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02 補佐官のお仕事

 筆頭魔導師補佐官は、常に筆頭魔導師の側に居るという訳ではない。

 イオニアスが筆頭魔導師だった際、ディートヘルムは側に侍っていた訳ではなく、ある程度距離は置いていたしそれぞれ別所で仕事をこなしていた。


 ヴィルフリートもまた、常にエステルの側に居る訳ではない。必要に応じて与えられた執務室で仕事をこなす。

 といっても、筆頭魔導師の執務室とは隣り合った部屋であるし、その部屋を繋げるように扉が設けられているので、呼び鈴が鳴ればすぐに駆け付けられるようになっている。より正確に言うと、ヴィルフリートの執務室の奥にエステルの執務室があるのだ。


 ヴィルフリートが与えられた机に向かって書類の確認を行っていると、ノックの音が響く。

 エステルに面会の予定があればヴィルフリートを通すようになっているが、今日はこれといった予定は入っていない。


 一体誰だろうか、と思いながら部屋に入る許可を出し顔を上げて扉を注視していると、一人の女性魔導師が姿を現す。


「失礼いたします。先日第三研究課から上げた報告の件で更に報告したい事があるのですが、お時間よろしいでしょうか」

「構いませんよ」


 緊張からか、やや強張った表情と固い声で告げる女性魔導師に、ヴィルフリートはなるべく柔らかく返事する。

 威厳ある補佐官はディートヘルム担当だと勝手に内心で思っているので、自分は舐められない程度で話しかけやすい雰囲気を作っておきたい。


 エステル相手なら事前のアポを取ってほしいが、自分なら忙しくない限りはなるべく相手をするつもりだ。


「第三研究課ですから先週解剖した魔物の事ですね。報告にありましたが、大型個体という訳ではありませんでしたよね?」

「はい。ですが、気になる点があって……こちらの資料にまとめた事に加えてなのですが――」


 どうやらヴィルフリートが穏やかに対応したお陰か少し肩の力が抜けたらしい、彼女はやや安堵したような眼差しで報告を続ける。 

 やや特殊な個体であったために調査が必要な事、実地任務に就く戦闘部門の魔導師に現場の調査と再度複数体死骸を持ち帰ってくるよう依頼したい事等々。

 控えめに要請してくる女性魔導師は、要請を述べていくたびに不安げな瞳に変化している。


 ヴィルフリートとしては、何故筆頭魔導師補佐官(ヴィルフリート)に直接話を持ってくるのか、なんとなく理由は分かっていた。


「分かりました。戦闘部門にはこちらから話を通しておきますので」

「あ、ありがとうございます……!」

「あちらの方々は少々頑固な方々が集っていますからね、上から通達した方が話が通るでしょう」


 魔導院には幾つも部門があるが、戦闘部門と研究部門の中は悪い。というか全体的な所属職員の性格傾向的に相容れない事が多い。

 戦闘部門は血の気の多い魔導師が所属しがちであり、自分の実力に自信を持った……つまりプライドが高い人が多い傾向がある。

 その上で出自が高貴な方々も多く在籍しているので、一般市民から成り上がってきた研究者達の多い研究部門の話は話し半分で流される……もっと言うと鼻で笑われる事も多いのだ。


 もちろん、全員がそうという訳ではないのだが、戦闘部門を総括している魔導師がそうなので、下にも研究部門を蔑視してもいいという雰囲気が出来てしまっている。

 職務上幾度か会った事はあるが、その度に庶民の出であるヴィルフリートや女だからとエステルを露骨ではないものの軽視する御仁だ。


 自分達は実力で黙らせているものの、研究部門の職員は戦闘能力はそう高くないため、軽視されているのだろう。


「筆頭魔導師補佐官殿にお願いするのは大変心苦しいのですが……その。……わたくし共では、中々話を聞く態勢にすらなりませんので」

「相変わらず確執は根深いままですか」

「……わたくし共を戦えない根暗共と言って憚らない方々ですから。戦いが得意でないわたくし達に代わって討伐して持ち帰ってくれる事には感謝しておりますが、どうにも……」

「長年の軋轢がありますからね」


 ヴィルフリートも第二特務室に飛ばされるよりもっと前、戦闘部門に一時期在籍していた事はあるが、空気が悪いのは実感している。面倒臭い人達が居るのも否定はしない。

 空気を入れ換えるためにもこっちで調査しておく必要はありそうだ。


「何にせよ、仕事は仕事ですので向こうも要請には従っていただきますし、従わないなら責任者を処分しますから」


 たとえ侮られていようが、ヴィルフリートは筆頭魔導師補佐官であるし、エステルは筆頭魔導師。正当な命令に従えないのなら処分する理由になる。


 戦闘部門のお偉方はなんでこうも無駄ないさかいを作るかねえ、と内心で呆れていたヴィルフリートに、彼女は少しだけ目を丸くしていた。


「何か?」

「い、いえ。その……筆頭魔導師補佐官は、どうして親身になってくださるのですか?」


 こうして時間を割いていただいて、要請を通してもらって……と言いにくそうに続けた女性魔導師に、ヴィルフリートはなるべく穏和に見える表情を浮かべる。


「親身になっているつもりはありませんよ。上に立っている以上、公平な視点が必要ですし。あなた方の要請が正しいと思ったからそれを認めただけですよ。逆に言えば戦闘部門の方で何かあなた方に要求があってそれが正当だと思えば、それを通しますので」

「……ありがとうございます」

「何故礼を?」

「贔屓されないのが、一番よいと思うので。公平であってほしい、と、下々の人間は思っておりますし」

「下々と卑下する事はないでしょうに。あなた方の研究のお陰で戦闘部門の人間は安全に討伐が出来て国の平和を維持出来ているのですし、魔導師が必要な道具を作れたりしているのですから。自信を持ってください」

「はい」


 研究部門も戦闘部門も、その努力や功績に貴賤はない。

 実戦に赴かずとも、彼らが成してきたものはこの国に生きる民に恩恵を与えてきたし、それは戦闘部門も同じだ。本来そこに優劣もない。


 なので研究畑の人間ももっと自信を持つべきだ、そう告げると、少し暗かった彼女の表情が明るくなり、口許が綻んだ。

 少しは彼女の心の助けになったらしい。


「あ、あの」

「はい?」

「……クロイツァー筆頭魔導師補佐官が、筆頭魔導師補佐官になってくださって、本当にうれしいです」

「は、はあ、そうですか……何故に?」


 自分が筆頭魔導師になって嬉しい、なんてのは珍しい。

 庶民からの叩き上げでこの地位に就いた、という点では確かに同じような環境の人間には期待を持たせるのかもしれないが、嬉しいとは初めて言われた。


「その、クロイツァー筆頭魔導師補佐官は、現場の事をご理解いただいてる、というか。アデナウアー筆頭魔導師補佐官に不満があるという訳ではないのですが、その、こうして……直接お話をさせていただける方ではないというか……あ、あの、内緒にしていただけますか」

「なんでしょうか」

「……アデナウアー筆頭魔導師補佐官は、その、圧迫感があって、話しかけにくいというか近寄りにくいというか怖いというか」


 なんともありがちな理由だった。

 ディートヘルムは、彼にまたわる噂や真意を包み隠した表情、底知れぬ何かを感じるため、一般職員は近寄りがたい。

 ヴィルフリートですら彼の人となりを知らなかった最初は左遷させてきた男で恐ろしくもあり近寄りたくない存在だったのだ。当然一般職員なんかは好んで近寄りたくはないだろう。


 彼に比べれば、ヴィルフリートはかなり接しやすい方だ。ディートヘルムと違って威厳も何もないし、庶民の出なので気安く話しかけやすい。ディートヘルムとヴィルフリート、どちらに話を持ちかけるかといえば恐らくヴィルフリートをみな選ぶだろう。丸め込めそう、というのもあるだろうが。


「……ふふ」

「く、クロイツァー筆頭魔導師補佐官は、親しみを持てるというか。話しかけやすいというか、怯えなくて済むというか。その、馬鹿にしたとかそういう訳でなくてですね! 本来ご両人にわたくしが気軽に話しかけていい存在ではないのも重々承知してます!」

「いえいえ、仰いたい事は何となく分かりますよ。あの方は、確かに威厳があって近寄りがたさがありますから。気持ちは分かりますが、害をなさない限りはあの方はなにもしてきませんよ」

「わ、分かっています」

「まあ、親しみやすいと言っていただけるだけありがたいですよ」


 嫌われたい訳でも避けられたい訳でもないので、そう言ってもらえるのは案外嬉しいものだった。


(まあ、こうなったのはある意味閣下の狙い通りだよなあ)


 ディートヘルムとヴィルフリート二人体制の筆頭魔導師補佐官は、バランスが取れている。


 ヴィルフリートは一般階級の出の職員に親しまれ、貴族階級の出の職員に疎まれる。

 ディートヘルムは一般階級の出の職員にやや忌避されるものの、貴族階級の出の職員には受けがよい。

 それぞれがあまり好まれない立場の人間にそれぞれ好まれるのだから、丁度いいと言えよう。


 ひそかに対立を望まれているのも知っているが寧ろ二人で結託しているくらいなので、恐らく代替わりするまでは表向きやや緊張感のある関係でいるだろう。いや、婚約を表に出したらそれも終わるだろうが。


 あわあわとやや慌てている彼女に微笑み、それから時計を見る。

 そろそろ、エステルが一人で出来る仕事もある程度終わってきてこちらの補助も必要になってくる頃合いだ。ご飯も用意しなくてはならないので、彼女との長話も終わりにするべきだろう。


「……さて、そろそろ俺にも仕事がありますので、話を切り上げても?」

「はい、突然の訪問にも対応してくださりありがとうございます。また研究の成果をお見せ出来るように、研究課一同で精進いたします」


 彼女も仕事があるのだろう、慌てた様子はそのままに、礼儀正しく腰を折って部屋を辞した。


 ヴィルフリートは彼女から追加でもらった報告書を確認し、そのまま隣のエステルの部屋に。


「エステル」

「はい?」

「こちら先日行われた魔物討伐後の解剖結果です。後でご確認下さい。……ああ、今見てるその申請書については過去の前例がありますのでこちらをご確認の上判断ください」


 エステルに確認してもらうものを一つ増やしつつ、エステルが手にとっている申請書をちらりと見て、棚から幾つか書類を取り出して手渡す。


「こちらの報告についてですが、大地からの自然発生でなく、それとは別種の繁殖した魔物の生態系が気候変動によって変わった可能性があるのではないかと思います。後日ロゼに聞いてみますので少々お待ちください。この机の右にある書類確認と決裁が終わったら昼食にしましょうね。あ、それから、明後日の会議の議題については――」

「……むぅ」

「エステル?」


 途中から何故だかエステルが微妙に不服げな表情を作り出しているので、ヴィルフリートが訝って名前を呼ぶと、そっとため息をつかれた。


「……ヴィルが全部処理した方が早くないです?」

「無茶言わないでください」


 仕事が嫌だ、とは言わなかったものの、滅茶苦茶気が進まなそうにしているエステルに、苦笑いしか出来ない。

 ヴィルフリートが処理をした方が早い、と言われても、今エステルが処理しているものは筆頭魔導師の承認が必要なものなので、こちらではどうしようもない。ディートヘルムやヴィルフリートが出来るものはそもそも彼女に回していないのだ。


「分かってます、分かってますけど」

「エステル。帰ったらご褒美あげますから頑張りましょうね」

「うう、それ言われると頑張らざるを得ません……」


 エステルは、ヴィルフリートが与えるご褒美(甘やかし)を楽しみに仕事をこなしている。恐らくヴィルフリートがエステルを労らないと確実に仕事に対するやる気がなくなる。やりはするだろうが、ご機嫌時と比べれば仕事の手も遅くなる。

 書類作業をやりたくないのは分かるが、ヴィルフリートとしてはエステルのやる気ゲージは保っておきたい。


「帰ったら肩揉みでも髪を梳くのでもキスでもハグでもしますから」

「じゃあ全部です」

「欲張りコースですね。かしこまりましたよ」

「……私も、ヴィルにしてあげますね」

「その前に疲れて寝るにプリン一個賭けておきましょうか」

「だ、大丈夫ですもん。へーきです」

「まあ期待しないで待っておきますね」


 エステルより余力が残っているヴィルフリートはそれなりに元気でいられるものの、エステルは自宅で甘やかしてぐずぐずにしてしまえばすぐに眠りにつく。

 元々夜更かしが得意でないらしく、いつもすぐに寝てしまうのだから、心地よい環境を整えればエステルは呆気なく寝てしまうのだ。

 ヴィルフリートに何かする前に寝る確率の方が高いのである。


 エステルは意気込んでいるものの、今日の仕事量的に恐らく無理だな、と見当をつけているヴィルフリートは笑って流す。


「俺は甘やかす方が好きですので、おとなしく甘やかされてくださいな」

「……私も甘やかしたいです」

「話しは仕事を終えてからですねえ」

「ううう。頑張りますもん……」


 やっぱり仕事には乗り気でないエステルにまた笑って、ヴィルフリートはせめてエネルギーだけでも補充してあげようと書類と格闘しているエステルの頭を優しく撫でた。

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