75 かつての同僚
ヴィルフリートが第二特務室に入ってからは公私ともにエステルの側に居る事が多くなっているが、かつての同僚達と交流を絶った、という訳ではない。
それなりに社交的だったヴィルフリートは、特定の人間と仲がよかった、という事はないが普通に友人と言える範囲での会話相手は居る。最近はエステル優先なのでそう話す機会に恵まれなかったが。
そんな友人達からいきなり飲みに行こう、という旨の連絡をもらって、ヴィルフリートはどうしたものかとこめかみを押さえた。
別に嫌ではないのだが、いきなり過ぎて何か裏があるのではないのかと勘ぐっているのだ。
疎遠になっていたのに急にこのような誘いを受けた。
ヴィルフリートにとって集まって飲むというのは、親睦を深めるというよりは情報収集の場として認識している。酒を飲むと口が滑りやすくなるのだ、聞き出すならうってつけだろう。
ここ最近第二特務室、というよりはエステル絡みで周囲が騒がしかったので、その情報を得ようとしているのではないか、と疑ってしまう。
元々友人達は好奇心旺盛な方で、要らない事にも首を突っ込みがちな人達なのだ。ヴィルフリートの噂も聞いているなら、余計に知りたがるだろう。
どうしたものかとエステルにこぼしたところ、にこやかな表情で「行ってくればいいのでは?」と返された。
「コミュニケーションを取る事は大切だと思いますよ。お止めする理由はありませんし」
「まあそうですし、適当にごまかせばいい話なんですけどね。……まあ、純粋に俺はあまりお酒飲めないので、飲みに行っても介抱側になるんですよね」
「ヴィルはお酒飲めないので?」
「飲めない、というよりは、酔って羽目を外しやすいというか……少々節制が甘くなるので、あまり飲まないようにしています」
普段はそれなりに真面目であるヴィルフリートだが、酔うとやや砕けた口調や距離感になるらしい。らしいというのは、他人に聞いたからだが。
料理に使う程度では問題ないので、そこまで気を付けることでもないのだがなるべく飲酒は控えている。
「私もそんなに強くはないんですよね。というか、あまり飲んだ事はないです。食前酒をちょこっと程度ですね」
「まあ、飲まなくても生活に支障はありませんし。……飲まない前提でお誘いに乗ってきますよ」
彼らもヴィルフリートが酒類に強くないと分かっているので、あまり無理強いもしてこないだろう。飲まずとも雰囲気でも口は緩くなるのをよく分かっている人達だ。
決して悪い友人達ではないので、多少疑いつつもヴィルフリートは彼らの誘いに乗る事にした。
「よおヴィルフリート、ひさしぶり」
休日の夕暮れ時に店に呼び出されたヴィルフリートは、かつての同僚二人の姿に少しだけ頬を緩めた。
あまり大人数で飲むというのはヴィルフリートも苦手なので、向こうも気を使ったらしい。割と交流があった二人に留めている。
「おひさしぶりです、ダリウスさんにフランクさん」
「相変わらずおかたいなあ。普通にしゃべればいいのに」
「職場では基本このしゃべり方ですので」
「ここは職場じゃねえぞ」
「そうですね。でもこれが慣れているので」
勧められるがままに席に着いたヴィルフリートは、先に飲み食いしていたらしい彼らに苦笑する。
既にテーブルには飲みかけのエールがあった。
「ほら外せよ、つーか他人行儀すぎ」
「そうだそうだー」
「何でもう出来上がってるんですか」
「お前が来るの遅かったからだよ。ほら、敬語取れよーうりうり」
「絡み方うざいです」
「辛辣ぅ」
「うるさいですよ」
男二人にスキンシップ(どつかれたり肘を入れられたり)されるのはあまりいいものでもない。というより酔って若干加減を間違えていて痛いので出来れば避けたい。
昔のようにやり取りをしつつ店員に料理を注文したヴィルフリートは、からかいのジャブ(物理込み)も一段落したところで彼らに視線を合わせた。
酔いからかすっかりテンション二割増しな彼らに、ヴィルフリートは空気を壊すのは多少申し訳ないなと感じつつも本題に移る。
「で、俺を呼び出して何を聞きたかったんですか」
この切り出しに彼らは目を合わせたものの、いつもの笑みが浮かぶ。
「純粋に飲もうと思っただけだぞ」
「嘘ついても無駄です。俺が酒に強くないの知ってるでしょうにに、わざわざ飲みに誘うって事は何か聞き出したい事があって呼んだんでしょう。呼び出しも唐突でしたから」
ここ最近顔を合わせる事すらなかったのに、いきなりの誘いだ。裏を疑うのも仕方ない。
ヴィルフリートのいっそ淡白とも言える考えに、彼らはしばし目を瞬かせたものの、気を害した様子はなく愉快そうに笑った。
「お見通しって事か」
「まあ聞けたらいいなー程度だったんだぞ。ひさしぶりに話したかったってのはほんとだ」
「最初は第二特務室に飛ばされたとか心配してたんだからな。たまに見かける時は元気そうだったから大丈夫化なとはおもったんだが」
「ま、順調そうでよかったよ」
情報収集と心配が半々だったらしい。
ヴィルフリートが一般的には左遷先と言われていた第二特務室に配属された事を不安に思っていたようで、ちょくちょく気にかけてくれていたようだ。
何だかんだ様子をうかがっていたらしい彼らに、ヴィルフリートも自然と口元が緩む。
「酒は?」
「飲みませんしそもそも空きっ腹に入れる訳がないでしょう」
「そりゃそうだ」
けらけらと笑った二人に、ヴィルフリートは久しぶりに昔のようにやり取り出来るな、とひそかに安堵した。
「つーか、第二特務室の室長ってあの女の子?」
ヴィルフリートが料理を粗方食べ終えたところで、ダリウスがそういう切り出す。
それまでは彼らの方の現状や仕事の愚痴を聞いていたのだが、ヴィルフリートの食事が落ち着いたと見るとこちらの話題に移った。
「ああ、たまにヴィルフリートが付き従ってるところを見るあの子か。すっげえべっぴんさんだよな」
「おい、どうなんだよあんな可愛い子の側に居るって。おかたくて真面目なヴィルフリート君もちょっと思うところがあるんじゃねえのかよー」
「……まあ、美人だと思いますよ。見かけ通りおっとりとしていて、雰囲気的にも中身もゆるふわな方ですが」
彼らとも意見は一致するが、エステルはまずそんじょそこらでは見かけない美人だ。
滑らかに波打つ薄桃色の髪に染み一つない白磁の肌、整った鼻梁。大粒の菫青石の瞳。やや小柄ながらも起伏に富んだ体つきは男性の理想を体現したようなものだ。
ヴィルフリートも、エステルの容姿や体つきのせいで最初は側に居るのに色々と苦労した。何せ最初こそ警戒していたものの、打ち解けてしまえば可愛らしく屈託なく笑い無邪気に無防備に近付いてくるのだ。どれだけ苦労した事か。
今でも苦労していないとは言わないが。
まあそんなヴィルフリートの苦労を知らない彼らからすれば、エステルはまさに高嶺の花であり鑑賞用の存在だろう。
エステルは、黙っていれば、黙っていればひたすらに高貴で端麗な女性だ。喋れば純真無垢な面が前に出るが。
本人の性格が滲み出ているのかややあどけなさがあるが、もう数年すれば傾城の、と形容されそうなくらいには美女になるだろう。
恋人としてちょっと色々心配になるくらいには、エステルは美人だ。
「かーっ、いいねえいいねえそういうお嬢さん。俺もそんな上司なら是非とも下につきたかった。毎日癒されそう」
ダリウスの言葉に「癒されるが同時に苦労を背負い込むぞ、あまりの純粋さやマイペースさに」とは思ったものの、知らない方が幸せだろう。それに、ヴィルフリートもエステルの無垢な可愛さについては教えたくはなかった。
「……言っときますが、あの人はああ見えて俺より普通に強いですから。手合わせするとぼこぼこにされますから」
「えっ」
本気で力をぶつけ合ったら、まずこっちが押し負ける。おそらく魔導師でも随一の火力だろう。魔力の扱いの繊細さでいえばヴィルフリートが上回るが、他では勝てない。
同期の中では一応ヴィルフリートが飛び抜けて優秀ではあったものの、上には上が居る。
それを知った彼らも驚愕の表情を見せた。
「あ、あの噂って本当なのか」
「噂ってなんだよ」
「ほら、戦闘部門のやつらよりも強いって。今戦闘部門に居る同期のやつが『上司がめちゃくちゃいらだってる』って言ってただろ。あいての上司って上狙ってるからさ、面白くないんだろ」
「あー、あっちは全体的に上昇思考強いからなあ」
「……まあ、特級ですし、出動が制限されるくらいには強い方ですよ」
エステルが基本的に魔物の討伐や遠征に行けないのは、表向きの理由としては戦闘部門に睨まれているからと、エステル本人が強すぎるので周囲を破壊しかねない、というものがある。
実際はそれに加えてイオニアスの代役があるので長期間離れる事が出来ない、というものだが。
「じゃあこの噂は? 次期筆頭魔導師なんじゃねえかってやつ」
やはりというか、その噂にも言及してくる。
「さあ、俺は流石にそこまで知りませんよ。俺がそういう上層部の情報なんて知る筈がないですし」
「だよなー」
予想済みだったヴィルフリートは平常通りの顔で否定すると、ダリウスもヴィルフリートが情報を掴んでなくても仕方ない、と笑う。
多少申し訳なさを感じたものの、部外者に言う訳にもいかないので、知らぬ存ぜぬを通すつもりだ。代替わりする際に驚かれる事になるだろうが、致し方ないだろう。
「や、でもお前最近ディートヘルム筆頭魔導師補佐官の部屋によく呼び出されてねえか? たまに見かけるんだが」
「あ、そうだそうだ。閣下に飛ばされたのに……何かお前も怪しくないか。もし噂が本当であの子が次期筆頭魔導師なら、その側に居るのは左遷じゃなくて栄転だったんじゃ」
「そうだったらいいですよね、ほんと」
他人事のように気楽に笑って肩をすくめ、自分はよく知らない風を装うと、ダリウスは神妙な面持ちでこちらを窺ってきた。
「……お前さ、自分の噂は知ってるのか?」
「噂とは?」
聞いてはいるしマルコからも忠告は受けているが、素知らぬふりをする。
一般職員にどこまで、どんな噂が流れているのか確かめたかった。
「このまま閣下と同じ地位まで就くんじゃないかってやつ。上司が驚いてた」
「買い被りすぎでしょうに。あの方のようにはなれませんよ」
「まあ、あれはなー」
「こわいこわい。睨まれたくだけはねえよ」
「ちげえねえ」
どうやらマルコが言っていた程度の噂だったらしい。
それくらいならこちらが気を揉む必要はないし、そもそもどうしようもない。噂などこちらが払拭しようとすればするほど怪しまれるものなので、どこ吹く風で流すしかないのだ。
いたって平常通りのヴィルフリートにダリウスとフランクもこれ以上は情報がないと判断したのだろう、そこで会話の話題が移る。
ちなみに、今の話題は上司についてだ。
「あ、話は戻るんだが、あのかわいこちゃんってやっぱいいよな。可愛い。ああいう上司欲しい」
「俺らの上司は男だからなあ。しかも妻帯者。うらやましい」
かつて、ヴィルフリートも下についていた上司。
悪い人ではないが、あっさり切り捨てられた思い出がある。恨みがあるというわけではなく、むしろそのお陰でエステルと出会えたのだからそれについては感謝している程だ。
ただ、部下からの評判はあまりよろしくはない。
「同期みんなほとんど結婚してねえし」
「やっぱ職場恋愛って無理なのかねえ。魔導院で働く女性魔導師って大体武闘派か生真面目タイプだからなー。そもそも魔導師になるのがかなり厳しいし」
「まあ、当分みんな結婚は先でしょうね」
「出会いがない!」
やはりというか、彼らもお相手を求めているのか女性との接触がない事を嘆いている。
元々、魔導師になれる人数には限りがある。試験は難関で、魔導師の地位について居るだけで一応かなりのエリートという認識なのだ。女性魔導師というのはかなり少なく、割合的に二割ほどだ。
そんな優秀な女性魔導師は、すぐに優秀な他の男性魔導師にかっさらわれる。もしくは、魔力持ちは比較的貴族に多い事からそもそも婚約者が居たりする。
なので外に出会いを求める場合が多いのだ。
「なあヴィルフリート、お前の上司を俺に紹介」
「しません。そもそも人見知りの彼女は、俺の紹介だろうが逃げますよ」
微笑みながらきっぱりと断ると、予測済みだったのか「くっ」と呻きつつも食い下がらない。
まあ紹介しても自分が居るので絶対になびかないのだが、それは関係性を秘めておくためにも口をつぐんでおいた。
「俺も出会いが欲しい」
「そんな事を言われましても」
「お前はそうだよなあ……強くなる事に一生懸命で色恋沙汰とか興味ない男だったよなあ……」
「欲がないからかわいこちゃんの側に居られるのか! くっ、俺らには無理だ……!」
「あなた達俺の事をなんだと……別に色恋沙汰に興味がないとは」
「興味あるなら自分の上司に反応しない訳がないだろうが!」
むしろ最初から意識しまくっていたし現状交際関係にある、などとは到底言えず、どう反応したものかと眉を下げる。
堅物認定している彼らは「あれか、仕事が恋人か」だの「あんな美人に惹かれないって男として終わっている」だの散々な言いようである。
(エステルの事をしゃべったら阿鼻叫喚だろうな)
現時点では絶対に言わないが、恋人持ちなんて知られたら、彼らから割と本気でどつかれそうである。
少なくとも全てが終わるまでは内密にしておこう、と二人が本気で出会いに嘆く様を見つつ内心で誓った。
「では、俺はここで」
結局あれから酔っている事もあり、散々出会いがない事を嘆いて、飲み会は終わった。
といってもヴィルフリートは一滴もアルコール類を摂取してないのだが。
「本当に酒飲まなかったな」
「弱いですから。飲むとしても自宅です」
「じゃあ今からお前の家で酒盛りを」
「しません」
一人暮らしならば都合がいいだろう、との事だろうが、今家にはエステルが居るので、家にあげる訳にはいかない。
「ノリが悪いな」
「家が片付いていませんし、あまりお酒を飲むと翌日に響きますので遠慮します。あなた方も明日仕事でしょうに」
「ちぇっ」
「また酒を飲むにしても今度の機会でお願いします」
普段はエステルやディートヘルム、もしくはマルコ達と過ごしているので、こうして対等な関係で気楽にやり取りできる、というのは中々に楽しいものだ。
あらかじめエステルに言っておけば、一緒に飲むのも悪くはないだろう。その際気を付けなければうっかり情報をこぼしてしまう、という事には留意しなければならないだろうが。
穏やかに微笑んでみせたヴィルフリートに、二人はそれ以上押してくる事はなく「分かった」と返した。
「じゃあ今度は宅飲みだなー」
「実家が食堂なら飯の方も期待していいんだよな」
「大層なものはお出しできませんからね」
笑いながらのヴィルフリートの言葉に、二人も同じように笑みを浮かべた。




