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01 寝室にお邪魔されます

 現状魔導院で二番目に地位の高い筆頭魔導師補佐官であり高給取りと言えるヴィルフリートでも、根は庶民であり、優雅な暮らしというものには縁がなかった。

 給与が跳ね上がろうと住まいを変えるつもりはなかったし、スプリングの甘い安っぽいベッドや、やや硬いソファでも充分に生活できていた。極論床でも寝ようと思えば寝られる質なのであまり気にしていなかった、というのはある。


 そんなヴィルフリートだからこそ、今自分が沈み込んでいるひたすらに柔らかく、それでいてほどよい弾力を保持した寝床に違和感を持っていた。

 朝、目を開ける前に脳が覚醒してしまったヴィルフリートは、ふかふかのベッドに滑らかな手触りのシーツやら毛布やらに包まれている状態に妙な居心地の悪さを感じている。


 一人で寝るにはかなり広い、というより本来二人分の広さらしいベッドは、硬い寝床に慣れていたヴィルフリートにはなんともむず痒さを感じる。心地よいには違いないのだが、些かおそれ多さも感じる。

 ディートヘルムの屋敷に住まいを移したのでこれが当たり前になるのであろうが、慣れてしまったら他の寝床では寝られなくなりそうな極上の感触なため、微妙に慣れたくなさもあった。


 ふぅ、とため息をついて窓の方を見れば、カーテンから朝日が透けて部屋を照らしている。明るさ的にはそう遅くもない時間帯である事は間違いないし、普段から一定時間には起きるようになっているため、多少生活の変化でズレはあろうがいつもの起床時間とそう大差ないだろう。


 寝床の温もりは恋しいものの、そろそろ起きて身支度をせねば、と名残惜しげに体を起こした。正しくは、起こそうとした。

 マットレスに手を添えて上半身を起こそうとして、手が何か艶やかなものを下敷きにしているという事に気付いたのだ。


 さらさらとしたそれに、頭痛を起こしそうになりつつ視線をそちらにやると……桃色の波が、シーツの白色を埋めている。


 自然とため息が出た。


 驚く、という訳ではない。薄々予感はしていたのだ。エステルとは厳正なる話し合いの結果別室(扉で繋がるという不必要な仕様付き)になったものの、エステルがただで引き下がる訳がないと。

 その結果が、これなのだろう。


 隣ですよすよと眠っている婚約者様の姿に、ヴィルフリートは無造作に柔らかそうな頬を摘まんだ。


「うにゅ……ふへっ、あれ、ふぃる……?」


 然程痛くない程度に摘まんでいはするものの、流石に差し込む朝日で頭も大分起きていたらしく、うにうにむにむにとやわらかほっぺと戯れていたらエステルも目を覚ました。

 ぱちり、とすみれ色の瞳を瞬かせて、それからヴィルフリートが指先で頬と触れ合っている事にぽかんと呆けた顔を見せる。


「ひょ、なんれほほひっはるんれすか」

「おはようございます。言いつけ破った可愛いお嬢さんを見かけましたのでつい」


 お仕置きのつもりで頬を引っ張ったりやんわりこねたりしているので、エステルは「いたいれすー」と舌足らずに不服を申し立てている。ヴィルフリートは、むにょむにょとしばらく柔らかさを堪能した後、わざとため息をこぼして手を離した。


「エステル、何故ここに居るのですか」

「……んー、そこから入ってきました」

「何処から、ではなくて何故、と聞いたのですが」

「さびしかったです。だって、折角一緒に暮らせるようになったのに、お部屋別々は……」


 ずっと待っていたのに、としょぼくれたように呟くエステルに、ずしりと罪悪感の重りが胸に積まれていく。


 一緒に過ごしたがっているのは、知っていた。ヴィルフリートとしても共に過ごしたいとは思う。


 けれど、毎晩共に過ごすようになったら、確実に理性が削られる。屈託のない笑顔と共に甘えられてしなだれかかられたら、流石にヴィルフリートでもエステルに手を出さずにはいられない。

 それに、色々と見られたくない事もあるにはあるので、一応プライベートも確保しておきたい。故に長時間の説得を経て部屋を別々に分けたのだ。


 エステルの気持ちも分かるが、こちらとしても、何の覚悟もなしに忍び込まれて同衾、なんて避けたいのだ。


「……気持ちは分かりますが、寝ている間に潜り込むのは淑女とは言えないでしょう」

「ヴィルの前では淑女の皮は脱ぎ去ります」

「俺に羊の皮を脱がせないでください」

「狼になるんでしたっけ」

「そうですね。もうエステルなんて簡単に襲って食べてしまいますので、こういう事は控えてほしいのです。嫌とかではなく、俺の精神衛生上の問題というか」


 エステルにどう伝えれば正確に理解してくれるか。 そもそも理解出来るかすら危ういので、やんわり言うしかない。

 ただ、具体的に言わないせいで、エステルが微妙に膨れている。


「……分かってます、わがまま言っちゃだめな事くらい。ヴィルだって、自分の時間がほしいでしょうし」

「そういう訳ではな……くもないですけど、今回の場合は、ですから……エステルと一緒に寝ると、俺が我慢出来なくなりますから」

「何で我慢するのですか?」

「……まだ結婚してないからですね」

「じゃあ、結婚したら、毎日一緒に寝てくれますか?」

「それは、あなたがいいなら」


 名実共に夫婦になってしまえば遠慮する事もないので、褥を共にしようといいのだが、その際エステルが逆に逃げそうな気もする。それを指摘するつもりもないが。

 あっさりと頷いた事にどうやら満足したらしくふわっと花開くように笑みを咲かせたエステルは、ヴィルフリートの腕の中にもぞもぞと移動して胸板に頬をすり寄せる。


 ご満悦そうに瞳を閉じていくエステルに、ヴィルフリートは抱き締めようとして……思い出したように引き剥がした。


「……ヴィル」

「エステル、仕事ありますからそろそろ朝の支度をしましょうか。……唇尖らせない」

「ひどいです、もう少し優しく剥がしてください」

「そしたら嫌がってまたくっついて時間のロスになるでしょうに」

「それはそうですけど」


 むー、と分かりやすく膨れているエステルはぺしぺしと胸を叩いている。もちろん、暴力というにはあまりにも可愛らしく微笑ましいもので、ついつい頬が緩んだ。

 それを見られてしまったため、余計にエステルが頬に風船をこしらえているのだが。


「エステル、機嫌直してくださいな」

「つーんです」

「お好きなものを夕食後に作りますよ?」

「……プリン食べたいです」


 ただ、エステルの怒りはそう持続しないし、そもそも怒っているというよりは拗ねているといったものなので、構ってもらえると分かればすぐに元通りになるのだ。

 こうして、甘いもので釣るのも効果が高い。


「はいはい、お作りしますから。エステルの好きな卵たっぷりかためプリンですね」

「クリームとフルーツも要求します」

「はいはい、豪勢にします」

「ヴィルのあーんがなきゃやです」

「手ずから食べさせてあげますから」

「……帰ったら、いっぱいぎゅーしてください」

「たっぷり甘やかしてあげますから」


 宥めるように、エステルを甘やかしながら頭を撫でると、どんどんお口に溜まった空気が抜けていって、今度は逆にしょんぼりと萎れていく。


「……忙しい朝に、わがまま言ってごめんなさい」


 変なところで律儀でしょげやすいエステルに、ヴィルフリートは気にする事はないのに、とまた頭を撫でる。

 それだけでは足りなそうなので、最初は剥がしたもののもう一度体を密着させて俯きがちな頬に唇を寄せた。


「いえいえ、こういったやり取りも楽しいですよ。俺は、あなたに甘えられるのが好きですから」

「……ヴィル」

「本音を言いますと、朝は忙しいから一日ご褒美にしておいて、帰ってからエステルとの触れ合いを存分に楽しみたいというのはありますけどね」


 今睦み合うのも朝の活力にはなるのだが、僅かな時間では物足りない。それよりは帰宅後にまとまった時間を用意した方が効率がよいし、仕事もこなす気になるだろう。

 互いにおうちでゆったりが至福の一時であると考えているであろうから、そちらの方がずっとよいと思ったのだが――エステルは、予想以上にびっくりしたようで目をまんまるにしていた。


 それから、ぱあっと満開の笑顔。


「じゃあ帰ってからいっぱいくっつきます!」

「お仕事頑張ったらより多く過ごせますね」

「じゃあお仕事頑張ります!」


 どうやらやる気を出してもらえたらしい。

 今日は仕事が捗りそうだな、なんてエステルを誘導出来た事に苦笑しつつ、自分もエステルとの触れ合いの時間が増えるならやる気も増していくので、単純なものだと笑みに微かな呆れよりの自嘲をこめる。


(……やっぱり、こういう生活っていいな)


 気恥ずかしさは残るものの、可愛い婚約者様と堂々といちゃつけるのだから。


 妙に意気込んで自室に戻っていくエステルの背中を、ヴィルフリートはなんともくすぐったい気持ちで見守った。

という訳で二部開始しました。二人が夫婦になっていく過程やロゼについてのお話になる予定です。応援していただけたら幸いです(´ワ`*)


あと番外編置き場を作りました。活動報告に置いてある小話などを置いていきます。大体季節のイベントものやひたすらにいちゃいちゃしてるお話です。


という訳ではらぺこ二部もよろしくお願いいたします!

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