第百十五話 アラクネ
ダンジョンに再現された甲府の農村。その家屋で火災が起きていた。昔ながらの日本家屋が凄まじ勢いで天高く炎を吹き上げる。それは大火となり、消防署はあれども消防士のいないダンジョンの中では、さらに勢いを増していく。
「なんだか悪いことしてる気分になってくるな」
その火をつけているのは俺だった。魔眼病に古見パーティーが殺られたと聞いてから、ずっとそうしつづけており、半日で三つほどの村や街を燃やしている。夜が訪れ、俺の通り過ぎた家がことごとく崩れ落ちていた。
傾きかけていた太陽は地面の中に沈んで、星々が照らす夜空のはずが、黒煙が空をふさいでいた。
「それにしてもなぜモンスターが向かってこないんだ?」
そして奇妙なことがあった。モンスターがずっと奇妙な行動をとり続けていた。モンスターだって次々と自分たちの住処を燃やしていく存在を面白いと思えるわけがない。それでも襲いかかられることがなかった。
そう。俺は最初の戦闘をしてからこっち、モンスターと戦う事が無かった。それは、かなり異様なことであり、明らかに意図を感じるものだった。
「魔眼病だけでも手に余るのにモンスターまで変なことをするのか……」
探索者同士の争いとモンスターはなんの関係もない。だからモンスターはモンスターで、今まで見たこともないような行動をとっていた。
《ユウタ。あなた何をしているの?》
そんな時、エヴィーから【意思疎通】が届いた。俺はできるだけ仲間がいる地域から離れていた。そしてエヴィーと美鈴はダンジョンが再現した富士の樹海を探索している。だから、エヴィーは俺の異常行動に気づくのが遅れた。
《エヴィー。俺は魔眼病に見つかることにした》
そう。俺の目的は魔眼病に見つかることだった。古見パーティーがあまりにもあっさり全員死んだと聞いたとき、俺は正直怖くなった。ひょっとすると俺たちもあっさり殺されるんじゃないかと思って怖くなった。
《何を言ってるの?》
《言葉のままだよ。エヴィーたちはその間にどんどん探索とクエストを進めてくれ。魔眼病だってこんなに大火事が起きていれば、まずこっちを確かめにくるはずだ》
《落ち着きなさいユウタ。そんなことしたらあなたが死んじゃうじゃない》
《これでも落ち着いて考えた結果だよ。魔眼病に見つかったら本当に殺されるかもしれない。だったら最初から見つかるつもりで、俺が引きつける》
《じゃあ、あなたに危険なことを任せて、私たちは安全な場所で探索をしろと言うの? 納得できないわ》
そしてエヴィーの聞き分けが悪かった。美鈴はというとエヴィーと一緒に探索はしているが、探索に特化したスキルを持っているので、こっちの事態に先に気づいていた。
『祐太はそれが一番いいと思うんだね?』
『ああ、ほかの方法だと、どれだけ考えてみても絶対に誰か死ぬと思う。誰も死なないためには、こうするしかない。美鈴はできるだけ早く、階段とドワーフ工房を見つけて七階層に降りられる状態にしてくれ』
『祐太。あのね……』
美鈴は何かを言おうとした。でも、今も、【意思疎通】を繋いだまま黙ってしまっている。【天脚】を併用して空からも探索している伊万里もとっくに大火事に気づいて連絡してきていた。
『祐太。無茶してもいいけど、分かってるね?』
『ああ、俺が死んだら伊万里も死ぬんだろ?』
『うん。分かってるならいいよ。頑張ってね』
伊万里は相変わらず聞き分けがいいのか悪いのか分からない女の子だった。
《エヴィー、納得してくれ》
《いやよ!》
《俺、古見さんって人達をちょっとだけだけど知ってる。全員死んだって聞いた時、ちょっと知ってるだけなのにかなりショックだった。これで、もしも、エヴィー達三人のうち、誰かがそんなことになったら、って思ったら、足から力が抜けそうになった》
《それは私もよ。あなたが死んだりしたら探索者を続けていく自信がないわ》
《エヴィー。魔眼病はすぐにでも六階層に降りてくる。俺たちがレベル100に到達する三ヶ月間。その間に見つからないなんてこと無理だろ? 誰かがこの役目をするしかない。それなら俺が一番、素早いんだからするべきだ》
《ダンジョンの中は広いのよ。おまけにこの階層は障害物も多い。向こうのレベルがいくら高くたってそう簡単には見つからないはずよ。それに私たちのことなんて気にせず、そのまま下に行くかもしれない》
『六条君。最後に殺されたらしい仁也から伝言だ』
「なぜなのかは知らないが六条。こいつはおまえを狙ってる。とっとと逃げろ。こいつは人の心を読む。誰かお前の知り合いが心を読まれたに違いない」
『だそうだ』
京極さんがそう言っていた。誰かがもう死んでるのだ。
《いいや、レベル200の探索者の能力を甘く見ちゃいけない。探索に特化したスキルを持ってなくても、鋭敏になった五感で100m離れた人の心臓の音ですら聞こえるって話だ。誰かが必ず見つかる。だから、まだ生き残れる可能性が一番高い俺が見つかる》
《でも!》
《俺はできるだけ早くこの階層のレベル限界42まで到達する。そうしたら【天変の指輪】を装着する》
魔眼病が、魔法ジョブ寄りだった場合、近接ジョブの中でも素早さに特化している俺が、【天変の指輪】を装備することで、おそらく逃げられる。俺はその説明をエヴィーに聞かせた。
《それじゃあクエストはどうするの?》
《それは、もう、これもクエストの一環。そうダンジョンがとらえてくれることを祈るしかないね》
【天変の指輪】は南雲さんがくれたサファイア級の装備である。俺たちではまだ想像もつかない50階層にあるガチャから出てくるアイテムだ。そんなものを使って攻略なんてした日には、間違いなくステータスにマイナス判定がつく。
だが今のこの状況は非常に特殊で、魔眼病から逃げるためだけに使うのならおそらくダンジョンは文句を言わない。ただ、それをクエストの一環としてダンジョンがとらえてくれるかどうかは、祈るしかない。
《祈るってあなた……》
《エヴィー、この方法だけどね。不思議とこれだけのことをしてたのに、モンスターが全然寄ってきてなかったんだ。でも、今、わらわらと寄ってきてるよ。アラクネも結構いるみたいだ。戦いに集中したい》
《……死んじゃダ――》
俺はぷつっと【意思疎通】を切った。両端に田園風景が広がる道路を走っている。俺が燃やした家々の黒煙が空を覆っていて夜を余計に暗くしていた。その炎の隙間からそんなに居たのかというぐらい大蜘蛛と木乃伊が1000体程。
そして背中に八本の脚を持つ綺麗な女が30体程、こちらへとまるで津波のように急激な速度で押し寄せてくる。それは俺がこれから向かおうとする方角からも湧き出た。完全に周囲を包囲される。
このままゾンビの時のように数の力で攻撃されるのかと身構える。だが、モンスターの津波は俺から100mほど手前で停止して、背中に八本の蜘蛛の脚を生やした美しい女が、二本の足で歩いて俺に声をかけてきた。
《人間。そんなにあちこち燃やしてどうするんだい?》
「【意思疎通】? 」
頭の中に直接響いてきた声に違和感を感じた。
《私たちアラクネは人語を理解できるがお前達と発声器官が違う。お前たちと喋りたければ【意思疎通】を使うのが普通だよ》
「なるほど」
アラクネと呼ばれるものたち。光沢のある紫色の甲殻に守られて、装甲はかなり硬そうだった。人間と同じ体があり、見た目は人間と変わらない。人間と同じような足と手が生えているし、胸もお尻もある。
ただ人間と違い、背中に甲殻で覆われた八本の蜘蛛の脚が生えている。金色の瞳で白い肌をしており、綺麗と言って差し支えのない容姿をしている。人間で言えば、20代後半の大人の女といった感じだ。
それがずらりと30体いるように見えた。その後ろにはどこからそんなに湧いてきたかというほど、大蜘蛛と木乃伊が、地面を埋め尽くす程に群がっていた。農村から移動してきて開けた道路の真ん中でのことだった。
遠くに見える家々は俺の燃やした炎に包まれて、それは異様に黒くて、煙はこちらの夜空までおおっていた。
《人間。どうしてこんなことをする? これだけ派手なことは、間引きのやつらでもなかなかしないよ》
「こっちにも事情があってね。それよりも俺からしたら、お前たちの方がよく分からないな。どうしてこれまで襲ってこなかったんだ?」
《知りたい?》
アラクネは俺の行動に怒っているようではなかった。ただ、こちらのことを微笑を浮かべて見ていた。
「喋るのは一人なんだな」
木乃伊や大蜘蛛がしゃべらないのは分かる。でも、アラクネの周りに同じ個体が29もいる。それらの個体が一切言葉をしゃべらず、こちらを同じような微笑で見つめてくるのが、視姦されているようだ。
《私たちは個にして全というやつさ。全にして個。つまり全ての私たちは私なんだよ》
「お前……たった一人がすべての個体を動かしているのか?」
《正解。そして人間。準備は万全だ。大人しく狩られておくれ》
なるほど。面倒そうな人間が降りてきたから、準備が整うまで襲ってくるのを待っていたというところか。
《私のように綺麗だとお前たちは攻撃が鈍るだろう?》
「いや、背中の蜘蛛の脚が気持ち悪いとしか思わないな」
俺の言葉のどの部分に腹を立てたのかわからない。それでもアラクネが怒ったように見えた。
《【斬糸】!》
アラクネの背中に付いた八本の足がうごめき出して、そこからとても見えにくい糸のようなものが伸びた気がした。体中に悪寒が湧き上がる。
「【焔鳥】!」
飛ぶ炎の斬撃を放った。どこから糸の攻撃がくるのか見えなかった。だから、いつもよりも大きく回避行動をとりながら、アラクネが自分を守らなければいけなくなるように本体を攻撃した。
《判断は悪くないよ! でもこっちは私だけじゃないのさ!》
大蜘蛛よりも更に速く他にも29体いたアラクネが動き出した。その動きは一つの意思によって統一されているというのがよくわかった。10体がこちらに向かって直進してきて、10体は背中の足の先から糸が飛び出す。
綺麗に編み込まれていくその糸が、俺の周囲にドーム状の蜘蛛の巣をどんどんと形成していく。残りの10体はドーム状の蜘蛛の巣を這い、俺を全方位から取り囲む。そして、
《《《《《《《《《《【斬糸】》》》》》》》》》》
こちらに絶望感を与えるのが目的なのだろうか? わざと【意思疎通】でスキル名を伝えてくる。見えない攻撃が全方位から襲い掛かって来ているはずだった。その証拠に道路がバターのようにスライスされて何かが近づいてきている。
「【炎流惨】!」
俺は自分のスキルを敵に放つのではなく、自分自身の周囲を取り巻くように放った。超高温の炎の柱が立ち上り、俺の体の周りを包み込んで、そして炎の盾となって守った。【炎流惨】の超高温に蜘蛛の糸は負けたはずだ。
《そう。その炎が厄介だって思ったよ。人間。それはあと何発打つことができるんだい?》
まるでそれが尽きるのを待っているようだった。
《何発だっていけるさ》
さすがに完全に炎に包まれた状態で口を開くことができなくて、こちらも【意思疎通】で伝えた。
《下手な嘘だね。今まで見てきた人間で、そんなのは一人もいなかった。特にこの階層を“ちゃんと探索”に来ただけの人間なら、その規模のスキルは適正レベルを越えているはずだよ》
《どうだろうな》
《ねえ人間。かなり早く限界がくるんだろ? 限界がきたらそれで終わり。知ってるんだよ。徐々にSPが尽きてきて、悲壮な顔になっていくお前たちのことを》
その言葉で理解できた。こいつは“この狩りに慣れている”。きっとこいつは俺がこの階層に降りてきて最初に戦ったあの旧家での戦闘を見ていたのだ。そして俺の戦いを知り、そこから自分たちにとって俺が弱い状態で放置しておく。
《お前たち、賢いな。さしずめ、大蜘蛛や木乃伊を各個撃破して俺のレベルが上がることを避けていたというところか?》
《そうさ。レベルが上がると傷つけずに捕らえるのが難しくなるんで、そうしてるんだけど……、お前さん妙に強いね?》
すべてのアラクネが、相打ちを避けるためなのか、ドーム状の屋根の部分に吊り下がって、
《《《《《《《《《《【斬糸】!》》》》》》》》》》
だが、【炎流惨】の炎で全て俺に届く前に燃えてなくなる。向こうも無限に放てる技ではないと思う。だが、こちらのSPが尽きるのを待つぐらいの消費しかないのだろう。何よりも10体が唱えているだけである。
あと20体は油断なくこちらを見ているだけだ。もし10体倒せたとしても、すぐにまたおかわりがくる。【炎流惨】の炎が俺の周りから消え、間を開けることなくアラクネが次のスキルを唱える。前のスキルとそれは違った。
《《《《《《《《《《【縛糸】》》》》》》》》》》
【縛糸】
【意思疎通】で伝えられたから漢字までよくわかった。字面からして俺を捕らえるつもりのようだ。さては後でゆっくり食べるつもりか。先ほどよりも太い白い糸で目に見える。食べられるわけにはいかないから再び【炎流惨】を唱えた。
炎の柱が立ち上り、強烈な熱に包まれながら思う。
このまま同じことをしていたら負ける。
アラクネの言葉は当たっている。【炎流惨】は俺のレベルからするとかなり上のスキルだ。余裕で唱えられるようなものではないし、本来のレベルよりも上のスキルは、本来使うべきものではない。
《アラクネ。一つ聞いていいか?》
《なんだい?》
《お前たちみたいな賢い存在もダンジョンが生み出したのか?》
《すまないね人間。それは教えられない約束なのさ》
その言葉はラストが残した言葉と似ている気がした。
【炎流惨】の炎が俺の周りから消え、【韋駄天】を素早く唱える。
どちらも本来の俺のレベルでは唱えてはいけないようなスキルだった。だから体に負担がくる。この状態だと、かなり体に堪えるものがあった。それでも歯を食いしばり、アラクネに向かって抜刀する。向こうがまた違うスキルを唱えた。
《【瞬足】!》
面倒なスキルを唱えられた。 【瞬足】は【加速】のすぐ上のスキル。本来【韋駄天】はその次に来る上位スキルで、俺も【瞬足】は唱えることができる。というのも上のスキルが生えると、その下位スキルを唱えられるようになるからだ。
おそらく俺の素早さはアラクネと同等か少し下ぐらいのはずである。レベルはあの旧家で一つだけ上がったから、29。俺のレベルアップの質は仁也よりもかなり上であることが確認できているし、仁也たちはこの階層をクリアできている。
「うん?」
仁也達はこの下の七階層まで降りていたんだ。おそらく五人で固まって動いていたとは思うが、同じ事をしてきたこいつに勝てたんだ。
「【焔鳥】!」
一瞬、アラクネの顔が目に入る。金色の瞳をしていて白い肌。美しい女の姿だが、それでも迷うことはなかった。【焔鳥】の炎の刃が飛んでいく。アラクネのその綺麗な顔を捉えて、二つに分断してしまう。完全に股まで裂けて燃えた。
《ああ、一つ殺された。ひどい男だ》
《抜かせ!》
一体を殺されたことで、前に出ていた個体すべてが同時に二つスキルを唱えた。
《《《《《《《《《【瞬足】》》》》》》》》》
《《《《《《《《《【縛糸】》》》》》》》》》
俺の体が技の後に硬直したのを見て唱えてる。しかし、まだ【韋駄天】の効果は切れてない。硬直が解けたのは、アスファルトの切れ目が、俺の足元まで到達しようとした直前。
「【蛇行四連撃】!」
無数に俺を包み込もうとしてくる蜘蛛の糸を斬り裂く。残り29体いるが、実際に戦いに参加するのは常に10体。
《無駄だよ。お前はかなり強い。でもこれは私たちが使う伝統的な狩りの方法でね。失敗するのはよほど上のレベルをハントしようとしたおバカさんだけさ。この階層に挑戦するぐらいの人間が、この罠に嵌められて、逃げられたなんて聞いたことないよ》
焦らない。確実に一つ一つ減らしていく。二体の首に近付き【蛇行四連撃】を放つ。アラクネの首が二つまとめて宙を舞う。なぜか調子が上がってきて体がどんどん軽くなる気がした。これなら全部殺せる。
アラクネの綺麗な体が地面に血を流し倒れている。相手はモンスターであり、人間ではない。自分にそう言い聞かせて、集中しろと、相手が女であることなんて気にするなと【焔鳥】で、後ろにいたアラクネを斬り殺す。
《だから無駄だって言ってるだろ? こっちはまだ26体だよ》
《【炎流惨】》
自分に向かってではなく蜘蛛の巣の天井に向かって広がるように放った。その炎の柱は荒れ狂う。アラクネが【瞬足】を使って逃げようとするのを追いすがる。炎から逃れることができず六体のアラクネが消し炭になった。
《人間!》
《なんだ?》
《生きて綺麗なまま捕らえたいから手加減してあげてるんだよ! あんまり調子に乗ってると本気になるよ! 死にたいのか!?》
《いいや、お前たちに負けてしまうようじゃ先がない。そう思っているだけだ》
そうすると相手の瞳が、今までの余裕だったものから鋭いものへと変わっていく。『死にたいのか!?』とは滑稽な言葉を使ってくれる。どうせ殺すつもりだろうに!
《《《《《《《《《《【斬糸】!》》》》》》》》》》
見えない糸の攻撃。でも本当に見えないわけじゃない。それは必ず存在している。
「【瞬足】」
【韋駄天】は唱えなかった。あまり唱えると疲労感が絶え間なく襲ってくるようになり、集中力がなくなる。それではこの敵をあと20体も倒せない。集中しろ。見えるはずだ。この階層で、本来、手に入れられるスキルで必ずこいつは殺せる。
暗闇の中、本当に隙間もないほど細かく放たれた人を斬り裂く糸の刃。俺はそれを見た。なぜか目まで良くなっている気がした。人間が入るほどの隙間がある。ギリギリでよける。多少は当たってしまうが、美火丸が守ってくれた。
そして踏み込む。
《避けた!? どうやって!?》
お前は確かに強いよ。でも、自分の戦術に自信を持ちすぎなんだ。俺はずっとお前の動きを観察しつづけていたよ。お前、いや、お前達はきっとこの戦法が上手くいき過ぎた。
美火丸でアラクネの首を刎ねる。
だから上手くいき過ぎたことにこだわってしまう。
《どうして俺が【斬糸】を避けたか分かるか?》
《《《《《《《《《《【斬糸】!》》》》》》》》》》
だから同じことをしてしまう。隙間を見つける。必ず同じところに隙間が空いてるんだよバカ。あまりにも狩りをシステム化しすぎたな。俺は【韋駄天】を使わずに避けた。
《どうして? なぜ? 向こうは私と同じ【瞬足】しか唱えていない……》
アラクネはきっと同じことを何度も練習したんだ。だから攻撃パターンが似ている。慣れてくると【瞬足】で十分対応できた。綺麗な女をまた一体殺した。できるだけ感情は出さないように、アラクネという女の首を狩っていくのだ。
《ま、待て人間。何かがおかしい。こんなはずじゃない》
「悪いが待てない」
そしてアラクネはこちらを恐怖だと思った。俺を怖がっているのがわかる。すると余計首が狩りやすくなった。俺にビビったお前の負けだ。綺麗な女の首が次々と飛んでいき、そして最後の一体にまで追い詰める。
《あ……まさか。パターンを掴まれてる?》
最後になって、ようやくアラクネは気づいたようだった。
「ああ、お前たちに夜襲をされた人間は動揺して、ほとんど自分の身体能力を活かすことができずに捕らえらえる。だからお前の攻撃は、いつ頃からかパターン化してしまったんだ」
《人間よりも賢いつもりでいたのだが……》
「思考の罠と言うそうだ。思い込むと、そこから抜け出せなくなる。そして気づいた時には詰んでるんだ」
俺にも経験がある。虐められていた時、虐めている相手には絶対勝てないと思い込んでいた。でも実際はそんなこと全然なかった。気持ちで負けているだけだった。
《なるほど、私は経験不足だったということか。まったく。初めては予想外のことが起きる。とは言われてたけど本当なんだね。でもきっとこれは飛び切りだ。この罠を一人で破る人間なんて、誰からも聞いてないよ》
「ここでお前を殺せば、お前は死ぬのか?」
《そうだね。あんたはちょっと強いと思ったけど、間引きの奴等じゃないことだけは確かだったから、ハントに失敗するとは思ってなかった。だから予備は残してこなかったよ。やれやれ、20歳で死ぬとか意外と早い人生だったね》
「そうか……捕らえた探索者をどうしてる?」
俺の中には目につく人たちはできるだけ助けたいという思いがある。この罠はやばい。きっと引っかかってしまう探索者がたくさんいるだろう。美鈴達にも手口を教えるし、まだ殺されていない探索者がいるなら助けてあげたい。
《なんのことだい?》
「惚けるな。探索者を片っ端からこの罠に嵌めてるんだろ?」
《人間。私たちアラクネはハントを生涯に一度しかしないよ》
「生涯に一度?」
《ああ》
「人生で一度しか人を殺さないのか?」
《うん? ああ、そうか。分かっているものと思ったがお前は——。と、喋れないのか。まあ気にするな。ハントに負けたアラクネが男に殺されるのはよくあることだ。でも、あまり痛くしないでおくれ》
アラクネは覚悟を決めたように目を閉じた。
なんか……。
なんか殺しにくい……。
実に厄介である。女の首を狩り続けるのは気分がめげること間違いなしだった。先程までと違い本当に死ぬとなれば尚更だ。そして実際問題、そんなことをしている暇もなかった。俺は美火丸を鞘に収めた。
「まあいい。そんな暇もない」
《見逃してくれるのか?》
「女の首を落として回る趣味はない。気が変わらないうちにさっさといけ。どうせお前を殺したところでダンジョンが別個体を復活させてしまうようじゃ大して意味もない」
《優しいんだね。ハントできなかったのは残念だけど、自分の目に狂いがなかったのは嬉しいよ》
「そういうのはいい」
俺はその場を後にして次に行こうと歩き出した。
《人間。代わりに私もお礼をしてあげよう。危険な女がこの階層に降りてきたよ。人間なのに人間まで殺しちゃうとてもとても危ない女。私も昔、この女に危うく絶滅させられかけたことがある。ダンジョンの中に散り散りになってる私の心を読んで、一つ一つ見つけて潰しにこられた時はゾッとしたよ》
アラクネの言葉を聞いて思う。モンスターの言葉である。真偽のほどは知れたものではない。でも不思議と嘘をついているとは思わなかった。そしてそれは魔眼病ミカエラのことに違いなかった。
「来たか」
《さっさと逃げるんだよ。人間とモンスターを間違えてるんじゃないかってぐらい見境のない女だ。それに、お前のレベルじゃ絶対に勝てない》
「アラクネ」
《うん?》
「今の俺と昔この階層に来たときのその女と、どちらの方が強いと思う?」
《難しい質問だね。あんたは結構強かったけど、あの女も大概無茶苦茶だったよ。でも、今のあんたよりあの時のあの女の方が私は怖かった。お前さんは優しいしね》
「そうか……」
《それより人間。早く逃げな。私の眷属が全員、私に逃げろって知らせてきてる。こっちに来てるよ!》
本当は逃げ回るのが正解なんだろうなと思う。
「蜘蛛女。人間人間言うな」
《人間?》
「六条祐太だ。名前ぐらい覚えておけ」
《ロクジョウユウタ。わかったよ。忘れない。で、逃げないのか!?》
「ああ、俺が逃げると仲間たちが死ぬんでな」
《仲間? お前バカだね……》
アラクネも周囲が燃え盛っているこんな目立つ場所からさっさと離れたいだろうに、しっかりと俺の方を見て暫く動かなかった。
《アウラ。私の名だ。名前ぐらい覚えておけ》
周囲から物音がしなくなった。周りを取り囲んでいた木乃伊と大蜘蛛の気配がなくなっていた。どうやらアラクネに命令権があるらしく、これから周りの奴らすべてを倒すのはかなり手間だと思っていたが引かせてくれたようだ。
それにしても、モンスターも知能が発達すると、ただ人間に襲い掛かるわけでもなくなるようだ。ラストもそうであったが、アラクネ、いや、アウラも単純に人間を殺すだけの存在ではないようだった。
「やりにくいな」
本当に殺した事にはなっていないようだが、あちこちに散らばったアウラの死体が、気分をげんなりさせた。
「まあ、レベルは今のでかなり上がってくれたけど」
ステータスを確認すると、この階層のレベル限界である42まで到達していた。
「戦いの途中で急に体の動きがよくなったのはそのせいか。たぶん、まだ、ぜんぜん勝てないんだろうな」
それだけ強い相手だったということか。実際、嵌め殺すのではなく、真っ正面からまともに戦ってたら、おそらく、かなり苦労したはずだ。周囲を見渡すと【炎流惨】や【焔鳥】で道路の周りの田んぼがかなり燃えていた。
この炎は間違いなく目立つ。魔眼病が降りてきたのなら、よほどのことがない限りここに来るはずだ。さすがに見晴らしのいい場所で遭遇するとまずいので、さっさと移動しようとした。
そして、
それは、
本当に何気なく現れた。
まるでここに散歩に来たのというように、
「たくさん燃えてるから何かと思ったけどビンゴかしら? あなたが六条祐太君?」
魔眼病が【炎流惨】の炎に溶けたアスファルトの道路の上にいる。
花のようにフリルのついたスカートが膨らんで、体重なんてないんじゃないかと思えるぐらい、ふんわりとした着地。その瞳は柔らかく。その唇は愛らしく。とても可愛い少女の顔には、儚げで、か弱く、天使のような笑顔が浮かんでいた。





