第百二十話 ネコ
ミカエラと俺が六階層から五階層に上ると、美鈴たちが本格的に探索を再開したと連絡がきた。殺人鬼と一緒ということもあって、かなり心配していたが、じゃあミカエラを引きつけ続けることと、どちらが危ないかといえば微妙である。
どちらの状況でもちょっとしたミスがあるだけですぐに死にかねない。それぐらいミカエラと俺では彼我の実力差が大きい。ミカエラはロシアンブルーになった俺を抱き上げたまま、五階層の階段を上り、四階層三階層と次々に駆け上がる。
目の前に立ちふさがるモンスターはすべて通り過ぎる前に爆発させられていた。
ただまっすぐに邪魔なものは爆殺する。
「本当、意味がないのに群がってくるやつらよね」
モンスターに対する感想はそれぐらいのようだ。あっさり一階層につき、雑然とした人の多さに顔をしかめる。一階層にいる一般人探索者を殺すんじゃないかと心配したが、さすがに避けてガチャを回すこともなく外へ出た。
そして、外で車に乗ることもなく、走り続けて3キロほど先にあるペットショップまで急行した。迷わずまっすぐペットショップまで行けるあたり、ミカエラがネコ好きでペットを飼いたがっていたのは本当のようだ。
「ついに私はネコを飼える!」
こいつ何がそんなに嬉しいんだ?
正直そう思った。
俺はペットを飼うという行為を理解できない人間である。小さい動物を見れば可愛いぐらいは思う。でも、ペットを飼うためにやらなければいけない全てが面倒臭いと思ってしまうのだ。だからミカエラの嬉しそうな顔が理解できない。
伊万里も俺と同じで、美鈴とエヴィーはペットを飼いたい方らしい。
『ペットを飼うのって、面倒臭い以外のメリットがあるの?』
それをメリットというのかどうかわからないが、これはダンジョン内での休憩中に伊万里が言った言葉である。美鈴が俺に『祐太はネコ派、イヌ派?』と聞いてきたのがきっかけだった。
『えー、イヌもネコも飼ってると癒されるよ』
これが美鈴の意見である。
『何が?』
これが俺の意見である。
『何がって……2人ともちょっと人として冷たくない?』
エヴィーに言われて俺はちょっと傷ついた。でも本当にイヌやネコに対する愛情などわいた試しがない。だからネコを飼えることの何が嬉しいんだ? と思える。
ミカエラがペットショップの中に入る。ペットショップの男の店員がにこにこと可愛いミカエラに挨拶する。ミカエラは常連のようだ。殺されないところを見ると外では心を読まないことにしているのだろうか?
「ううん、526円……高いのを食べさせてあげたほうがいいよね?」
ペットショップに陳列された高級なネコ缶を見つめながら買うかどうか悩んでいる。ミカエラは貧乏なようだ。というかレベル200の探索者がネコ缶を買うのに値段と睨めっこするとかおかしくない?
お前の私生活一体どうなってるんだよ。ちょっと心配になってしまった。
「この後、チュールも買うことを考えると……私の食費を節約すれば……でもまだネコ用トイレとネコ用ベッドとネコ用食器と爪とぎとキャリーバッグと首輪と迷子札もいるし」
ミカエラはスマホでネット検索しながらネコを飼うために必要な物を籠に入れていく。発言を聞く限り、金遣いが荒いようには見えない。でも、レベル200の探索者といえば、何をどうしていたところで年間1億円ぐらいは楽勝で稼ぐはずだ。
『レベル100以上の探索者は全員金持ち。レベル200以上は全員超金持ち。レベル500以上は全員ビリオネア。12英傑は田中以外の資産が先進国の国家予算。そして世界一の金持ち森神様は、世界経済牛耳る金持ち』
世間ではそう言われていた。俺みたいなガチャ運のものはめったに居ないとしても、ネコを飼うために揃える一式の出費程度に悩む? お前大丈夫?
ネコ缶程度の値段に悩み、結局高いものは買えなくて、できるだけ安いものばかりになってしまったネコ用グッズをカゴの中に入れて、レジでお会計。
「お客様その猫すごく可愛いですね。ロシアンブルーですか?」
「いいから早くお会計を終わらせて、殺すわよ?」
「は? え? えっと、全部で21,256円になります」
「う、うん。お金足りない……」
お金が足りなくなってミカエラは銀行によってお金をおろす。
その間外で待っていたが、ミカエラは俺が逃げないかどうかを心配して一時間ぐらい悩んで、通り掛かりのネコ好きの女の人が、「見ておいてあげる」と言ったことに安堵して、お金を下ろして買い物を済ませた。
なんかもうこいつ色々ダメすぎる。
ペットショップから出て到着したのがボロアパートだ。ボロい。まじでボロい。部屋の中へとあげられる。お世辞にも綺麗に整頓されておらず、あまり掃除できないタイプらしい。生活能力が無いタイプか?
「ニャー君。待っててね」
適当に部屋に脱ぎ捨てた服の中に落とされた。おいおい、雑に扱うなよ。ネコがどんな状態でも着地できると考えたら、大間違いだぞ。今の投げ方は俺じゃないと死んじゃうぞ。
「えーと、着替え着替え着替え」
ミカエラがタンスから下着を出して俺を再び持ち上げた。これはいいのだろうかと思いつつも、風呂に一緒に入れられた。痛い。痛いぞ。体を洗われる。
「ニャー!(お前、もうちょっと力加減覚えろ!)」
「そうかそうか、ニャー君も嬉しいか」
「ニャー!(嬉しくねえよ! 言葉のニュアンスをちゃんと読め!)」
と思って色々見てはいけない部分が見えるのだけど、その辺はもう気にしないことにした。女の裸を見たせいか美鈴たちのことを思い出した。今頃、心配してるんだろうなと思った。だが、現状美鈴たちにとってもこれが一番安全だ。
風呂から出ると、夕ご飯の時間だった。お腹はかなり空いていて、当然のことながらネコ缶が、エサ皿に入れられて出された。
「ニャー君どうぞ」
ニコニコと出されるわけだが人間としての抵抗感がすごい。これを食うのか? ミカエラは期待した目でジッとこちらを見ている。この一番安いネコ缶は、こいつにとってなけなしのお金で買った大事な食糧である。
そして俺はこいつにムカついているがネコ缶には罪がない。
仕方がないので食べた。初めて食べたネコ缶は、後からすごく臭みがきて味が薄かった。正直吐きそうなぐらいマズイ。でもなんとか食べられなくはないし、今はネコなので、栄養バランスとしてはこれで正しいのだ。
しかしマズイな。
「美味しくないの?」
「ニャー(いや、うん、食べるよ。食べるけどね。美味しいかどうかと言われたら、まずい)」
「じゃあこれ食べる?」
チョコレートをお皿に乗せてきた。こいつ何も調べてないなあと思った。確かネコってチョコレート食べたらダメなんじゃなかったっけ? 今、俺の体の構造はネコなので食べない方がいいだろうけど期待した目でキラキラ見られる。
仕方がないので食べた。頭がふらふらして酩酊感を覚える。このバカちゃんと調べてからネコを飼えと思った。
「ニャー(でも美味いな)」
ネコはネコでも元が俺なので、チョコレートは普通に美味しかった。それにどうもこのネコの体は結構丈夫なようである。本来ネコには絶対に食べさせてはいけない毒物を食べても死ななかった。
それにしてもこいつ生活能力ないな。
食べ残したカップラーメンの中身とかちゃんと捨てろよ。生理用品を放置するな。パンツを俺の頭にかぶせるな。こんな調子でよく今まで生きてきたものである。ものすごく部屋を掃除したい衝動に駆られた。
家族はどうしたのだろう?
いや、心も読んでしまうんじゃ家族と一緒に生活なんてできないか。まさか殺しちゃったとかじゃないだろうな。そんな心配がよぎった。
「ニャー君おいで」
部屋着のジャージ姿になったミカエラは俺を膝の上に乗せると、テレビをつけてゲームを始める。
ミカエラがしているのは、俺も好きな【覆面5】というゲームだ。高校生の主人公が人の心の中に入れるようになるゲームなのだが、高校生活の日常部分が面白い。俺もこんな高校生活を送る未来があったのだろうかと羨んでしまうほどだ。
いや、まあ、俺だって年齢的には高校一年生だからまだ全然遅くない。
遅くはないのだが、普通の高校生活に今更戻るには、あまりにもここ数か月の経験が濃厚すぎた。人だって殺してしまった身である。今更のんきに青春を謳歌なんてできない。
「あーあ、ニャー君。私もこんな高校生活だったらよかったのにな」
ミカエラが同じようなことを思っているようだった。ゲームを始めて膝に乗せられたままだった。
「はあ。お母さんもお父さんも死んじゃったし。私ってこのゲームの主人公より可哀想」
自分で殺したわけではないのか?
そんなことを思いながら、ゲーム進行に口出ししたくなる気持ちを我慢した。俺の夢の一つは、友達と一緒にゲームをすることである。だから、この状況はすごく気持ちがうずく。思わず声を放った。
「ニャー(違う。そこ右!)」という声がした。
ミカエラが迷っていたゲームの道を右に行く。俺もゲーム好きだが、ミカエラも相当なものらしくゲームをやめたのは夜の2時で、それからパソコンで日記をつけ始めた。
日記か……。
たぶん俺はミカエラを殺さなきゃいけない。でもできることなら人を殺したくない。これは本音だ。ミカエラに対して情が移ったとか、そんなことを言う気はない。でも、普通に生きてきた俺が人を殺したいわけがない。
ミカエラのように心が壊れてしまえば、人を殺してもなんとも思わなくなるのかもしれないが、俺は正直、まだ池本のことを忘れられなかった。俺はあいつの一生を奪った。そのことだけはたぶん一生忘れられない。
向こうも殺しにきてたから罪悪感という意味ではないが、やはり忘れられないのだ。俺は何かを求めるようにミカエラの日記を見たくなり、ミカエラの肩にひょいと上る。
「ニャー君。お前は可愛いね。人間でも動物でも大抵私からは逃げるのにね。ニャー君は逃げないし、私のことそんなに嫌いじゃないみたいだし」
ミカエラは俺の頭を撫でてきて、ネコの俺が日記を見ることを止める様子はなかった。だから俺は日記を読ませてもらった。
【今日はなんかすごい男前がいた。でも、すごい逃げられた】
根性が曲がってる割にすげえ馬鹿な文章書くなと思った。
【でも、ちょっと気に入った。あの階層にいる人間が仲間の為に私から逃げ続けるなんてすごいなと思う。きっと心の綺麗な人なんだ。だから気に入った。早く気に入った心を読みたい。でもこれがなかなか捕まらない。どうしたものか?】
そんなことを書いていた。これを読んでいる限りは、そんなに悪意があるようではなく、普通の女の子と言えなくもなかった。ミカエラはずっと日記をつけ続けているんだろうか? ファイルを見ると、五年前のファイルがあった。
ミカエラは毎年毎年ファイル分けして日記をつけているようだ。俺も日記をつけようとしたことがあるが、三ヶ月も続かなかった。それがもうミカエラは五年以上つけているようだ。
「よし、寝よう。ニャー君一緒でいいよね?」
パソコンをつけたままだった。
そういう癖なのだろう。家の中だと意外と消せなかったりするしな。整理整頓されていない部屋だったけど、ベッドの上だけは綺麗だ。ミカエラはベッドの布団の中へと潜り込む。俺はミカエラの胸の中へと入った。
「ニャー君、うちの子になりなよ。お前、強いからちょっと力入れても簡単に死なないし、ちょうどいいでしょ?」
チュッとキスをされた。
「ニャ」
もしも。もしもである。ダンジョンで南雲さんではなく、ミカエラと最初に出会っていたら俺はどうしていたんだろうと考えた。
「おやすみ」
ミカエラが眠った。ようやく寝てくれたかとホッとする。その腕の中からすり抜けた。寝顔は可愛いものだった。でもその瞳で見られるだけで、こっちは死んでしまう。恐ろしい存在だ。こいつに心を読まれたら、俺は100%殺される。
ともかく確かめたかったことを確かめるために、俺はパソコンのボタンを押した。ミカエラが起きる様子はなく、日記を開かせてもらう。五年以上前から日記をつけているようだったから、できれば時間をかけて、全てを読むことにした。
ミカエラを殺すことになるとしても、こいつのことはちゃんと理解してからにしておきたかった。





