79 すれ違い届かない声
※イオニアス視点です
『……、――!』
(うるさいな)
何を言っているのかも分からない、声にも満たない耳障りな音の波が耳をつんざく。
泥に埋められ手足からどんどん奪われていくような喪失感と倦怠感を覚えながら棺の中から起き上がり、汗に濡れ額に貼りついた髪をかきあげる。
どくどくと強く脈打つ胸を押さえながらゆっくりと呼吸をしつつ、騒音の元凶となる周囲の結晶を睨み付け、彼――イオニアスは体を蝕む特有の痛みと気だるさを耐えていた。
役目が終わればいつもこうだった。
身を粉にして尽くしている自身に、大地の意思は何かを訴える。しかし、意味のある言葉としては届かず、不愉快な音として響く。
役目は体力の消耗が激しいというのに、ただでさえ体調の悪い役目あがりからずっと何かを叫び続ける。大地の苦しみは出来る範囲でなるべく取り除いているにも関わらず、だ。
自分の力不足に不満を言っているのか、と腹立たしくなるばかりだった。
(確かに私はもう役立たずに近付いてはいるが)
昔に比べて、捧げられるものは少なくなってきた。魔力の量が足りない訳ではない、負担に脆弱な肉体がついていけなくなっている。
健康体なら不満など出さなかったというのに。せめて昔の弱くもまだましな体だったなら、務めはきっちりと果たせたというのに。
どんどん弱っていく体は、思い通りにならず、こうも無様な姿を大地の意思の前に晒している。
あまりの不甲斐なさにイオニアスは唇を噛みつつ、しかし立ち上がるには気力も足りず、棺の中で半身だけ起こすだけ。体調が落ち着くまで、ここに留まらざるを得ない。
懐から小瓶を取り出して中身をあおり、それからため息をつく。
(……私の残り時間も少ない。役目を務められるのはいつまでか)
イオニアスは、自分の体だからこそ、どれだけ弱っているかなど分かっている。日々脆くなっていく体に鞭打ちながら、あとどのくらい保つか、と自分をはかりながら生きていた。
このままでは数年ももたない、というのは、確定だろう。
イオニアスにとって、死は身近なものだった。
元々人よりも病弱な体で、劣悪な環境の孤児院に居た頃は成人出来るなんて夢だと思っていた。
確かに体の中身を書き換えられてからより貧弱になったが、どちらにせよ死んでいたのだ。あのまま孤児院で過ごしていたなら、遠からぬ内に命など消え失せていた。
それを考えれば、ある意味ではあの男――ラザファムに救われたのかもしれない。
尚の事病弱にされようと、彼の行動を機に環境そのものは一変して最高の保護を受けた。飢える事もなく、蔑まれる事もなく、暴力をふるわれる事もなく、清潔で暖かいベッドで眠れるようになったのだから。
ただ、自身と妹にした仕打ちを許すつもりもなかったが。
あのままであれば、確かに自身は死んでいただろう。
だが、エステルとの仲はこじれなかっただろうな、と思う。
妬ましく、腹立たしく、煩わしく――そして可愛らしい妹。
ラザファムにさらわれるまでは「お兄ちゃん」と泣きながらすがってきたあの幼い妹を守りながら生きてきた。
自分を見捨てた実親や化け物だと迫害してきた周囲の人間から、守ってきた。ただ一人の肉親にして、庇護しなければならない大切な存在。
弱くてちっぽけな自分よりも強大な力と強靭な体を持っていたけれど、精神的に弱かった彼女を支えて守れるのは自分だけ。
何より、自分よりも優れた妹が自分にすがりついているのを見ると、小さくて醜い自尊心が満たされた。
それが、今は逆転して心配されているのだ。
健やかに、強く育った無垢な妹。大人の権力争いからはなるべく遠ざけられて、自身と違って壊れないように丁寧に育てられた妹。
結局、守っていた時に感じていた優越感などちっぽけなもので、実験に失敗したといえどエステルは充分に強く、そしてなにより健康な体のまま役目を果たせる自分の上位互換なのだと気付けば、胸の内に黒いものがわき上がった。
あれは衣食住を確保され健康な体で自由を謳歌しているのに、自分はこうも縛り付けられて、苦痛を強要され、命まで搾り取られている。
そう思うとイオニアスの中で少しの嫉妬に留まっていた種火は、瞬く間に憎悪の炎へと燃え上がった。
妬ましくて、憎くて、それでいて、やっぱり妹は愛おしくて。
複雑に絡み合った感情は、イオニアスにも制御出来ないものだった。
狭量だとは自覚しつつもエステルへの動きを制限して細やかな嫌がらせをして、少しでもこの薄汚い感情を鎮めようとしても、どんどん膨れ上がるばかり。
結局のところ持て余してしまったが故に、距離をとった。
監視をつけて、余計な事をしないように。自分以外の誰にも手出しをさせないようにしてきた。
ずっと妬ましくて、いっそ交代できたらと思った事は何度もある。なぜ自分が、と呪ってすらいた。
けれど、実際に交代の話が持ち上がった時、イオニアスの矜持がそれを許さなかった。
お前らが勝手に押し付けた癖に。
使えなくなったら消耗品のように取り替えて。
優秀な妹を据えた後は、自身などゴミのように捨てるのか。もう要らないとのたまうのか。
――役目がなくなれば、自分などただのひ弱な人間でしかないのに。
以前は代わりたくて仕方なかった役目を、打診以降イオニアスは自ら受け入れた。
半ば意固地になっている、というのは理解していた。
それでも、イオニアスは差しのべられる手を払いのけた。
妹に哀れまれている事が腹立たしかった。
あんな目で見られて、今までしてきた事全てを奪われてしまうくらいなら、いっそ役目に命を賭した方がましだった。
どうせ、元々あのまま孤児院に居たら死ぬ身だったのだ。それが多少長生きになっただけ。運命が形を変えてやってきただけだと思える。
死ぬ事は、怖くなかった。
イオニアスにとって、それが楽になれる唯一の手段だった。どうせ苦しみながら生き延びたところで、生きる希望なんてものもない。
更に病弱な体にされ、役目に全てを奪われて、汚い大人の欲望にさらされ続け、大した娯楽も知らずにただ身を尽くす事だけを強いられてきたイオニアスには、まだ生きていたいなんて思えなかった。
(――あと、もう少し)
今すぐに死ねる訳ではないが、確実に死は近付いている。
仮にエステルやディートヘルムの気遣いで代替わりしたところで、寿命が常人のものになる訳がない。精々何年かの延命が関の山だろう。
その分苦しみに長く悩まされるくらいであれば、楽になった方がいい。
『――!』
「うるさいな。分かってる。……悔しいが、私よりもあれの方がお前にはましな供給になる事も」
大地の意志が、何かを言っている。
しかし、聞こえない。音のような悲鳴か、もしくは微かに断片的な何かを言っているくらいしか聞き取れないイオニアスには、大地の意志が何を訴えているのか分からなかった。
ただ、弱るにつれてうるさくなっているので、文句を言っているのだと受け取った。
「……どいつもこいつも、役目ばかり」
痛む胸を押さえて呟いたイオニアスは、ゆっくりと立ち上がる。
多少の立ちくらみはしたが、これくらいいつもの事だ。部屋に帰って休めば起きた時にはマシになっているだろう。
かなり緩やかな動作で棺から出て儀式の間を後にしようとする。
『――やめて』
悲鳴に紛れて苦痛に満ちた囁きが聞こえた気がしたが、イオニアスはそのまま振り返らずに儀式の間から姿を消した。
前回の更新で年内最後とか言ったような気がしますが書けたので更新しておきます。
このままだと暗めのお話のまま年が明けてしまうので出来ればもう一話年内に更新出来たらいいな(希望)




