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67 吹っ切れた上司様

 エステルの気力回復方法は簡単で、人には欠かせない睡眠と食事、それに追加してヴィルフリートに構ってもらう事だ。

 触れ合いが活力にそのまま返還されるらしいエステルは、ヴィルフリートに一晩側で甘やかしてもらったので元気になったらしく、翌日から仕事に精を出していた。


「……何というか、分かりやすいよなあ」

「分かりやすいよね」


 エステルが上機嫌で仕事をこなす姿を見た同僚二人が呆れた視線をこちらに向けてくるものの、ヴィルフリートは知らんぷりをして自分の仕事に取りかかっている。

 といっても基本はエステルの仕事の補佐なので、エステルの時おり見せる全幅の信頼が乗った笑みに咳払いを何度かして同僚二人の視線を誤魔化すのだが。


 仕事が終われば家で夕食後に甘えてきてしばらくくっつきヴィルフリート成分なるものを補給するエステルは、もう我が家のようにくつろぎまくっているし、むしろエステルの自宅よりも脱力して無防備な姿をさらしている。

 もうこれ一緒に住んだ方がいいのではと大分考えがエステルに甘くなっているヴィルフリートであった。

 

「いやいやまだ早い早い」

「ヴィル?」

「何でもありませんのでそのままどうぞくつろいでください」


 不思議そうに首をかしげながら腕にくっつくエステルに、ヴィルフリートは自身の内側から囁きかけてくる悪魔の声を振り払って微笑んだ。


「……さっきの話聞いてました?」

「すみません、考え事をしていたので聞いていませんでした」

「珍しいですね」


 くすくすと笑って上の空だった事を流してくれたエステルは、ぎゅうっと腕に体を寄せる。

 甘えたいから、というよりは、少し不安を抑えたかったから、そんな雰囲気と様子だ。


「もう一度言いますね。またお役目に行ってきます」

「また、ですか」

「こればかりはどうしようもないです。……その、ヴィルは、お兄様が体調悪いのを見かけたのですよね?」


 イオニアスと会った事をディートヘルムから聞いていたらしいエステルに、ヴィルフリートも躊躇いがちに頷く。


 彼にとっては見られたくない姿だっただろう。

 ヴィルフリートから見たイオニアスは、筆頭魔導師という立場に固執している。いや、すがらざるを得ない、と言った方が正しいのかもしれない。


 イオニアスにとって、与えられた立場が、居場所が、それだけだと言わんばかりの態度だった。

 他者を拒むのは、本人が言うとおり最初に奪うだけ奪って責務を押し付けて、出来なくなりそうだからと存在意義すら奪おうとしているように見えているからだ。

 ディートヘルムがそういう意図でないにせよ、彼にとってはそうにしか受け取れないのだ。


 だからこそ、実妹であるエステルをも拒む。

 エステルにとってはイオニアスのスペアだと思っていても、イオニアスにとっては自身が使い捨てのものにしか思えないのだろう。

 国からすれば、どちらとも消費物のようにしか思っていないのかもしれないが、どちらにせよヴィルフリートにしても不愉快だった。


「最近調子を崩しやすくなっていますから……私が変わるのも仕方ないのです。あまり、もう猶予は残されておりません」

「それは……」

「だから私が代わるのですよ。……お兄様は、嫌がるでしょうけど。私から存在意義を奪うな、って」


 苦笑いというには笑みの成分が足りないエステルは、そのままヴィルフリートの二の腕に額を押し付ける。

 本来なら、彼女だってしたくない事だ。わざわざ苦痛を味わい疲弊する上自分一人に今後の行く末を託される重責まで背負うなんて、嫌だろう。


 それでも、逃げたりはしないし、こうして向かい合おうとしている。


「お辛くありませんか」

「平気ですよ。あ、いえ強がっている訳でもなくてですね……ええと、ヴィルにもついてきてもらおうかなって」

「……以前入った身で言うのも変ですが、よろしいので?」


 基本的に、あの場は筆頭魔導師と補佐官以外の立ち入りを禁じられているとディートヘルムから聞いている。それ以外で入る事が出来るとすれば、それこそ国の頂点に立つ者くらいだ、と。

 今のところ一介の魔導師であるヴィルフリートが、ディートヘルムに連れられずに入ってもよいのだろうか。


 そんな懸念に、エステルはくすっと笑って余裕の表情。


「ちゃあんと許可は取ってます」

「それは用意周到な事で」

「ふふ。頑張るためには事前準備は欠かしてはならないのです。極論精神の均衡を保てるなら常識の範囲で好きにしろと言われてますし」

「閣下……」


 ディートヘルムも、エステルをわざわざ消耗させるような事をしたい訳ではないだろうが、そうせざるを得ないのでせめてもと最大限の配慮をしたのではないだろうか。

 エステルのエネルギー源がヴィルフリートな事はディートヘルムもよく知っている。経験を積ませるのも兼ねて、ヴィルフリートの同伴を許可したのだろう。


 ヴィルフリートと一緒なら頑張れると言って憚らないエステルは、いつもよりやる気が見えている。


「他の人達にも邪魔はさせません。……今国を支えられるのは私とお兄様だけ。私が逃げ出したら国が傾きかねないと分かってますからね、ある程度の我が儘は許してくれます」

「そこはしたたかなのですね」

「ヴィルが隣に居るための権利をもぎ取るためなら何だってします。なんたって私の精神安定剤ですから」


 あどけなく微笑んでみせるエステルは、色々と吹っ切れたようだった。

 逃げられないなら、出来る範囲での幸福を選ぶ。エステルにとっての幸福はヴィルフリートの側に居る事。囚われる代わりに一番心地のよい場所を作り出す事を望んだエステルに、ヴィルフリートは何とも言えない気持ちで微笑む。


 ヴィルフリートのちっぽけな身では、彼女に安らぐにしかならない。

 根本的な解決は、無理だろう。この国の制度を変えられるとは思わないし、代替案を出せる訳でもない。そもそもまだこの筆頭魔導師の制度について全て理解してはいないので、そこから始まる。

 エステルが楽になれるのなら、出来る事全てするが、それだけでは解決はしないだろう。


「それにね、あの間に立ち入りが禁じられている、ってのは正しいのですが、基本的に才がなければあの場には立っていられませんから」

「え?」

「一定の魔力以上は当然の条件ですし、そこからまた相性があるというか……説明が難しいのですが、とにかく認められなければ、その場に留まれないのです。倒れちゃいますから」

「……どういう事で?」


 ディートヘルムには何も聞かされず連れていかれたし普通に滞在出来たが、実は危険な行為だったのだろうか。

 無事だと確信を持って連れていったような素振りであったが、倒れる可能性があるならば先んじて言っておくべきなのではと少し小言が言いたくなった。


「うーんと、あそこは儀式の間でもありますが選別の間でもあるというか?」

「……えーと、とりあえず俺は問題なかった、でいいのでしょうか」

「はい、追い出されないならあの子がそう認めたのだと思います」


 少なくとも補佐官としては認められてますよ、と屈託なく微笑んだエステルを見ながら、ヴィルフリートはエステルに聞こえないように『あの子』と口の中で反芻する。


 あの子、という単語は前にも聞いた。


『でもお兄様を助けたい、これも偽りのない本音なのです。お兄様も、あの子も、救いたい。だから私がならなくてはならない。苦しいのは、いやだけど……でも、私が頑張らなきゃ、いけないから』


 先日確かにエステルはそう言った。そのあの子が今エステルの言ったあの子と同じ人物を指しているのだろう。

 ただ、ヴィルフリートにはその誰かに心当たりはない。


「あの子、というのは?」

「ん……大地の意思の事です。あの子は名前はない、というか知らないです。記録にも残っていませんし……」

「……その、大地の意思なのは分かったのですが……えーと、意思疏通は可能なのですか」

「私には無理ですね。歴代の筆頭魔導師の中には言葉をやり取りしたとかいう人も居るらしいですが、私は苦痛の声を受け取る事しか出来ません」


 へにゃ、と眉を下げて笑ったエステルは、ヴィルフリートの二の腕に顔を埋めた。

 それ以上は何も言おうとしないエステル。苦痛の声、とあるがどんな風に聞こえるのか、なんてヴィルフリートには分からないから、どう声をかけたものか悩む。


 ヴィルフリートに出来る事なんてただ癒しになる事くらいなので、分かち合えないその苦しみにヴィルフリートはそっと頭を撫でる事しか出来なかった。

多分今年中に終わる予定です。

基本的に甘くなるのは後日談からですので頑張って後日談まで走れればと思います。応援していただけたら幸いです。

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