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80 折れない交わらない

『ヴィルフリート!』


 魔物の大発生があったので、ロゼの調子はどうだろうかと許可を取って儀式の間に入ったら、いきなり姿を荒らして腕を掴んできた。

 声をかける前から出てきた事に驚けばいいのか、こんなに焦った様子で現れた事を驚けばいいのか。


 幼いエステルの姿で泣きそうな顔をされると、とても心臓に悪い。


「どうかしましたか」

『……イオニアスが』

「イオニアス様が?」

『声が届かないのがもどかしい。わたしの声が、余計に彼を追い詰めてしまう』


 今にも涙をこぼしそうな瞳でヴィルフリートを見た後に俯いて袖を握ってくるので、どうしていいのか分からずにヴィルフリートも頭を撫でてやるくらいしか出来ない。


 イオニアスには、ロゼの声は届かない。ディートヘルムに聞いたが、彼はエステル同様繊細で悲鳴を受けとる方にチューニングされているのか、声を言葉としては捉えられないようだ。それでもなんとなしにたまに聞こえたりもするらしいが、稀との事。

 ロゼの制止の声は、ただの音や悲鳴として聞こえてしまう。


 ロゼがどれだけ心を痛めて止めても、彼は聞いてあげられない。


『わたしの声が、責めているように聞こえてしまっているの。違うのに。死なないで欲しいだけなのに』

「責めているように?」

『……イオニアスは、自分に厳しいから。体が弱ってどんどんうまく儀式に魔力が回らなくなっている事に不安と苛立ちを覚えてる。もうやめてって言っても、彼にはそれが責めているように聞こえてしまう』


 イオニアスは、ロゼ本人の意図とは全く逆に汲んでいるようで、どうしても追い詰められているようだ。

 こうして話せるという事はまだディートヘルムも彼には言っていないのだろう。言ったとしても、今のイオニアスの頑なな態度では聞き入れてもらえないかもしれないが。


 義父であるディートヘルムが言っても、実妹であるエステルが言っても、彼はそれを決して受け入れない。

 半ば意固地のようにも見えてしまうのは、イオニアスの態度がどこか自身を省みないでなげやりな風だったからだろう。


 ヴィルフリートから見たイオニアスは、生に固執していないようにも見えた。


「……一応、俺の方から彼に進言させてはもらいますが、おそらく……」


 どうすればイオニアスが生きようとしてくれるのか、想像もつかない。

 ヴィルフリートがイオニアスについて知っている事なんて、エステルの兄であるという事、十年前の事件の被害者である事、そして体が弱くとも十年前筆頭魔導師をつとめあげてきたという事くらいだ。


 ほとんど他人のような存在である彼に言葉を届けるのは難しいだろう。


 それでも言わないよりはマシであるし、すこしでも気にとどめてくれたら……と考えながら、ヴィルフリートは俯くロゼの頭を撫でた。




 イオニアスとの面会は、案外簡単に出来た。

 というのもディートヘルムが一枚噛んでおり、イオニアスの予定がない時間帯にねじ込んでくれた。


「イオニアス様」

「……何か用かな。私は君と話す事なんてないと思っているが」


 入室早々に冷えた視線と声を投げられたものの、ヴィルフリートはひるまずまっすぐにイオニアスを見つめる。

 いつもの紗はなく、素顔が露になっている。

 エステルを男性にして鋭い雰囲気にしたならばこんな感じだろうな、という美貌のイオニアスだが、エステルよりもずっと青白い肌で、ほとんど肉のないような痩身が見てとれた。


 あまり体調もよくないのか、彼は気だるげに椅子に座っていた。

 中性的な顔立ちには微かな苛立ちが浮かんでいるようにも思える。一応面会予定を取ったとはいえ、ほぼ押し掛けたようなものなので当たり前ではあるのだが。


「突然の訪問失礼いたしました。イオニアス様にどうしても申したい事がありまして」

「君に割く時間がないのだけどね。まあいいか、言ってみなよ」


 それでも何も聞かずに追い返す事はないらしく、促すようにすみれ色の瞳がヴィルフリートを捉える。


「イオニアス様。お願いですので、体を大切にしてください。このままでは、」

「数年も持たないだろうな」


 ヴィルフリートの言葉を奪った彼には、一切の動揺は見られなかった。

 本人だからこそ、よく分かるのだろう。自分の体がどれだけ悲鳴をあげているのかなど。


 分かっていて尚、彼は筆頭魔導師を辞める事だけはしない。


「それなら、」

「それで? 私に生きろと? 君は私に長く苦しみを味わってほしいと?」


 嘲るような声音に、とっさに言葉を返す事も出来ず唇を結ぶ。


「健康体の君には分からないかもしれないけどね、私は生きているだけで結構な労力を使うし苦しいんだよ。治らないこの弱い体のまま生き長らえたところで、それは幸せと言えるのか?」


 イオニアスの問いかけは、ヴィルフリートには答えられない。

 重大な疾病にかかる事もなく健康に生きてきたヴィルフリートにはイオニアスの気持ちを真に理解してやる事は出来ないし、分かった風な口を利いてもイオニアスには響かないだろう。


 筆頭魔導師を辞めれば多少の改善には繋がるだろうが、元々病弱だった彼が健康体になる訳ではない。本人の言うとおり、見方を変えれば苦しみを長引かせるだけになる。


「君が私を生かしたところで何ら得はないだろうに。むしろさっさと死んだ方が君は望みの地位につけるだろうに。ああそうだ、特級昇級おめでとう、よかったじゃないか」


 心にもない祝いの言葉を皮肉の効いた笑みで述べる彼に、胸が痛んだ。

 イオニアスの言葉に傷付いた訳ではない、彼が自分の死を前提としている事が心苦しい。


「私が死ねば君は魔導師でも有数の立場になれて、妹の側にはべる事が出来る。それに何の不満があるというのだ」

「俺はあなたに死んで欲しいとは思いません」

「言わなければ分からないか? 私は死にたいと望んでいるんだよ。他ならぬ、私自身が。本人の意思を汲まずに救いを押し付けようなど、随分と傲慢な考えをしているな。エゴと言ってもいいだろう」

「……それでも」

「前にも言ったが、君は偽善者だよ。良かれと思ってやってるんだろうが、私には迷惑きわまりない。……私が何をもって幸せとするか、君が決めつけていいものだと思うか?」


 イオニアスが言う事は、もっともなのだろう。

 人にはそれぞれ幸せのかたちがあるし、それを他人が決めつけてよいものではない。イオニアスが死に幸福を見いだす事を止められはしない。


 ――けれど、その幸せは果たして本当に彼のためになるものなのか。


 追い詰められているからこその幸福の定義であり、もし枷もなく体も丈夫であったなら、きっとそんな結論はでなかっただろう。


 それを言っても無駄だと分かっていても、上手く口に出せなくても、そう思わずにはいられない。


「私と君は意見を交える事はないよ。……遅いんだよ、全部」


 イオニアスは、これ以上会話をする気もなかったのか、手で払う仕草をして煩わしそうな視線を向けた。


 近しい人間でもなく、話術が巧みでもないヴィルフリートはそれ以上何も言えず、ただ礼をして筆頭魔導師の執務室を辞するしかなかった。

みなさま明けましておめでとうございます(*⁰▿⁰*)

更新遅れましたが、また定期的に更新していく予定です。というかそろそろ終わりに近付いているつもりなので(イベントが生えてくるかもしれませんが)最後までお付き合いいただければ幸いです。

それでは今年もよろしくお願いいたします!

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