第十話 仲間
濃密な1日だった。ゴブリンを殺すことは覚悟していたが、まさかあんなものまで見てしまうとは。ダンジョン内が事実上無法地帯のため、そのことに対する是正を世間から、かなり政府は求められていた。
それでもヘタに法律をいじると、ダンジョンに関しては一歩間違えれば亡国の危機である。実際滅びた国があるのだから、政府がビビって何もしない気持ちもわかる。
そして何もしない政府のおかげで、日本の探索者は皮肉なことに世界的にも高レベルが多かった。
「おまけにダンジョン高校だもんなあ」
日本が先駆けてダンジョン高校というシステムを導入した。専門家として招いたオタクな人たちからのアドバイスから始まったことだ。
そしてこのダンジョン高校というシステムが、ダンジョンに嫌われないと分かり、世界中ほとんどの国が取り入れることを決定した。
そこからは世界の方が早い。日本に負けてなるものかと世界中、一月後には日本と同等のものが発足していた。世界中で卒業者のレベルは100を目指しており、おかげで世界中の探索者の初心者レベルが100になると言われている。
来年の4月にはレベル100を超えた探索者がダンジョンで溢れ返ると考えると、俺もそれまでにはレベル100を超えておかなければいけない。
「ただいまー」
南雲さんの住んでいるマンションとはレベルの違う普通のマンションに帰ってきた。それでも親父は再婚後の新居として6000万も掛けて購入したと言ってた。
せっかくそんなにお金をかけて購入したマンションに、両親は帰ってこない。
腕時計を確認した。
時間は思っていたよりも早くて、まだ昼前だった。
ダンジョンに6時ぐらいから入って、穂積という人たちのせいで9時には出ていた。あの人が一緒なら何のトラブルもなければ間違いなく今日中にレベル3になれてたと思うのにそれだけは残念だ。
「伊万里ー、無事に帰ってきたぞ。って、いないよな」
伊万里はまだ学校のはずだから、誰もいないことが分かっていたが、一応挨拶するが答えはない。
「おかえり!」
はずなのだがなぜか返事があった。
「はい?」
「祐太、大丈夫だった!? どこも怪我してない!?」
バタバタと慌ただしい音がして、リビングのドアが開いて、現れたのは伊万里だった。泣きそうな顔でこっちを見ていた。
「何でいるんだ? 伊万里、学校のはずだろ」
「はは、なんか祐太のこと心配すぎて学校に行く気が起きなくてさ。休んじゃった」
「じゃったって……」
そこまで心配していることに呆れてしまう。
「ごめん。こういうことするとお母さん達に連絡行くんだよね。またダンジョンに行くこと反対されたり」
「いいよ。まあ心配してくれることは嬉しいし。それより伊万里。俺レベル2になったぞ」
「え?」
伊万里が目を瞬いた。
「う、嘘!? ほ、本当!?」
「ああ、なんかめっちゃ親切な高レベル探索者の人と知り合いになれてな。その人が手伝ってくれたおかげで魔の10匹が超えられたんだ」
本当なら魔の10匹を超えて、レベル3どころか4とか5ぐらいまで、あの人がそばにいてくれたらなれそうだった。
贅沢な話だがダンジョンの怖さが分かっただけに、南雲さんというスペシャルな出会いを活かしきれなかったことが悔やまれた。
「まあでも連絡先を教えてくれたしな」
「す、すごい。レベル2って10日ぐらいかかるって聞いたよ! 1日で、上がっちゃうなんて祐太天才!」
妹のテンションが高くなった。
レベル2になることができずに死んでしまう者もいるし、それ以前に諦めるものがほとんどだ。身体的な優位性がすごいためにレベル2になりたいだけの人たちもたくさんいるのだが、 そういう人たちはほとんど諦める。
経験してみてよくわかったが、ゴブリンは弱くないし、刀を持った小学6年生ぐらいの男の子が死に物狂いで襲いかかってくるような印象だった。 小学6年生の男の子が刀を持って本気で殺しにかかってくる。
よく考えなくてもかなり怖い。
「南雲さんっていう人のおかげだよ。本当にいい人で、めちゃくちゃ助けてくれたんだ」
「南雲さんって女の人?」
伊万里が聞いてきた。探索者にとって男女は関係ないのだが、戦いの場における先入観が伊万里にもあるようだ。
「いや男の人だよ。めちゃくちゃ強いんだ。動きが素早すぎて何してるのか全く見えないしさ。いや、あれは転移魔法だった。うん。きっとそうだ。どう考えても突然横に現れてたしな」
「そっかそんなにいい男の人いてくれたんだね。じゃあ明日からも安心だ」
「まあそうだな」
南雲さんが助けてくれるのは今日だけだ。
明日からは助けてくれない。南雲さんから教えてほしかったことはまだまだ山ほどあるが、そこまで甘えられない。そして伊万里に全てを話すわけにもいかなかった。話したら明日も学校を休みそうだ。
「伊万里、明日は学校行けよ」
「わかってる。探索者って色々言われてるけど、やっぱりいい人もいるんだ」
「あーそれは間違いない」
ただ世間で言われているような人たちがいるのも間違いない。
明日は河岸を変えなきゃいけない。幸い南雲さんのおかげで、お金はまだまだある。なんとか最初のガチャコインが出るまでお金が保てば良いのだが。
「よし、祐太。今日はレベルアップ祝いに私が腕によりかけてご飯作るから、楽しみにしててね。今日が祐太の誕生日だしダブルでお祝い。とびきりのプレゼントも用意したよ」
「おお、それは嬉しいな」
「あーあ、私もダンジョンに入れたら祐太と一緒にパーティー組むのにな。2ヶ月待つのは長いなあ」
「3月15日にお祝いするよ。それで3月16日に一緒にダンジョンに入ろう。言っておくが、一人でどんなことがあっても行ったら駄目だからな」
ダンジョンには夢もあれば絶望もある。あの場所に伊万里を一人で行かせるなんて考えただけでもゾッとする。良くも悪くも本当に勉強になる一日だった。
「分かってる。とりあえずお昼ね。そうだ。まだお昼だし今日は外で食べようよ。レベル2の祝いに伊万里が奢ってあげる」
「お祝いは夜のパーティーじゃなかったのか?」
「レベル2だから2回してあげる」
上機嫌の伊万里が、まだ両親が仲が良かった時に連れて行ってくれたイタリアンのお店でおごってくれた。
そしてちょっとリッチに百貨店で買い物をして帰ってくると、伊万里が夜は天ぷらをしてくれた。一品一品、俺が食べるたびにあげてくれた。
熱々の衣がサクサクと口の中で広がっていき、俺の好きなエビとジャガイモ、しし唐辛子に半熟卵が本当に美味しかった。料理上手な妹で良かった。
伊万里の美味しいご飯を食べて、俺はベッドで横になった。
『仲間を探せ』
南雲さんの言葉が頭の中で響いた。
仲間。
ダンジョンで本気でやっていくつもりなら絶対に避けて通れない問題。モンスターが単独行動を取ることは1階層ですらほとんどない。どうしたところで一対多数になる。それを覆す一番手っ取り早い方法が仲間である。
「一人は伊万里で間違いないけど……あともう一人……」
スマホの画面を見ていた。桐山さんの連絡先がちゃんと入っていた。電話をかければ彼女に繋がる。誘えば来てくれるだろうか。しかしそれが、桐山さんにとって良い提案ではないことが、今日1日で嫌と言うほどわかった。
「Dランに行くんだよな」
桐山さんならDランでちゃんと仲間が出来るだろうし、そこで死なないように安全マージンをしっかりとって、レベル100まで上げてもらえばダンジョンでの危険もぐっと下がる。
それなのに、こっちに誘えば、いつ死ぬかも分からない。
地獄に誘うようなものだ。
「伊万里が仲間になるまで二ヶ月。一人でやるしかないよな」
あの南雲さんですら、一人でダンジョンは無理だと言っていた。
多分あの人は相当強い。穂積という人たちのせいで色々思ってしまったが、探索者のいろはも知らない俺が助けないことをごちゃごちゃ思うのは愚かだ。
何よりアイテムボックスは世界でも持っているものがかなり少ないと言われていた。少なくともテレビやネットにアイテムボックスを持ってる人が出てきた話は聞いたことがない。それに加えて転移魔法である。
転移魔法は本当に貴重だ。アイテムボックス以上に使える人は少ないと聞いていた。あの人は多分間違いなく第1世代バリバリのトップ組だ。
おまけに20歳である。
20歳でそこまで行くような人、多分世界的にもほとんどいないと思う。
世界で名の知れた探索者は30代から40代だ。ある程度人間的に完成されてこないと、いくら15歳でダンジョンに入れると言っても、そんな年でまともに生き長らえることなど本当に難しいのだ。
「日本で有名な探索者といえば『護国の盾天使フォーリン』『万年樹の木森』『雷神豊国』『龍炎竜美』『鬼の田中』『忍者ガイ』……」
やっぱり南雲という名前は聞いたこともなかった。
「まあ日本って探索者が本名を出さないもんな」
探索者は自己責任でダンジョンに入るので、国が把握できている探索者はほとんどいない。また、いたとしても、国は探索者のプライベートは絶対に守る。
高レベル探索者を怒らせるとどうなるかはいやというほど日本も経験している。マスコミですら探索者をすっぱ抜いたりは絶対しない。
探索者の記事を出すときは必ず本人に了解を取り、ダメだと言えば、たとえ枠が空いてしまうことになってもその記事は取り下げると言われていた。
「正直、どういう人なのかめっちゃ興味あるんだけど、不躾に聞くのは失礼だよな。電話とかしたら身の程を知れって思われるよな……」
ずっと増えることがなかったスマホの名簿。今日は2人も増えた。そのもう一人の名前、桐山さんの連絡先をもう一度見た。
「地獄に一緒に行ってください」
言えるわけないな。やっぱり自分で頑張るしかない。
プルルルルプルルルル
明日に備えてもう寝ようとした時だった。スマホが鳴り、画面を見る。そこには、
【桐山美鈴】
の名前があった。途端に心臓の音が高鳴る。ゴブリンに怯えていた動悸とは違う高鳴り。本当に電話をかけてきてくれたのかと嬉しくなり、慌てて応答した。
「も、もしもし」
『こんばんは。桐山だけど今話できる?』
たとえダンジョンの中でゴブリンが目の前に居ても行けると思った。
「あ、うん。大丈夫だよ」
『早速電話したんだけど迷惑かな?』
「いっ……いやいや全然」
いやいや全然じゃねーよ。何か気の利いたことを言えないものかと考えたが、いや無理だ。初めての女子からの電話に無難に喋ることくらいしかできない。
当たり前である。クラス一、いや、学年一の高嶺の花、桐山さんからの電話なのだ。
少なくとも昨日の時点で桐山さんから電話があることなんて想像もできなかった。
しかしその一方で、今晩電話してこないかと期待もしていた。恐れ多い話だが、仲間と聞いて思いつくのは彼女しかいなかったのだ。
『いきなりだけどさ。ダンジョンどうだった? やっぱすごい?』
「すごいというよりやばかった」
俺はダンジョンでのことを思い出した。
今になって震えてくる。死んでもおかしくなかった。それ以前に南雲さんを知らなかったら、闇雲にダンジョンに潜って、銃弾を消費して、どこかで詰んでいた。それは自分にとって人生が詰むようなものだった。
『やっぱり、やばいかー。いいなー。私も学校なんて行かずにダンジョン行きたいわー』
「そんな羨むようなものじゃないよ」
『ダンジョン実際入った人は大抵そう言うよね。「あそこは地獄だ」って。でもさ。それでもあたしは死ぬほど必死になって生きてみたいんだ』
「想像していた100倍大変だったよ。運良く南雲さんっていう探索者の人と知り合って、そのおかげでなんとか詰まずにすんだだけだ」
『南雲さんってベテランの人?』
「そうだよ。その人が教えてくれたんだ。ダンジョンって、拳銃だとレベル上がらないんだよ。それを知らなかったらレベルがあがらないことを必死にやり続けて、遅かれ早かれ詰んでたと思う」
『またまたー、そんなことないでしょ。拳銃を許可したことだけは政府も賢いってあのマスコミが褒めてたよ』
自分だってそう思ってた。ネットですら『もっと早く拳銃を認めろカス』とか色々書き込んでたが、拳銃を許可したこと自体は評価していた。だから信じられなかったが、嘘をつく人ではないのは確かだと思った。
しかしその一方で、南雲さんは概ね正しいが、拳銃について間違っていることもあるのではないかと思っていた。それを明日は確かめてみるつもりだった。だから桐山さんにもその辺のことを説明した。
さらに今日1日にあった南雲さんのことや、ゴブリンと戦ったこと。
それがどれだけ怖かったか。
その末にレベルアップできたこと。
明日拳銃で試してみたいことがある話まで、俺は伊万里に話せばダンジョンに入ることを止められかねないと思って言わなかったことまで、桐山さんに喋っていた。
桐山さんはレベルアップのことで喜んでくれ、ダンジョンの中での話を真剣に息を飲んで聞いてくれた。
『なるほどね。それなら南雲さんが拳銃のことで勘違いした理由もわかる。面白そうね』
「まあ、だからってダンジョンでレジしてる女の人は、あんまり信用できないけどね。多分、本当に俺のことお金全部取り上げて、ダンジョンに潜れないようにしようとしてたんだと思うし」
『今でも15歳になった中学生がダンジョンで死んだって言ったら、マスコミがすごい騒ぐもんね。政府の無策がーって。だからって必死こいて貯めたお金無駄に使わせるとか腹立つわー』
「死ななきゃいいって思ってるんだろうけど、生きてればいいわけじゃない」
桐山さんが興味ありそうなことは、俺の中にはダンジョンしかなかった。だからそのネタで明日も電話できるように俺は話を持って行った。一分一秒でも多く桐山さんとしゃべっていたかった。
『ところでさ』
「何?」
『私、今日Dランの受験が終わったんだよね。多分合格してると思う』
「そ、そうなんだ。おめでとう」
できれば桐山さんを仲間に誘いたいと思っていた俺は、複雑な気分で祝いの言葉を述べた。南雲さんはあんなことを言っていたけど、やっぱり俺には好きな人を地獄に誘うようなことはできなかった。
桐山さんも武蔵野ダンジョン高校だと言ってたな。池本と同じだ。池本も多分桐山さんが好きだ。もし池本と桐山さんが同じパーティーなんかになったら、考えただけで憂鬱な気分になる。
『全然おめでとうじゃないんだけどね。なんかさー、想像以上に受験が緩くてあくび出そうだった。何しろ最初にマウスの首を切り落とす試験があるはずだったんだけど、中止になってたし』
「何で中止になってたの?」
Dランについては俺は一切調べていなかった。行かないと決めていたので調べるといろいろ思ってしまいそうで嫌だったのだ。
それでもマウスの首を切り落とす試験というのは、ゴブリンを殺した自分としては理に適ってると思った。
『それがさー、2年前の最初の1期生のときに、ほとんどの生徒がダンジョンでゴブリン殺せなくて、大量に退学者だしたのよね』
「ああ、それはなんか聞いたことがある」
『だから去年からその試験を取り入れたらしいけど、大不評だったんだって』
「どうして?」
『「生き物を何だと思ってるんだ!」って、キレて試験官に殴りかかる人までいたんだってさ。ダンジョン入ってモンスター殺しまくろーっていうのに本当馬鹿ばっかり』
「まあ、うん」
ダンジョンを経験していなかったら、自分もマウスが可哀想だろうって思っただろうか。でもダンジョンに入ってみてゴブリンを可哀想だと思ってしまった。
そしてその躊躇は死を呼ぶ。ダンジョンに入る前に慣れておくべきことだった。
『それでさ。思ったの。やっぱ私Dラン無理だーって。なんか大規模になった分いろんなことに配慮しなきゃいけなくなってさ。正直うざい。あそこで何かできるようになるとも思えん。六条はどう思う?』
「俺も正直そんなに緩いんじゃダメかもとは思う。桐山さんは間違いなく合格したの?」
『合格はできてると……いや、六条、ほとんど知らないみたいだから正直言うけどDランなんてみんな合格するの。筆記だってこれで落ちる奴いるのって思うぐらいレベル低いし』
言えない。 その過去問で満点を取って喜んでたのが俺です。
『マウスの実技試験があった去年は半分以下だったらしいけど、今年なんて、合格率99%超えてると思うよ。一番初めはそうだったらしいし』
「そんなに受かるんだ」
高校受験をしなかった自分は、 高校受験というものを知らない。だから偉そうなことは言えないのだが、99%の合格率というのが高いのは分かる。
『まあ学校が始まってからダンジョンでモンスター殺せなくて大量に辞める人いそうだけどね。それならまだ他の所に受験できるうちに、足切りさせてくれるマウスの受験はやればよかったのに』
「本当にそうだね」
『おまけに来年2、3年になる人達って全然カリキュラム通りに進んでないみたいで、レベル100なんて程遠いみたい』
「そ、そうなの?」
『噂だけどね。なんかせいぜい卒業者のレベル30ぐらいじゃないかって。2年が今平均レベル20ぐらいで、3年生でレベル30まで上げられるかどうか分かんないみたいだよ』
「随分、低いね」
探索者の第1世代は、3年もあればレベル300ぐらいになると聞いた。現役バリバリのトップ組の人達など3年で、レベル800を超えた人だっている。それが大きなニュースにもなっていたのだ。
『予定通りレベル100になれたのなんて武蔵野みたいな大きなDランでも一部みたい。まあ中には規格外の人もいるらしいけどね。でもそういう人は完全に高校のカリキュラム無視してるらしいから、 そもそも高校行ってる意味があるのかと』
「前評判とかなり違うよね。怒る人いないの?」
『全然、一緒に受験した友達も「レベル30でも十分すごい、死なないほうがいい」って言うしさ。私の感覚がおかしいのかな? だって世界のトップランカーはレベル1000超えてるんだよ。六条だって1日でレベル2になれたんでしょ?』
「俺の運がよかったって言うか。南雲さんのお陰と言うか、1回死にかけたし」
『それでもさ。魔の10匹超えるのに1学期全部使っちゃうとか聞いたんだよ』
「1学期を全部……いやいや冗談でしょ?」
『それが本気みたいなのよ。なんか親切そうに教えてくれた2年の人が言ってた』
桐山さんの話では、とにかく普通の日常を生きる人間にとって最初ゴブリンを殺す抵抗感というのは凄まじい。何よりもDランは今、人であふれている。レベルアップの恩恵は知能や寿命にまで及ぶと言われている。
死なずにその恩恵が得られるならば誰でも欲しいのだ。
世界中が真似しだしたことで余計に今年は受験生が増えていた。中には80を過ぎた年寄りまでいるという話だ。
そんな状況で、絶対に死なないような安全マージンをとって、レベル2にしようと思ったら、時間がかかる。自分が今日1日でレベルアップできたのも、南雲さんとポーションのおかげである。言わば南雲さんの財力である。
生徒が死にかけてすぐにポーションが使えるほどの財力が、Dランにあるとは思えなかった。そうなってくれば、絶対死なないようにレベルアップするのにどれだけ時間がかかることか。
『六条。私さ、やっぱ自分でダンジョンに入りたい。せっかく人の限界を超えてみたくてダンジョンに入るのに、Dランはやっぱ嫌。だってオリンピックで活躍してたレベル100の選手達でもあんなに凄かったんだよ。走ってる人たちがF1みたいだった。泳いでる人たちは魚雷みたいだった。高跳びの選手なんてスタジアムの屋根に届いてた』
「あれは確かに凄かったよね。ボクシングの選手なんて、死ぬほど作画のいいアニメの戦闘シーンよりもまだすごかった」
『でも一人は正直怖い。六条だって一人はきついでしょ?』
「う、うん」
『あ、あのさ、六条』
「何?」
『そのさ……わ、私と一緒に行ってくれない?』
「それは……ダンジョンのことだよね?」
『うん、そう』
その言葉を待っていた。正直死ぬほど嬉しい。昨日の時点なら喜んで頷いたと思う。しかし実際ダンジョンを知った今となっては、とても迂闊に返事ができなかった。
「両親はなんて言ってるの?」
『知らない。言ってないし』
「それって大丈夫なの?」
『大丈夫じゃないけど言っても止められるだけだし』
桐山さんは気まずそうに答えた。俺は少し考えてから答えた。
「桐山さんの言葉はすごく嬉しいよ。でも、俺はダンジョンに入ってみて桐山さんに『一緒に来てくれ』とはとても言えない場所だと思った。それでも俺はこれからもダンジョンに入りたいから、桐山さんを止めることはできない。だから一緒に来てくれるなら一生懸命二人で死なないように頑張りたいと思う」
ダンジョンに入るなら、ダンジョンに入りたい人を止めてはいけない。国単位でかけられているその制限は個人レベルにも適用されるものだ。
ダンジョンに入りたいものを止めたら、止めたものがダンジョンに入れなくなる。
だから探索者は探索者を止めない。
そして俺はこのダンジョンルールを使って、桐山さんを誘う口実にしてる気がして、自分に嫌悪感を抱いた。それでも桐山さんを誘える喜びの方が勝っていた。
『本当のダンジョンの怖さは、ダンジョンに入らない限り、分かってないんだと思う。けど、ダンジョンが甘くないのは分かってる。六条の言うことは聞くから、迷惑だろうけど一緒に行ってよ』
「いや、その、迷惑なんかじゃ全然。正直、南雲さんから『本気でやるなら仲間がいなかったら無理だ』って言われてるんだ。ダンジョンは下に行くほど厳しいみたいだし、桐山さんが一緒に行きたいって言ってくれたことが本当はすごく嬉しい」
ダンジョンに好かれる。
本当にそんなものがあるのか知らないが、本当に南雲さんが言っていた通り、あまりにもあっさり一人目の仲間が見つかった。しかもそれはずっと恋焦がれていた相手だった。
『そっか。よかった。正直あたしもめっちゃ嬉しいし安心する。ありがと。一人だったらなんだかんだ怖がって挑戦できなかったと思う』
学校では最も最下層にいた自分なんかと一緒に行動することを、桐山さんが喜んでくれている。それが不思議だった。
『それでね。一応ネットで必要なものは調べたんだ。食料とか医療キットとかはこっそり揃えたんだけど、お金がね。50万ぐらい必要ってこれマジ?』
「ああ、うん、いくら持ってるの?」
『10万円ちょっと。頑張って貯めてはいたんだけど、お小遣いじゃこれが限界なのよ。これでもお年玉とか全然使わなかったんだよ。でも全然足りないー』
ということは桐山さん、元々Dランに行くのが嫌だったのか。ダンジョンには行きたいけどDランは嫌。その考えは俺と似ていた。まさかリア充の代表みたいな桐山さんとその部分が似ているとは思わなかった。
「いや、多分なんとかなるよ」
南雲さんの言葉を思い出す。
あの人の言葉通りなら10万円あれば多分大丈夫だ。それにダンジョンに潜ってみて必要な装備がよくわかった。自分も買い足さなきゃいけないものがある。その辺も含めて10万円で大丈夫なはずだ。
『よかったー。あと40万とか言われたらどうしようかと思った』
「それでダンジョンなんだけど、池袋ダンジョンでは殺人があったし、場所を変えようと思うんだ」
『それは絶対だ。あたしもさすがにそんなおっかないことに関わりたくない。今ダンジョンにいて、そんなことする人達って第1世代だろうし、最低でもレベル100は超えてるんでしょ。くわばらくわばら。ちょっと離れるとしたら山梨の甲府ダンジョンかな』
こういう場合被害者が可哀想とかいう思いはある。
でも、それ以上に関わりたくなかった。正義感に駆られて犯人究明なんて、南雲さんぐらい強くなってからである。その南雲さんですら関わりたがらないのだから、全力回避一択である。
「俺もそう思ってた。甲府は行くの2時間ぐらいかかるけど、それはもう仕方ないよ」
『だよね。あー、めっちゃ楽しみ』
「桐山さんが明日もそう言ってられることを願うよ」
『大丈夫ー。あと、桐山さんは禁止。仲間になるんだから名前呼びで行こう』
「なっ」
『六条の名前を友達に聞いてきたからね。これから祐太くん。いや、祐太って呼ぶね。私は桐山美鈴だから美鈴でいいよ』
「ハードル高!?」
さん付けを辞めろと言われるだけでも心臓が爆発するかと思うほど緊張する。それがいきなり名前呼びなど、一周回って死ぬ。
『何がよー。いけるいける。さあさあ呼んでみ』
桐山さんてこんなに距離感が近い人だったのか。むしろ逆属性の人間だと思っていたのだが、これはこれでいい。すごくいい。でもハードル高。
「み、み、美鈴様」
『様付け!? そっちの方がハードル高いでしょ!?』
「いや、もう、とりあえず桐山さんでいいんじゃないかな」
『いやよ。早く呼んで。そんなことでは明日私の後ろは預けられん』
「……み、美鈴で本当にいいの?」
『いいから早く』
「み、美鈴。時間が早い方が他の探索者に絡まれなくて済むから、明日の始発の4時半に国分寺駅待ち合わせでよろしく」
『むふー。よろしくされました』
なぜ桐山さんはこんな虐められっ子に呼び捨てにされて、そんなに嬉しそうにしてるのか。俺に幼馴染設定はなかったはずだ。
じゃあ今は忘れてるけど命のないところを助けたとかだろうか? いや、車に轢かれそうなところを助けた覚えもないな。
『じゃ、おやすみ』
桐山さんからの通話が切れた。通話が切れてもしばらく耳からスマホを離すことができなかった。耳からスマホをようやく離すと俺はスマホを抱きしめて、ベッドの上をぐるんぐるんした。





