68 直視したくない過去
ほんのり残酷描写があります。
儀式の間に入るのは二度目だが、今回もヴィルフリートはやや緊張していた。
というのもエステルから選別がどうと聞いていたためで、特に体調面に問題ない事から認められているというのは何となく理解していたものの、微妙に不安が残るのだ。
「……何でそんなにヴィルが緊張しているので?」
「いや、なんか……俺入っていいのかなって」
「入ってはまずいなら多分追い出されますよ、ぺって」
「ぺっですか」
色んな意味でまずいという言い方をするエステルに、大地の意思はグルメなのかと思うと、ちょっと緊張がほぐれてくる。
実際認めたものの魔力しか受け入れないらしいので、まあグルメといえばグルメなのかもしれないが。
「ヴィルは一度問題なく入ったでしょう? そもそも、あの事件に巻き込まれたというのはある程度私と魔力の質が似通っている、という事です。その上で私と魔力を混ぜた事がある訳ですから、多分弾かれる事はまずないかと」
「同視される、とは違いますが、連なるものとして認められたと?」
「単純にヴィルの資質的なものもあるでしょうけどね、概ねそんな感じかと」
まず問題ないですよ、と笑ったエステルに、ヴィルフリートはどう反応していいものやらと曖昧に笑う。
(いっそ同視されたらよかったのかもしれないのに)
そうすれば、エステルの負担を半分くらい背負えたのかもしれない。イオニアスの代理をエステルがしたように、エステルの支えという形で代わってあげられたのかもしれない。
エステルは渋るかもしれないが、エステル一人に苦痛を背負わせるくらいなら自分に半分くらい寄越してくれたらいいのだ。
まあ今のところそんな事は出来そうもないので内心だけに留めておき、貫頭衣に身を包んだエステルを眺める。
気負った様子や儀式を躊躇う様子は見当たらない。何回もしているから慣れているのだろう。ヴィルフリートが居る、というのも大きな一因であると思うが。
慣れた動作で棺の中に腰を下ろした彼女は、心配そうな眼差しを向けるヴィルフリートに気丈な笑みを見せる。
「大丈夫ですよ、死ぬようなものでもありませんし、役目ですから」
「……それは、分かっています」
「……手を繋いでいてください。それだけで、頑張れますから」
決して役目に嫌だとは言わずにそれだけを望んだらエステルを、拒める筈がないし拒むつもりもさらさらなかった。
棺に横たわったエステルが手を伸ばしてくる。
ヴィルフリートはその小さな掌を優しくもしっかりと握り、どこか翳りを帯びた瞳に微笑みかけた。
それだけで、どこか安堵したように頬を緩めて瞳を閉じるエステル。
すみれ色の瞳を乳白色のカーテンで覆ったエステルは、そのまますぐに深い眠りに入るように呼吸の音が静かになっていく。
それに呼応するかのように足元に引かれている幾本ものラインが脈動するかのように明滅し、結晶からほのかに放たれる光がやや強くなる。
碧い光のヴェールで覆われたエステルは、まるで人形のような繊細な美しさを強めていた。
棺の中という事も相俟って生きている気配が薄れてしまっているようにも思えて、たまらず掌に触れた温もりを確かめる。
元々あまり体温は高くないエステルだが、いつもより冷たい気もする。これも儀式の影響なのだろうか、と穏やかな寝顔のエステルを見つめた。
思えば、具体的にどうしているのか、分からない。
魔力を捧げている、地脈の管理をしている、という事は分かっても、その感覚はヴィルフリートには理解出来ないものだ。分かち合いたくても、それは出来ない。
「……俺にもあなたの負担が背負えたら」
なんてままならない事を呟いて、ヴィルフリートは静かに役目を果たそうとしているエステルを見つめた。
気付けば、視界は真っ暗に染まっていた。
闇の中でぽつりと浮かぶ自分。その癖自分は光っているのかどうしてか体だけはっきりと視認出来る。ぼんやりとしていた頭も、異常事態にすぐ覚醒した。
夢、にしてはやけに思考がはっきりしている。明晰夢にしても、夢と言っていいのか分からない程感覚は普段通りだ。普段見るような夢とは全く違う、何もない暗闇の世界に一人佇んでいるだけ。
まるで、闇に取り込まれたような周囲。
どうしたものか、と妙に冷静な思考が今後を考えていると、ふと周囲の闇が揺らいだ。
闇が揺らぐという表現をするのは正しいのか分からなかったが、ヴィルフリートには空間そのものが歪んだように見えた。
瞬きをした瞬間、闇は違う色が塗り広げられ塗り替えられていく。
まず、赤を認識した。
夕陽を落とし込んだかのような、まばゆい赤。
気付けば乾いた大地が広がっていて、ヴィルフリートはぽつりと一人で立っていた。
赤色は、地面に落ちた木片から昇っている。
よく見れば、それは木を加工したものだと分かる。地面には、沢山のもくざいが落ちている。木材だけではなく、石材や見知らぬ建材が、瓦礫のように積み重なっていた。
まるで、家屋が倒壊したような、そんな光景。
それがまるでではなくそうなのだと思い知らされたのは、その瓦礫に押し潰されるようにして人だったものが転がっていたからだろう。
まだ生き絶えてからそう時間が経っていないのか鮮血が地面に染み込みつつある状態に、自然と眉が寄る。
命を奪ったその家屋の残骸に手を伸ばしても触れられず、すり抜ける。ただ歩く事しか許されないヴィルフリートは、辺りに転がった骸に一層表情を厳しくした。
別に、ヴィルフリートは死に触れた事がない訳ではない。
王都で治安がいい区域に住んでいたとはいえ、中心部から離れた暗い路地裏に入れば人死にが起こりうる事を認識しているし、その場面も見た事がある。
魔物を払う際にミスをして命を落としていった同僚も居る。目の前で事切れる様を見てえずいた事もある。
しかし、ここまでひどいものは初めて見た。
少し歩いた先は更に生を失った人達で溢れかえっていた。
何かしらの武器で傷つけられた者も居れば、魔法で害された者も居る。同じなのは、等しく魂は天に昇っていったという事くらいだ。
あまりのむごさにふと意識がそれた瞬間、視界がぐるりと回り、目の前には枯れた大地が広がり痩せ細った人達が転がっている。
割れた大地。草木もほとんど残っていない。まるで干ばつでも起きたかのように、大地には死の気配が満ちていた。
このような光景を、ヴィルフリートは見た事がない。
けれど、これは本当にあった事なのだと、無意識の内に認めていた。
『くるしい』
か細く、掠れた声が聞こえた。
また、場面が切り替わる。
ヴィルフリートの視界には、薄暗い部屋が写っていた。
淡い碧の光のラインが床に走っており、中央部には何かの術式と思われる陣が刻まれている。
そして、その陣の中心を少し開けて二人の子供が転がっていた。
碧の光に照らし出されたその子供達は、見慣れた薄桃色の髪をしていた。
手を伸ばしても、何故か陣の中には入れない。
代わりに、どこからかやってきたローブの男が、子供を数人連れてその陣の中に放り込んだ。
瞬間、床に描かれた模様が脈動し光が強く放たれる。
同時に、突き飛ばされた子供達が悲鳴を上げる。侵食されるように肌に奇妙な紋様が浮かび上がり蠢き、それが全身に広がるにつれて耳をつんざく絶叫がその声量を上げて、やがてぷつりと途絶えた。
餌とされた子供達肌から紋様が消えた代わりに瞳は虚ろで、放り込んだ男はそんな子供を一瞥して陣から魔法で引きずり出す。引きずり出す、というよりは端に放り捨てる、といった動作だった。
男は、扉から消えていく。
その間、二人の子供は体を掻きむしるように自分を抱き締めて身を丸くして苦痛の声を上げていた。
痛い、苦しい、やめて、そんな掠れた呻き声を上げる幼い少年と少女に、ヴィルフリートは手を伸ばしたかった。
しかし、それは阻まれて近付く事も出来ない。声すら、封じられたように出ず、口からこぼれるのは焦りと苦渋に満ちた吐息だけ。男にも、子供達にも、触れられない。
再び男が子供を連れて、同じ事を繰り返していく。
何度も、何度も。
次第に二人の子供も涙に濡れ虚ろな瞳になっていくのを、ヴィルフリートは口許を抑えながら眺める事しか出来なかった。
そして、また視界が一度闇に閉ざされた。
今度は最初に居た真っ暗闇。
ただし、一人ではなく、一人の少女が側に居た。
ざんばらに切られた、波打つ薄桃色の髪。
薄汚れた簡素な服に身を包んだ、体も傷だらけの少女。背丈から年の頃は七、八歳くらいだろうか、幼い少女はひたすらに華奢な体を丸めてうずくまっていた。
誰だか、聞かなくても分かった。
すぐに駆け寄って少女を抱き締める。
今度は、触れる事が出来た。
どこまでも大人の都合に巻き込まれた幼い子供を優しく強く抱き締めると、その少女はゆっくりと顔を上げた。
『たすけてくれる……?』
「君、は……?」
赤い瞳が、ヴィルフリートを虚ろに写し出す。
いましがた見てきたような燃え盛る炎の色とも血の色ともとれる美しくも冷え冷えとした赤色は、ただヴィルフリートに生気のない色だと思わせた。
「ヴィル!」
そこで、エステルの鋭い呼び声に、意識を掴み上げられた。




