第35話 顛末、その後。
ルナリアの姉、ガーネットがデン侯爵家へ嫁ぐことになった。
借金のかたである。
ルナリアとメイド長は、望まない結婚を承諾したガーネットをなんとか救おうとした。そして嫁ぐ間際のガーネットを強盗に扮して誘拐し島の外へ皆で逃げる作戦を立てた。ついでに借金も踏み倒す。これらを考え、実際に決行した。
この当初の目論見はデン侯爵家の手勢に捕まってしまったこと、さらに賊の正体がルナリア達であるとデン侯爵当人らに知られてしまったことで瓦解する。
さらに逃走用の資金や用意もすべてデン侯爵配下との戦闘やエメラルドドラゴンのビームブレスで焼失してしまった。
加えて、ガーネットとメイド長、自分を侯爵から助けてくれた恩人の男は3人仲良く昏倒している。
八方塞りになったルナリアとハウがとった行動は大胆にも『屋敷へ帰る』ことだった。
デン侯爵の手勢に囲まれた屋敷を想像したのだが、意外にも屋敷の周囲はもちろん、中にも誰も居なかった。監視されている気配も無い。
今回の件はデン侯爵家もうやむやにしたいのではないか? ……と、仮定する。
花嫁であるガーネットを迎えた途中で強盗に誘拐され、その強盗から花嫁を取り返しに向かって返り討ちにあった事実が明るみに出れば、侯爵家の威信に傷がつく。
デン侯爵が猛々しき翡翠を所有していたことは誰も知らなかった。所有者不明であったパワー=テンを持ち出して、それが破壊されたことが広まれば、さらにだ。エメラルドの粒子が空一面を覆う様は、デニアの街でも観測されている。
目覚めたガーネットとメイド長は、ルナリアのとった行動に唖然とするも、ひとまず『しらを切りとおす』作戦に同意することにした。
ルナリアはデン侯爵家へ釈明の手紙を出した。
内容を要約すれば以下のようになる。
姉はぼろぼろになった衣服で屋敷に帰ってきました。暴漢に襲われてつかまり、その後隙をついてなんとか逃げ出してきたそうですが、ショックでとてもお嫁に行ける心理状態ではありません。
姉を襲った強盗が私たちに似ていた? ただのそっくりさんではありませんか?
「……暴漢」
とガーネット。
「……アレをそんな言葉で片付けたくないですね……」
とメイド長。
ベルン男爵家が攻勢に出られたのは、ひとつの打算があった。
今、彼女たちの屋敷にはパワー=テンをも凌駕する切り札、メイド長いわく「アレ」がある。
いや、あると言えるのだろうか?
ちょっとそれは現時点ではわからない。
何せその切り札は、未だに眠ったままなのだ。
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ベルン男爵家の屋敷。その地下には牢屋があった。
男爵家に領地があった頃、領主の裁量で捕まえた罪人、ないし間諜といった敵対者を拘束するために作った部屋だ。
しばらく使われなかったこの地下牢だが、今は一人の異界人(?)を放り込んである。
廊下から鉄扉を空けて牢屋に入ると、その中でさらに鉄の柵があって囚人を仕切る構造だ。
メイド長、ハウ、ルナリアは、牢屋のベッドで眠る異界人、カラスマを見下ろしていた。
「とりあえずいつまた暴れ出すかわかりませんから、手足の腱を切っておきましょう」
メイド長が冷淡に言った。
「あの、それはちょっと……」
とルナリア。
「いくらなんでもやりすぎです。……それに私たちの力になっていただけるかもしれない方なんですよ」
ルナリアは服の上に男のサマーセーターをずっと羽織ったままだ。
「ご心配には及びません……薬物でどうとでもできます。精密動作は望めなくなりますが、あの威力が出せるなら問題はないはずです」
メイド長はまだ怒っていた。
ぎぃと牢屋の鉄のドアが開いて、ガーネットが顔を見せ、
「一応は助けて貰った恩人ではあるから……」
と言って、ぱたんとドアを閉める。
ガーネットは牢屋に入れなかった。
「御前様がそうおっしゃるなら。……ああ、お優しい御前様にあんな真似を……」
それなり、の人生経験のある自分ですら、未だに夜あまり眠れないのだ。
おそらく生娘であるガーネットが受けたショックは想像がつかない。その証拠に屋内だというのにガーネットは鉄の胸当てを付け、いつでも切りかかれるように剣を携えている。
気を失っていたガーネットが眠っているアレを見て発した一言は『なんで拾ってきたの! 捨ててらっしゃい』だった。
「では手足を縛っておきましょう」
「わからん」
ハウは男の持ち物の検分をしていた。スマートフォン、タブレット、ストロングなアルコール比率の缶チューハイ。どれも使い方がわからない。
「その前に何を隠し持っているかわかりませんから、裸に剥いておいたほうがいいでしょう。大抵の捕虜は従順になります」
メイド長が手馴れた手つきでカラスマの服を脱がしていく。
「ハウ、ナイフを持っていつでも刺せるように待機しなさい」
ぎぃとドアが開く。
「いざとなったら私が切り捨てるわ」
と、剣を構えるガーネット。
「御前様は無理をなさらず……そこで見ていてください」
ズボンとパンツをおろす。そこでメイド長の手が止まった。
(中略)
「えっ……」
まるで生娘のような悲鳴をあげる。
ハウが武器を落として、思わず口に手をあてる
「……うそ、やだ怖い」
ハウが喋った。
ハウが『わからん』と、『いや』『全然』と『さっぱり』と『ごはん』、『まほう』。以外の言葉をしゃべった。
それを聞くのは、ガーネットも、ルナリアも、そして帝国時代からの同僚であるメイド長も初めてのことであった。
ハウは常人離れした戦闘能力と回復力を持っている。そのためあの猛々しき翡翠に踏み潰されても生きていることができた。
その力はかつてハウが戦神に捧げものをして得たものだった。
ハウが戦神に要求されたもの、それは『語彙』である。
そのため、ハウが使える言葉はごくわずかな単語に限られているのだが、その戦神に取られたはずの語彙が、ハウの口から出てきたのだ。
それだけの異常事態が起きているのだ。
メイド長は、ずり落ちた眼鏡を元にもどし、つとめて冷静を装って、
「……見なかったことにしましょう……」
と、パンツを元の位置に戻した。
何度かひっかけつつ、手こずりながら……。
「私たちは何もみていません。そうですね?」
「わからん。さっぱりわからん。全然わからん」
「ああそうだ、私達は何も見ていない」
と、ガーネットはいつの間にかベッドのそばに来ていた。
「あの、私……見えてしまったんですが」
ルナリアは時々、空気が読めない子だった。
「赤ちゃんの……腕みたいですね」
「……」
「……お嬢様」
ガーネットは長剣を構えていた。
「……やはり腱くらい切っておいてもいいかもしれんな、メイド長」
「それよりも去勢してしまいませんか?」
「……ならこういうのはどうだ。この屋敷に男の出入りはなかったし、我々は異界人などに会わなかった。庭にある何かを埋めたあとは門の前で野たれ死んでいた野良犬のものだ」
「いや、さすがにそれはッ!」
「ごはん」
食事はルナリアがつくることになった。
残った3人は招かざる客の監視を続けている。
「とんでもない拾い物をしてしまったな……」
「嫌な予感しかしません……」
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その晩。ガーネットは夢を見た。
あの夏の高原にいた。いるのは子供の自分ではなくて今の自分だ。
ルナリアと、メイド長、ハウも居た。
目の前に父の愛機、ゲートキーパーがたたずんでいた。
そしてゲートキーパーに対峙するのは、エメラルドドラゴンだ。
エメラルドドラゴンは巨大な爪の生えた手でゲートキーパーを握りつぶす。
みるみるうちにヒビが走り始め、ついに、ゲートキーパーはこなごなに砕ける。
「きゃあっ……」
悲鳴をかみ殺した。
だが、砕けたのはゲートキーパーだけではなかった。
エメラルドドラゴン。パワーナインの一角であり、不滅の代名詞とも呼ばれたあのゴウレムの腕が粉々になっていたのだ。
腕があった場所から降り立ったのは、黒髪に真っ黒い瞳のあの男だった。
「疾風、砕いてしまえ!」
男が飛ばした小人のゴウレムが一撃で猛々しき翡翠が変化したドラゴンを粉々に砕いた。
カラスマ。
その目がぎらぎらと舐めまわすように自分を、そして妹を見ている。
男が全身から放つ情念の邪悪さから、それの正体が悪魔なのだと、確信した。
「俺に……揉ませろ……。もっとだ……俺に揉ませろ……」
悪魔はその場にいたメイド長とハウに飛び掛り、指で胸をわしづかみにする。
その指がまるで別の生き物のように動き、二人は力なく倒れる。
それでも飽き足りない悪魔は自分と妹の胸に手を伸ばした……。
ガーネットはルナリアの前にたちはだかる。
胸に手が伸び……。
……やさしく動いた。
虚をつかれた。
ひどい悪夢だった。
寝汗をかいて飛び起きる。
「……ッ」
また下着を替えなくてはならない。
これは汗だ……それ以外の何ものでもない。




