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59 お仕事体験をしましょう

 結果的に、エステルは快く母親に受け入れてもらった。


 連絡した時に承諾したのはいいが張り切り気味だったので気合い入ってるな、とか呆れたのだが、実際に向かいあった時にはにこやかな笑顔でエステルの手を引いてさっさと裏に言ってしまった。


 あー取っ捕まったな、とヴィルフリートもバシリウスも判断して、自分達も着替えようと調理服に手を伸ばしたところで。


「ひゃっ」

「若いっていいねえ、肌にもはりつやがあって。でもちょっと細すぎなんじゃない? しっかり食べてる?」

「た、食べてます……ものすごく。ヴィルより食べてますよ……?」

「あっはっは、そんなに食べるならおばちゃんの心配はお節介だったかね。お腹につかない代わりに女の子らしい体つきになるなら羨ましい体質だよ」


 なんて会話が聞こえてきたので、とりあえずヴィルフリートは聞き耳をたてていたバシリウスの襟首をつかんで別室に移動する。

 あまり女性の会話に耳をたてるものではなかったし、あのあとも若干際どい会話が続いていたので、聞いておくべきではないと判断したのだ。


「エステルさんが着るとさぞ可愛いんだろうなあ。グリットは素朴な可愛さだが、エステルさんはこう、アンバランスさがありそうだ。かしずかれる立場の少女がかしずく立場の格好になるって、こう、いいよな。男のロマンだよな」

「一度頭を冷やしてきた方がいいぞ。なんなら俺が冷やしてやるから」

「やめろ、魔法はやめろ」


 何を妄想しているのか想像がつく。

 恋人で不埒な妄想されるのは不快なため水を出そうとすれば、すぐにバシリウスも気付いてとめてくる。

 

 他人に対するエステルの事に関してはちょっぴり狭量なヴィルフリートに、バシリウスも「何か俺の弟怖いんだけど」とぼやいていた。


「いいから着替えるぞ。仕込みすら出来てないんだから」

「ハイハイ。可愛げねえなあ……」


 ヴィルフリートが無表情で促して、二人は仕事着に着替えるのだった。




 二人が着替え終わった頃、今回エステルの先輩となる従業員のグリットがやって来た。


「あ、ヴィルフリートさん。今日はお手伝いの日でしたっけ」

「久しぶり、グリットさん。昨日急に要請入ったからなんだけどな」

「そうなんですか。今日は人手が多くて助かりそうです。バルドさんも出勤しますし」


 バルドとは、グリット同様この店の接客係の男だ。今日はまだ顔を見せていないものの、マイペースでほんのり天然ながらに紳士的な態度と真面目な勤務態度から、母親からの信頼も厚い。


「今日はそれに加えて一人お手伝いが居るんだよな」

「そうなのですか?」

「あー、えっと、前に俺が手伝いに入った時にきたお嬢さんが手伝いたいって。母さんも承諾したから、今日一日限定でサポートに入る」


 母が承諾したのは人手が足りないからもあるだろうが、エステルの美貌を生かした客寄せの面もあるだろう。贔屓目抜きにエステルは可愛いので、掃除させに表に行かせるだけで集客を見込めそうなものである。


 そこは商魂たくましいよな、と我が母ながら感心するしかないヴィルフリートだが、あまり面白くないのも事実。

 無理だけはさせないように、と母に伝えてはおいたし女の子には比較的優しい母なので無理は強いないとは思うものの、客の動きまで完全に制限出来る訳でもないのでヴィルフリートが気を付けなければならない。


「これはお願いなんだが、余裕があればエステルを気にかけてやって欲しい。飲み込み自体は早いと思うが、客のあしらいなんかは経験した事がないから」

「あー、分かりました。先輩としてここは導かなきゃ……!」


 一時的とはいえ初めて後輩が出来るのが嬉しかったらしく、グリットはややはりきった表情を見せて更衣室に消えていった。


 そして、それと入れ替わりに、エステルがひょこりとヴィルフリートの前に姿を見せた。


 オレンジを基調とした給仕服は、城で見かけるような侍女のものとは違う、あくまで見た目に拘ったものだ。

 動作の邪魔にならないように過度な装飾こそなされていないが、フリルのエプロンだったり裾にあしらわれた刺繍やらレースやら、地味な拘りが見える。

 母の服飾を生業としている友人がデザイン設計したらしく、双方の店のアピールを狙っての事だとか。


 しっかり頭にヘッドドレスを被っているエステルは、母親に髪をいじられたのか編み込みのポニーテールになっている。

 普段とはまた違う活動的な雰囲気に、ヴィルフリートもつい目をみはった。


「……その、エステル。母さんは変な事をしませんでしたか」


 開口一番でそんな事を言ってしまったのは、若干の動揺のせいだろう。

 真っ先に抱いた感想は可愛いの一言に尽きるのだが、エステルとの約束を果たすには少し平静になる時間が必要だった。


 実家故にこの服などしょっちゅう見ていたとはいえ、恋人が着るとなるとまた別の愛らしさを思い知らされる。


「へ、変な事ですか? 特にといって……」

「その、お体に触ったりとか」


 先程微妙に聞こえた会話のせいで気分を害していないのかも気になったが、エステルはさほど気にしていない様子だった。


「あ、女性に触られるのには慣れているのですよ? 屋敷に居た頃には侍女さん達に着替えさせてもらってましたし」

「……そうですか」


 よくよく考えればディートヘルムの養女だと判明した今、お嬢様だった事を改めて思い知ったのだ。

 普通に着替えを手伝ってもらったり身の回りの世話をされる事には慣れているのだ。ヴィルフリートにお世話し(可愛がっ)てもらっていた頃も申し訳なさそうではあったものの、される事自体には違和感を持っていなかったのだから。


 単に男性に許可なく触られるのが嫌なだけで、ただの着替え目的で同性に触られる事には問題がないらしい。当然と言えば当然だが。 


 なんにせよ、嫌がっていないならよかった――そうほっとしたところで、エステルが何か言いたげにこちらをちらちら見てくる。


「ヴィル」

「はい?」

「に、似合いますか?」


 スカートを軽くつまんで、服装を見せるようにおずおずと問いかけてきたエステルは、ほんのり頬を染めている。

 最初に口にするはずだった言葉を飲み込んだのはヴィルフリートなので、ヴィルフリートはエステルを見つめて微笑んだ。


「ええ、よくお似合いですよ」

「可愛い?」

「可愛いですよ。見惚れそうです」


 今度こそ約束を果たしたが、やはり照れ臭さはある。

 普段よりも髪型のせいか溌剌とした印象を抱かせる彼女を心から褒めると、エステルはヴィルフリートに突撃してきた。


 軽かったので衝撃は殆どなかった。だが母はグリットと更衣室、バシリウスは厨房に居るので人は居ないとはいえ、まだ内緒にしてある段階で抱きつかれて少しだけ戸惑う。

 周囲に目をやって誰も居なかったからよかったものの、これで母にでも見られたらはやされるのは間違いないな……とか思っていたら、エステルはいつもよりもヴィルフリートに強く抱きついていた。


 エステルを見ると、こちらを見上げながらはにかんでいる。

 はにかみ、というにはふにゃふにゃと表情筋が緩みまくって幸せ一杯だと全力でアピールしているとろけた笑顔で、眼差しも親愛に満ちていた。


 高い位置で結われたポニーテールをふるふると揺らしながらヴィルフリートにひっつくエステルは、控えめに言っても愛らしかった。


「……えへへー」


 褒められた事がかなり嬉しかったのか、頬を薔薇色に染めたエステルはヴィルフリートの胸に頬擦り。

 その間ふやけた笑みは忘れておらず、時折ヴィルフリートを見上げ直して視線が合う度に恥ずかしそうに額を胸板にうりうりと埋めていた。


 思わず、時と場所を忘れて抱き締めて愛でたくなる気持ちを抑えるのに神経を集中しなければならなくなるくらいには、恋人の反応が可愛くて辛かった。


「エステル」

「は、はい?」


 思わず真面目な声音になってしまって、エステルは困惑したように上目使いで見つめる。

 まだ頬に羞恥の残滓があるエステルに、ヴィルフリートはそっと掌を頬に添わせてゆっくりと顎を持ち上げた。


「その表情を他人に見せてはなりませんからね」

「ヴィルだけ仕様です!」

「よろしい」


 口づけこそしなかったが、こつんと額を合わせて触れ合う。


 我ながら独占欲が出てきたな、と昔の自分には考えられないものを抱きつつある自分に苦笑したヴィルフリートは、エステルがふとこそばゆそうに、それでいて何だか微笑ましそうに笑っている事に気づいた。


「ふふ」

「……なんですか」

「何でもないです」


 何でもない割には何かありそうなのだが、言うつもりもないらしいのでさらりと流しておく。

 エステルの視線に何だかむず痒さを覚えたのは、気のせいにしておいた。


 そっとエステルを剥がして、最後にぽんと髪型を崩さない程度に優しく撫でる。


 これから半日ほど戦いが待っているための激励であり、触ってほしがりなエステルのエネルギー注入でもある。

 休憩中にこっそり触れないと途中で枯渇してしまいそうではあるが、エステルにも今日は頑張ってもらわなければならない。ご飯もたっぷり用意してやらなくては、と内心で誓っておく。


「じゃあ、母さんとグリットがレクチャーしてくれるから、その指示に従っておけば基本は大丈夫ですよ。困ったことがあれば誰かに声をかけてください」

「はーい」

「……無理だけは厳禁ですよ?」

「大丈夫です、頑張れます!」


 意気込みはかなりあるエステルの笑顔に、ヴィルフリートも相好を崩して自分の仕事に取りかかるべく厨房に向かった。

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