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60 お仕事体験開始

 どうやら、エステルは接客自体は問題がなさそうだ。


 厨房からフロアの様子を眺めたヴィルフリートは、そっと吐息を一つ。

 それが安堵なのか不安からのものなのか、はっきり区別しがたいのは席が埋まるペースが異常に早いせいだ。


 まあ原因は分かりきっていて、エステルが表の掃除をしたからだ。

 元々目立つ容姿をしていて、滅多に見ないような冴えた美貌に均整取れたスタイルの少女がこの店の制服を着ているのだ。そりゃあ客寄せにもなるだろう。

 母も狙ってやっている辺り、やり手ではあるのだが。


「ご注文はお決まりでしょうか」

「なあなあお嬢さん、今日仕事終わってから空いてない?」

「ご注文はお決まりでしょうか」


 お誘いをかけてくる客にはあくまでにこやかに、そして応じる気は全くなさそうにお決まりの台詞を口にするエステル。


 ある意味すげない態度なのだが、反感を抱かせないのはエステルの育ちのよさが窺える所作と笑顔のお陰だろう。営業スマイルを心がかるように、と母が言っていたのは見たが、ここまで武器になるとは。


 勿論、ヴィルフリートに向けるのとは別物なのは理解しているものの、あまり面白くないのも事実。

 まあこればかりは仕方ないと納得しているので口には出さない。一々言っても仕方なかったし、笑ったくらいで妬くなど心が狭いと抑えている。


「注文入りました。三番、日替わり二つ」

「あいよー、ちょいとお待ちを」


 注文をとるのにも慣れてきたのか、ぎこちなさが抜けてきてバシリウスにも笑顔で注文を伝えられるようになっている。

 基本的に人見知りの傾向があるエステルが、こうしてにこやかに振る舞えるようになったのは、喜ばしい限りではあるのだ。


 初心者という事を考慮してと容姿のよさで多少お目こぼしはされているだろうが、接客自体は好評だ。

 元々所作は綺麗であるし言葉遣いは丁寧、学習能力も高いので問題になる事はないとは思っていたが、予想以上に噛み合っていて驚くしかない。この姿をディートヘルムが見たら苦笑するだろうが。


「店員さーん、こっちも注文」

「かしこまりました」


 すぐに踵を返してフロアに戻っていくエステル。

 ふんわりとスカートを揺らしながらこちらに背を向けたエステルに、ヴィルフリートは寸胴で煮込んでいる料理の様子を見ながら何とも言えない気持ちでそれを見送った。




 指導役であるグリットや後からやってきたバルドのフォローもあってか、昼の営業が終了しかけている今まで、特に問題は起こらなかった。

 ただ、一つ言うなら、エステルを口説こうとする男が大量発生したくらいだろう。


 当然相手はお客様なので笑顔を振る舞っているエステルに、自分でもどうしてここまでもやもやとするのか把握しかねていた。

 理由は分かっているのだが、何故ここまでその感情に急き立てられるのかが分からない。自分の胸に抱いた感情を御せないなど、未熟だとは理解しているのに。


(……何というか、妬くなんて俺らしくないんだけどな)


 普段ならば、ここまではならなかっただろう。精々ちょっぴり面白くない程度で、笑って流せる筈だった。


 エステルの格好が思ったよりも可愛らしく、かつ男が好き好みそうな代物だったからだろうか。

 決して露出が多い訳でもない(というか多かったら許可しなかった)のだが、侍女服のような形状のため、かしずく美少女を擬似的に体験出来るのが反響を呼んでいるのかもしれない。単純にエステルが綺麗で似合っているというのもあるだろうが。


「どうした弟よ、表情が怖いが。可愛い上司様が他の男に取られそうな事に嫉妬してるのか」

「は?」


 兄の茶化しに、冷ややかな声が出る。

 そもそもエステルが自分以外を見ないのはうぬぼれではなく事実なので、取られるという事はあり得ないと思っている。もしそんな事があれば、エステルが本気であれば身を引く……よりは惚れ直させると考えているくらいには惚れ込んでいるのだが、まずないだろう。


 エステルの様子を見ていても全く他の男になびく気配はなさそうなので鼻で笑うと、何故かバシリウスが笑いだすのだ。


「何だよ」

「いーや、べた惚れだねえ」

「うるさい」


 べた惚れなのは自覚しているのだ。

 エステルがヴィルフリート大好きなのが分かりやすいように、ヴィルフリートもエステルを好いている事はちょっと親しい人間ならすぐに分かるだろう。

 これでエステルが告白されるまで気付かなかったのだから驚きである。


「否定はしないんだな」

「見てれば分かるだろ」

「まあ分かりやすいわな。エステルさんにだけ滅茶苦茶甘いからな」


 やかましいと思いながらも否定はしないヴィルフリートに、バシリウスは弟の恋路をあれこれ探るのが楽しくなってきたらしくにやにやが強くなっていた。


「あれか、可愛くておっとりとして優しくてかつちょっと危なっかしいもんな、それであれだけ信頼されてるんだから好きになるよな」

「うるさい」

「ああいう庇護欲そそられる小動物系が好みだったんだな」

「兄貴はそろそろ黙ってくれ。そういうの関係なしにエステルだから好きになったんだよ馬鹿野郎」


 一々はやしてくる兄に若干こめかみの筋肉がびきりと揺れるものの、ここで苛立ちを全開にしても兄の思う壺なので堪える。

 

 人の色恋沙汰に首を突っ込むのが好きだから余計ないさかいが起きたりするし占い師にも女難の相が出ていると言われるんだよ、と内心で呟きつつ今度は流そうと決める。


「で、その恋は叶いそうか?」

「もう叶ってる」


 兄の何気ない質問にそれだけ答えて、絶句する兄を放置する事にした。

 丁度昼の営業が終了して休憩兼仕込み時間に入ったのでエステルが中に入ってくるのが見えたし、兄に構うつもりは更々なかった。


「お疲れ様です。筋がいいと母も褒めていましたよ」

「ほんとですか?」

「ええ」


 ポニーテールをぴこぴこ揺らして戻ってきたエステルに微笑みかければ、エステルがほんのり照れ臭そうにはにかむ。


 表情から少し疲労の色が見られるので、フロアの清掃もそこそこに先に休憩に入らせてもらったのだろう。

 フロアではグリットとバルドが片付けをしている。……とても親密な様子で話しているので、空気を読んで邪魔にならないようにそっと出てきたらしい。


「それならよかった。日頃お世話になっているヴィルの役に立ちたいですもん」

「俺こそ、あなたにお世話になっているんですよ」

「……それはない気がしますけど」

「そんな事ありませんよ」


 日頃の疲れはエステルとの触れ合いでいつも癒されている。エステルの存在はヴィルフリートの日常における重要なファクターだ。

 おそらく、今は彼女中心の生活になっているし、それが心地よいと思っている。振り回されたりもするが、振り回される事自体案外楽しかったりするのだ。


 お世話をしている身ではあるが、逆にやり甲斐や安寧といった意味でお世話になっている。


 だから余計な気を使わなくてもいい、と微笑むと、エステルは安心したような笑みを、側で聞いていたバシリウスは訝るような顔に。


「……俺の弟がキャラ違う」

「俺は兄貴以外には丁寧に接するから」

「俺だけ要らぬ特別扱い!」

「……特別扱い……私もヴィルに特別扱いされたいです……」

「充分別枠で特別扱いしてますが」

「私も罵倒してほしいです!」

「えっ待って俺罵倒される男認識?」

「駄目ですよ、新鮮さを求めるために罵倒されたいなんて」


 エステルが新しい趣味に目覚めてもらっても困るのでそっとたしなめる。何だか不満たらたらなバシリウスは無視しておいた。


「そもそも罵倒って、たまにおばかさんとか言ってるでしょうに」

「あれは罵倒に入りませんー。私もヴィルに罵られたいです」

「嫌ですよ。他の特別扱いなら幾らでもしますので」

「……じゃあ敬語は取っ」

「却下」

「けちー!」


 いまだにため口を諦めていないらしいエステルも不満そうに唇を尖らせて胸をぽかぽかと叩いてくるので、笑って流しておく。

 こればかりは譲れなかった。

 何というか、エステルには敬語で喋るのがしっくりくるのだ。時折砕けるくらいが丁度いいので、これ以上崩すつもりもない。


 ぷーぅ、と頬に風船をこしらえそうなエステルの頬をつついて空気抜きをしつつ、壁にある時計を一瞥。


 営業時間外とはいえ交代で休憩を取るので、エステルの休憩は長いという訳ではない。彼女もお腹すいているであろうし、自分も休憩に入るのに丁度よかった。


「……さて、エステルが休憩に入ったなら食事ですよね。先に作ってあるサンドイッチをお出ししますので。あと仕込んであるスープを分けてもらいましょうか、軽いおかずもお作りします」

「ほんとですか? ありがとうございます」

「……尽くすタイプだったっけお前……てかお前も休憩に入るのかよ」

「兄貴はまだ休憩じゃないから仕事しろ。夜の仕込みな。俺は休憩、後で交代」

「ぐっ……確かに母さんの計らいで二人に一緒に休憩取らせるようにしてるけどな……!?」

「じゃあ頑張れ」


 微妙に悔しそうな雰囲気を出して恨みがましげにこちらを見てくるバシリウスをスルーしたヴィルフリートは、エステルにフロアの端の席を確保するように言って遅めの昼食を用意するべく保冷庫を覗いた。

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