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84 大地の意思の願い

 ヴィルフリートが筆頭魔導師の執務室に入り儀式の間に繋がる門を開けて早足で下っていると、ふわりと掌大の光が一つ、ヴィルフリートの肩に乗るように降りてくる。

 最近見慣れだした碧の光は、肩に降り立つと柔らかく明滅する。元々薄暗い空間なので光は際立つのだが、一体この光は何なのか。


『……ヴィルフリート』


 答えは、すぐに出た。

 耳元で囁かれる声は、最近知った少女の声だった。ひんやりとしたか細く幼さが残る声は、ヴィルフリートの名を呼んで微かにため息をこぼしている。肉体がないのでため息、というよりは躊躇の空気を醸した、という方が正しいだろうか。


『……ちょっと、止まってほしいの』


 儀式の間に向かうこの階段まで出てこられたという事には驚いたが、儀式の間に近いし、そもそも国土そのものがロゼの体であるのでおかしくはないのかもしれない。少し疲れたような声音から、無理をしているのかもしれないが。


 制止に道中の踊り場で一応足を止めたヴィルフリートは、肩に乗っている光の玉に視線を移す。


「ロゼ。儀式の間にエステルは居ますか」

『……居る、けど……わたしは、このままあなたを通していいのか分からない』


 予感は的中していた。

 しかし、その場所に赴くのを阻むようにロゼが止めてきたのだ。これでは何かあると言っているようなものだろう。


 エステルを庇うような、そんな雰囲気を出したロゼは、ヴィルフリートの視線がやや険しくなった事に萎れたように光を儚くさせる。


「俺が居ては不都合ですか」

『……エステルを止めると思う』

「止めるような事をしているのですね」

『……エステルは、エステルなりにイオニアスを救おうとしている、から。手段としては、強引でもそれが確実だもの』


 その言い方に、エステルが何をしようとしているのか、薄々察する事は出来た。


「……イオニアス様を、筆頭魔導師の任から下ろそうとしているのですか」


 ロゼは、答えない。それが何よりの答えだろう。


「沈黙は肯定と捉えます。……エステルは、それしか手段がないと思ったのですね?」

『わたしも、どうしていいのか分からないもの。イオニアスを助けるために、イオニアスを無理に辞めさせていいのか、分からない』

「エステルは、辞めさせる手段を持って、今彼の元にいるのですね?」

『……わたしさえ承認してしまえば、エステルは次代の筆頭魔導師になる』


 継承をどのようにするのかはヴィルフリートには分からないが、次代の筆頭魔導師としての教育はある程度施されているであろうエステルはその方法を知っていてもおかしくないし、大地そのものであるロゼが認めてしまえば出来なくはないだろう。

 形式的なものなど後から幾らでも出来る。体調不良を機に代替わりした、とでもすればよいのだから。


 普段のエステルならばこんな先走りなどしないであろうが、あの思い詰めた表情を見たらしないとは言い切れなかった。ロゼから聞いて確信すらした。エステルは、強行手段に出たのだと。


「分かりました。ロゼは成り行きを見守っているのではなく荷担しているのですね」


 再び沈黙が返ってくる。

 ロゼはエステルと会話は出来ないが、エステルの言葉を聞く事自体は出来るのだ。彼女がイオニアスを引きずり下ろす、と宣誓して、その行を認めて静観していればいいのだから。


 ロゼだってイオニアスを救いたいのだから、利害は一致している。協力しない訳がないだろう。

 痛いくらいに葛藤は分かるヴィルフリートは、しょぼくれたような淡い光を放つロゼに、聞かせるように吐息をこぼす。


「……責めるつもりはありませんよ。正直言いますと、こういう荒療治でもしなければ彼は役目から解き放たれようとはしないと思うので、エステルが悪いとは一概には言えません」


 意固地になっているイオニアスに、正攻法でいっても彼は頑として首を縦には振らないだろう。

 それは生まれた時から一緒であるエステルならよく分かっている筈だ、だからこんな暴挙に出ている。


「ただ、イオニアス様が納得して筆頭魔導師を辞めるためには、無理強いだけではならないと思います。……綺麗事ですが」

『……そうだとは、思う。無理に奪っても、イオニアスは捨てられたと思うだけだから』


 イオニアスは、筆頭魔導師である自分にしか価値がない、と思い込んでいる。そのためだけに生かされて使われていると。

 それを取られてしまえば、自分が生きる価値がなくなる、ならば命を捧げて役目を全うした方がましだ――痛切に訴えてきた彼は、どこまでも頑固で、そして繊細な人だった。


「実際は、イオニアス様に生きてほしくて、静養させるのですが……すれ違いですね」

『うん』

「……エステルの意図も、あなたの意図も、分かりました」


 二人はイオニアスを生かしたいと思うからこそ、意思疏通は出来ずとも、希望を共にして結託した。


「それでも、俺はエステルの側に行きますよ。……俺は、エステルに見届ける事を願われました。だから、エステルの選択を見守ります」

『……そう』

「……俺だって、イオニアス様に死んでほしい訳ではありませんから。ただ、納得出来る継承をしてほしいとは思います」


 エステルとロゼが悩みつつも覚悟して事に及んでいるのであれば、ヴィルフリートは止められない。止めて他に代替案が出せる訳でもないのに止めるだけ止めるなんて駄目だろう。


 口だけだして行動には移せない、そんな事態に陥るより、ヴィルフリートはエステルの選択を見守る方が何倍もいいと思う。

 その選んだ先でよりよい未来が訪れるように尽力した方が、余程ためになる。


 たとえ、エゴだと罵られようと。


 イオニアスが生きる事を認めてくれるように、受け入れてくれるように、出来うる限りの力は尽くすつもりだ。


『……分かった。全部知って見守る事を決めたなら、わたしは、ヴィルフリートを通す』

「ありがとうございます」


 ロゼは、葛藤しつつもヴィルフリートが成り行きを見守る事に決めたのなら、と通してくれると言った。

 本当はロゼもエステルが完全に正しいとは思っていないのだろう。だからこそ、こんなにも迷いを含んだ声音だったのだ。


 何もかもが救える答えなんて、ないとヴィルフリートは思う。誰かが幸せになれば誰かが不満を抱くなんて珍しくはない。

 最高の選択は出来ずとも、最良の選択を出来るようにしたい。エステルは、出来うる限りで最良の選択をしようとしているのだ。


『……ヴィルフリート』

「なんですか」


 歩みを再開したヴィルフリートに、ロゼが光のまま呼ぶ。


『……一つ、お願いをしてもいい?』

「俺に出来る事であれば」


 快く頷いたヴィルフリートに、ロゼは少しだけ躊躇ってから、ゆっくりと言葉を紡いだ。


『ヴィルフリートにしか出来ない事。……あのね――』

来週中には完結させる予定です(あくまで予定)

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