第26話 社内結婚と社内不倫
うちの会社の従業員の増え方だが、一般企業とはかなり違う。
まず新卒採用がない。
元受に請われて元受会社の離職者を雇用したケースがあった(小さい天下りみたいなもんだ)が、これ以外では5人いる役員がこれと見込んだ人間をスカウトで連れてくることもある。
だが最も多いのは外注で仕事を出した原型師なりアルバイトをなし崩し的に従業員にすることである。
毎月仕事を回して、机も会社に置いてあるのなら毎月定額で働いてもらったほうがお互いにとって良いだろうというのが社長の誘い文句だった。
確かに収入が安定する=仕事の少ない月でも決まった額が貰えるというのは大きな魅力のひとつだが、外注の頃よりも目減りするし、囲い込まれて他の社の仕事が請けられなくなる側面はある。
それでも従業員として居つく人間が居るのは、この会社になんらかの魅力があるんだろう。
社長の魅力なのか。
オタク業界にまつわる仕事ができるからか。
……単に皆、他に行き場がないだけか。
そうやっていつしか、従業員は20名近くにまで膨らんでいった。
20名の従業員のうち、内訳はほぼ男だが、1名だけは女性のデザイナーだった。
彼女は元々、スポット発注の外注としてうちの仕事をやってもらっていた人だ。
社員 (便宜上社員と呼ぶが)、俺と同じ社員原型師の一人が地元の富山から呼び寄せ、外注として働き始めることになった。アニメ系のデザイナーを目指していたが、富山では上手く仕事を見つけられずにくすぶっていたらしい。
東北美人……というわけではないが、色白で細い女だった。
同じような細面の社員原型師とは美術大学のサークルの先輩後輩で知り合ったそうだ。
ちなみに元カレと元カノの間柄だそうで、それでも男所帯に一人、女の子がいれば職場の華とかアイドルになってしまうのは自然のなりゆきだろう。
ちょっとした気遣いの出来るいい子だった。俺が徹夜をして朝ぼーっとしていると、誰にも頼まれたわけではなく早めに出て来て床を掃除している。ボールペンの字がきれい。飲みに行ったら、ビールをお酌してくれる。
なにより女の子が楽しそうに仕事をする様を見るのはたまらなくいいものだった。
俺はその頃には言うことを聞かなくなった年上の部下たちや、社内で役員達に見つからないよう、若手の社員に嫌がらせを行っていたパワハラサイコパス社員への内偵で(仕事したいのになんでこんなことを社長にさせられてんだ俺……)くたびれ始めていて、好きな仕事でも好きだからではなく、生活のために歯を食いしばってするほうへ意識が移っていた。
だから心底嬉しそうに仕事を請ける彼女の姿がまぶしかったのかもしれない。
彼女は自然にスポット仕事を受ける外注から社員になり、楽しそうに仕事をこなすようになっていった。細面の原型師と、彼女がヨリを戻して付き合い出すのはこれも自然の成り行きだろう。
俺も含めて、女と知りあう機会のあまりない連中が揃っている社内なので、ファンは多かったように思う。男連中はみんな多少がっかりしていた。
俺もチョロいので内心は彼女とお付き合いできたらいいなと思ったことはある。
だが、横恋慕などするもんじゃないのでそういう気持ちは早々にひっこめて、その日は高いお風呂に入りたまたまそこに居合わせたお姉さんと自由恋愛をした。
その年の忘年会は、結婚のお祝いの会となり、大いに盛り上がった。サイコパスが会社に連れてきたバイトの女子もいたことで華やかな場だった。
忘年会を兼ねた結婚のお祝い会からしばらく後、年明け早々にサイコパスによる社内乗っ取りの事実が明らかになった……。
ハニートラップという言葉がある。
バイトの彼女はそのために、雇われたようなものだった。洗いだせば、関係を持ち、それを機に口止めと、サイコパスへの従属を命じられていた社員が次々と……。
そのため、社長の意向は通らず、社内はサイコパスの意のままに操られている状態だった。
そして、バイトの女の子からの聞き取りによって……新婚の原型師が自ら誘って何度もこのバイトの女の子とセックスをしていたことがわかってしまう。
結婚前のスリルがたまらなかった、結婚のお祝いの会の時も関係を持っていたそうだ。
当然サイコパスの知るところとなり、新郎の原型師は脅されてサイコパス派閥の尖兵となっていた。
何をやってたんだお前らは…。いやナニをやってたのか。
怒りを通り越してあきれていたが、あとでふつふつと思い出すように怒りがこみ上げていた。
俺が年上の部下を失ったのも実はサイコパスの仕業だった。サイコパスにあることないことを吹きこまれたらしい。いわくあなた達の事を悪く言っていますよと。
嫌がらせで部下を失い、社長の指示でサイコパスの動向を知らせるようにと余計な仕事でもない仕事が増えて苦労しているときに、……この新郎の原型師は……かわいい新婦をほっぽりだして……。
新郎への処遇だが、口頭注意のみとなった。目下ハニートラップを仕掛けたアルバイトと、サイコパスへの対処を急ぐためだとか。
俺はその処遇を聞いてさすがに処分が甘すぎると社長に意見した。
……それに対する社長の言い分はこうだった。
『処分を行えば新婦のデザイナーが知らなくてもいい新郎の不倫を知る所になる』
『一人を処分すれば、一人が確実に不幸せになる』
理屈にはかなっている。
確かに知らないほうが幸せだったことのほうが世の中多いかもしれない。
だが、今は幸せでもいつか不幸になりはしないだろうか……? あの子が。
面倒くさくなって、俺はそれ以上考えるのをやめた。
新婦の幸せという聖域を得た新郎の原型師は、その後何食わぬ顔で原型仕事を続けている。
この事実は社内でも一部の人間しか知らないことだ。
デザイナーの新婦はそれからしばらくして常駐社員をやめ、外注に戻った。時々スポットで会社にやってきて仕事を手伝ってくれることもあるが、頻度は明らかに少なくなった。
彼女いわく、今は主婦業と新しくローンで買った家の近くで割りのいい漫画家のアシスタントの仕事を見つけたらしい。
会社の机を引き払う日に居合わせたが、声を上げてひどく泣いていた。
涙の理由は……考えないことにした。
そして忘れることにした。
そう、実際。この夢を見るまで綺麗に忘れられていたんだ。
このダークエルフの涙顔を見るまでは……。
俺に抱きついて泣きじゃくるダークエルフのゆがんだ顔は、あの子にそっくりなんだ。
そう、あの不倫した旦那の巻き添えを喰らって会社を辞めなきゃならなかった。あのデザイナーの女の子だ。
あの子が会社の机を引き払う最後に見せた顔が、こんなだった。
俺はダークエルフを見る。
オタクはよく距離感がわからない。
初対面や、飲み会なんかでも女の子の頭を触ろうとする。
だがここはなでておこうか。構わないだろう、こいつから抱きついてきて胸で泣いてるんだから。
「もう、泣かなくていいよ。お兄さ……いや、おじさんが助けてやる」
「……」
泣いているダークエルフ。
ほとんど全裸。破られかけたパンツ。
改造エルフがフルチンの丸出しでいた。
想像した状況に間違いはないだろう。
「お前をそんなに泣かした奴はだれだ?」
ダークエルフは、泣きながら緑色のドラゴンにかわりつつある巨人を指さした。
「よし……」
俺は疾風に向き直った。
疾風から立ち上る黒い湯気はいまやどす黒い瘴気の炎となって全身を燃やしていた。
構わずに俺は疾風を手に取る。
熱いが持てないほどじゃなかった。この瘴気の正体を俺は不思議と分かっていたからだ。
翼のユニットを引っ張り出して、それを分離させ、日本刀に組みかえる。
1対2刀流の得物になったそれを疾風の両手に持たせた。
背中に張り出した飛行ユニットのジェネレーター部分を分割し、それぞれ、疾風の両手両足へ。
胸のアーマーを開いて流線型からとげとげしい形へと変える。
巡航形態から武装形態へと!
疾風の組み換えが終わるのと、エメラルドドラゴンへと姿を変えた猛々しき翡翠が飛びかかってきたのは、ほぼ同時だった。
「俺は『俺以外の』男が、女の子を泣かせているところを見るのが、一番嫌いなんだ」




