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恋人は小悪魔ちゃんです

「何しにきたの」


 エステルに連れられてディートヘルムの屋敷にたどり着いたはよいものの、中に入った所でイオニアスと遭遇して開口一番に訝るような眼差しと言葉を投げられた。


 やや久しぶりに見たイオニアスは、肌こそ男にしては白いものの、血色が悪い訳でもない。体幹も思ったよりしっかりしているし、ふらつきは見られない。

 前に肩を貸した時とは雲泥の差で、彼が生きる努力をしているのは目に見えて分かった。


 ただ、辛辣というか少々口がきついのは相変わらずなようで、ヴィルフリートには素っ気なさも露わだ。


「これまた随分な言い草ですね」

「お兄様!」

「うるさいな。君はこれくらいで一々口を挟むなよ」

「エステル、いいですよ別に。悪口ではなかったでしょう?」


 罵倒された訳ではなく挨拶代わりに軽くジャブを受けたくらいなので、別になんとも思っていない。というよりこれも交流の一部なんだろう、程度の認識だった。


 ただエステルはイオニアスの態度に不満らしく、愛らしく頬を膨らませている。

 そんなエステルを鼻で笑って更に膨れっ面に仕立て上げているイオニアスに、元気だからこそこんな風に軽くやり取りできるんだろうな、と少し微笑ましさを覚えた。


「イオニアス様、体調はいかがですか」


 見た感じ比較的良好そうではあるが確認のために問うと、エステルと同じすみれ色の瞳がやや細まる。


「君らに言われた通り大人しくしているんでね、さほど悪くはないよ」

「それはよかった」

「……君らは満足だろうね」

「あなたにも満足していただけるようになれたらと思いますよ。まだまだ、あなたには知って欲しい事は山ほどありますから」

「……ふん」


 生きる喜びを知ってもらうために、彼の知らない世界を知ってもらうために、生きてもらったのだ。彼に見せてやりたいものや体験させたい事なんて山ほどある。

 イオニアスはあまり愉快そうではなかったが、嫌だとは言わないので受け入れてくれるだろう。彼は素直ではない、とディートヘルムやエステルからよく言われているし、本気で鬱陶しそうにしていないので決して嫌ではない筈だ。


 そっぽを向いたイオニアスにひっそり笑うと気に食わなさそうに睨まれたが、ちっとも怖くなかった。


「……随分と生意気になったね、君」

「ふてぶてしくないと補佐官は務められそうにないので」

「可愛げのない」

「男に可愛らしさを求められましてもね」


 軽くやり取りをするだけでエステルがはらはらしているのだが、互いに本気でやっている訳でもないので気にするほどでもない。

 エステルがイオニアスと口喧嘩するように、じゃれあっているようなものなのだから。


 舌打ちをされたものの、機嫌は損なってないようなので一安心である。


「……君と話していてもつまらないから部屋に帰る」

「では、また食事の時間に」

「なんで君と、……ああそのために呼んだのか。エステルも余計な事を」

「お兄様、暇潰しにこないかなとか言ってませんでしたか」

「勝手に捏造するな」


 イオニアスがエステルをギッ、と鋭く睨み付けるが、エステルはそっぽ向いている。こういうところは兄妹似ているな、なんて思って笑えばイオニアスが苛立ちを見せ始めたので、そろそろ微笑ましく思うのは抑えておこうと思った。


「そういえば、閣下は?」

「ディートヘルムですか? もうそろそろ帰ってくる頃合いだと思いますけど……」

「呼んだかね」

「うわっ」


 家主が帰宅していないのか、と思えば背後から声がかかる。思わず声を上げると、愉快そうな笑い声が聞こえてくるので、間違いなく狙っていたのだろう。

 振り返ると魔導師のコートを使用人に渡しているディートヘルムが居て、ヴィルフリートの反応を楽しんでいた。


 相変わらず油断ならない人だな、と微妙にささくれだった心にそんな感想を浮かべつつ、いつもの笑みを浮かべる。


「お邪魔してます」

「エステルから聞いている。ゆっくりしていきたまえ」

「お気遣いありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきますね」


 エステルとしてもヴィルフリートとは長く過ごしたいであろうからなるべく滞在時間は延ばしておきたいものの、あまりに遅いと宿泊コースになりそうで少々悩ましい。


 ディートヘルムやイオニアスが宿泊そのものを拒むとは思わないが、問題はエステルが部屋に突撃してきそうな事なのだ。

 お泊まりで浮かれたエステルがヴィルフリートと一緒に寝たがる、なんて想像に難くない。無邪気に添い寝を要求してご満悦なエステルが簡単に思い付く。


 嫌ではないものの、理性的な問題で危ない。

 普段からたまに添い寝はしているものの、やはりというか慣れはしないし衝動に駆られる事などしょっちゅうだ。あまり気付かれたくはない葛藤やら衝動やら肉体的な反応があるので、出来れば避けたいのだが……エステルにそれを理解してもらえるとも思わなかった。


 なるべく泊まりは避けよう、と心に決めて、ヴィルフリートは歓迎してくれるディートヘルムに微笑み返した。




 結論から言うとディートヘルム邸に泊まる事となった。

 和気藹々(多少イオニアスに皮肉を言われたりはしたが)としたディナーの時を過ごしたし、自分では作れないような料理を堪能出来て実に有意義な時間ではあった。


 だが、どうしても話し込んでしまって、予定よりも大幅に食事を終えるのが遅かったのが問題だった。


 流石に帰るには時間的に少し遅いしやや遠い位置にあるので帰宅に困るだろう、という事であっさりとディートヘルムが宿泊を認めたのだ。

 止めないとは思っていたが、出来れば止めてほしかった。


 視線でそう訴えるも「どうせいずれはこっちで生活するようになるのだから慣れておけばいいだろう」と一蹴され、そのまま部屋を用意されて服やら風呂やら何やら至れり尽くせりの状態に。

 自分の家とは比べ物にならない広さや品のある調度品が置かれている部屋を与えられて、ヴィルフリートはどうしたものかと額に手を当てた。


「ヴィル!」

「……そこで俺の心配をまんま的中させてくるあなたはあなたらしいですね」


 しばらく悩んでいたが、エステルが部屋に襲撃もとい来訪してきたので、一旦悩むのはやめて目の前の可愛らしい襲撃犯にどう対処するかを考え始める。


 湯上がりらしいエステルはいかにも貴族のお嬢様のようなゆったりとしたワンピース型の寝間着に身を包んでいる。

 膝丈な事に安心すればいいのか薄くて体のラインが分かりやすい事を嘆けばいいのか分からない。出来れば襟ぐりが小さな寝間着の方がよかったのだが、残念な事にややひろめで滑らかなデコルテが露になっている。


 ノックもそこそこに入ってきてベッドに座っているヴィルフリートにきらきらした眼差しを向けてくる恋人様に、喋らなくとも彼女の用件を察した。入ってきた時点で分かりきった事だったが。


「ここにきてどうしたのですか」

「一緒に寝ようと思って」

「……なぜに?」

「ヴィルの部屋にお泊まりしてる時はいつも一緒に寝てるでしょう?」

「まあそれはそうですけどね。でもここは閣下の屋敷ですから」

「私の屋敷でもあるので。問題あります?」


 ヴィルフリートの葛藤も露知らず、エステルは無邪気に首をかしげる。

 エステルとヴィルフリートでは問題に思っている場所が違うので、そもそも噛み合わないのだ。エステルは自宅なんだから誰も文句言わないだろう、という点を主張しているし、ヴィルフリートは自分の精神衛生上距離を置くべきだ、と思っている。


 しかしそれをうまくエステルに説明出来る気も理解してもらえる気もしないので、早々にヴィルフリートは説明を諦めた。

 もう俺が我慢すればいいか、なんて達観している辺り、ヴィルフリートはエステルの無自覚誘惑攻撃を度々受けた結果だろう。


「問題は大有りですが、俺の意見はあなたに言っても賛同は得られませんから。……仕方ないですね、いらっしゃい」

「ヴィルすきっ」

「うわっ」


 満面の笑みで飛び付いてきたエステルに、ヴィルフリートはぎりぎりで受け止めるものの勢い余ってエステルにのしかかられる羽目になっていた。

 腿の辺りに乗ったエステルがにこにことご満悦そうな笑みを見せているので、ヴィルフリートは何だか自分がやましいのが悪い気分になってきて掌で顔を覆う。


(他意がある俺が悪いんだろうか)


 いや、悪くない筈だ、と自分に言い聞かせる。

 恋人と寝室で二人きり、なんてシチュエーションに反応しないのは男ではないと思う。むしろ健全な男子としては正しい反応なのだ。可愛くてスタイルがよくて湯上がり薄着の恋人に押し倒されたら、当然色々と思う事があるのだ。


 はぁ、とため息をつく振りをしてわき上がってくるそれを誤魔化しつつ、ヴィルフリートはゆっくりと体を起こして支えるためにエステルの肩を掴む。


「エステル、危ないでしょう」

「ヴィルが受け止めてくれると思って」

「受け止めますけどね。……全く、いつもあなたは突発的な行動ばかりしますね。ひやひやします」

「そこはどきどきしてください」

「どきどきしてますよ、そりゃあ。可愛い恋人が無防備に寝所に突撃してきたんですから」


 いつだって心臓に悪いのだが、エステルに自覚はないようだ。

 抱きつかれれば否応なしに心臓の音など聞こえてくるだろうに、あまり気にしていないのかもしれない。ヴィルフリートは歳上だからとなるべく落ち着いた対応を心がけているが、余裕は張りぼてのものだ。

 こうやって、エステルに甘えられると、すぐに繕っていた顔が飛んでいきそうになる。


「……あなたは平然としてらっしゃいますね」

「そ、そんな事はないのですが……どきどきしてます。触ったら分かります!」

「へえ」

「半信半疑ですね」

「確かめる訳にはいかないでしょう」


 たとえ心臓が跳ねていようが、それを確かめる術は持ち合わせていない。

 耳を当てるか掌で触れるかしなければ分からないのに、恋人とはいえ女性の胸部に迂闊に触れるような真似はしたくなかった。羞恥心もそうだが、自制心が揺らぎそうだから。


「ヴィルなら確かめてもいいですけど」

「そこであっさりお言葉に甘えたら流石にだめでしょうから」

「甘えてくれてもいいのですよ」

「物理的に甘えるという事ではないのですが……こら」


 丁重にお断りしようとしたのだが、のほほんとしたエステルが膝立ちになりヴィルフリートの頭を抱えるように抱き締めたため、配慮は無に帰した。


 顔が埋まるほどの質量に、ふわふわとした弾力のある柔らかさ。お菓子にたとえるならマシュマロのような感触で、おまけに温くていい匂いまでする。

 極上の枕に強制顔面ダイブさせられたヴィルフリートは、もう疲れてどうしていいのか分からずにエステルの好きにさせる事しか出来なかった。


 はぁ、と息を吐いて耳を済ませれば、確かに本人の申告通り、心臓はいつもよりも時を刻むのが早い。とっ、とっ、と一定のリズムで駆けるような音が聞こえて、エステルも多少なりと意識している事だけは分かった。


「……どきどきしてるでしょう?」

「……してますね」


 ヴィルフリートももう疲れたので、そのまま柔らかいそれに顔を埋めている。

 心地いいと言えば心地いいが、落ち着かない。背中やら腰やらがざわりとざわついてくる。非常によろしくない環境だ。


 エステルはというと、珍しく大人しいヴィルフリートが嬉しいのか、ぎゅむっと人形を抱き締めるように包んで、よしよしと頭を撫でている。

 こちらの焦れったさやもどかしさなど全く気付かない恋人様に、そろそろヴィルフリートも限界が近付いていた。


「……あんまり無防備にしてると襲うぞ」

「ヴィル?」

「いえなんでも。……もういいですから」


 呟きは聞き取られなかった事を喜べばいいのか悲しめばいいのか。

 相変わらず分かっていないエステルの山から顔をあげて腰を掴み離すと、「えー。私もうちょっとぎゅーしたいです」と不服そうな声が返って来た。


 もう一度くっつこうとしてくるエステルの姿に、ヴィルフリートは自分の中で少し抑えが緩んだのを明確に感じていた。


「左様で。……エステル」


 分からないなら、分からせた方がいいのだろう。恋人いえど、危害を加えない訳ではないのだと。


 ヴィルフリートはエステルには一度痛い目を見ないと分かってもらえないか、とべったりくっつく華奢な体を剥がして、そのままベッドに押し倒した。


 なるべく勢いを殺して押し倒したのでぽすん、なんて柔らかい音をたててベッドに横になったエステルは、きょとんと不思議そうな眼差しを向けてくる。

 普通ならこの時点で危機感を感じるのが正解なのだが、エステルはちっとも分かっていないようで「もう寝ます?」なんて見当違いの言葉を投げてきた。


 これは相当だな、と恋人のゆるふわ加減に苦笑しつつ、気を取り直してヴィルフリートはエステルに覆い被さったまま緩く頬を撫でる。


 砂糖菓子に触れるように丁寧に壊さないように触れると、くすぐったそうな表情で眉を下げたエステル。緩やかに撫で上げて唇をなぞると、どこかすみれ色が切なげな色を帯びた。

 物欲しげ、と言い換えてもいい、ほんのりと艶めいた表情をされて、ヴィルフリートは少しだけ眉を寄せる。


(これで無自覚って言うんだから質が悪い)


 口紅でも塗るようになぞるだけでとろんと瞳がふやけて好意を滲ませる。全幅の信頼と好意を寄せられているのは一目瞭然で、ヴィルフリートとしてはありがたい反面、ここまで無防備にされても困るのだ。

 一度痛い目を見てもらおうと決意はしたものの、止まれるか危うい。


 どうしたものかと悩んで、白い首筋にゆっくりと唇を寄せて軽く口付ける。


 少し息を吸えば湯上がりの何とも言えないいい匂いが鼻腔を擽るし、吐息に混じった微かな上ずった声も聞こえる。

 ひく、と体は揺れたものの、ヴィルフリートを拒む事はない。むしろ、無意識にか、くすぐったさか、首筋を見せるように顔を逸らしていた。


 まっしろな初雪のような肌をさらしたエステルに、込み上げてくるものを宥めつつゆっくりゆっくりと口付けを落としていく。

 エステルの掌と向き合って重ねて指を絡めて、逃がしはしないという意味も込めてしっかりと握る。もう片手は、普段はあまり触れないようにしている胴体を撫でて。


 白い肌の存在を布越しに指先で感じつつ、なだらかな曲線を描く腰を撫で腰骨のラインをたどると、エステルがくすぐったさにもぞもぞと体を身じろぎさせた。

 既に唇は鎖骨の辺りまで降りていたが、一度エステルの様子を確認しようと顔を上げると、ほんのりと上気した頬に潤んだ瞳のエステルがこちらを見上げてきた。


「……あの……ヴィル……?」


 やや不安げに名前を呼ばれたが、ヴィルフリートは返事をせずにもう一度白い肌に口付けた。

 知らない間に熱くなった吐息がそっとエステルの肌を掠める、それだけで耐えきれなくなったかのように身じろぎ。小さな抵抗と言ってもいいそれに、いつもならそこで止めてやるヴィルフリートは、その脚に手を滑らせて膝裏を掴み、そのまま肩に担いでやった。


 はらり、と滑り落ちていく寝間着の裾。

 露になる日に焼けていない透けるような白さの肌に唇を寄せて、今度は少しだけ吸い付いて痕を付ける。真っ白な肌に色をつけてしまうのは罪悪感があったが、同時に背徳感にも似たものも覚えてしまう。


 てん、てん、と魔導師の制服に隠れるような位置に華を咲かせていくと、ぴゃっ、と小さな悲鳴を上げたエステルが顔を真っ赤にして寝間着の裾を押さえ始める。

 唇を離そうと腿に力が入って、微かにもがいていた。それでも、男であるヴィルフリートの力に敵う訳はない。幾ら魔法の実力が最高峰とはいえ、その身は華奢な少女でしかないのだから。


 ここにきてようやく恥じらいが発動し始めた事に安堵しつつ、ヴィルフリートは足を担ぐのをやめて、エステルの腿を押さえるように軽く乗り、ゆっくりと唇を彼女の耳まで寄せる。


「……あまりオイタすると、俺もあなたに悪戯しますからね」


 ことさらゆっくりと、低く、それでいて甘い声を心がけて囁きを落とし、耳朶を食む。

 エステルが耳が弱いなんて分かりきっていてわざといたぶるようにやさしく甘噛みしてやったのだが、反応は顕著だった。


 びく、と反射的にヴィルフリートから逃れようと体をよじろうとするエステルに、ヴィルフリートはそれを許さず握りあった掌をもう一度強く握り、もう片方の掌も捕らえてシーツに縫い付ける。

 足と手を固定されてはろくに動けないエステルが真っ赤になった顔で怖々と、やや怯えるような瞳で見上げてきたので、ヴィルフリートもほんのりと溜飲が下がった。


「で、まだ続けたいですか」

「けっ、結構、です」

「よろしい」


 男の怖さを分かってくれたら、それでいいのだ。今度から無謀に無防備に飛び込んで甘えてこないでくれたら、それでいい。


 エステルが身をもって理解してくれたようなので、これ以上追い討ちをかけるつもりもなく、ヴィルフリートはエステルからすぐに退いて隣に座る。

 はだけた服を軽く直してやると、びくっとまた震えたので「もうなにもしませんから」と苦笑がこぼれた。


「……ヴィルのいじわる」

「むしろここで留めてあげる俺は親切だと思いますがね。あなたのいとけなさは可愛らしいですが、時折小悪魔のように思えますよ、俺には」


 無自覚な分むしろ質が悪い。ヴィルフリートが手が早くなかった事に感謝をしてほしいくらいである。他の男ならば、あまりの無防備さと純真さにもう付き合う前から手を出しているに違いない。


「小悪魔ですか」

「誘惑してくる可愛い小悪魔ですよ。……さ、寝ましょうね」


 天使のように愛らしく小悪魔のように魅力的なエステルだろうが、寝かしつけてさえしまえばこちらのものだ。

 エステルが眠りの海に落ちたら、我慢こそ必要ではあるが自分が耐えれば何とかなるのだ。寝ている女性に無体なんてまずあり得ないし、事に及ぶには合意と準備の上が望ましいと思っているヴィルフリートならばまず手出しはしないのだから。


 ぽんぽん、とベッドを叩いて眠りを促していくヴィルフリートに、エステルは微妙に膨れたような顔を見せた。


「小悪魔と評する割には子供扱いでは」

「レディとして扱っているからこそですよ、俺としては。それとも、数歩飛ばしてあなたが想像つかないような大人の扱いでもしてさしあげましょうか?」

「……な、何か嫌な笑顔なのでやめておきます」


 エステルが望むのであれば、懇切丁寧に手取り足取りじっくりと教え込んでもいいと思っているヴィルフリートの笑みは、どうやらエステルには胡散臭いものに感じたらしい。


 こちらとしては割といい笑顔だったつもりなのでその言い方は微妙に傷付くのだが、エステルが退いてくれたならそれ以上話を続ける気もなかった。


「そうしてください。ほら、寝てくださいな。腕枕しますから」


 彼女お気に入りの体勢になってやれば、エステルはぱあっと瞳を見るからに輝かせていそいそとヴィルフリートの腕の中に潜り込み、ヴィルフリートの腕に頭を置いた。

 すりすり、と胸に顔を埋めてとろけだしたエステルにやっぱり甘えたがりだな、なんて笑って桃色の髪を手で整えていく。


 長く、それでいてひっかかりのない滑らかな髪を整えるように指で梳いていくと、エステルは思った通りうとうとと瞼を重そうに持ち上げている。

 もう少しすれば、そのまま眠りの世界に落ちていくだろう。


 ようやくこっちも落ち着けると一息ついたヴィルフリートが丁寧に髪をといていると、エステルが胸に顔を半分埋めたまま、こちらを見上げてきていた。


「……ヴィル、ヴィル」

「どうしましたか」

「……あのね、さっきすごくどきどきしました」

「それはよかった。今後は気を付けてくださいね」


 そりゃあどきどきしただろうよ、と笑うしかないヴィルフリートに、エステルは一度胸に顔を埋める。

 腕の中で、どこか躊躇いがちな気配が生まれていた。


 もぞもぞ、と幾度か体を身じろぎさせ、エステルはほんのり恥じらいを含んだ仕草でヴィルフリートのシャツを掴んで、顔を上げた。


 その鮮やかなすみれ色の瞳が孕むさまざまな感情に、そして切なげで物欲しそうな顔に、ヴィルフリートは固まった。


「……で、でもね、その、……嫌じゃなかった、です」

「は、」

「ああいう事されるの、こわいけど……すごく、どきどきして、ぞわぞわして、ふわふわしました。や、じゃないです、よ。……今度する時は、もっと優しくしてください、ね?」


 恥じらいを多分に含んだ甘い声でまるでおねだりのような事を言われて、湿った瞳に上気した頬で上目使いされて、ヴィルフリートは一瞬頭が真っ白になって衝動的にエステルの華奢な体をかき抱こうとしていた。

 この昂りを、体に巣食う焦げそうな程の熱情を、エステルに少しでも理解して欲しかったのかもしれない。狂おしいほどに身を焦がす熱を、分け与えたかったのかもしれない。


 ぎりぎりで押し留めて、ヴィルフリートはエステルに腕枕をするのをやめて起き上がる。


 ずる、と頭がシーツに落ちてぱちくりと瞬きを繰り返すエステルの顔すら、直視出来ない。そのひたすらに愛おしい姿を見てしまえば、自分が何仕出かすか分かったものではなかった。


「すみません、やっぱり別の部屋で寝ましょう」

「えっ、な、なんで……?」

「……今、非常に、よろしくないです。もう俺何するか分かりません。距離を置きましょう」

「えっ、ちょっ、落ち着いてくださいヴィル」

「俺は落ち着いてます。おやすみなさい」

「ヴィルー! 錯乱しないでー!」


 ディートヘルムに別の部屋でも用意してもらおう、とかっかと燃え上がる体にしてはやけに冷えた思考でそんな事を考えて真顔で部屋を出ていこうとするヴィルフリートに、エステルは慌てて抱き付いて押し留める。


 頭を冷やしたいヴィルフリートと寝床を温めたいエステルの攻防は結局のところ小一時間は続き、二人が眠りにつくまで二時間近くはかかったのであった。

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