第百十一話 Side古見
「くく」
「なに笑ってるんだよ!」
下へ降りる階段を探しながら、思わず笑いがこみ上げた。俺より五つも年下のしょぼくれた仁也の姿がどうにも笑いを誘った。
「いや、まさかお前が泣き出すとは思わなくてな。少しは反省したのか?」
「ちっ、くそ。したよ。大いにした。くそがっ、なんだよ。あのイカれ野郎、普通一発殴ろうとしたぐらいで殺しに来るか?」
「俺から言わせれば、本当、お前こそ勘弁してくれよ。だと思うぞ」
「そうだよ仁也。このバカ」
「仁也。いくらなんでもあんなおっかない奴に喧嘩売るか?」
六条祐太に喧嘩を売ったことに切れていたメンバーも口を挟んだ。今回の仁也の行動には不満顔だ。実際、俺が助けなければ、ほかの3人は仁也を助けようともしていなかった。
「だってエヴィーがパーティーメンバーとか羨ましすぎるし。藤原の話だと、もう一人の女の子もかなり可愛いって話じゃないか。おまけにまだもう一人女のメンバーがいるんだろう? 超一級の女を3人とかふざけんなって思うだろ?」
「昔の倫理観的には理解できる。だが、お前も彼女は居るだろう」
昔の倫理感からすれば仁也の反応は、当然かもしれない。でも今の倫理感からしたら、むしろ何を怒っているのかということになる。優秀な探索者であればあるほど、良い女が寄ってくる。それが当然という時代だ。かの暴君【龍炎竜美】など世界中に100人ぐらい女を囲っているという話だ。
「そりゃいるけど、俺はたった一人だ。あいつの魅力は31だしよ」
今年で23歳になる俺にはこの言葉も違和感を覚えた。人の魅力がステータスの数字になって現われるのだ。その基準は一体何なんだ? 顔なのか? 胸なのか? スタイルなのか? 筋肉なのか? それとも性格なのか?
ダンジョンがどれをとって魅力の値としているのかは分からないが、なぜか不思議と魅力のステータスが高いものは美しい。京極パーティーのリーダー、京極八雲など魅力68で、見ていることすら恐れ多いと感じるほどだった。
そして六条祐太もそうだった。正直怖くなるほど綺麗だった。あんな綺麗な男がこの世にいると信じられないほどだ。
「ワールドクラスのトップモデル、エヴィーならきっと京極クラスだ。魅力が高い女は男のステータスって言われてるしよ。エヴィーなんて男にとって最高のステータスじゃないか」
「はあ」
仁也は魅力の高い人間を装飾品だとでも思ってるんだろうか?
だが、嘆かわしいことにDランでは、これが普通である。むしろ以前の倫理感を持ち続ける人の方が稀少だ。誰もがそう考えるようになると、マイノリティの考え方は自然と差別的な考え方だと言われるようになる。
Dランでは魅力の高いものを評価しないことこそ愚かな人間という扱いを受け、旧世代的な考え方は『老害』とすら言われていた。
「そういえば今、桐山芽依が三階層にいるとかいう噂あるよな。魅力60は確実に超えてるって噂だ。見てみたいもんだよな?」
その発言をしたのは、仁也ではなく他のメンバーだった。
「おい黒田」
怒気を孕んだ声を俺は出した。今のはかなりイラッとした。
「わ、悪い。冗談だよ」
「お前は桐山芽依を見てどうするんだ? ダンジョンに芸能人でも見にきたのか? くだらないことにかまけている暇が俺達にあるか? レベル100を超えるんじゃなかったのか?」
「いや、はは」
「仁也。お前も少しは頭を冷やせ。あんなの見せられて、それでもまだ女にかまけて馬鹿な事を言っているつもりか? 六条はお前の半分以下のレベルだぞ。それでも一対一ならお前は多分負けてた。違うか?」
「ゆ、油断しただけだ。次に戦えば、あんな一方的な事にはならない」
「いいや、なる。お前は六条の目を見たか? あの切れ長の綺麗な瞳の中で、淡々と獲物を追い詰めるように、確実にお前を仕留めにかかっていたぞ。あの時一瞬彼は俺たちの方を見た。俺はその時、仁也、お前を『このまま殺してしまっても良いか?』と聞かれている気がした。俺は慌ててお前に結界を張ったし、六条は俺が結界を張るのを待ってくれていた。だが、結界を張らなかったとしても、あの技を放っていたぞ。そしたらお前は今ここで喋ってもいないことになる」
「そんなこと……」
仁也はそんなことはないと言い切れない様子だった。仁也自身、あの瞬間、本当に殺されると思ったはずだ。
「仁也。先生の言葉を忘れるな。ここでは俺たちは大したことないんだよ。調子に乗ってると本当に殺されるぞ」
俺はDランの先生に言われた言葉を忘れていない。
『私が強い?』
とても綺麗な先生だった。絹のような光沢のある髪。魅力40を越えた容姿は京極八雲ほどではないにしても十分に魅力的だった。そして何よりも、レベル287である。俺達からしたら、その強さは殿上人のようで、先生よりも強い人がいるのかと思えた。
『古見は面白いことを言うね。私なんて弱いもいいところ。中レベルにはなんとか足を突っ込んだけど、これ以上は無理だと思って探索者をあきらめた口だからね。私はここで教師やってるぐらいがちょうどいい探索者だったよ』
『謙遜しないでください。それに俺には先生よりも強い探索者というのが想像できません』
『あはは、私より強いのなんて一杯いる。外のダンジョンに行けばわかるよ。化け物がいっぱい居るから。それにね。もっと違う意味で異次元の人間がいっぱいだ。必要ステータスが8ペースで上がっていく子とかね。そういう化け物たちはスキルも魔法も異次元に良いのを持ってるから、喧嘩売ったら殺されちゃうぞ』
殺すという言葉を先生はさらっと言った。以前三階層でクラスメートが死んだことがある。それでも先生は特に表情を変えなかった。俺が死んでもこの先生はこんな感じなのだろうか? 密かに先生に思いを寄せていた俺はそう考えると胸が苦しくなった。
『そんな大げさな』
『ちなみに私もレベル下の子に彼女とられてさー、むかついて喧嘩売ったら殺されかけたよー』
俺は最後の最後で先生に告白しようかと考えていた。でもなんだか気分が削がれて、何も言えなかった。山梨ダンジョン高校で最強の男教師だった。それでいて逞しくて精悍で生徒の憧れで、誰もが先生みたいになりたいと思っていた。
『まあ、いないとは思うけどさ。もし甲府ダンジョンで君たちよりもレベルの低い、退学組じゃない子を見たら絶対に喧嘩は禁止。間違いなく、その子は“ダンジョンに好かれてる”』
『それって京極八雲みたいなやつですか?』
俺たちは京極がいるから山梨でナンバーワンになることができず、永遠の二番手といわれていた。京極八雲、魅力が6ペースで上がり、ガチャ運4、あの男のことをダンジョンに好かれている奴だと誰もが言う。
『確かに八雲はすごいよね。あの子なら私よりは強くなれるよ。でもそうじゃないんだ。本当に上に登っていく人達っていうのはそうじゃないんだよ。私が喧嘩売った子でも、レベル200で私に勝ってみせたけど、結構ギリギリ勝負だった。あれは多分ダンジョンに好かれてるまではいってないんだ』
『先生に勝てる人でもダンジョンには好かれてない?』
『うん。欧米の方の研究者が言ってたな。“ダンジョンに好かれる”っていうことは“ダンジョンに見られる”っていうことだって。ダンジョンに好かれてる子はね。ダンジョンが直接見てるんだって』
『でも、ダンジョンに入ることを誰かに強制したりすると個人でも急に入れなくなったりしますよね? それってダンジョンが見てるからじゃないんですか?』
俺はそれでダンジョンに入れなくなったやつを何人か見たことがある。これが意外と厳しくて、そいつらはいまだにダンジョンに入ることができないそうだ。
『それはただのシステムだそうだよ。そうなるようにプログラムが組まれていて禁止事項を踏むと自動で発動しているだけ』
『どうしてそんなことがわかるんですか?』
『まるで米崎みたいな人だよね。その研究者は、ダンジョンの画一的な対応傾向からそう結論づけたんだって。だから、ダンジョンが平等なんていうのは、システムで対応されているだけのその他大勢に対してだけらしい。でもダンジョンに好かれてる子は違う。全く特異な現象が周囲に現れ、本当に直接ダンジョンが見ているとしか思われない現象が起きるそうだ』
『それって凄いんですか?』
『凄い? あーん? 凄い? そりゃ凄いんだけどね。私は一度、天使とお話ししたことあるんだけど、あれはある意味、悪魔に魅入られてるような。まあ、一目見ればなんだかわかるから、敵対しないように気をつけるんだよ』
俺が最後に話しに行ったのに、先生からモンスターに関する注意事項は殆どなかった。それは言われなくても気をつける。それでも探索者同士の揉め事についてだけはやかましく教えられた。その意味が彼を見てよくわかった。下手に喧嘩を売ってはいけない。売れば殺される。そして魔眼病なら売らなくても殺しにくる。
「さっきの発言は謝るよ。さすがに自分の彼女のことを自分のステータスだなんて思ってない」
仁也が俺の不機嫌に気づいたように言ってきた。
「本当だろうな?」
「ああ、本当だ。俺はずっと自分が主人公だと思ってた。他の奴らがみんな探索者を諦めても俺は諦めなかった。自分が主人公だと思っていたから……。でも六条を一目見て思ったんだ。ああ、俺はただの脇役だって。そしたら悔しくて喧嘩を売りたくなって、負けたら、やっぱりかよって涙が出てきた」
「……」
俺は一瞬黙った。俺だって京極が現れるまではそう思っていたからだ。
「なんなんだろうな、あれは」
夜空を見上げると強烈な光が瞬く。なんだよ、あのデタラメな探索方法。空から強烈な光を照らして探索するとか、暗くて、冷たい雨の中を一生懸命探索してこその五階層だろう。それをあんな方法で大幅短縮とか巫山戯るな。
一生懸命この階層でスライムに溶かされることを恐れながら、探索していた、かつての自分たちがバカバカしく思える。
『俺たちはこれからそういうやつらと競い合っていくんですね』
『違う違う。まあ見ればわかるって、私たちはそういう奴らを見上げてるだけだって』
山梨ダンジョン高校で俺たちは京極たちに次ぐ二番目のパーティーだった。山梨ではずいぶんモテたものだ。古見というだけで、みんなが道を開けてくれた。普通の学校に行ってる頃も、俺は野球部で、山梨で一番のピッチャーだった。
プロ入りだって絶対できるといわれていた。だが、甲子園の一回戦でボコボコに打ち込まれた。地方大会なら間違いなくコールド負けだった。プロ入りの話なんて、どこからも来なかった。
「また、同じ思いをするわけか」
「怒んなよ。マジでちょっと反省してるって」
仁也が勘違いして言ってくる。コイツはコイツで素行が悪くて、パーティメンバーの一人が死んだのがこいつのせいだということにされていた。誰にも相手にされていないところを俺が拾った。
六条にはボコられてしまったが、近接戦ではめっぽう強くて、頼りになる。パーティメンバーが死んだのもこいつのせいじゃないと俺は信じてる。
「もう怒っていない。それよりも、俺たちは俺たちのペースで行く。だが魔眼病がいる。できる限り早く下を目指す。いいな?」
「「「「おう!」」」」
その返事を聞いて、まだまだ自分たちはいけると思った。俺たちもちゃんとここで生きて頑張っているとダンジョンに見せてやると思った。





