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第百十七話 Sideアウラ

 人間と呼び続けていた。私たちが人間の男を名で呼ぶ時は、かなり特別な意味がある。だからロクジョウユウタと呼ぶわけにもいかなかった。今から考えれば、そんな事にこだわらず、さっさと名前で呼んでいればと思った。


《おい、おい》


 言われた通り身動きひとつできず【意思疎通】で呼び掛けることしかできなかった。今この場で身動き一つでも取れば、万が一にも助かる可能性がなくなってしまう。なにせ、あの女はまだ去っていない。


「さて、どこに居るのかな?」


 でも、助かる可能性もおそらくなかった。あの女から全然逃れられていないし、何よりも瓦礫の下に隠れているだけである。ロクジョウユウタを抱えて、それ以上、逃げることができなかったのだ。


 彼の無くなった足の付け根からは、とめどなく血が流れ出ている。背中もかなり傷ついていて、そこからも血が出ていた。


 でも、私は怪我をしていない。


 背中に生えた蜘蛛の足が欠けたぐらいで、ロクジョウユウタのダメージとは比べるべくもなかった。


《このバカ。自分だけなら逃げられたかもしれないのに、モンスターなんかを庇って死にかけてどうする?》


 足がなくなっているために血が止まらない。このままでは死んでしまう。それは嫌だ。どうしてそこまで嫌がるのか、うまく言語化できなかった。だが、きっとアラクネとはそういう生き物なのだ。


 ゴブリンほど繁殖力も強くないのに、雄がいない欠陥生物(アラクネ)。それ故に決して実ることのない。ただ利用されて終わるというのに、人間を好きになる。きっと人間に憧れているのだ。だからこんなに出会ったばかりの相手に……。


「隠れんぼ? ダメよ。私は見つけるのも得意だから」


 やはりダメだ。見つからないわけがない。怖い女がもうこちらに気付いたみたいだった。せめてこの男だけでも守る方法はないだろうか? 近くに呼び寄せていた大蜘蛛も木乃伊もほとんどすべて消し飛ばされてしまった。


 生き残っているものも満身創痍で動けるような状態ではない。


「どうして、そんなところに隠れているの?」


 怖い女はもはや慌てる必要もないとわかっているのか、ゆっくりと歩いてくる。足音で近づいてくるのがわかる。私は相手の様子を確かめたかった。でも動けない。見つかった時点でアウトだ。


 とにかく見つからないように動かない事しかできない。大きなコンクリートの瓦礫の下に隠れていた。瓦礫が女の細腕であっさりと持ち上げられてどけられた。見上げると華奢な女の子の姿があった。可愛い少女。こちらを見て、


「バン!」


 右眼の爆眼というものが赤く光っていて、私の頭が吹き飛ばされる。自分の頭が爆散したことがわかった。


「何だったのかしらこの気持ち悪い蜘蛛? 本当、邪魔」


 殺された。


 頭が原形をとどめていないのならば、体はもう再生できない。


 そこから100メートルほど離れたショッピングモールの二階から、私はその様子を見守っていた。私は一つだけロクジョウユウタに嘘をついた。私の予備の体は確かにあの場ではもうなくなっていた。


 しかし、アラクネは首を斬られただけではすぐには死なない。


 アラクネという存在そのものが、生命力が強く、致命傷でも一時間ぐらいなら生きている。だから大蜘蛛と木乃伊たちを使って、損傷の少ない体の部位を合わせて、人間たちがこのダンジョンに残したポーションを使い、密かに再生させていた。


 なんとか完全に再生できたのが三体。


 後の体はロクジョウユウタの攻撃には燃える属性もあり、再生できなかった。だから三体の私が、付かず離れず、ミカエラの探知範囲の中にだけ引っかからないように気をつけて、何かあれば、かけつけられるようにと見守っていた。


 でも、今まで私だったものが頭を失い横たわっていくのを見ているしかなかった。あの女はロクジョウユウタの顔を持ち上げて自分の方へと向けた。そして意識のないロクジョウユウタに向かって口を開いた。


「ずるい」


 可愛く頬を膨らませる。この状況でなければ愛らしく、それ故に、おぞましかった。


「あなたの周りには、どうしてそんなにたくさんいるの? 私とあなたは同じはずなのに、私の周りには誰もいない。デビッド君もマーク君もクリスちゃんもアンナちゃん小春ちゃんも、古見君も仁也君も……。それに、大蜘蛛も木乃伊もアラクネも、みんな私のことは嫌いなのに、あなたのことはそうじゃない」


 あの女がロクジョウユウタに怒っているのかと思えた。


「私とあなたは同じなの。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それなのにどうしてこんなに不公平なの? 同じなんだから、結果だって同じようにならないと不公平よね?」


 その可愛い顔が笑い出す。


「うふふ」


 とても愛らしい笑顔なのに、死にそうな同族の男を見ながら笑う姿はどこか壊れているのだと思えた。


「祐太君。死んじゃダメ。私、決めたの。その姿なら抵抗できないでしょ?」


 怖い女は胸元から一本のポーションを取り出した。


「二年ほどの間、私、家で大人しくしてて、ずっと考えていたことがあるの。どうして私を好きになる人が全然現れないんだろうって」


 そんなものは決まってる。一方的に自分の感情をぶつけてくるだけだからだ。


「でも分からなかった。みんな私のことを『化け物だ』って思うだけだから分からなかった」


 きっとみんな最初からそうではなかったはずだ。化け物だとみんなから思わせたのは、お前だろう。


「でもね。最初から私を好きじゃなくても、一緒に愛を育んでいけばいいって気付いたの」


 それは、少しだけ、この女にとっての成長だったのだろうか?


「だから死んだらダメよ、祐太君。足がないんじゃ生きて行くのが大変でしょう。私が大事に大事に祐太君を育ててあげる。あなたはきっと私なしじゃ生きられなくて、私のことを好きになるわ」


 私にはその女がとても禍々しく見えた。


 ミカエラはその場に座り込んだ。そしてロクジョウユウタの頭を自分の膝の上に優しく乗せて、自分の口にポーションを含んだ。ロクジョウユウタの唇と合わせると、口移しでゆっくりとポーションを飲ませていく。


 その全ては本当に恋をしている少女のようにも見えた。


 それなのに、悪意に満ちていた。


「うん。傷口が塞がってきた。足がないことだけは残念でしょうけど、大丈夫だから、少しここで待っててね。小春ちゃんが言ってたの。美鈴ちゃんにエヴィーちゃんに伊万里ちゃん。顔だってバッチリ覚えてるから、全員殺してきてあげる」


 何かがおかしくなっているんだ。トロンとした瞳で、ロクジョウユウタの顔を見つめて、


「そうよね。どうして思いつかなかったのかしら? 心の綺麗な人や、私を愛してくれる人がいないなら作ればいいのよね? ほかの邪魔なもの全部殺しちゃえば2人だけじゃない」


 怖い女は、もう一度ロクジョウユウタと唇を合わせると、どこにいるのかもわからない相手を探して、姿を消した。



 あちこちにいる眷族達からの連絡であの女が、3キロ以上離れたことがわかった。私は急いでロクジョウユウタのそばへと近づく。


《待っていろ。すぐに再生させる》


 私は大蜘蛛に持ってこさせたペットボトルに入った水を手に取った。そしてロクジョウユウタの口を綺麗に洗い流してやる。そうしてから言われた通り、マジックバッグの中に手を入れ、赤い瓶に入っているエリクサーを取り出した。


 あの女のようなキスではなく、少しだけ口を開けて、赤い瓶を唇にあてた。


 ゆっくり液体を流し込むと同時に、体の再生が始まる。あの女のポーションで、中途半端に傷口が塞がっていただけだったのが、不思議なことにニョキニョキと足が生えてくる。それは見ていて気分のいいものではないけれど、ロクジョウユウタの体が再生した事にはほっとした。


《これで大丈夫だな。しかし……》


 ロクジョウユウタの足を見ると綺麗に再生はしているが、その足には装備がなかった。いくらエリクサーでも装備まで再生してくれない。人間たちがよく専用装備と呼んでいた物。おそらくロクジョウユウタが装備していたのはそれだ。


 この装備が一式揃っている人間ほど強い。それは経験則からよく知っていた。しかし、履物とすね当ては完全になくなっているし、胴鎧と籠手もかなり傷ついていた。これは相当な戦力ダウンだろう。


《この装備はあれだよな?》


 私はそれと似たものをダンジョンとは別の場で見たことがあった。


人魂(じんこん)装備……》


 それは造り出すのが非常に難しく、本来は専用装備などというもので、大量に出回るものではないはずだった。


《人魂装備なんてもの私では修復できない。修復できる者がいるとすれば、それは……》


 あの存在しか居ない。しかし言うことを聞いてくれるだろうか? 甲府の六階層を任されてはいるが、最初に出会ったきり、見たこともない存在。


《ダンジョン……》


 そう。ダンジョンから出てきたものを修復できる存在がいるとしたら、それはダンジョンしかいない。私は一応、甲府ダンジョンの六階層を任されている。と言ってもここのシステムを理解しているわけではない。


 ただ人間がここに入り続けている以上、ダンジョンから与えられた役目に従って、それを毎日こなしているだけだ。たまに問題は起きるが、それをダンジョンに問いかけたところで答えが返ってきたことはなかった。


 きっと返事がないのは私がアリの存在を気にしないのと同じだ。ダンジョンもアリから声を掛けられても困るというものだ。それでも一応ダンジョンへの直接アクセスは認められていた。だから、私は自分のステータス画面を開いた。


 そしてダンジョンへのアクセスコード入力画面を開く。


【契約獣アラクネ。個体名アウラより申請】


 いつもダンジョンから返事がないことに不満はなかった。ダンジョンは私より遥かに上の存在だし、私はダンジョンがなんという名前を持つ存在なのかすら分かってなくても、私の毎日には特に支障がなかったからだ。


【申請受諾。申請内容を述べよ】


 しかし、今日のその時だけはやけに早く返事があった。それは機械的ではあったが、最初に聞いたダンジョンの声に違いなかった。私は途端にあの怖い女と対峙するよりも緊張した。何かとても巨大な存在に、直接見られている気がした。


 私は体の芯が震えるのを感じながら、いったい誰に対して発しているのかわからない【意思疎通】を送った。


《ロクジョウユウタの専用装備にいちじるしい破損を確認。再生させたい。こんなことを私があなたに望むのはおこがましいことかもしれないが、できれば必要になる対価を教えてほしい。そしてあなたに修復を実行してもらいたい》


 ダンジョンに見られる。それは急に自分がちっぽけで矮小な存在になったような奇妙な感覚がした。口を開くことすら、はばかられる。それでも私は望みを伝える。どうしてもロクジョウユウタをあの女の好きにさせたくなかった。


【了。専用装備名美火丸を元通りすべて再生させるのならば、個体名アウラの肉体すべてを対価として提供する必要がある】


 怖い女はロクジョウユウタのパーティーメンバーを殺しにいった。だとすると気絶から目覚めれば必ずロクジョウユウタはあの女を追いかけるはず。しかし、前よりも弱体化している状態で追いかけても無駄だ。


 今度こそ殺される。いや、それで済めばまだいいが、あの女はかなり不安定に見えた。自分の意に沿わないことをロクジョウユウタがしたと分かればきっと酷いことになる。だからせめて装備だけでも復活させておいてあげたい。


 そしてそれを実現させるためには、対価が必要だ。


 人魂装備とはそういうものだと聞いていた。



『あれは禁忌の装備。人の魂を依り代に生み出されるもの。全ては対価によって出来上がっているもの』



 あれは誰が教えてくれたことだっただろう。


《そうすればロクジョウユウタはパーティーメンバーのために囮となって逃げることができるのか? その際にあの女に捕まらないことは可能なのか?》


 本来ならこんなこと質問したところで答えの返ってくる存在ではない。しかし、()()()()()()()()()()()


【不可能。レベル差が開き過ぎています。万に一つもその可能性はありません】


 ちゃんと教えてくれた。


《ではロクジョウユウタがあの女に捕まらない方法は何かあるか?》


 それにもダンジョンは答えてくれた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その場合、魔眼病ミカエラから逃げるだけならば実行できる可能性高】


 私の魂を提供する?


 そうすればロクジョウユウタの装備強化ができる?


 ダンジョンが言うのだから、それは恐らく間違いがないのだろう。そうすれば、ロクジョウユウタはあの女を引きつけて、尚且つ、逃げることができる。


《魂を……》


 私はロクジョウユウタの顔をもう一度見た。とても綺麗な顔をしている。私はロクジョウユウタの顔が綺麗だから、気に入っただけなのだろうか?


《いや》


 顔が綺麗だったことがきっかけだったとしても、それだけではないと思う。私のような欠陥生物を助けようとして死にかけているこの男。この男の魂も気に入ったのだと思う。



『私たちって変だよね。欠陥生物なのにより好みが激しいの。ゴブリンみたいに誰でもとかは無理。好きな相手としかしたくない』



 私の気に入ったこの男の魂は、あの女に奪われる。パーティーメンバーもそしてこれからの人生もすべて。


《でもそうならなければ、お前は、きっと、もっと輝ける。だから……》


 魂をささげる。


 なんとバカな選択だろう。


 完璧な種族。人間の女が聞けば、誰もがバカだと笑うのだろう。


 だが私はそうしたいのだ。


 アラクネとは……。


《ダンジョンへの申請。個体名アウラは種族本能に従い、六階層管理者権限を放棄する。交代するものを用意してくれ。それと同時に美火丸の強化を申請する。代替物質として個体名アウラの魂を提供する》

【六階層管理者の交代要員を検索。該当者9名。うち9名了承。一名を選択。六階層管理者交代要員決定。確認する。個体名アウラは美火丸強化のために魂の提供を行う。その後、魂は消失する。輪廻転生の輪の中に還ることもなくなるが、これに異論はないか?】

《ない。アラクネとはそういう生き物なのだ。愚かな種族だと笑いたければ笑ってくれ》


 こんなことダンジョンに言ったところで何の返事もないのだろう。


【いえ、あなたは美しい】

《?》


 奇妙な声が聞こえた。ダンジョンというものは何の感情もないシステムだと聞いていた。しかし、今の言葉は明らかに感情が垣間見えた気がした。


【これより本件を実行に移します】


 私がそれを確認することはできなかった。


 ダンジョンのその言葉とともに、私の体の中から何か大事な物が消えていく感覚がした。足から先が徐々に消えていく。それと同時に美火丸の装備が復元されていく。それは以前と少しだけ色が違った。それだけが自分が生きた証だと思う。


《お前の名をちゃんと聞いておけばよかったな》


 ロクジョウユウタ。この国の人間には漢字というものがある。名前にも漢字が使われている。だからどうやって書くのか知っておきたかった。


【六条祐太】


 願っていたらダンジョンが教えてくれた。

 自分の意識もなくなった中、その言葉だけが最後に残った。

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― 新着の感想 ―
涙が…
誑しスキルが異種族の心も掴んだか 姐さん… これで専用装備の封印も解けるのかな
良いエピソードだった!
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