかと思うともう悲しくて悲しくて」
この人、心を読んでる? ミカエラ?
「おや、あんな幼子と同じに見えるなんて、わしもまだまだ捨てたもんじゃないのう」
「違うの?」
「お嬢ちゃん。あの哀れな娘でなくとも心を読むなんてものは簡単じゃよ。お嬢ちゃんみたいに魔法の事もスキルの事も何も分かっちゃいない徒人の心を読む事なんて、喋っているのかと思うぐらいじゃよ」
「そう……なの」
「そりゃそうじゃ。お嬢ちゃんはこのダンジョンにとって、まだ、探索者ですらないのじゃよ。弱々しい雛鳥にすぎんのじゃ」
リーンとラーイは完全に黙っていた。私の大事な召喚獣たちは、ただただ怖いと思っていることだけが伝わってきた。気配なんてものがわからない私ですら怖いと思うのだ。2人とも敏感なだけにビャクレンの存在感に当てられてる。
「さて、ついてくるのじゃ」
「はい?」
ビャクレンが空中へと浮かび上がって、そのまま上へと登っていく。私はそれを見つめて、
「待って!」
「うん?」
不思議そうにビャクレンが私を見下ろしてきた。
「どうやってついていけばいいの?」
私は下から見上げて尋ねた。
「ああ、エヴィー嬢ちゃんは飛べないんじゃな。じゃあ、ゆっくりエレベーターで上ってくるんじゃ。電気はちゃんと通しておいてあげるから、動くはずじゃ」
ビャクレンが優雅に手を二度叩いた。そうすると華やかなブルジュハリファの幻影が浮かび上がるようだった。すべての明かりが元に戻って、ビャクレンの姿がそのまま浮かび上がって天井の中へとすり抜けて行ってしまう。
「天井をすり抜けた? まさか幽霊ってわけじゃないでしょうね」
《主》
ビャクレンが居なくなってラーイが【意思疎通】を送ってきた。
「何?」
《人とはあんな領域まで行くものなのか?》
ラーイの目にはあまりにもビャクレンが化け物に見えたらしく、心底不思議そうだ。
「さあ、分からないわ。千年以上生きれば分かるのかもしれないけど、私15歳だもの」
少なくとも12英傑になればあれに近づけるのだろうか? そもそも12英傑はあれより上なのか? どうにもまだまだ分からないことだらけだった。ただ一つだけ言えることがある。
「どうやらクーモは当たりを引いてくれたみたいね」
そのことだけは間違いないと確信した。
《そうだな。クーモはよくやってくれた。だが主、別の問題がある》
「うん?」
《リーンとそのまま合体し続けるのはやめた方がいい。私より気配に敏感だから怯えすぎている。一緒にいたいところだろうが、召喚解除をした方がいい》
「リーン?」
《……》
リーンからの応答が何もなかった。ラーイの言う通り、リーンは怯えているようだ。 気配に鈍感な私だからまだ喋れたけど、敏感に感じ取ってしまうリーンにとっては、ビャクレンはあまりにも刺激が強すぎたか。
「いいわ。リーン。帰ってなさい」
《ごめん》
リーンが言うと私は召喚を解除してあげた。ずっとリーンをまとっていた私の体から、青い衣が消え去る。久しぶりにリーンをまとっていない姿に戻った。ダンジョンの中で、あの子がいないこと自体が滅多になかった。
どこへ行くのもずっと一緒だったあの子が、仲間の誰かに貸したわけでもないのにいなくなる。かなり心もとない気分だ。私は我慢して、そのままラーイの手綱を持つと、エレベーターへと移動した。
「ラーイはいいの?」
《大丈夫だ。寂しがり屋の主を一人にするわけにはいかない。それに……》
「それに?」
《主。私に一つだけ、ビャクレンへの質問を許してくれないか?》
「質問か……もちろんいいわよ」
私はすぐにラーイが何を聞きたいのか分かった。きっと種族進化について聞きたいのだ。そして私もビャクレンならば、何かの答えを持っていそうな気がした。
「たぶん私も同じことを聞きたいんだと思う。ラーイ。一緒に行きましょう」
エレベーターの前まで行くと、まるで待っていたというように金色の扉が開く。ラーイが私を乗せてエレベーターへと乗り込んだ。エレベーターの中はアラブの音楽が流れていて、以前来たときのことを思い出した。
外が見えるわけでもなく、つまらなさを感じたエレベーター。アメリカの状況とドバイの状況が対照的で腹立たしさに似たものも覚えた。そんな腹立たしさはお門違いだと分かっていた。けど、ドバイに稼ぎに来た自分が……。
『エヴィーそんな顔しない。明るく行きましょう』
あのときはミスズの姉のメイも一緒にいてくれたのだ。元気にしているだろうか?
「ドバイに以前行ったのは一年前か……思えば遠くに来たものね」
ここはドバイではなくダンジョンなのだ。たどり着けるとも思ってなかった場所に今いる。
秒速10mのエレベーターは、軽い浮遊感を感じた。画面の階数がどんどんと進んでいく。100階を超えて、しばらく後、ゆっくり扉を開く。展望デッキへと出てくると外の景色は相変わらず砂嵐の壁に囲まれていた。
「砂嵐もビャクレンが起こしてるのかしら?」
《モンスターが近づかないようにしていると言っていたから、そうなのではないか?》
砂嵐は上空へと伸びて、ブルジュハリファの空をもふさいでいた。
「まだ上があるみたいね」
ビャクレンはどこに居るのかと展望台を見て回っていたら、またもやエレベーターの入り口が開いていた。更にそこに乗り込み、上に登る。そうすると私が登った事のある階数よりも、さらに上の階数が表示された。
【200】
「200階?」
そんな階数はブルジュハリファには存在してなかったはずである。しかし表示されている。そしてボタンは200階以外になかった。だからそのボタンを押す。またもや浮遊感を感じて、今度は外の景色が開けた。
エレベーター内の全面が透明になっていて、景色を見渡すことができたのだ。足元すら透明で自分の体が宙に浮かんでいるようだ。砂嵐が下にある。周囲には砂漠が広がり、その向こう側にはニューヨークと東京と上海の都市が見える。
「まるで軌道エレベーターね」
静止軌道まで届くと言われるエレベーター。いずれ人類が造るのだと言われているものが、実は既にあるのだと言わんばかりだった。
「ふっ。なんだか私、自分がとってもちっぽけに見えるわ」
《同意だ。しかし、これほど上に登れるということは、やはり階層ごとに空間が違うのだな》
「ダンジョンってどういう構造なのかしらね」
本当に宇宙まで届いているのか? そのまま体はどこまでも登って行き、下を見ると、丸い地球でも見えるのかと思ったが、200キロの円の空間になっているだけのようだった。どうやら統合階層は筒形の空間になっているようだ。
そして階数表示が次々と切り替わって、200階に到達する。再び周りが暗闇に閉ざされ、扉が開いた。降りてみると、今度こそ魔女の部屋と思しき場所に来ていた。無数の本に囲まれた広い空間だ。
見渡す限り上も下も本棚だらけで、すべて本が詰め込まれていた。私は広い空間を歩いた。分厚い事典のような本から、巻物になっている本や竹簡、英語やドイツ語の本もある。他にもアダルト本や、アメコミとか漫画まで置いてある。
「なんでもあるのね」
「その通りじゃよ。古今東西、人の世の書物はできる限り集めてあるのじゃ」
声がしてそちらを見るとビャクレンがいた。炬燵の中に足を突っ込んで、うつぶせに寝っ転がって漫画雑誌を読んでいた。傍らにはポテチの袋が開いている。美味しそうに口に放り込んだ。失礼だが、その様子はかなり自堕落に見えた。
「わしは本を集めるのが趣味なんじゃよ。文字ばかりの本もいいけど絵があるものも楽しいのじゃ。ほとんどはつまらないものばかりじゃけど、たまに当たりを見つけると嬉しくなるんじゃ。エヴィー嬢ちゃんも一冊読むかの?」
いわゆる日本の炬燵というものに入って、行儀悪く寝転がって本を読む女の子。読んでいるものは漫画で、エヴィーはその本がなんというものかは残念ながら知らなかった。
「いえ、私はいいわ」
「ま、そんな気持ちにもなれんのじゃろうな。炬燵ぐらい入るじゃろ。みかんぐらいは出してあげるぞ。さあ座るんじゃ」
ビャクレンがまた手を叩くと、炬燵の真ん中に籠に盛られたみかんが現れた。
「食べ方はわかるかの?」
ビャクレンはみかんを一つ手に取ると、丁寧に剥いてスジまで取ってくれて、私の前に置いてくれた。その様子はまるで孫の面倒を見るお婆ちゃんのようだった。
「えっと、ありがとう」
私の気持ちは急いていたけど、ビャクレン相手にそれは言いにくくて、おとなしく炬燵に入って、みかんを口に放り込んだ。甘くて美味しいみかん。ほんのりと温かい炬燵のぬくもりも気持ちが良かった。
「美味いか?」
「ええ、とても」
「それはよかったのう。よければ、これも読むか? おすすめじゃぞ?」
そういってビャクレンは漫画の単行本を渡してきた。なんの漫画か分からなかったが、どうやら、少年が読むものらしい。ちょっとエッチで女の人の胸とお尻が強調されていた。
「その、とても読みたいところだけど、読んでる暇はないわ。私はとても急いでいるの。それに私の召喚獣があなたに聞きたいことがあるの」
このまま炬燵のなかで眠りたくなる。それぐらい炬燵の温もりや美味しいみかんが居心地よく感じる。だが、そんなわけにはいかなくて、私は眠気が襲ってきたのを我慢して目を開いてビャクレンに言った。
「まあ、大体分かっとるが、ちゃんと聞いたほうがいいじゃろうな」
ビャクレンは寝転がるのをやめて、ちゃんと座った。まあ炬燵なので“ちゃんと”という感じではないけれど、ビャクレンなりにちゃんとしているのだろう。
「いやはや、寂しいことじゃよ。ここにくる子はみんな急いでる。みんなすぐに帰りたがる。まあ、状況が状況だから仕方ないんじゃが」
「ええ、ゆっくりしてられないわ」
「じゃろうな。では聞こうかのう。えっと、ラーイが聞きたいのじゃったな」
ラーイは人の姿になった。私の後ろに控えながら正座をして口を開く。ラーイは日本で生まれたせいか、こちらの作法をよく理解して実践しているようだ。
「ではビャクレン様一つだけお尋ねさせてほしい」
そして日本語を使う。敬称もちゃんとつける。いまだに英語で喋ってダンジョン産の翻訳機を利用している私とは大違いである。
「よし、どんとこいなのじゃ。わしにとってお嬢ちゃんたちは孫のように可愛く見える。だから、答えられることは、このお婆がなんでも答えてあげるのじゃ」
ビャクレンの言葉はやわらかい。それでも、彼女から感じる気配が不躾にいくつも聞くことをためらわせる。なぜかずっと寒気がし続けているのだ。まるでこちらをいつでも一呑みにできる猛獣に見つめられ続けている気分だ。
「その……私は種族進化をしたいのですが、なかなかうまくいかないのです。姉と妹はできているのに私は一向にできない。どうしてかわかるでしょうか?」
「種族進化か」
ビャクレンの瞳がラーイを捉えた。ラーイは怯みそうになったが、なんとかこらえていた。
「ラーイは、本来、人かライオンかどちらじゃ?」
「ライオンです」
「ふむ。姉と妹はなんなのじゃ?」
「ゴブリンと蜘蛛です」
その言葉にはすごく違和感があった。ライオンの姉妹がゴブリンと蜘蛛。普通で考えればあり得ないことだ。召喚獣は召喚士を母体として、 血縁関係のようなものを築く。理屈はわからないが、そういうものだと私は理解していた。
もちろんお腹を痛めて産んだわけではないから、かなり奇妙に感じる。でも血の繋がりよりも濃い繋がりを私と召喚獣は感じるのだ。だからこそ大事だし、守りたいと思う。たとえそれが誰が相手でも一緒だった。
「ゴブリンと蜘蛛が種族進化できて、ラーイはできないわけじゃな?」
「ええ、特に姉と妹の種族をバカにしているわけではありません。ただ、なぜ自分ができないのかと悩むだけなのです」
「なるほどなのじゃ。だとすると、理由は簡単じゃよ」
私たちがずっと悩み続けてきたことだ。でも、ビャクレンは簡単にわかるようだ。
「わしも式神というのを使うんじゃ。だからわし結構そういうのに詳しいぞ」
「では、教えていただけますか?」
「なに、ごく簡単なことじゃよ。ライオンが強いからじゃ。そのままで十分に強くなれる可能性が残されてるんじゃよ。それなのにラーイは、生まれ変わりたいと思いすぎなのじゃ。姉を見て種族が変わることこそ強くなることと思いすぎているのじゃ」
「違うのですか?」
「違うのじゃ。その思い込みが逆にラーイの強さに枷をかけてしまっているんじゃ」
ビャクレンがラーイへと近づいていく。そして遥かに身長の高いラーイの頬を両手で優しく挟んだ。そうするとビャクレンの手の周りが淡く白く輝きだした。
「なるほどなのじゃ。ラーイはセクメトの系譜じゃな。その割には気性穏やかな子じゃ。おお、おお、うん。やはりもう強くなるための条件は満たしているようじゃ。あとは自分の殻を破ること。ラーイがその心で自分が強くなれない。このままではダメ。そう思い込んでいるその心の殻。それを破ってみせるのじゃよ」
「ビャクレン様。私はそれをできるでしょうか?」
「やらなきゃ一生そのままじゃよ。たとえ召喚獣といえど、自分を助けるのは自分じゃよ。まさか泣き言を言っていたら主が助けてくれるのじゃ。とか、そんな甘えたことを考えている訳でもないじゃろ?」
「……はい。主は支えるものです。助けてもらうものではありません」
「うん……うん。じゃあそうするのじゃ。ラーイが、ちゃんと自分を信じることができるなら、強くなるなんて簡単なことじゃ」
ビャクレンの指が何かのまじないのようにラーイの額に当たる。その部分が白く輝きだして、目をつぶるほど輝いたと思ったら光は消えていた。
「きっかけを与えておいてあげたのじゃ。これで少しは心の枷が取れて、強くなりやすくなっているはずなのじゃ。あとはもう自分次第。そして主次第」
「やっぱり私も大事?」
「そりゃそうじゃよ。召喚獣は召喚士を主と崇めるのじゃよ。だから、エヴィー嬢ちゃんもラーイの強さを思い描くのじゃ。その思いのままラーイは強くなるのじゃ。召喚獣とはそういうものなのじゃよ」
「そう」
ビャクレンの言葉を大事に受け止める。そして私もラーイの強さを信じて思い描こうと思った。
「イメージってのは大事じゃ。自分の頭の中にある色んな堅苦しいものを取り払って、思い描いてあげることじゃ。ラーイの強くなった姿をじゃ。出来るかの?」
「ええ、やってみる。いえ、やってみせるわ」
「そうじゃな。まず悩むよりも動く。それが大事じゃよ」
ビャクレンがそう言うと、再び炬燵の中に戻ってしまった。
「さて。さっさと本題も言ったほうがいいじゃろう」
「はい」
そういえばこちらが本題ではなかったのだと思い出す。あくまでここにはクエストを達成しに来たのだ。そしてクエストはビャクレンの悩みを解決することだった。
「何そんな面倒なことを頼もうと思っているわけじゃないんじゃよ。わしの飼いネコがちょっと目を離したすきに逃げ出してしまったんじゃよ。黒桜という名じゃ。探して捕まえてきてほしいのじゃ」
「飼いネコを?」
ネコと言われるとドワーフ工房で見た化けネコを思い出した。まさかあのネコの事ではあるまいなと思った。しかしだとしても自分で見つけに行けば一瞬で見つけられそうに見える。クエストのためにわざと逃がしているのだろうか?
「わざわざクエストの為にネコを逃がしたりせんのじゃ。わし、ここから出てはいけないし、ここから外に能力を行使してもいけないのじゃ。おかげで探しに行くこともできなくて困っているというわけじゃ」
「なるほど」
というか、ナチュラルに心を読んでくるな。まあビャクレンに読まれて困るようなことは何も考えてないから別にいいのだけど。
「見た目はどんなネコなの?」
「統合階層にネコは一匹しかいないのじゃ。見ればわかるのじゃ。普通に見た目からして、ちゃーんとエヴィー嬢ちゃんの頭の中にある普通のネコと同じなのじゃ。だから安心して大丈夫じゃ」
「本当に?」
この人の飼いネコが“普通”なわけがないと思った。クエストになっていることからして、必ず何か特殊なものがあるネコに違いない。しかもこの広大な統合階層でネコ探し。相手は階段じゃない。
階段と違ってネコは動くのだ。九州ぐらい広い空間で動き回るネコを探す。そんなことが可能だろうか? 可能だとしてもどれほどの時間が必要になることか。考えただけでも気が遠くなる。
「おやおや悲壮な顔じゃ。仲間の為に急ぐのじゃろ?」
「ええ」
だから、そのためにも少しぐらい無茶な探索もやむなしだ。クーモは一人で大丈夫。私とラーイは一緒に居るとしても、リーンは一人で行けるだろうか?
「エヴィー嬢ちゃん。リーン嬢ちゃんも死んだら間違いなく終わりじゃ。死なんように気をつけるんじゃよ。ダンジョンが死にこだわっていなくても、お前さんたちにとっては間違いなく死は今生の別れじゃ。二度と会うこともない。召喚獣が死にかねないようなことをするなら、その覚悟もしておかねばならんのじゃ」
「それは……気をつけるつもりよ」
でもこんなクエストなんだから仕方がないじゃない。何も無茶しなかったら、一体どれぐらいの時間がかかるか。その間にミカエラがやってきたらユウタが死ぬ。ミスズだって大鬼と戦うことになれば、勝ち目がどこまであるか。
「ほんにダンジョンは意地が悪い」
「そうね。ここまでしなくてもって思う時はあるわ」
「祐太坊やはミカエラ。美鈴嬢ちゃんは大鬼。伊万里嬢ちゃんはまだ目標を見つけられてもおらぬ。そしてエヴィー嬢ちゃんはレベル50でこんな化け物だらけの階層をうろつけと言われる。もういっそ、探索者なんぞやめて、おとなしくモデルだけしておいてはどうじゃ?」
試すように見られた。幼い目なのに今まで見たどの目よりも鋭く感じた。どうやらビャクレンはこの階層の全てが見えているようだった。そうか。イマリはまだ手がかりすらないか。ならば、やはり私が急ぐしかない。
「ビャクレン。ダンジョンはたしかに理不尽極まりないわ。でも私、嫌いじゃない。全ては自分の運と力と知恵次第。そしてそれを達成できたときにちゃんと報酬も用意している。ダンジョンが現れなければどれほど苦労したとしても、手に入ることのない報酬がね。私は美しくなりたい。誰よりも綺麗と呼ばれる存在になりたい。そんな馬鹿な夢がここでは叶うというのよ」
「それはどれだけ望んでも、普通では無理な希望じゃな」
「ええ、だから、ダンジョンには感謝しているぐらいよ」
「仲間はどうしたのじゃ? 家族は?」
「もちろんそれは大事。どちらかを選べと言われたら、絶対にそちらを優先する。でも、優先した後にまたきっと私は世界一の美しさを手に入れる。そこに戻っていくわ」
私の頭の中に常にその目標がある。私はきっと独善的な人間なのだろう。
「ふむ。やはり若人と喋るのはいいものじゃな。自分まで若くなった気になれる。お前さんの夢が夢半ばで潰れぬことを私は祈るばかりじゃ。エヴィー嬢ちゃん。急ぐんじゃったな?」
「ええ、とても」
「またおいで。いや、必ずおいで。何も助けてやれんのは心苦しいが、大事な仲間と夢があるのじゃ。こんなところで終わるのはなしじゃぞ」
「はい。ありがとう。ビャクレン……ビャクレン様」
ここは日本だ。そしてビャクレン様も日本の系譜に連なっているようだった。それならば、私もその仕来りに従って目上に敬称をつけ口にした。ビャクレン様は微笑むと手をまた優しくパンパンと2回叩いた。そうすると、私たちは砂嵐の外側にいた。





