義父(予定)との会話
先日エステルの屋敷……正しく言うとディートヘルムの屋敷に住居を移す事を承諾したヴィルフリートであったが、すぐに転居出来る訳でもない。
家具は向こうが用意してくれる、というおそれ多いお言葉をいただいたものの、それ以外は自分で持って行かねばならないし、手続きもろもろや仕事の関係上簡単には屋敷に移動する事は出来そうにないのだ。
エステルとしては言質を取っただけで満足しているらしく、急かしてくる事はない。
エステルは。
「君はまだ踏ん切りがつかんのかね」
ディートヘルムの執務室――ヴィルフリートはまた別にある――に補佐官二人の承認が必要な書類を届けた際、唐突にそんな事を言われた。
何を指しているのかは、具体的な事を言われていなくても分かる。エステルづたいにディートヘルムにも約束は伝わっているので、その事を言っているのだろう。
「俺達には俺達なりのテンポがありますので。それとも、さっさと俺に屋敷へ来て欲しいので?」
「そうだな」
まさか肯定が返ってくるとも思わずにぱちくりと瞬きをすると、彼の端整な顔が苦笑を浮かべる。
「そう驚く事でもあるまい。私は君が来る事に賛成していた筈だが」
「理由は?」
「そうだな、幾つかあるが……一つは、エステルのためだな。わざわざ君の家に行くのは時間がかかるだろう。それに、君が共に暮らすようになれば、エステルの仕事の能率が上がる」
「ああ……」
エステルは、機嫌が良ければ良いほど仕事をこなす速度が変わる。普段でも問題ないくらいには処理速度は速いが、機嫌が良いと更に速くなる。
そして、エステルの上機嫌の鍵はヴィルフリートが握っている。
おそらく彼女の考えている事の半分くらいは自分が占めている自信があるヴィルフリートは、自分がエステルの側に居れば居るほどエステルの機嫌がよくなると分かっていた。
これから仕事が忙しくなる事も予想されているし、速いに越した事はないので、出来る事ならエステルには楽しく上機嫌に過ごしてほしい。
ただでさえ筆頭魔導師に就任したてでストレスも溜まっているのだから、発散するためにもリフレッシュが必要だろう。
「それに、イオニアスの刺激にもなるだろう。体質上外をうろつく事はあまり出来ないからな、彼も退屈してるのだよ」
「話し相手というか……皮肉が飛んできそうなものですけどね」
「素直ではないからな、イオニアスも。別に、君を嫌っている訳ではないのだよ」
「それは感じておりますが」
彼の場合、嫌いだった場合目を合わさないどころか接触を避けて対面する事を厭う。それを考えれば、ヴィルフリートは彼には嫌われていないだろう。
かといって好かれている、という訳でもない。口喧嘩くらいは出来る程度の仲だ。友人と言うには交遊は足りないし、知人と言うには互いを知りすぎている、といった微妙な関係である。
「別に、イオニアスも反対している訳ではない。勝手にすれば? と言っているからな、あれは肯定している。まだ躊躇う理由があるか?」
「……もし、一緒に暮らすようになって俺が婚前交渉でもしたらどうするおつもりで?」
「責任を取るつもりでするのだろうから、私からどうこう言う事はないだろう」
「親がいいんですかそんな事言って」
「親だからこそ娘の幸せを願っているつもりなのだがね」
ディートヘルムは、エステルを大切にこそしているが、束縛はしない。一定の役目さえこなしてしまえば好きにすればいいの放任主義な男だ。
エステルが自ら望んでいるならば、不幸にならない限りは好きにさせる――そんなスタンスで見守っている彼にとって、ヴィルフリートはエステルの幸せのための重要なファクターであり、エステルにとっての幸せそのものだと理解を示している。
だからこそ、ヴィルフリートがエステルと契ろうと気にしないのだろう。どうせヴィルフリートだから間違いなく責任はとる、と分かっているのだから。
「……言っておきますけど、俺は結婚するまで何もしませんし、慣例に則って婚約期間だって設けるつもりですからね」
「現状婚約期間みたいなものだと思うがね。エステルが焦れない程度にしたまえ」
「……そこは考えておきます。それに、エステルは……結婚とかいうものより、側に居てくれたらそれでいいって人ですからね。まずはそこから認識を改めていただけるように頑張りますよ」
夫婦という明確な形を、エステルは気にしていない。というよりは意識から吹き飛んでいるのだろう。
彼女には実の親は居ないし、ディートヘルムも親であり保護者ではあるが独身。夫婦に縁がないからこそ憧れがないのかもしれない。
やんわりと苦笑しつつ告げれば、ディートヘルムも同じように僅かに苦笑した。




