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81 パンケーキと彼女の思惑

 エステルはよく食べる。

 次々と、それでいて品のある所作でこちらの作ったものを胃に収めていく姿は、なんというか作り手冥利に尽きるし、眺めていて楽しいものだ。


「んー……ふわふわしゅわしゅわでおいしいです」


 エステルの要望で昼食にスフレタイプのパンケーキを出したのだが、相変わらず胃が異次元に繋がっているのではないかと思う。

 焼いてはエステルの胃に収まっていくので、提供が間に合っていないのだ。


 メレンゲを立てるのにも、セルクルに入れてじっくり蒸し焼きにするので焼くのにも時間がかかるのだが、トッピングにも手間をかけているので、複数個作るのはかなり時間のかかるものだったりする。


「俺バターだけで」

「僕生クリームとベリー」

「……別に作るのはいいんですけどね!」


 ついでに同僚二人まで要求してくるので、かなり忙しかった。


「あなた方は盛り付けはセルフサービスでお願いします、ほらそこに置いてあるので」

「シェフが仕事放棄してるぞ」

「俺はエステル様のためのシェフですので」


 不満を口にしたエリクに焼きたてのパンケーキを乗せた皿を渡すと、仕方ないなと言わんばかりの表情で自分でバターを乗せている。気が向いたのか、作りおきのジャムを添えていた。

 マルコにも渡すとこっちは案外素直に自分で盛り付けている。甘党なのか、たっぷりと生クリームを乗せ切ってあるフルーツとベリーソースをこれでもかとかけていた。


 彼らを尻目に焼き具合を確認しつつ、ヴィルフリートはそっと吐息をこぼす。


「エステル様、おかわりは要りますか?」

「要ります」


 やはりというかまだ足りていなかったらしいので、ちょうど焼けていたパンケーキを皿に乗せる。


 先にベリーと粉糖をあしらったものやさまざまなフルーツを盛ったものを出しているので、今回はシンプルにメープルシロップとバターだけ。そろそろ自分も食べようとついでにもうひとつ同じトッピングにして、彼女の元へと向かう。


 既にエステルは先に出していたものは平らげていて、皿が積まれている。あの細いお腹のどこに料理が詰まっているのか。


「どうぞ。俺も少し休憩で自分の分食べますので、お代わりはちょっと待ってくださいね」

「あ、ならもういいですよ? これでも充分満たされましたし」


 まだ余力がある、という事を窺わせるエステルにはほんのりと苦笑しつつ、まあもういいというのなら作らなくても良いか、と本格的な休憩に入るべくエプロンを脱ぐ。


 エステルは律儀にヴィルフリートを待っているのか、目の前にあるパンケーキにフォークを伸ばしたりはしていない。

 あれだけ食べたのにまだそわそわとした状態なので、エステルは余程パンケーキが好きらしい。たまに作ると幸せそうに食べているので、好物の一つなのだろう。


「パンケーキお好きですよね」

「好きですっ、味とか食感もですけど、ヴィルが初めて作ってくれたご飯ですもん」


 そういえばそんな事があったな、と思い出す。


 初めてエステルに作った料理は、パンケーキだ。

 空腹で行き倒れていたエステルに、手軽に作れてお腹が膨れるパンケーキを作ったものだ。エステルも最初は警戒で食べようとしなかったものの、空腹には敵わなかった。


 その時はスフレタイプのものでなかったが、あれからパンケーキがお気に入りらしい。思い出の品、といったようなものであろうか。


 だからたまに作ってとせがまれたのか、と遅れて納得。


「まあ、お手軽ですけど気に入っているならありがたい限りですよ」

「はい! ……食べていいですか?」

「どうぞどうぞ。というか先に食べればよかったのに」


 エステルに食べるように促しつつ、自分もフォークとナイフで生地を切り分けて口に運ぶ。


 軽い口当たりが特徴的なスフレパンケーキ。

 ふっくらと、それでいてとろけるような舌触りの生地は、舌で簡単に押し潰せるほどに柔らかい。たっぷりと染み込んだメープルシロップの風味が口の中に広がっていく。


 しゅわしゅわと溶けていく感覚は、女性がいかにも好きそうだな、と思う。

 メレンゲを使わないタイプの方はこちらと比べてしっかりとした噛み心地であるが、あちらはあちらで美味しいものだ。


 エステルはどっちとも好きなのか、相変わらず幸せそうに口にしている。


「んー……おいひい」


 頬をほんのりとピンクに染めてへにゃりと眉を下げとろけた笑みを浮かべているエステルは、おそらく誰が見ても幸せいっぱいだろう。

 澄ました顔をしていれば上品な美しい女性に見えるというのに、こうしてにこにこしているとあどけなさが際立って非常に愛らしい。


 鼻歌でも歌いそうなご機嫌具合のエステルは、ヴィルフリートと視線が合うと「おいしいです」と主張するようにまた笑う。ほんのりと照れたように見えるのは、こっちが見つめていたのに気付いたからだろう。

 えへへ、とはにかんで、でも食べるのを止めないエステルに、ヴィルフリートもじわりと胸が温かくなる。


 美味しそうに食べてくれるのは、やはり作り手としては嬉しいものだ。


 こうしてエステルを眺めていると、ここ最近の出来事を忘れられる。


 よくも悪くも、色々あった。

 ロゼと対話した事、特級試験を受けた事、そして特級に昇格した事、魔物討伐に駆り出されたり、そしてイオニアスとぶつかって和解はままならなかった事。


 特に先日イオニアスと話した際に彼が言った言葉が、ずっと胸に刺さっている。

 偽善者と言われるのは構わない。

 ただ、あんな風に……自暴自棄ともとれる言葉を吐かれて、どうしていいのか分からないのだ。


 死に幸せを見いだしたイオニアスを、止めてもよいものなのか。

 それは追い詰められたから出た答えなのだ、役目から解放されてただのイオニアスてして生きればまた変わる、とヴィルフリートが思っても、それをイオニアスに押し付けていいのか。

 イオニアスから見れば苦しみが長引くだけ、そう思うとどうも、踏み出せない。


「ヴィル?」


 怪訝な顔のエステルに、つい思いふけっていた事に気付かされる。

 何でもないですよ、と微笑んだものの、エステルはじいっとヴィルフリートを見つめる。隠し事があるなら早く白状した方がいいですよ、といった視線で。


 こういう時のエステルは鋭いんだよな、と頬をやや強張らせつつそれでも誤魔化そうと笑みを変えずにいたら、エステルが今度は唇を尖らせた。

 パンケーキを口にしてなくても膨らみつつある頬に、どうしたものかと適当な言い訳を考えていると、パンケーキを平らげたらしいエリクがあきれたようにこちらを見てくる。


「何か隠して誤魔化しても、後でお嬢はつつきに来るぞ」

「いやまあそれは理解してますけど……何と言っていいのやら。単純に、頑固な人を口説き落とすにはどうしたらいいのかなーと悩んでいました」

「く、口説っ!?」

「はい。ほら、イオニアス様って頑固で融通効かないしょう」


 元々頑固っぽそうで更に意固地になっている彼をどう説得したらよいものか、そもそも説得していいのか。これが今の悩みに尽きる。

 出来ればであるが、彼を救いたい。エステルもそれは変わらないだろう。


 イオニアス、という単語にエステルは露骨に安堵したような表情を作った。

 ほっ、と胸を撫で下ろしたように微笑んだエステル。恐らく、口説く、という言葉に他の女性に目移りしたのでは、という危機感を覚えたのだろう。


 エステルも万が一、くらいの確率に思っているだろうが、ヴィルフリートとしてはその万が一もない。こんなにもエステルを愛おしく思っていて執着しているし、添い遂げる覚悟をしているのに、今更他の女性に見向きをするはずもないのだ。


「……心配せずとも、俺はエステル様一筋ですよ?」

「ちょっとここでのろけないでよ」

「のろけてなど。エステルの不安を解消しようとしただけですよ。自分で言うのも変ですが、俺は割と一途ですからご安心くださいな」


 最後はエステルに向けて告げると、彼女は瞳を揺らして、頷く。それから自分の疑念を恥じたのか少し頬を赤らめ「疑ってごめんなさい」と肩を下げた。

 女性はやはり浮気が不安になるものらしいので、これくらいの疑惑なら怒るつもりもないし、そもそも自分の言い方が紛らわしかったと反省する側である。


 エステルが胸を撫で下ろしたところで、エリクは「イオニアス様なあ」とやや苦いものを含んだ声を上げる。


「でも急な話だな。あの方がどうかしたか」

「……いえ、なんというか、手を差し出しても全力で拒まれるし疎まれるしでどうしていいものやら、と」

「お兄様に何か言われましたか?」

「……まあ、いつも通りに」


 ここに関しては苦笑しか浮かばず、どう言ったものかと悩ましい。

 先日の事はエステルにはまだ言っていない。エステルに言うのは構わないが、エリク達にも話していいものなのか。


 二人も事情は知っているので何ら支障はないし、彼らが監視役とはいえ今話した事をイオニアスに伝える事もないだろう。

 むしろ、彼らもイオニアスには報われてほしいと願っているようだから、問題はないのかもしれない。


「先日、説得しようとしたら振られました。まあ偽善者と罵られるのは別にいいし実際そうなので否定のしようがないのですが。彼は死を救いと見ていて、苦しみを長引かせる事を押し付けるのか、といった風に言われてしまいまして。反論していいのか、迷ってしまって」


 結局退出を促されて反論の機会がなかったんですけどね、と肩をすくめると、エリクやマルコが「あー」「イオニアス様らしい」と納得している。

 彼らから見ても、おそらくイオニアスはそういった風に見えるらしい。


 エステルはというと「……そうですか、お兄様がそんな事を」と返して、しばし唇を結んだ。

 本人の願いと周囲の考えは一致しない。そこを受け止めて、エステルはどうするのかと様子を見ていたら、エステルと視線が合う。柔らかく微笑まれた。


「その話ですけど、ヴィルは気にしなくてもいいですよ」


 どこか突き放すように言われて、ヴィルフリートも固まってしまう。

 珍しく内側に入れまいとするエステルの雰囲気を感じて、戸惑ったとも言える。

 てっきりイオニアスについて嘆いたり一緒に悩む方向になるのかと思えば、エステルは何かを決めているらしくヴィルフリートには言わずに済ませるつもりらしい。


 ほんのりと疎外感を感じたところで、エステルはヴィルフリートの表情に気付いてあわあわと手をふった。


「ああいえ、ヴィルフリートを仲間外れにしたいとかじゃなくて……その、あの人は、そう意見を曲げる事はないんですよ。まあ、ヴィルが言う通り、頑固な人です。あと、人を頼る事をしません。……自分が全て抱える、と決めている人ですから」


 流石兄妹といったところか、的確にイオニアスの性格を示して、困ったように笑っている。


「ですので、ヴィルが言っても無駄なんです。だから、私が何とかするのですよ」

「……どうにかする目処はついてるのですか?」

「一応」


 少し苦いものを飲み込んだような、渋いとも苦いとも取れる笑みを浮かべて頷いたエステルは、それ以上言わずにパンケーキを口に放り込む。

 時折、エステルはヴィルフリートにも隠して何かを決意しているようにも思える。それを聞いても、エステルは答えないが。


 頑固で人を頼らず抱え込もうとするのはエステルもだろう、と思ったが、頼るべき時と抱える時を使い分けているらしいエステルに、言いたくないからこっちにも言わないんだろうな、と得心はする。

 彼女がどうやってイオニアスを解放するのか分からないが、彼女なりの思惑がある事も確かだ。


「……ヴィルは、私を支えてくれればいいのです。私の選択を見守ってくれたら、それで」


 それだけ告げてまたパンケーキを口に運び「んー」と喉を鳴らしたエステル。

 エリクやマルコに視線を送っても首を振られるか肩をすくめられるか。彼らもエステルがどうしようとしているのかは知らないのだ。


 今の段階では追求してもかわされるだろう、とヴィルフリートもそれ以上は言わず、少し冷めたパンケーキを口にするだけだった。

(腹ぺことは一切関係がありませんが、作者の連載しているまほでしの二巻が月末に発売予定です。表紙を活動報告に載せてるのでご興味があればご覧ください(小声))

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