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70 真意を考える

「あの子、ですか」


 ひとまずエステルも疲労はしているので安静に出来るエステルの自室に運んだヴィルフリートは、エステルが落ち着いてから儀式の間で聞いた声について改めて口にした。


 あの子、という単語はエステルも使うが、それは大地の意思本体を指しているのであり、大地の意思があの子と言うのとはまた別だ。

 エステルもあの子という言葉に心当たりはないらしく、疲労から和らいだ眉がまた寄っている。


「確かにそう言ったのですよね?」

「ええ。大地の意思本人かは分からないので、その点ではおそらく、になりますが」


 実際に聞いた声が大地の意思そのものかどうかはヴィルフリートには分からないので、確定ではない。

 けれど十中八九大地の意思のものだろう。あの場には、エステルとヴィルフリートしか居なかったのだから。


「あの子を助けて、ですか……」

「この場合のあの子、となると、実際に儀式の間に入るあなたかイオニアス様に絞られるでしょうが……その場に居たあなたに対して言った訳ではなさそうだったので、イオニアス様でしょうか」

「そうだと思います。私はもうヴィルに救われていますし、何か深刻に困っている事はありませんから……お兄様の方でしょう」


 イオニアスが相手ならば助けて、の意味は想像出来る。

 彼に魔力を捧げられてきた大地の意思ならば、イオニアスの体調を感じ取る事も容易であろう。魔力には本人の意思が混じるし、体調によっても質は影響される。

 その魔力を取り込むのだから、知っていておかしくはない、のだが。


 そうなると、一つ疑問がわくのだ。


「ただ……私はあの子と意思疏通が出来ないので、真偽を確かめる事は出来ませんが」


 その疑問を口にする前にエステルの言葉が聞こえたので一旦疑問は置いておき、言葉の真偽について考える。

 本当にイオニアス相手なのだろうか、助けてという意図はヴィルフリート達が想像しているもので合っているのだろうか。


「エステルはお話が出来る訳でもないのですね」

「はい。何と言えばいいのでしょうか、私は受け取る事に特化してますので。それも、大地(からだ)の苦痛の声といった形の方ですし……ちゃんとした会話はまず出来ません。そちらに波長が合わないのだと思うのです」


 おそらく、エステルは大地そのものの声を受け取る感覚が集中しているのだろう。大地が軋み腐り落ちる時の悲鳴の方を受け取るからあんなにも疲弊しているのだ。

 意思が放つ意味を持った声が届かないのは、感覚の範囲が違うのだと思われるし、本人もそう認識している。可聴域の個体差があるように、大地の声を聞き取れる人間は限られてくるのだろう。


 その点では、ヴィルフリートはエステルよりも正確に意図を受け取る事には長けている事になる。


「……もう一度話を聞けたなら良いのですが、また会う……というか聞けるか分かりませんし、そもそもこちらの声が届かない事には意思疏通出来ませんよね」

「ですね。……あの子(大地の意思)がどうしてお兄様を救いたがるのかも、私には分からないのです。過去にも病弱だった筆頭魔導師は存在しましたが、その筆頭魔導師には特に大地の意思から何かアクションがあったとは残されていません。聞こえなかっただけかもしれませんけども」

「その筆頭魔導師は、どうなりましたか?」

「静養を理由に数年で代替わりしています。元々急に亡くなった筆頭魔導師の繋ぎのような就任だったそうですから」


 緩やかに首を振ったエステルは、それ以上は口に出さず俯く。

 エステルにも大地の意思の思惑ははかる事が出来ない。疑問だけが積もっていく。答えなど本人に聞かなければ分からないのだ。


「あの子を助けて、というのは願いです。という事は大地の意思にも感情や思いがあって、独立した思考があるのですよね」

「……ヴィル?」


 ヴィルフリートも疑問はあった。

 エステルが言うように何故イオニアスを気にするのか、といったものと、それから、何故そのような感情を抱いたか。


 これは似ているようで違う。

 感情を抱いた理由ではなく、何故大地の意思が感情を持っているのか、という根本的なものだ。


「いえ、不思議に思っただけです。個として独立した考えを持っているのは、何故かと。……純粋に不思議なんですよね、どうして意思があるのか」

「どうして、ですか?」

「この地は特別だとしても、人のような意思を持っている事が不思議だと思っただけです」


 ヴィルフリート個人の意見ではなくあくまで管理側から見た見解ではあるものの、基盤となる存在に個人の意思など不要だ。感情に左右されてはたまったものではないだろう。

 まあ、元から感情を持っているのだからそうなのだ、と言われればそう納得するしかないが。人智を越えた存在なのだから、どうしようもないだろう。


「それに、感情を持っていたとして余計に分からないのが、あなたが仰るようにイオニアス様という個を気遣うという事です」


 感情を持つ云々は置いておくとしても、イオニアスを特別視する理由が今のところ思い当たらない。


「俺もこういう表現はしたくないですしあくまでたとえなので怒らないで欲しいのですが……大地を大きな組織と仮定して、組織としては一部を切り捨てても問題がないのです。幾ら重要なパーツといえど外部から補給出来る、体を維持する存在は代わりがきくし今まで交代交代で消費してきたのに、何故イオニアス様という個体に拘るのかと思って」


 ヴィルフリートとてこのような物扱いをする言い方はしたくないし国にとっては消耗品だという事を認めたくはないが、あえて口にする。


 実際問題、今まで筆頭魔導師は肉体や魔力が衰えてきたりそれよりも優秀な人間が見付かれば部品交換のように交代してきた。エステルが言ったように、中にはイオニアスのように素質は優れていても体がついていかないような人間も居ただろう。


 何故イオニアスだけが、大地の意思に特別視されているのか、その理由が見えてこない。


「……分かりません。私は大地の意思とは会話出来ませんし、お兄様本人にはそもそも最近は顔も合わせてくれませんから」


 エステルはあまりイオニアスと話さないのは知っている。どちらからともなく避けるのは、気まずさと会ってしまえばイオニアスが恨み辛みをぶつけてしまうからだろう。エステルも、それには反論せずに受け入れる。

 決して嫌いという訳ではなく、互いに与えられた立場上、そうなってしまったのだろう。


 沈鬱な表情のエステルはそっとため息を落とす。


「ディートヘルムに、報告も兼ねて後で聞いてみます。事が事ですので公には出来ませんしあまり期待は出来ませんが」


 元々の大地の状態の報告に加え、ヴィルフリートがきちんと声を聞き届けた事、大地の意思はイオニアスを助けたがっている事、おそらくディートヘルムに知らせなければならない事はたくさんあるだろう。


 そして、大地の意思が警鐘を鳴らすという事は、本当に限界が近付いてきている事も。


 自分にはどうしようもない。手を差しのべられるなら伸ばすが、拒まれるのが現状なのだから。


 どうしたものか、と暗くなった空気と今後に途方にくれたようにヴィルフリートもため息をついた。


 大地の意思の事など、ヴィルフリートにはまだ分からないし、あれがはじめてだ。


 ただ思うのは――もし、大地の意思が心配という感情を持ち合わせているのなら。


「……本当に、機能というよりは人間そのもののようですよね」


 一人の青年の命を心配する意思は、とても人間のようだった。

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