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第百十八話 案内

《三人とも無事か!?》


 目が覚めてすぐに美鈴たちが心配で連絡を取った。そしてアウラが俺にエリクサーを飲ませてくれたことに感謝しながらも周囲の確認もする。凄まじいとしか言いようのない威力の魔法だった。


 天井を見上げると、四階建てのショッピングモールの屋根まで爆発の範囲が及んでいた。ミカエラを甘く見ていた。初級ダンジョンの探索者がそこまで強いわけがない。俺ならなんとか追いかけられても振り切れると思った。


 しかし結果は惨憺たるものだった。相手とのあまりの強さの違いにただただ翻弄された。何もできなかったどころか殺されなかったのが不思議なぐらいだ。正直、思い出すだけでも震えがくる。


《ユウタ、大丈夫なの!?》《大丈夫?》《祐太、生きてるよね?》


 ほぼ3人とも同時に返事がきた。


《すまない。本当に俺がバカだった。ミカエラにちょっと小突かれただけでエリクサーを使う羽目になってしまった。みんなのためにと思って取っておいた物なのに許してくれ》


 しかしまだ不幸中の幸いもあった。


 それは四人でミカエラと対峙しなかったことだ。


 四人掛かりだったら最悪全員死んでた。まだ俺だけだったからなんとかなった。これもモンスターが味方をしてくれるという奇妙な幸運に恵まれたお陰だ。


 しかし、もうこうなっては、


《ミカエラがいなくなるまで——》ダンジョンの外に避難するしかない。


 そう口にしかけて言葉が止まった。俺はミカエラに目を付けられているようだし、次に狙われたら本当に殺される。美鈴たちまで殺されかねないことを考えると、このままダンジョンに居る事はあまりにも危険だ。でも、



『なんだ六条。殴り返さないのかよ?』



 池本の顔が頭に浮かんだ。


 ミカエラのやばさは池本とは比べ物にならない。比べるのも間違ってる。でもじゃあ、逃げる俺は以前と何が違うんだ? それにダンジョンが安全になるのはいつだ? 待っていれば、それはやってくるのか?


 少なくとも池本に虐められていたとき、俺がどれほど耐えていても、そんな日は来なかった。ましてやダンジョンでは裁かれる事なく、のさばっている探索者というのは必ず居るという話だ。南雲さんは池袋にも、


『面倒なのがいる』と言っていた。


 目指す目標がレベル100や200ならまだいい。でも、ここで逃げて本当にレベル1000などになれるのか? 考えると、


『一旦ダンジョンの外に避難する』


 その言葉を口にすることができなかった。だが、俺がミカエラを引きつけて、その上で逃げるということができない以上、仕方ないことだ。


《エリクサーを使うことは何の問題もないわ。それよりもユウタ。あなたは今、安全な状態なの?》

《ああ、なんとかミカエラの眼をごまかすことができたみたいだ》


 よくあの状況で、ミカエラの眼をごまかすことができたものである。アウラがなんとかやってくれたのだとは思うが、肝心のアウラの姿が見えなかった。崩れた建物ばかり気にして上を見ていたが、足元を見る。


「え?」


 アウラの首のない死体があった。


《そう。よかった》


「アウラ?」


 死んでる……。い、いや、それなら俺が無事でいる理由がわからない。ミカエラは交渉が通じるような相手ではなかった。こちらの言い分など一切聞かず、いや、聞く必要もなく、問答無用で心を読んでしまう。


《祐太。やっぱり無茶だよ。エリクサーを使っちゃったってことは、死にかけたんでしょ? 一人で引き付けるなんて無理じゃないの? 私も手伝おうか?》


 伊万里が聞いてきた。さすがに死にかけたと聞いて、黙ってられないようだった。でも伊万里がいても一緒だ。あんな化け物みたいな強さを持ったやつ、2人いたからと言ってどうにかできるようなもんじゃない。


《いや……》

《どうしたの?》


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 この状況はなんだ?


 そもそも、


「どうして美火丸の履物と脛当てがあるんだ?」


 思わず口に出して言ってしまう。違和感に気づいた。美火丸の装備全体が深い赤色になっている。以前はこんな色じゃなかった。もっと鮮やかな赤色で、今の美火丸の色は、鮮やかな赤というよりは、血のような真紅だった。


 それにもっと奇妙なことがあった。


「何か別のものが生えてる?」


 自分のことだからわかる。自分の中に今までなかった能力がある。この能力はなんだ? レベルアップしたわけでもないはずなのに、新たな能力が生えていることなんてあるだろうか?


《祐太?》

《伊万里。少しだけ待ってくれ。意味がわからない》


 いや、自分はそれがなんなのか、分かっている気がした。これは俺の中じゃない。


「美火丸……お前か?」


 美火丸を見る。『そうだ』と言っている気がした。そして『確かめろ』と言われている気がした。念のために【美火丸の陣羽織】も出すと、その色も真紅に変わっていた。それを羽織った上で、確かめるためにステータス画面を開いた。



名前:六条祐太

種族:人間

レベル:29→42

職業:探索者

称号:新人

HP:306→436

MP:116→181

SP:218→322

力:300→414(+200)

素早さ:346→460(+200)

防御:300→410(+200)

器用:268→372(+200)

魔力:115→167

知能:90→125

魅力:80

ガチャ運:5

装備:ストーン級【美火丸の額当て】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の胴鎧】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の脛当て】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の籠手】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の陣羽織】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の魔法護符】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の物理護符】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の炎刀】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の短刀】六条祐太専用装備

   ストーン級【美火丸の履き物】六条祐太専用装備

   ブロンズ級【アリスト】(バリア値100)

   シルバー級【マジックバッグ】(200kg)

   サファイア級【天変の指輪】

魔法:ストーン級【石爆弾】(MP10)

   ストーン級【鉄壁】(MP12)

   ストーン級【身代わり石像】(MP10)

スキル:ストーン級【蛇行五連撃】(SP13)

    ストーン級【焔鳥】(SP11)

    ストーン級【韋駄天】(SP18)

    ストーン級【巨力】(SP6)

    ストーン級【隠密】(SP5で10分継続)

    ストーン級【暗視】(常時発動可)

    ストーン級【睡眠耐性】(常時発動可)

    ストーン級【意思疎通レベル2】(常時発動可)

装備スキル:ストーン級【縛糸】(SP8)

      ストーン級【斬糸】(SP13)

      ストーン級【炎流惨】(SP18)

      ストーン級【斬糸繰々】(SP25)

      シルバー級【炎無効】(常時発動)

      未承諾ブロンズ級【灰燼】(SP52)

      未承諾ブロンズ級【獄斬】(SP70)

      未承諾シルバー級【炎華鏖殺陣】(SP113)

      未承諾シルバー級【糸華死縛陣】(SP143)

クエスト:二階層S判定 三階層S判定 四階層S判定 五階層SS判定



「【斬糸】」


 スキルを唱えてみる。そうすると、自分の指先からどういうわけか糸が伸びた。かなりの長さで10m以上あるだろうか? それが8本。


「行け」


 瓦礫のコンクリートの塊が、粉々に斬り裂かれた。


「ああ……」


 そのスキルにはとても見覚えがあった。威力も似ていた。俺はもう一度頭のないアウラの死体を見た。足の力が抜けていく。何かとても嫌なことが起きたんだ。そのことがわかったから、胸が苦しくなる。


「本当に死んだのか?」


 それなのに、どうして自分が生きているのかわからない。でもアウラはもうこの世にいなくて、死んでしまったことだけは、なぜか美火丸の真紅の色で分かる。まるで血のような赤い色の装備が、俺にそうだと教えてくれている。


 強烈な喪失感。


 自分はなんと情けないのか。


 本当にあの日からちゃんと俺は成長できているのか?


 女に守られただけじゃないか。


「はは、くそっ!」


 いつからだろう? 涙を流さなくなったのは。おじいちゃんが死んだときも、おばあちゃんが死んだときも泣かなかった。周りには冷たい子供だと言われたけれど、悲しい気持ちはあるのに、涙は流れなかった。


 そして、


 アウラの頭のない死体に近寄り抱き上げる。


「ごめんな」


 昔から馬鹿みたいに号泣できる人間が羨ましかった。俺はいつ頃からか悲しいことがあっても泣かなくなったから、ちゃんと泣いている人を見ると、それだけで情が深い人なんだと思った。


「どうしてこんなことをしたんだ?」


 俺に生えてるスキルは明らかにアウラの力だった。どうして彼女はそんなことをしたんだろう。どれほど考えても答えは出なかった。でも、


「アウラ。俺、ミカエラから逃げるのはやめておくよ。お前は多分、そのためにそうしてくれたんだろうから」


 返事などするはずのない頭のないアウラに向かって言う。


 願いを込めてくれた気がした。だから、逃げることはやめておこうと思った。俺は魔眼病にちょっと小突かれただけで心が挫けそうになった。逃げるしかないと思った。自分のためだけじゃない。みんなのためにそうしようと思った。


 だから今、逃げないと決めたのも自分の心が強いからじゃない。


「本当、お前のせいだぞ」


 瓦礫の崩れる音がしてそちらを見る。一匹の大蜘蛛が、まるでついてこいというように、こちらを見ている。大蜘蛛もミカエラに怒っているのだろうか? あの女の場所を教えるかのように、こちらをじっと見ていた。


 俺は大蜘蛛に向かって走り出した。大蜘蛛も素早く移動を始めた。あれほど庇ってくれた大蜘蛛を敵だとは思えなくなってしまい、俺はそれについて行くことにした。


《3人ともすまない。俺は今まで意識がなかったから、状況を教えてくれ》


 気持ちを切り替えて、とにかく3人に状況確認をした。榊たちのこともある。本当なら一日悩み続けたいぐらいだが、それが許される状況じゃなかった。


《OK。ユウタ。あなたは最後の連絡から、2時間45分意識がなかったわ》


 代表してエヴィーが喋り出した。こういう時、積極的にしゃべるのがいつの間にかエヴィーの役目になっていた。


《じゃあ3人とも俺が死んだと思って上の階層にいるのか?》


 一時間以上連絡がなければ避難するようにと指示していた。それが守られているのかと思った。


《いるわけないでしょ。あなたが殺されていたら復讐一択よ。でもその判断はいくらなんでも早いってことになったの。ミスズとイマリとも話し合ってあなたが一時的に意識を失っているという仮定で、私たちは動くことにした。だから、まず自分たちが死なないようにしようと決めたの。3人ともできるだけ安全だと思える場所に隠れているわ》

《どこ?》


 そうか。そうだよな。じゃあ俺もミカエラに復讐一択だ。アウラが俺に力をくれて死んでくれた。だから絶対にそうしなければいけない。それに俺も榊たちの安否確認をする必要がある。エヴィーの言葉に少し冷静さが戻ってきた。


《地面の中。急いで地面を掘ったの。最後にラーイに土の上をできるだけカモフラージュしてもらって、召喚を解除したの》

《じゃあ伊万里とリーンは?》

《私はかなり山奥の住宅の中。地面の中だと何もできないし、祐太が殺されているなら、せめて魔眼病に傷ぐらいつけて死んでやろうと思った。リーンちゃんも一緒》


 そして3人とも見つかっている様子ではなかった。ミカエラはレベル200で探すのも得意だといっていた。それでも2時間45分も3人は見つからずにいた。


 なんでだ?


 ミカエラは多分一人でなんでもできる。


 昔は仲間がいたらしいが、 3人の仲間に頼られてばかりいたらしい。米崎の情報ではそうだった。その結果ミカエラは強くなった。逆に仲間の3人はなんにもできない探索者になっていき、いつ頃からか姿を消したらしい。


《5時間たっても連絡がなかったら、あなたを探しに出るつもりだった》

《そうか……》


 その行動だけはしなくて良かった。ミカエラは3人が動いていたら確実に見つけていた気がする。あの女を甘く見積もるのはもうやめた。あの女はレベル200の南雲さんだと思って対処しなきゃいけない。


 正直、それぐらい、あの【大爆発】の瞬間、俺はあいつを怖いと感じた。


《三人とも、一応俺が確認したミカエラの強さを伝えておく》

《《《了解》》》

《あいつはやばい。目が三つある。速い。スキルも力も強い。探索能力もずば抜けている。心を読めるし、睨まれただけで動けなくなる。爆発の威力は大型ショッピングモールが一発で半壊する》


 そうして喋りながらも走り続けていた。大蜘蛛が向かっているのは富士山の方角だった。ダンジョンが創り出した巨大な山。富士山がどんどんとその距離を縮めてくる。まだ世界は暗闇の中に閉ざされていて、強大な輪郭だけがわかった。


《……ユウタ。あなたちゃんと生きているわよね?》

《生きてる。アラクネが守ってくれた》

《……うん?》

《おそらくそのアラクネが俺に何かした。詳しいことは省くが、おかげで、かなり強くなることができた。これなら、なんとかミカエラを引き付けられそうな気がするんだ》

《う、うん? ごめんなさい。アラクネのくだりがよくわからないのだけど?》


 エヴィーは混乱して聞いてくる。美鈴と伊万里は余計に混乱するので、会話には加わってこなかった。


《時間がない。エヴィー、詳しいことはすべてが無事に終わったらちゃんと説明する。今は聞いてくれ。エヴィー、居るのは富士の樹海だよな?》


 大蜘蛛について行く。その目的地は富士山の手前にある広大な樹海に思えた。


《ええ、そうよ。ユウタ。もう少し説明》《エヴィー。悪いが時間がない。ミカエラがそっちに向かっている。ひょっとするとエヴィー達の居場所に見当をつけているのかもしれない》

《……ああ、もういいわよ。続けて》

《ミカエラがどうしてそっちの方向を特定できたのか、エヴィーは何か思いつく?》

《多分、大蜘蛛の死体よ。私たちもレベル上げをしなきゃと思ってモンスターを倒して移動しているもの。でも、その死体の処理まではしてない。死体の跡をたどっているんだとしたら、富士の樹海にいることぐらいは把握できるかもしれない》

《まさかとは思うけど、大蜘蛛の死体の近くにいたりしないよね?》

《それは大丈夫よ。大蜘蛛も木乃伊も倒さずに3キロぐらい移動してから土の中に潜ったから》


 それで2時間45分もミカエラに見つからずにいられるだろうか? ミカエラの探知能力はレベル的に考えれば俺たちの6倍以上だ。大蜘蛛の死体を辿ったのだとしたら、ミカエラがエヴィー達までたどり着くのは結構早いように思える。


《下手に動くのも危ない。エヴィー達はそこにいてくれ。俺が引きつけ役になる。3人とも動くのはそれからだ》


 それでもまだ見つかっていない。だとすると、考えられる可能性は一つだ。俺は大蜘蛛を見た。


 犯人はお前だろ?


《大丈夫なの?》

《ああ、次はドジを踏まない。信じてくれ》

《分かったわ。じゃあまだここで大人しくしてる》


 美鈴と伊万里にも、その後声をかけて、 3人に最後に言っておいた。


《エヴィー、伊万里、美鈴。俺はミカエラと対峙して思った》


 アウラが死んだ。榊達の安否確認はまだだが、全員生きているとは思えなかった。そして魔眼病ミカエラが生きている限り死人が増え続ける。ミカエラはこれからも人の心を読んで、心が綺麗じゃないと勝手に言い出して、人を殺し続ける。


 だから、


《こいつは殺すべきだと。どうにかしてミカエラを殺すべきだと俺は思う。だから俺はその方法が見つかり次第実行する。3人とも協力してくれるか?》

《当然でしょ。ユウタが人殺しなら私も人殺しになるわ》

《祐太。私は祐太のためなら何でもするよ》

《うん。祐太。共犯者になってあげる》

《ありがとう》


 伊万里の答えは分かっていたけど美鈴もエヴィーも悩まなかった。俺はどうやら女運が良いらしい。でも実行は今じゃない。今実行しようとしても死んでしまうだけだ。確実に絶対に殺せるという時を作るのだ。


「【縛糸】」


 俺はその為にも今はミカエラを引き付けなければいけない。そのために今できることを移動しながら確かめていく。大蜘蛛が後ろでいきなりスキルを唱え出した俺に戸惑って振り向いていた。


「と、ごめん。ちょっとお前の主から与えられた力を使ってみたいだけだ。走りながらするから、そのまま先導してくれ」


 そう言うと安心したように、先導を再開してくれた。



 大蜘蛛の動きが止まった。足で示すように、あそこに居ると教えてくれる。俺は【隠密】を唱えた。【天変の指輪】と【美火丸の陣羽織】も装備している。


 本当は2つとも、クエスト中には、着けてはいけないはずなのだが、もはやそんなこと言ってられなかった。相手とのレベル差がありすぎる。逃げることすらできずに殺されかけたのだ。なりふりかまってる余裕は何処にも無かった。


「ふう」


 息を吐いて吸う。再びあの女の後ろ姿が目に入ると緊張で体が震えそうだった。



「奇妙ね。この死体、動かされてる?」



 ミカエラの姿が目に飛び込んでくる。富士の樹海の中であり、自殺者の白骨も見えた。ダンジョンはどうやら生きているもの以外は全て再現しているようだった。富士の樹海の中には死体がいっぱいあった。


 緑の魔境、青木ヶ原とも言われる場所。自殺者を探して歩き回れば一日四体見つかることもあるという。俺も学校での虐めに悩み、中1の時、死にたくなったことがある。その時、ここに来たことがある。


 夜のことだった。【暗視】なんて持ってなかったから、暗くてほとんど見えなかったけど、死んでいる女の人だけが薄ぼんやりと見えていた。太い枝にロープを吊るして今死んだところなのか、糞尿の匂いがした。


 あの夜、俺は中学に入ってまで池本と同じ学校になってしまいかなり悩んでた。これから三年間また虐められ続けることが確定したかと思うとかなり憂鬱だった。だから別に死のうとまで思ったわけじゃないのに、青木ヶ原に来ていた。


 でも女の人の死体を見て正気に戻ったんだ。だから女の人に頭を下げて帰った夜がある。けど、帰りの電車でその女の人が追いかけてくる。一生懸命一生懸命。死んでるはずなのに追いかけてくる。


 俺は一生懸命電車の中から逃げた。そして、それを見て思ったんだ。あの女の人は俺を助けてくれたんじゃなくて『こっちに来い』って言ってるって。


 だから、ここにだけは近づいちゃだめなんだと思った。


「邪魔」


 ミカエラは無造作に白骨を爆発させた。ミカエラが気にしているのは白骨の方ではなかった。大蜘蛛の死体だ。矢で貫かれて燃やされた痕もある。それは美鈴達が倒した大蜘蛛に違いなかった。


 ここは富士の樹海のように見えて、実際はそうではない。モンスターの死体は一日もあれば土の中に還ってしまうダンジョンの中だ。一日あれば土に還ってしまうものが、まだ残っているということは美鈴たちが倒した大蜘蛛に違いない。


 しかし遠目に見ている俺の目から見てもその大蜘蛛の死体はおかしかった。引きずられたような血の跡。


 そして、その血の跡を辿ろうとしても、途中で消えていた。理由は、目の前に居る大蜘蛛だとなぜかわかった。大蜘蛛が自分の仲間の死体をあちこちに移動させてミカエラを混乱させているのだ。



「死体が動くわけないのよ。誰かが動かしてると考えるのが妥当よね。だとすると、あの六条君を守っていた奇妙なアラクネか、パーティー仲間の仕業? いえ、人間がそんなに動き回ったら私が気付く。とするとアラクネ? どういうつもり? モンスターがこんな行動を取るのは見たことがない。さっきのアラクネ。どうせ心を読んでも私への憎しみだけだと思って殺しちゃったのがまずかったわね」



 探索者ならモンスターを倒すのは当たり前。でも腹が立った。



「いけないわ。あまりにも新人の子達が簡単に死んでくれるから、いつの間にか緩んでいたのね。六条君はDランとは別口よ。この時期にダンジョンに入り続けていた子よ。油断するなんてダメよ。でも、両足がなくなったら、もう治す手段なんて持ってるわけないわ。焦らずにゆっくり助けに来る可能性がある仲間を殺していけばいいのよ。そうね。そうすればゆっくりと2人だけの愛を育んでいける」



 声はギリギリで聞き取ることができた。ミカエラも警戒心が湧き出しているようだ。ミカエラにとってはたかが六階層でも気を抜いていると足下を掬われる。それぐらいのことは考えたかもしれない。


《ありがとう。もういいぞ》


 伝わるかどうかわからないが大蜘蛛に向かって【意思疎通】を飛ばした。それと同時に大蜘蛛がミカエラへと向かっていった。


 大蜘蛛の奴、何をする気だ?


 いや、そうか……。どうするつもりなのかなんとなく伝わってくる。お前たちはとことんまで主に殉じるんだな。俺はそれを理解したから、


【身代わり石像】


 を出す。


「うん?」


 ミカエラが大蜘蛛の動きに気づいてこちらを見た。


「え?」


 見えたはずである。大蜘蛛の後ろに居る俺の石像が。そしてミカエラはきっとすぐに大蜘蛛を殺す。だから【意思疎通】を飛ばしていた。


《逃げろ!》


「バン!」


 ここまで俺を案内してくれた大蜘蛛が、頭を爆発させるはずだった。しかし直前で回避行動を取る。そうすると大蜘蛛が本来いるはずの位置で爆発が起きた。大蜘蛛は俺の【意思疎通】で移動していたから無事だった。


《そのまま逃げろ。こっちはもういい!》


 大蜘蛛が本当にそのまま離れていく。言うことを聞いてくれたのか?


「アラクネの命令? あの気持ち悪い蜘蛛女まだいるの?」


 ミカエラは周囲を見渡した。


「それにさっき見た“六条君の石像”? 確か最後に四体運んでる大蜘蛛がいたわね。ここまで逃げた大蜘蛛がいたってこと? ああ、もう、それなら今の大蜘蛛を逃がさなきゃ良かった。追いかけようかしら? でもこの辺って大蜘蛛だらけなのよね」


 さすがに六階層でうろついてる探索者がエリクサーを持っているとまでは思わなかったようだ。だから、この石像を俺が今造ったとは思えないんだ。俺はもう一度息を吸ってから吐き出した。そして、心を決めた。


 俺は自分の声を大きく発した。


「随分と独り言が多いなミカエラ」


【身代わり石像】から離れて、比較的太い木の枝の上に立っていた。


「え?」


 初めてミカエラの顔に戸惑いがうかんだ。これから俺はこいつの傍にずっといる。どれぐらいそうするのだろう? 10日間だろうか、20日間だろうか? それで死ななかったら本当に奇跡だ。


「嘘でしょ? 足がなくなっているはずよ」

「ミカエラ。お前は人を殺しすぎて誰も寄ってきてくれないから寂しいんだろう? 寂しさを紛らわすために独り言が多くなるんだ。違うか?」


 俺はこいつを殺してみせると覚悟を決めた。そしてもう誰も殺させる気はなかった。だからまず彼女の注意が俺にすべて向くようにしなければいけなかった。

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