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第143話 ルナリアのお守り

第143話 ルナリアのお守り


 それはとてもとても、大きな大きな背中だった。


 光の渦になったゲートキーパー、その中から現れた背中。


 己の純潔を奪おうとしていたデン侯爵。純潔を奪われる恐ろしさに、恐怖に震えていた自分の前に立ちはだかった背中。


 救いを求めてその背中に思わず飛びつき、抱きつく。


 ついさっきまで感じていた絶望が、きれいに消えていくのをルナリアは感じていた。


 背中の温かみを感じるほどに、広がっていく安堵感。


 抱きついた彼は、捕らえられた姉を、メイド長を、自分の大事な家族達を、不思議な力で次々と助け出してくれた……。


 彼の操る小人は、大好きなおとぎ話の妖精、フェアリアに見えた。 


「こいつは疾風。プラモデルだよ。こういうの興味あるの?」


「プラモデル……」


 聞いたこともない言葉だった。


 プラモデルの妖精は侯爵配下が無限に繰り出すかかしの兵隊達を次々と撃破する。


 そして、侯爵の乗り込む翡翠の巨人が、その姿を龍へと変えたときだ。


 彼は宙に浮くフェアリアを手に呼び寄せると、着ていたサマーセーターを全裸の自分にやさしく掛けてくれた。


 そして自分に微笑んでくれる彼。


 途端に凍り付いていた感情が渦を巻いた。裸であった羞恥心と、それをセーターで覆い隠してくれた彼のやさしさ。


 嗜虐を求めるデン侯爵の前で、気丈さを装い、決して流すことのなかったもの。必死につなぎとめていたもの。堰き止めていたものが、一気に瓦解した。


「う、うわあああああああああああああああああああああああん」


 泣いた。涙した。


 彼の胸に飛び込み、抱きつき、声を上げて泣いた。自分で自分の出した声に驚いてしまったほどに。


 そんな自分の頭を、やさしく撫でてくれる彼。


「もう、泣かなくていいよ。お兄さ……いや、おじさんが助けてやる」


「……」


 安堵感に声が出なかった。


「お前をそんなに泣かした奴はだれだ?」


 彼の目が途端に凛としたものに変わる。


 緑色のドラゴンに変わりつつあるデン侯爵の巨大なゴウレムを夢中で指差した。


「よし……」


 彼の手の中で、妖精がその姿を戦士のものへと変えてゆく。


「俺は『俺以外の』男が、女の子を泣かせているところを見るのが、一番嫌いなんだ」


 地震のように地面が揺れる。嵐のように空気を混ぜて、巨大なドラゴンが、彼と自分にとびかかってくる。大鎌のような爪に引き裂かれそうになり、悲鳴を上げてしまったその時、彼の妖精がその爪を受け止めた。


 戦士の顔になり、戦いを始める彼。


 衝撃派に突き飛ばされて、彼の体からひきはなされた自分を、姉が守ってくれた。


 彼の背中のぬくもりは、離れても消えることはなかった。


 ……どうしてだろう。


 不思議に思ったが、答えはすぐにわかった。


 自分の素肌に掛けられた白い上掛け。


 サマーセーター。


 これのおかげだ。


 サマーセーター。


 これさえあれば、自分はもう、どんなに恐ろしい目にあっても、涙を流すことはないだろう、どんな困難がやってきたとしても、乗り越えることができるだろう。


 その時から、カラスマのサマーセーターはルナリアのお守りになった。


 デン侯爵に折られてしまった心を、つつみこんで補強する、大事な心の支えになった。


 その心の支えが、今この場に無い。


 決闘に望む自分を、助けてはくれないのだ。

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