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09 上司様のおねがい

 エステルの食欲を甘く見ていた。


「もうお腹一杯ですか?」


 底無しの胃袋を持った上司様に、実に無邪気に問いかけられたヴィルフリートは、静かに頷いた。


 成人男性のヴィルフリートもそこそこに食べるのだが、エステルはその比ではなかった。

 梯子四件目にしてこんな台詞が出てくるのだから、その胃の許容量は推して知るべし。


「流石に俺は入りませんよ。よく食べますね」

「よく食べてよく寝るのが健康の秘訣なのですよ」

「それで太らない室長には感心を通り越して驚愕しますよ……」


 どこに入っているんだ、という程に食べているエステルは、全く苦でもなさそうだ。


 明らかにその柳腰には収まりきりそうにない量を食べているのだが、膨れてすらいないのはどういう事だろうか。

 ちょっと胃袋が異次元に繋がってるんじゃないかと本気で考えるほどである。


 食費も嵩みそうだな、と所帯じみた事を考えたヴィルフリートであったが、当のエステルはほんのり足りなさそうにお腹を撫でていた。


 ……確かに、これだけ食べてまだ入りそうなら、自分の料理では物足りないかもしれない。


「室長、そんなに俺の料理では物足りないでしょうか」


 抜け出した理由がそれならこちらも量は増やしたい、と何だか成長期の男児を持った保護者じみてきたヴィルフリートの問いに、エステルはちょっとだけ申し訳なさそうに柳眉を下げた。


「……ヴィルフリートはお昼とおやつしか作ってくれないんですもん。それに、馴染みの店に偶には顔を出そうと思って……」

「そりゃ俺が居る時じゃないと作れませんから。そんな目立つ容貌で一人でほいほい抜け出していたら、変なのに捕まりますよ」

「でも、それだと……私、ご飯食べられません」


 お腹を押さえつつしょんぼりとしているエステル。

 おかしいと思ったのは、どうして他の人に頼まないか、だ。エステルの立場ならシェフを雇うくらい出来る筈なのに。


「何故、俺なのですか」

「……城のシェフは、信頼出来ないもの」


 そう呟いたエステルは、先程とは違った意味で眉を下げた。


 不快げにもとれるその表情に違和感を感じたのだが、直ぐに元通りになってしまった為に確認する事は適わない。


「出会って間もない俺は信用して良いんですか」

「ええ。綺麗な魔力の味がするもの」

「……魔力の味?」

「あなたの料理は、とても温かくて、美味しいの。料理の味もそうだけど……魔力の質が凄く良い。穢れてないの。甘くて、美味しい」


 うっとりと、食事を思い出したらしく頬をとろけさせたエステルに、ヴィルフリートは何だか気恥ずかしさを覚えてしまう。


 魔力が穢れていない、というのがどういう事なのか自分ではさっぱり分からないものの、とりあえず褒められていると受け取って良いだろう。


「……料理に作り手の魔力がこもるとか魔力に味があるとか、そんなの聞いた事ないんですが」

「私くらいしか感じられないもの、そうでしょうね」

「……だから俺を料理係に任命したのですか」

「そうですね。清廉な魔力だから、側に居て落ち着きます。城のシェフは……駄目なの。……あれの息がかかってるから」


 あれ、が何を指すのか、ヴィルフリートには分からない。

 ただ、エステルにとって害な人物であり、不利益になる相手というのは分かる。

 基本的には穏やかなエステルがきゅっと眉を寄せているのだから、余程の相手なのだろう。


 そんな事をしそうな存在などヴィルフリートにはディートヘルムしか思い付かないが(偏見)、ディートヘルムならば先日名前を出した時にもっと反応がある筈。


「だから、町の人の悪意ない、安全な食べ物を摂取してるのです」

「……普段はどうしているのですか」

「お外にこっそり買いに行って、それを食べるか、我慢しています」


 余分なもの取り入れたくないから、と小さく付け足したエステルの表情は、やや翳りを帯びている。


 高位の宮廷魔導師ともなれば城の一画に住まいを持てるのだが、エステルの場合はそれが仇になっているらしい。


 食がエステルにとって重要なファクターとなっているにも関わらず、私生活では安心して食べられない。

 ヴィルフリートが想像するより、ずっと辛いだろう。


「我慢するのは体に悪いのでは。まだ言ってくれさえすれば、ある程度作りおきでもしますし……」

「……ヴィルフリートが朝ご飯と夕ご飯も作ってくれるんですか?」


 自分で仕事を増やした気がした。


 またもや、期待に満ちた眼差しを向けられる。

 もう取り返しはつかないのだと悟りつつ、輝きだした眼差しと紅潮する容貌に、視線を返す。


 ここでやっぱ無理ですと答えれば、エステルが泣きかねない。


「……言っておきますが、俺は宮廷料理人のような料理は作れません。お菓子ならある程度作れますが、料理に関しては大衆食堂のそれです。昼食に出してるようなものばかりですよ」

「そっちが良いの」

「物好きですね。……特別手当支給申請と残業代支払申請しますよ。あと、毎日は無理です。休日はしません」

「それでも、良いです。平日は、普通に……ヴィルフリートの朝ご飯とか夕ご飯をご相伴にあずかっちゃ駄目ですか」

「……あの、それは俺と四六時中居るようなものですけど」


 確かに、ヴィルフリートは一人暮らしをしていて自炊しているし、一人分を作るよりは二人分……いやこの分だと五人分作る羽目にはなるが、中途半端な量を作るよりはある意味楽だ。

 実家では大人数の分を作っていたので、慣れている。


 だが、ここで大きな問題点を挙げたい。


「駄目なのですか?」

「だ、駄目というか……俺は家でご飯を作りますよ」


 当たり前だが、勤務時間外は基本的には家に居る。外出こそすれど、朝食や夕食は自宅でとっている。

 エステルがそのご飯を食べようとすれば、当然自宅までやってくる事になるのだ。


 流石に、ヴィルフリートも早朝や夜に第二特務室の厨房で食事を作る事までするつもりはない。


「大丈夫です、出向きます」


 ――全然大丈夫じゃない!

 

 何が問題かを全く分かっていなさそうなエステルに、頭を抱えれば良いのか突っ込めば良いのか分からずに唇をもごもごと蠢かせるヴィルフリート。

 当のエステルはどこまでも無邪気に首を傾げていた。


「あ、私生活に入り込むのはプライバシーの侵害というものでしょうか」

「……いやそれもありますが、俺、男なんですが」

「はい、存じています。……それが何か?」

「それが何かじゃなくてですね、色々と危ないとか思わないんですか」

「安全だからあなたに頼んでいるのですけど……」


 完全に安全圏内に捉えられているヴィルフリート。

 確かに何もする気はないが、意識されないのはどうなのだろうか。


「……仮に、俺が襲いかかったら、どうなさるおつもりで?」

「返り討ちにしますよ?」


 淀みなく答えたエステルに、そうかそうだよなこの人は特級魔導師で俺よりも強いよな、と引きつった笑みを浮かべるしかない。

 つまり、歯牙にもかけていないのだ。驚異としてすらみなされていない。


(確かに俺なんて軽くあしらえるだろうが、それはそれで複雑だ)


 それだけの実力差があると、エステルは無意識に見下している。

 見下す、といえば言い方は悪いのだが、相手にならないと思っているのは間違いないだろう。


 そしてそれが、特級魔導師とその他の違いだ。

 特級になれる者は、皆尋常ではない強さを持っている。若くして一級魔導師になったヴィルフリートですら、エステルは意に介さない。


 人を寄せ付けぬ強さを持つ選ばれた魔導師、それが特級魔導師だ。


「それに、あなたはそんな事をしないと思っているのですが。私を襲撃したところで、あなたに得はないですし」

「……襲撃」

「はい。私を狙った所で、あなたに利益は生まれませんし」


 何か、彼女は盛大な勘違いをしている気がした。

 襲うを物理的な破壊の意味での襲撃と捉えたらしい彼女に、ヴィルフリートは今度こそ頭を抱えた。


 どうやら異性とか云々の前の問題だったようだ。


「……あー、はい、そうですね。理由もないですし、悪感情を持っている訳でもないですから。嫌なら料理なんて作りませんよ」

「でしょう! だから、安全です!」


 えっへん、と胸を張ったエステルに言い聞かせるのは諦めて、とりあえず自制は徹底しようと心に決めたヴィルフリート。


 何かするつもりは更々ないが、何というか異性が自宅に来るとか心臓に悪すぎて、のたうち回りそうだ。そっちを抑える方が大事で、エステルに何かしようという気にはならない。


 それに、こんな無防備な年下の少女に何かするなんて、考えられない。万が一何かしようにも多分先に罪悪感がくるだろう。

 エステルは仮にも上司ではあるが、何というか世話の焼ける女の子で、どうこうしようとは全く思わなかった。


「……はいはい、俺は安全ですよ。どうぞ、来週からご飯を食べに来てください。出来るだけ人に見られないように」

「どうしてです?」

「誤解されるのは俺もあなたも不本意でしょう。兎に角、良いですね」

「分かりました」


 分かっているのか分かっていないのか、こくこくと興奮気味に頷いた可憐なる上司様に、ヴィルフリートの胃痛の種がまた蒔かれたものの、こればかりは自分が蒔いた種なのでどうしようもない。

 二人きりに抵抗を持たない、異性としてそれで良いのか年頃の上司様。


「じゃあ、今度からはよろしくお願いしますね」


 屈託なく微笑んだエステルに、ヴィルフリートは少し躊躇いつつも首肯をした。

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