第百四話 人工レベルアップ研究所
俺は2週間して納入された赤いバイクで早速走っていた。心地よいエンジンの揺れ、風を切る感触。バイクには自分で走るのとは違う魅力があった。新緑の木々が生い茂る峠道で、時速50キロ、二速でカーブを攻める。
思い描いたライン通りにカーブを曲がれた。やはり良い。どれだけ速くカーブを曲がるかなどには興味はない。そんなことは探索者で嫌というほどやってる。ただ風を感じて、そしてバイクに乗りたかったのだ。
1000ccのパワーでガンガン峠道を登っていく俺は、池袋のマンションからバイクを走らせ、千葉の山中にまで来ていた。コーナリングを緩やかに決めながら、ふと今回、同行予定だった榊とクリスティーナさん、そしてアンナさんのことを思い出した。
美鈴と伊万里が二階層に挑んでいる間。俺と榊は三階層にいるクリスティーナさんとアンナさんの元まで来ていた。
『米崎のパーティーに榊と共に入らないか?』
と誘いに来たのだ。ただ、それはかなり無茶な誘いでもある。彼女たちは、米崎のせいで三階層のゴブリン集落に囚われ続けたとも言える。そんな相手を信用して仲間になれるのかという話だ。
「あんなにあっさり頷いてくれるなんてな……」
それなのにクリスティーナさんたちは俺の誘いに乗ったのだ。
『畏まりました。そのお役目引き受けさせてもらいます』
『本当に? クリスティーナさんたちにとって、米崎は憎むべき相手じゃないんですか?』
『確かに私の中にあの男を憎む気持ちはあります。信用だってかけらもできません。アンナもそうでしょう?』
『はい。お嬢様』
『ですが、アンナと2人で話し合っていたのです。もし三階層であの男が私たちを助けてくれていたとしても、もうゴブリンに私たちが不浄の体とされた後だったでしょう。そしてゴブリン集落でしくじったのも私たちです。それは変わりようのないことなのです。ねえ、アンナ』
『はい。お嬢様』
『それならばヨネザキに助けられるよりも、ロクジョウ様に助けられたことの方がはるかに幸福だった。私はロクジョウ様に助けられたとき、ロクジョウ様の凜々しいお姿を見て、生きる希望をいただきました。きっとヨネザキに助けられても私たちは助けられた後に“死”を選んだことでしょう』
『死?』
『はい。間違いなく。最初にヨネザキと出会った時、あの男は心の底から私たちを無価値なモノのように見てきた。それが、きっと、ゴブリン集落から助けられたばかりの私とアンナには耐えられなかった』
『それなら余計に米崎は無理じゃないの?』
榊が聞いた。
『いいえ、ミス・サカキ。それは違うわ。ロクジョウ様。私たちはあなたとつながりが持てることが、たとえどんなことであれ嬉しいのです。穢され不浄となった我が身が、あなたのような美しい人に必要とされる。それが幸福なのです。ねえ、アンナ』
『はい。お嬢様。ロクジョウ様どうかアンナを必要としてください。たとえ靴の裏を舐めろと言われても舐めさせていただきますから』
『いや、そんなことは言いません』
『それに今回の提案は私たちにとってメリットが大きい』
三階層の攻略にしくじってゴブリン集落に捕らえられていた彼女たちは、その後も三階層の攻略にかなり苦労していた。そこに単独で、三階層をクリアした榊が合流してくれる。
「そのメリットはかなり大きいか……」
俺からの提案を引き受けた事で、彼女たちは自分たちの素性を全て明かしてくれた。彼女達の抱えている事情は俺の考えていた以上に重かった。それは米崎への恨みなどというものを簡単に超越してしまうほど。
『——じゃあクリスティーナさんって正真正銘のお姫様?』
『いいえ、国は滅び、民も私たちの復権など望んではいない。残された私はただただ惨めな存在にすぎません。お父様の元へと帰りたいという望みはありますが、肝心のお父様は自分の治療を全て断っています。恐らくそんなに長くは生きられない。だから私は目標を見失っていたのです。アンナだってそうよね?』
『はい。ゴブリン集落から解放された後も、どうして私は毎日生きているのかと思っていました。でも、ロクジョウ様の姿を思うと幸福な気持ちが湧いてきた』
『ロクジョウ様。あなたは私とアンナに生きる目標を下さっている。なら、喜んで私たちはあなたの望みのままにそれを引き受けます』
今の世界には本当にいろんな人たちがいる。そのことが改めて分かった。組むことになった榊は、
『六条。すごいのを任してくれたわね』
かなり困っていた。
『というか、六条。あの子たちが重すぎるとか言ってるんじゃなくてさ。ちゃんと確認しておきたいから聞きたいんだけど。このお姫様たちはともかく、そもそも本当にサブパーティーなんているの?』
そして俺の方への事情説明も求められた。俺の顔に惚れ込んでいるといっても、彼女の現実主義は変わらない。だからこそ、榊は必要だと思った。
『ああ。南雲さんの話になってくるんだけど、どうやら11階層以降になると、パーティー同士で組んでこなさなきゃいけない合同クエストとかもあるんだって。その時に組むパーティーはかなり信用できる相手にしておいたほうがいいらしいんだ』
『それってつまり私たちもレベル100以上にできるだけ早くなれってことよね?』
『そうだ。できるか?』
『……正直、三階層で手間取っている程度の実力しかないあの子達とじゃ無理よ。どんなに頑張っても死んで終わりよ。ただ、米崎次第かな。あの子達と組んでも米崎が全面的に協力してくれるんならできるかもしれない』
榊とはそんな話をした。バイクで向かっている先はその米崎がいる人工レベルアップ研究所だ。結局榊のほうは俺の予定が遅れたこともあって、クリスティーナさんたちのクエストクリアを優先させることになった。
だからバイクに乗って走っているのは俺一人で、美鈴を後ろに乗せていけたらとも思ったのに、お姉さんのレベル上げの監督で忙しいそうだ。
「それにしても……すごい山の中だな」
人工レベルアップ研究所は、どうやら結構な山中にあるらしい。ぐにゃぐにゃ曲がる山道をもうどれほど進んだのかわからないほどだった。しかしその割には道はちゃんと整備されていて、広い道に差し掛かったところで、
《止まれ!》
まだ目標地点までかなり離れたところで、急に拡声器を使用したと思われる大声が聞こえた。
「検問?」
おそらく自衛隊の人間であろう。軍服を着た人達によって道がふさがれていた。峠道から少し抜けた広い道にバリケードが築かれている。それは、戦車でもない限りは絶対越えられないぐらい厳重なものだった。
《警告する! 止まれ!》
以前なら考えられないことだが、20式小銃を携行した自衛隊員が20人も検問と思われる場所を守っていた。重機関銃を構えたものまでおり、それどころか、こんな山深い場所に戦車も二両配置されて、こちらに砲身を向けた。
「止まれ! 直ちにバイクから降りろ! 手を挙げて後ろを向け! 向かない場合は撃つ!」
次に拡声器をやめて小銃を構えた若年男性が叫ぶ。銃口がこちらにしっかりとあわされていた。物々しい雰囲気である。幾度もの探索者との戦闘を経験している自衛隊は、現在、決して人を殺さない組織ではない。
こちらがいい加減な対応をすると容赦なく発砲してくるし、専守防衛なんて言葉はもはやどこにもなくなっている。俺はおとなしく従って、バイクから降りると手を上げて後ろを向いた。
「ここから先は立ち入り禁止だ! それは忍神千代女様にも保証されたものだ! 引き返せ!」
相手が探索者だった場合、自衛隊に銃を向けられたぐらいでは何もビビってくれない。実際、俺も怖くもなんともなかった。戦闘になっても勝つ自信がある。だが自衛隊もバカではなかった。勝てないならば、勝てる力を借りる。
自衛隊が勝てる力として選んだのが、忍神様である。本来架空の世界にしかなかったはずのあらゆる忍術を使うと言われる女傑。彼女は、対人戦闘特化をしており、幾人もの高レベル探索者を暗殺という形で始末しているという噂だ。
「米崎秀樹から招待を受けました! 六条祐太といいます!」
後でそんなにおっかない人に追いかけられたくないし、ことを荒立てる理由もないので、俺は素直にしたがって米崎の名前を口にした。
「プロフェッサーの招待? おい、確認を急げ!」
「了解」
「確認取れました! プロフェッサーから六条祐太15歳に対する招待申請が来ています!」
「15歳? そんな若造なのか?」
「ばか者! 探索者の年齢など気にするな! 15歳でも我々一個師団を相手にできる! それが探索者だ! 貴様はこれまでの辛酸の中に何を学んでいた!」
「も、申し訳ありません! そこの男! こちらに近づかずにステータスを出せ! 名前と年齢だけで良い!」
俺は言われるままに名前と年齢を表記したステータスを出した。まだ20mほど離れているので、見えないと思うのだが、見えたようだ。
「確認した。戦闘態勢解除! そこの少年! ものものしくて悪かったな。探索者相手だとこれでも全然足りないのだ。通っていいぞ」
一番偉い人らしい年配の自衛隊員が話しかけて来た。自衛隊の人たちがすごく安心しているのがわかった。ここに入ろうとした探索者がいるのかもしれない。組織に属しているせいでレベルアップもままならない自衛隊としては、神経質になるのも無理はなかった。
「いえ、お勤めご苦労様です」
「ご協力、感謝する!」
俺は敬礼されたので、敬礼で返して再びバイクに乗ると走り出した。
「——ここでいいんだよな?」
その後、もう二ヶ所で同じことをされた俺は、最初の場所からさらに数㎞ほどの距離を走り、山の中を切り開いた巨大な建物を目にしていた。
【千葉県勝浦市大楠】
「大楠……この辺って確か?」
記憶が間違ってなければ、この辺は日本で唯一、ダンジョン崩壊を起こした地域だ。ダンジョンが出来たのが山の中すぎて、誰もその存在に気付かずに崩壊した。今はあふれ出したゴブリンはすべて駆除されている。
それでも当時は1万人以上の人が死亡し、日本中が蜂の巣をつついたような大騒ぎになったのだ。そしてその田舎町の名前は一躍有名になった。俺はその田舎町の名前がついたダンジョンの名を覚えていた。
【大楠ダンジョン】
おそらく日本の初級ダンジョンでは一番有名だ。ダンジョンは一度入り口が崩壊すると二度と閉じない。いつでもモンスターが出てくる。おかげで地域住民はすべて避難し、周囲10キロは今も立ち入り禁止となっているはずだ。
「ということは立ち入り禁止エリアの最初で検問があったってことだよな? あそこからさらに10キロ以上走ってきたってことか」
町を表記した青い看板は錆びて、下に落ちていた。そして町のあった平野部分はほとんど家が解体され、その代わりのように巨大な白い建物がそびえ立っていた。その様相はどこかの巨大企業の工場のようだった。
【(株)Dコレクション】
看板にはそう表記されていた。
「Dコレクションって確か」
建物の門を通るのに最後のチェックがあって身体検査もされた。とはいえ、俺は大事なものを全て【天変の指輪】で隠すことができる。外でも専用装備をつけっぱなしで、マジックバッグだってちゃんと持ってきている。
でもそれを確認する術のない人が、俺の身体検査をしたところで意味がなかった。何食わぬ顔でそのまま建物の中に入るとバイクを駐輪場に止める。株式会社の体裁をとっているが、実際は完全なる国営企業らしい。
『僕の趣味に政府が興味を持った。そして金を出すといった。猥雑な事もしなくていいというから、所長を引き受けたのさ』
米崎がそんなことを言っていたのを思い出しながら、建物の中に入ると、受付に声をかけた。
「六条様ですね?」
自分で名乗る前にそう言われた。受付嬢も自衛隊員で、この施設は完全に自衛隊の人間によって保守管理をされているようである。
「はい、そうです」
「何度も求められてうんざりでしょうが、念のためにステータスの表示をお願いします」
俺は名前と年齢だけのステータスを表示させた。
「確認しました。もう結構ですよ。ではこの腕輪を建物内ではつけておいてください。施設の中でのチェックがかなり簡略化されます。権限はゴールドです。ほとんどの有料施設を無料利用できるので便利ですよ」
「えっと、ありがとうございます」
俺は左腕にその腕輪を装着した。これをつけてもチェックがなくなるわけではないのか。
「博士の所まで案内するものを呼びます。少々お待ちください」
そう言われてしばらくすると、落ち着いた感じの綺麗な女の人が、「博士のところまで案内します」と言って現れた。名刺を差し出されると【桐山玲香】と書かれていた。美鈴と同じ苗字だったから驚いたが、桐山は特に珍しい苗字ではない。さすがに関係はないだろう。
「では、ついてきてください」
「あ、先にちょっとお尋ねしておきたいことがあるんですが」
「なんでしょうか?」
「この会社のこういう人を知っていますか?」
と言って、俺はマジックバッグに長く入れっぱなしにしていた血の付いた名刺を出した。そこには千川華代の名前とここの看板に表記されていたのと同じ会社名が記されていた。偶然の一致なのか、運命的なものなのか、俺はここの看板を見たときに、その人の死顔を思い出した。
「うちの会社名ですね。これをどこで?」
「二ヶ月ほど前にダンジョンの中で殺されていました。ゴブリンにじゃなくて、探索者同士の争いだったみたいです」
争いというよりは一方的な殺害だった。俺は二ヶ月前。自分がまだ超初心者だった頃に見た人が殺される話を語った。
「……そうですか。そんなことが」
「助けられるようなレベル差じゃありませんでした。申し訳ありません」
南雲さんのことは伏せて話した。桐山さんは少し静かになって、何か決めたように口を開いた。
「言わないでおこうかと思ったのですが、この千川は私の大学の先生です。私は元々外国にいて、この研究所を先生が紹介してくれたんです。お給料の面がとても良かったので、私はその話に乗らせてもらった。連絡が取れないと思っていたら、もう亡くなっていたのですね」
「遺族にこれをお返しすることはできますか?」
俺はマジックバッグからさらに、千川華代さんの遺品を取り出した。【天変の指輪】を使っているから、何も無い空間からものが出ているように見えているはずだ。自衛隊員の女の人がなにか諦めたように首を振っていた。
きっと『だから探索者は嫌なのよ』と言いたいのだろう。
「わかりました。私が預からせてもらいます」
桐山さんは色々な感情がこみ上げてきているのか、しばらく動かなかった。
「この会社を一時的にやめて、自主的にダンジョンに入る研究者も結構多いんです」
「研究者が?」
「ええ、笑い話にもならない現実です。探索者でなければ今の最前線の研究にはついていけないのです。かつて天才と言われた人達もレベルが上がっていなければ、ただの凡人と成り果てる。千川先生も天才から凡人まで突き落とされたひとりでした」
「だから無理をしてダンジョンに?」
「ええ。全く無名であった米崎博士の下に付くことが彼女のプライドには堪えたのでしょうね。それに米崎博士を見ているとどうしてもダンジョンに入りたくなるのですよ。米崎博士は同時進行で10個ぐらい別のことを考えますから。あの素晴らしいほどの頭の良さに研究者なら誰もが憧れる。千川先生には『ダンジョンは危ない』と言ったのですけどね」
それほど珍しい事でもないのか、桐山さんはそれ以上は感情の揺らぎを見せず、きびきびと歩いていく。
「あの、何か?」
思わず顔をじろじろ見てしまった。向こうは赤面している。この施設の中に入ってから特に変装する理由もないので、顔はレベル10の時に戻している。この顔だと男でも女でもじっと見ると、相手が赤面するのだ。
「いえ、知り合いと同じ名字だったもので。それにちょっとだけ似てるなっと思って」
「そうですか?」
「ええ、すみません」
「いえ、それより、今日は珍しく所長の機嫌がよくて、あなたがくるのを待っていたようですよ」
「そうなんですか?」
米崎に来訪を期待されても、これっぽっちも嬉しくないなと思いながら返事をした。
「ええ、少なくとも鼻歌を歌っているのは初めて見ましたね」
「それは気持ち悪いですね」
「ふふ、確かに。あ、内緒ですからね」
笑う顔が綺麗な人だと思った。そしてその笑う顔が俺の好きな美鈴の顔にやはりダブって見えた。確かめてみようかと悩んでいる間に、いくつかの厳重な扉を越えて、3回も腕輪を提示しなければいけなかった。
「厳重でうんざりするでしょう?」
「そうですね。探索者にはあんまり意味なさそうですし」
「ここです。本来なら接客室で応対するのですが、博士が『直接ここに案内してくれ』とのことです。少々刺激が強いので驚かないでくださいね」
その扉をくぐると巨大な空間が開けて、その空間の中に100個はあるんじゃないかというほど大量の縦長の丸い水槽が並んでいた。中は液体で満たされていて“人間”が浮かんでいた。米崎のことだから平気で人体実験ぐらいしていそうだなと思っていたが、思った以上にガチだった。
「これは?」
「人工レベルアップ処理を施されている自衛隊員です」
「聞いてはいたけど……これって息とか大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではないのでマスクをしてますね」
よく見ると確かに全員マスクをしていて、そこから呼吸をしているようだ。全員が何の服も着ておらず、完全に裸だった。筋肉マッチョの男たちが裸で浮かんでいる。俺にそういう趣味があればきっと嬉しい光景だろう。
でもそんな趣味はないので、あまり見たくないなと思った。しかし、3割近くは女性隊員だった。レベルアップの恩恵なのか、容姿レベルも上がっており、綺麗な女性がずらりと裸で浮かぶ姿は、とても眼福であった。
「女の人も結構いるんですね」
男女平等が謳われる世の中だが、なんだかんだで戦いは男の仕事という感じもして、自衛隊員は男というイメージがあった。
「ええ、米崎博士が中国とアメリカに巨額の資金を出させたことで、人工レベルアップの件は一躍有名になりました。それがお膝元の日本で行われないわけがないというとてもシンプルな考えに至る人が多いようですね。おかげで『自衛隊に入れば、ダンジョンに入らずにレベルアップができる』なんて噂が広まって、女の志願者も多くなったというわけです」
「そうなんだ」
みんな望んで人体実験されてるわけか。
「やあ、来たかい」
そこに声をかけられた。俺の来訪を楽しみにしてくれていたらしい男。米崎秀樹の姿があった。





