第十二話 探索
「オエロロロロ」
電車に乗って甲府ダンジョンまで来て、ダンジョンショップで買い物をして、親をなんとか説き伏せたらしい桐山さんは終始ご機嫌で、ダンジョンの中に入り、ゲロを吐いて、おしっこを漏らして、鼻水を垂らしていた。美人が台無しである。
「大丈夫?」
桐山さんの背中を撫でながら、俺は声をかける。傍らにはゴブリンの死体。その死体にはいくつもの銃創があり、そして南雲さんにもらった十字槍で刺された痕があった。銃創については俺が銃で撃ち抜いたものである。
というのも俺は南雲さんからレベルが上がらないと言われた拳銃を買っていた。なぜそんなことをしたのかと言えば、俺は南雲さんからあの銃の話を聞いて考えたのだ。
『だってさ。いくらなんでもおかしいんだ。アメリカじゃ拳銃を使うなんて当たり前だし、他の国だってダンジョンの中では拳銃の使用を普通に許してる。それなのに拳銃だとレベルが上がらない話がどこにも出てない』
『そんなことあり得ないってわけね』
俺は昨日、桐山さんに話した内容を桐山さんの背中を撫でながら思い出していた。
『それで考えたんだ。南雲さんは5年前からダンジョンに入ってる。5年前、日本のダンジョンでは当然拳銃が使えなかった。使えるようになったのは米軍の在庫品が大量に回ってきたつい最近だ』
『3ヶ月ぐらい前だったっけ?』
『うん。だから日本じゃまだ拳銃についての詳しいことなんて分かってない。おまけに他国では日本が妙にダンジョンに関してはうまくいってるから、面白くなくて情報を封鎖してるって噂もある』
『じゃあ南雲さんは拳銃でもちゃんとレベルが上がるけど上がらないって勘違いしてるの?』
『いや、それ自体は多分本当なんだ。何しろモンスターは簡単に倒せば倒すほど、レベルが上がりにくくなる。1階層にいるゴブリンだとレベル3でもう上がらなくなる。レベル3もあれば1階層のゴブリンぐらいなら楽に殺せる。だから上がらなくなる。拳銃も同じだ』
『じゃあ南雲さんは何も勘違いしてないんじゃないの?』
『いや、南雲さんの勘違いはそこじゃないんだよ。多分、拳銃の正しい使い方をしている低レベル探索者を見たことがなかったんじゃないかなって思うんだ。例えば、拳銃でゴブリンを殺しても、全部殺さないって選択肢もある。徒党を組んでるゴブリンの一体だけを残すんだ』
『ああ、なるほど! つまりその一体だけは近接武器で倒すってことか』
桐山さんにその話をしたらえらく感心された。
そして実際、俺は桐山さんのために3体で徒党を組んでたゴブリンを撃った。だがその場で殺さず、3体とも足だけを撃ち抜いた。まず桐山さんがゴブリンを殺すことに慣れるためにそうした。
「ぅう、みっともないなあ。もうちょっとマシだと思ったけど、思った以上にきっつー」
桐山さんは3体に対して、2体を躊躇しながらも、槍で刺し殺した。でも残った一体が問題だった。ゴブリンは生きてる。生きてる以上、殺されないために必死だ。
だから桐山さんがためらいながらゴブリンを刺そうとするその時、ゴブリンが反撃してきた。前の2体をやられたゴブリンが、今度は自分だと最後の力を振り絞って桐山さんに抱きついたのだ。
『こら羨ましい、じゃない離れろ!』
ゴブリンの武器は念のため取り上げていたが、死にたくないゴブリンは必死になって桐山さんにしがみつき、おまけにゴブリンは他の種族のメスを見境なく襲う習性がある。
最後に子孫でも残そうとするつもりなのか犬の交尾みたいに動き出した。これに色々我慢していたのだろう桐山さんは、本気で怖がった。
漏らして、鼻水を垂らして、ゲロまで吐いてしまった。俺もすぐに助けられれば良かったが、桐山さんと密着しているために拳銃も刃物も危なくて使えず、最後の力を振り絞ってしがみつくゴブリンを引き剥がす頃にはかなり時間が経っていた。
「あんなことされたら無理ないよ。俺だって最初死ぬほど怖かったし」
「でも吐いたりはしなかったんだよね」
俺が渡したティッシュで桐山さんは鼻をかんだ。口元を拭いて出ていた涙も拭った。
「まあそうだけど」
「はあ、もう格好悪いな」
クラスのマドンナどころか学年一のマドンナである桐山さんは、それでもなぜか楽しそうだった。
「まあ祐太の前でこれ以上の恥をかくこともなくなったし、いっかー。あはは、下着まで汚しちゃった」
俺は思わず桐山さんの下半身を見てしまう。どのダンジョンでも、各階層の様子はほとんど同じだという。その言葉の通り甲府ダンジョンの1階層は池袋ダンジョンと同じで草原が広がり、サバンナのような暑さで、桐山さんはタンクトップ姿だった。
そしてズボンに至ってはゴブリンのよくわからない液体をつけられていた。そのズボンが明らかにゴブリンの液体とは違う物で濡れていた。俺は昨日のあの南雲さんに睨まれたお姉さんを思い出した。これは桐山さんの名誉のためにも一度着替えに帰るべきだ。
「ごめん。ちょっとそっち向いてて」
「え?」
「着替えるからそっち向いててってば。見たいの?」
「い、いえ!」
見たいけど見ません。俺は慌てて後ろを向くと、その間にごそごそする音が聞こえて、しばらくして「こっち見ていいよ」と言われた。そちらを向くと、桐山さんは下がスパッツに変わっていて、着替えたんだと分かった。
「あーあ、まさか自分がこんなに弱いとは、冷静になったら首飾りも借りてるんだから、大丈夫ってわかんのにね」
桐山さんの首には南雲さんからもらった首飾りがあった。
俺が渡したものだ。最初は遠慮しようとした桐山さんだが、今日はまず桐山さんをレベル2にする予定だったので、自分も死にかけたことを説明して、その上で万全を期すために首飾りを渡した。
「相手からの本気の殺意って想像以上に怖いから」
いや殺意というより本能だけど。まあどのみち女の人にとっては恐ろしいものだろう。
「確かに。やっぱダンジョンは入ってみないとわかんないもんね」
特にショックを受けた様子もなく、いい経験になったぐらいの感覚で桐山さんはさっぱりしていた。
「怖くない?」
「そりゃ怖いけどね。でも、私、やっぱこういうの好きだわ。襲われたりとかはそりゃ嫌だけど、良いことも悪いことも全部自分で選んだ結果。死ぬのも生きるのも自由。そういうのってなんか好きなの。祐太はこういう女引く?」
「ううん、俺もそういうの好きだから。なんか全力で生きてる気がするんだ」
「だよね。んじゃ、次行こ」
桐山さんが俺と対等の目線で喋ってくれることが嬉しい。甲府ダンジョンのダンジョンショップに行った俺たちは、昨日買わなかったものを結局全て購入した。拳銃もだしボディアーマーもヘルメットも迷彩服も買った。
『こ、これだけ買うのに10万円しか持ってないんですか?』
追加でポリカーボネート製の盾まで積み上げて池袋ダンジョンのショップの女の人と同じく、かなり綺麗めのレジの人が、引き気味に尋ねてきた。
『やっぱ無理ですかね。それなら拳銃を一丁だけ持ってダンジョンに入ろうか?』
『うん、そうしよう。大丈夫大丈夫死なないって』
『ちょ、ちょっと待ちなさい! あなた達! 今、上司と掛け合ってみるわ!』
南雲さんの言葉を信じた上でそうした。そして10万円しかないとレジの人に言うとマジで桐山さんと合わせて100万円にもなった買い物なのに10万円にまけてくれた。
だから桐山さんも同じ装備を購入してバックパックに入れて後ろに背負っている。しかし今の二人は薄着で、俺はTシャツとカーゴパンツ。
桐山さんに至ってはタンクトップとスパッツだけである。どうしてこんなに薄着をしているかといえば、今はまだ必要ないのと単純に暑い。重装備など着ていてはバテてしまうほど暑い。
「噂には聞いてたけど1階層って本当に暑いんだね」
「うん、すごいよね。1階層~5階層まで、地球のサバンナとどのダンジョンでもほとんど一緒で、1階層は、この天気と気温のままなんだって。各階層直径100kmもある円って言うんだから信じられない広さだし」
「全くもってだわ。甲府は低級ダンジョンだっていうけど、それでも20階層まであるんでしょ? 1階層~20階層まで全部の面積合わせたらギリシャより広いんだよ。ダンジョンクリアしてもし消えなかったら、土地問題とか難民問題一気に解決よ」
改めて甲府ダンジョンの1階層を見回す。草原にシマウマやカバやキリンがいる光景は池袋ダンジョンとほとんど一緒で、あまりに似ているので、違うダンジョンに来てる気がしないほどだった。
「桐山さん、今のをもう一度やってみる?」
南雲さんほど潤沢な回復手段があるわけでもない俺は、まずとにかく桐山さんのレベルが上がるまで、危険を避けながら頑張ることにした。
桐山さんがうなずいたので、俺は草原の中でゴブリンの集団を再び探し、少し離れた場所にいるのを目に留める。
「次はあたしが撃ってみていい?」
「というより二人でしない? さっき、ちょっと危なかったし」
桐山さんが所持している9mm拳銃も、シグM17である。ちょっと前までは日本では拳銃を撃つ中学生など考えられなかったが、今では15歳になって拳銃を撃つのはそれほど珍しくもない。動画でもいくつも上がってる。
拳銃の射程は最大50mほどで、確実に当てたいならもっと近づく必要がある。だから俺は先ほど30mぐらいの距離まで近づいてゴブリンに撃ったが、結構な速度で走ってこられて、最後の一匹はかなり目の前まで来ていた。
「それもそうだね。じゃあ2人で」
ゴブリンは草原のいたるところにいるのだが、あまり目が良くないのか、距離が100mぐらいにならないと人間には反応してこない。俺たちが近付くまでは無警戒で、その点は若干安心だ。
しかし100m以内に近づいたら、ゴブリンの死角に入りながら、見つからないようにゆっくり距離を詰める。そして拳銃の射程まで近づくと、グリップを両手でしっかりと握って構えた。コッキングする。
ドットサイトで、3体で動いているゴブリンに狙いを定めた。スッと息を止め、
パンパンパン
パンパンパン
派手な音がせず、乾いた音がする。
一体に対して3発ずつ足に打ち込み、薬莢が地面に転がる。ゴブリンがこちらに気付いた頃には、2体はほとんど動けなくなり、一体が走ってこようとしたが、すぐに桐山さんがそのゴブリンを撃ち抜いた。
「うわー、ちゃんと当たった!」
「うん、じゃあとどめを刺そう」
「りょ、了解」
先ほどの嫌な記憶が蘇って桐山さんの顔がひきつる。それでも、これくらいできなきゃ話にならない。
「腰をしっかり入れて槍を落とさないように構えて」
「わ、わかった」
まずゴブリンに槍を構えて、桐山さんは突き出した。ゴブリンの命がなくなるまで見届け、その間ももう2体の死に損ないのゴブリンから目を離さなかった。
先ほどはゴブリンに止めを刺すのに集中するあまり目を離したら、後れを取ってしまったのだ。
「ギャギャ!」
今度も最後のゴブリンが起き上がってきた。
しかしよく見るとフラフラのゴブリンで、慌てる必要もなくて桐山さんは先ほどより落ち着いて槍の柄で叩きつける。草原に転がされたゴブリンは、
「ギャギャ……」
力なく最後のゴブリンが命の灯火を消していく。今度は抵抗らしい抵抗もなかった。
「ぅう、なんか思ってた以上にコレってくるよね」
「わかるよ。ものすごく悪いことしてる気分になってくる」
「それでも楽しんでるとか、あたしも祐太も罪深い人種だわ」
「全くもってだね。次は一体だけダメージゼロで残すよ」
「了解」
もう慣れてしまったのか、ゲロを吐くこともなく、漏らすこともなく、桐山さんはそこから順調にゴブリンを倒した。でもレベル2になるまでゴブリンアーチャーの相手はしなかった。弓を持った相手がいたら、近づいて倒す前に拳銃で殺した。
「よっと」
桐山さんは首飾りがあるおかげで、ゴブリンに近づく怖さがなかった。だから慣れてくると及び腰になることもなく、10匹目を倒す時もすんなりしたものだった。
「あ、レベルアップしたみたい。誰の声だろ? 女の人っぽいけど祐太も同じ?」
桐山さんの頭の中にレベルアップの声が響いたようだ。
「多分ね」
レベルアップのしるしのように体が青白く輝いていく。
元々体も程よく引き締まっていて、綺麗すぎるほど綺麗な桐山さんが、レベルアップによって余計に引き締まるところが引き締まり、出るところが出る。顔もこれ以上綺麗になるのかと思ったが、その先があった。
「やっぱ体型は変わってもムキムキになるわけじゃないんだ」
「そりゃそうだよ。そうじゃなかったらレベル100の人なんて、どれだけ筋肉が必要になるか」
レベルアップすると力が強くなる。
しかし、必ずしも筋肉がつくわけではない。あくまで自分の体をベースにして、理想に近づいていくと言われている。例えば太っている人間だとレベルアップするほどに痩せていく。逆に痩せすぎてると太ってくる。
当たり前のことだがレベルアップごとに無限に筋肉がついていくわけではない。ある程度の段階になると、自分の体をベースとして、理想に届いてしまう。そこからは見た目は変わらなくなる。
「俺よりあっさりレベルアップしたね。俺なんて一度死にかけたよ」
「はは、まあここまでお膳立てがあればね。正直緊張はしたけど、祐太がそばにいたからあんま怖くなかった」
光が収まると桐山さんが余計に綺麗になった。ただでさえ綺麗だったから、ちょっと怖いぐらいである。
「桐山さん、ステータス見ようよ」
桐山さんの言葉に嬉しく感じながら、ステータスが気になった。





