55 膝枕は癒されますか?
ヴィルフリートにとって、料理は仕事でもあり日課でもあり趣味でもある。
エステルにご飯を作るのは仕事と厚意が半々であるが、家で作るのは日課且つ趣味だ。自分の食事を作るのと、エステルに喜んでもらうため。これにすら手当がついているのだから、仕事としてはどうせ自分の分を作る事を考えれば非常に好条件である。
その点を踏まえて改めて思ったのが、自分はなんて恵まれた環境に居るのだろう、という事だった。
「なんというか、多分俺は幸せ者なんでしょうね」
鍋の前に立ちひたすらに玉ねぎを弱火で炒めるヴィルフリートは、何の気なしに呟いた。呟く、というよりは後ろで作業を眺めているエステルに聞こえるように言ったので、エステルは「何がです?」と不思議そうに返してくる。
先ほどからせっせと焦げないように玉ねぎを炒めるヴィルフリートが面白かったのか、はたまたヴィルフリートの退屈しのぎのためか近寄ってきたエステル。
ひょこ、と隣に立った彼女は、ヴィルフリートの邪魔にならないように少し距離を取りつつも首をかしげて話の続きを促してきた。
「いえ、なんというか。料理自体は好きな方ですし、好きな事をしてお金をもらって、なおかつ好きな人に喜んでもらえるというのは、とても幸せな事だな、と改めて思いまして」
「いつもありがとうございます。私も毎日好きな人のご飯食べる事が出来て幸せで、……うー」
「どうかなさいましたか」
「よく考えると、普通立場が逆じゃないのかな……と。世間一般では、女性がご飯を作っているのではないかと……」
「エステルに作らせるくらいなら自分で作りますし、それがままならないなら外食に切り替えますから」
「ひどい!」
うっかり本音が出てしまいエステルに軽く背中を叩かれるものの、意見を翻す気はまったくない。
エステルの料理の腕は未知数だ。本人もした事がないと言っている。
そんな彼女に包丁を握らせるのも火を預けるのも恐ろしい。教えるにも時間がかなりかかりそうであるし、それなら普通に外食した方がましである。
「私だってやれば出来るかもしれませんよ?」
「料理した事ないのによく言えますね……その可能性は否定はしませんが、物事には適材適所というものがあります。それに、俺が作るとあなたが幸せでしょう?」
「それはそうですけど」
「良いのですよ、俺は尽くすタイプですので、素直に尽くされてくださいな」
今まで家でこきつかわれていた慣れもあるが、基本的に親しい誰かに何かをするというのは好きなので、エステルにせっせと尽くすのも好きだったりする。
むしろエステルが喜んでくれるなら、自分で出来うる限りしたい。それが自分も喜びに繋がるので、苦だとは思わないのだ。
「……それじゃあ、ヴィルが負担大きいです……」
「じゃあその分癒してくださったら嬉しいです」
「ヴィル……!」
「今は料理の邪魔です」
ぱあっと瞳を輝かせて腰に抱きついてきたので、火傷させたり肘が当たってしまっても困るのでそう告げると、エステルは「素っ気ないです……」と不貞腐れたような声を上げた。
ちら、と見れば可愛らしく頬に風船をこしらえているエステルが居て、苦笑が自然と浮かぶ。それすらエステルのご機嫌を下げていくらしくて、更にぷくっと頬が膨れて頬袋に食べ物をつめこんだリスのような顔になっていた。
「拗ねないでくださいよ。ほら、保冷庫にミルクプリンありますから」
「お、お菓子では釣られないのですよ……!」
「ではこちらは?」
若干揺らぎつつも何とか拗ねてるポーズを保つエステルに、それではとヴィルフリートは玉ねぎを絶えず炒めていた木べらから手を離し、小さな背中に腕を回す。
調理中なので掌では触れなかったものの、少し抱き締めただけでエステルはふにゃりと頬が緩んでいた。
耳元で「後でまた構ってもらいますから」と小さく囁くとびくりと体を震わせたので、やはりというか耳は弱いらしいエステルである。
「では、俺は料理の続きをしますので、エステルは大人しく待っていてくださいね」
「……結果的に私ばかり癒されて、ヴィルが癒されてません……」
「いえ、エステルが可愛らしいので充分に癒されてますよ」
「それはどういう意味ですか」
「文字通りの意味ですよ」
決して幼げな仕草や態度が可愛い、とは言わずにはぐらかすと、エステルはまた拗ねかける。しかし可愛いの言葉に照れたのか頬をほんのりと染めて、ヴィルフリートの脇腹にうりうりと頭突きをして照れ隠し。
顔を上げた時には拗ねてる様子は見えなかったので、どうやら満更でもなかったらしい。
「後で覚えておいてください。私が存分に癒して見せるんですから!」
何故か捨て台詞のような響きで言い切ってちゃっかりミルクプリンを手にしてぴょこぴょこ部屋に戻るエステルの後ろ姿に、何故だか尻尾がぶんぶん振られているような気がした。
子うさぎというか子犬というか、とにかく甘えん坊な恋人様に、鍋に視線を戻しつつまたひっそりと笑う。
ヴィルフリートは早く料理を作ってエステルの癒しとやらを堪能させてもらおう、と作業を急ぐ事にした。
「さあヴィルも甘えてください!」
食後、食器を洗ったヴィルフリートが部屋に戻ると、ソファに座っているエステルが満面の笑みで両手を広げていた。
どうやら待ち構えていたらしく、早く早くと急かしてくる。
どうしたものか、と悩んで隣に座ると、何故だかエステルはちょっとつまらなさそうな顔をするのだ。
「ここは腕の中に飛び込んでくるところでは」
「ソファでやったらソファが引っくり返りますから」
「むむ。……じゃあどうしましょう。私がヴィルにされて癒されるのって、抱き締めてもらったり、髪触られたり、頭撫でてもらう事なんですけど……」
早速エステルの甘やかし大作戦に行き詰まっている模様で、ヴィルフリートとしては自分に聞かれても、としか言えない。
エステルがどう甘やかしたいのかいまいち分かってないので、出来るのはエステルの好きにさせる事くらいだ。
癒したい、とは言っていたものの、正直なところ側に居て軽く触れ合うだけで充分癒されている。
「……俺はエステルと話すだけで、充分に癒されてますよ」
「ほんとです? して欲しい事とか、ないのですか?」
「……そうですねえ、一般的には、男なら膝枕とかはして欲しいんでしょうけど……」
「じゃあ膝枕します!」
適当に案を出しただけであったが、エステルは存外乗り気になったらしい。
閉じた膝……というよりは腿を叩いて「ばっちこいです」と晴れやかな笑顔。何が彼女をここまで突き動かすのかはさっぱり分からなかったが、まあしてくれるというのなら逆らうつもりもなく、ヴィルフリートは躊躇いつつもソファで横になりエステルの腿に頭を乗せた。
むに、と頭部に柔らかい感触。
ほどよく柔らかく、かつしなやかなそれは枕としては程よい高さで、まあ悪くないかな、と感想を抱いたヴィルフリートだったが、エステルの様子を窺おうと上を向いて……直ぐに横向きになる。
「ヴィル?」
「いえ、何でも。絶対屈まないで下さいね」
「は、はあ……そうです?」
本人はさっぱり理解はしていないようだったが、一瞬鼻頭がぶつかりそうになったそれの存在にヴィルフリートは一瞬息がつまった。
とても大真面目に「なるほど、男が喜ぶ訳だ」と内心で唸ってから、そっちは見まいとエステルに背を向ける形で頭を固定する。
確かに、とても良いものだとは思う。
柔らかくて、温かくて、おまけにエステルのいい香りがする。何というか、母性を感じると言えば良いのだろうか。
エステルもこの体勢が気に入ったのか、ヴィルフリートの髪を指で梳き、指の腹でそっと撫でていく。これがなんとも心地よくて、体から力が抜けた。
「どうですか? 癒されます?」
「……お恥ずかしながら、……まあ、かなり」
「良かった。私もヴィルの髪を触る事が出来て楽しいです」
普段は触られる側なので、声音だけしか分からないがどうやら非常に楽しそうだ。
するする、とエステルの細い指が髪の間を縫っていく度に、微睡みにも近いぬくい心地好さがふわりふわりとヴィルフリートの体を包んでいく。
丁寧な手付きで髪を触られると、なんというか眠気が本当に襲ってくるのだ。基本人前で寝られないヴィルフリートだが、すっかりエステルを内側に入れてしまっているので、睡魔も遠慮がない。
妙な心地好さと温もりと、甘いにおい。
高鳴っていた心臓はゆっくりと落ち着いていき、寧ろ平静よりもゆっくりとした鼓動になっていく。
重くなってきた瞼に抗いきれず、瞳を覆い隠せばエステルの優しい指先がどんどんと眠りの沼に押しやっていた。
ああだめだ、と理性は分かっていたのに、その誘惑には耐えきれず――ヴィルフリートは、そのまま心地好い睡魔に身を委ねた。
起きたら、いつの間にかエステルまでソファの肘置きにもたれて寝ていた。
しょぼしょぼと閉じたがる瞼を強引にこじ開けて飛び起きたヴィルフリートは、反射的に時計を見る。針は、深夜一時を指していた。
(嘘だろ、まさかそのまま寝るとか……エステルも起こそうとしなかったみたいだし……!)
くぅ、くぅ、と安らかな寝顔を見せるエステルは、ちょっとやそっとでは起きそうにもないくらいに寝ている。おそらく結構前に眠りについた筈だ。
起こしてくれれば良かったのに、と思う反面、ヴィルフリートがあまりにも無防備に寝ていたので起こせなかったのだろうとも分かる。
思い切り爆睡していた自分に恥じ入りつつ、どうしたものかとエステルの寝顔をまじまじと見つめる。
相変わらず、整った美貌をしている。
惚れた欲目もあるのだろうが、それ抜きにしてもエステルはかなりの美少女の分類に位置しているだろう。好きだからこそ、余計に可愛く見えるので、なんというか見ているといたずらをしてしまいたくなる。
流石に何かするのは気が引けるので、ここは素直に寝かせておくべきだろう、と起こさないように気を付けながら膝裏に手を回して抱え、ベッドに運ぶ。
やましい思いは一切ない……とは言わないものの、何かする気もない。
一応恋人ではあるので、お泊まりも、本来エステルの立場を考えればよろしくないのだが、何があろうと責任は取るつもりなのでギリギリ許容した。というかこのあどけない寝顔を台無しにするのがしのびなかった。
「……俺だから何もしないんですよ、エステル」
エステルに聞こえないように本当に小さな声で呟き軽く額に口づけて、ヴィルフリートもその隣に横になった。




