52 上司様はうぶ
「エステル様」
「ひゃいっ」
知恵熱なのか純粋に疲労によるものなのか、熱で休んだエステルが出勤した日から、エステルはヴィルフリートに話しかけられる度にうろたえるようになっていた。
仕事中は私事を持ち込むまいと至って平常通り、エステルにも部下として接していたのだが、どうも本人はそうはいかなかったらしい。
顔を合わせると長いまつげを震わせながら瞳を伏せて頬を赤らめるし、ちょっとした事で触れると大袈裟に反応する。
その癖離れると何だか切なそうに眉を下げたり、そわそわした様子を見せたり。
意識していると誰が見ても分かる反応と態度で、さすがにヴィルフリートも苦笑せざるを得なかった。
(むしろ今まで何であんなに親密に接してきて意識されなかったんだろうか)
告白する前の方が余程くっついたりなんならちょこちょこ口説くように好意を示していたのだが、その時はのほほんとするか嬉しそうにしているだけで、こんな反応はされなかった。
最初からこういういかにもうぶな態度で居てくれたら、ある意味ヴィルフリートも苦労はしなかっただろう。
鈍いのは鈍いので可愛らしかったのだが、もう少し好意に気付いてくれた方がやりやすかったのも事実だ。
「これらの書類を提出してくるので、一旦席を外しますね」
「は、はい……い、いってらっしゃいませ」
ぎこちなく送り出してくれるエステルに、ヴィルフリートはいつも通りの顔で頷いて第二特務室を後にした。
廊下に出た瞬間に「エステル、ちょっといい?」とマルコの声が聞こえたので、事情聴取が入るのだろう。
勤務開始からずっと同僚二人の懐疑的な視線にさらされていたので、こうなる事は予想していたのだが――エステルは隠すだろうか。
おそらく隠せないで洗いざらい吐いてしまいそうな気もするが、そこはエステルの羞恥心に期待しておいた。
そもそも、ヴィルフリートとしては告白が知られるのは極論構わないと思っている。
というより、ヴィルフリートがエステルを好きなのは元から二人に知られていたし、エステルもヴィルフリートを悪しからず思っているのも分かりきっているのだ。
エステルがあんな態度をとったなら、関係に何か変化が現れた事など二人は見抜くに決まっている。
後でこっちを冷やかしに来るか釘を刺しに来るか、どちらにせよ提出が終わった頃には二人には内情がばれている事だろう。
知られても構わないとは思うものの好んで知られたいとは思わないので、ヴィルフリートはどうなるやらと小さく溜め息をついた。
結果として、戻ってきた時には二人に何とも言えない顔で出迎えられた。
エリクは好奇心の強い生暖かい眼差しとにやりとした笑み、マルコは若干の不機嫌さの窺える無表情。ただ、直接何かを聞いてくる事はなかった。おそらくエステルに配慮してだろう。
「ただいま戻りました。それから、先程閣下とすれ違ったのですが仕事が終わったら自分の元に来てほしい、夕食を共にしたい、との事です。伝達魔法を使う時間がなかったそうで……エステル様?」
「は、はい! 聞いてます! ばっちり!」
そわそわしつつも上の空という器用な態度を見せていたエステルは、ヴィルフリートの声に我に返ったようで、体を震わせてこくこくと大仰に頷いてみせる。
やはりというか頬は赤いままなので、意識されているのであろう。狙い通りといえばそうなのだが、ここまで意識されると微笑ましさを覚えてしまう。
「ですので、今日の夕食は俺も作りませんので」
「あ……は、はい、そうですよね……」
「エステル様も本日は気もそぞろのようですし、丁度よいのでは?」
「……それはヴィルフリートのせいというか」
「俺が何か?」
「……何でもないです」
薄桃色の髪に縁取られた陶磁器のような肌は、いまだに内側から滲む薔薇色に染まっている。
自分が原因であるとヴィルフリートも分かっているが、今までの事を考えれば細やかな意趣返しくらい良いだろう。
ぷくぅ、とほんのり膨らんだ頬を俯いて隠すエステルに、ヴィルフリートは彼女にばれないようにひっそりと笑った。
「ヴィルフリート、メシ行こうぜー」
終業後逃げるようにエステルがディートヘルムの元に向かうのを眺めてからさて帰ろうとすれば、赤髪の同僚に声をかけられる。
あ、これは事情聴取だな、と即座に悟って苦笑を浮かべると、エリクが人好きする笑みを浮かべて肩に腕を回してくる。がっちり掴まれているので、逃げられそうにない。
ちなみにマルコを見れば仏頂面ではあるが同行する気らしく、ヴィルフリートは観念してエリクに押されるまま第二特務室を出た。
「んで、結局告白したのか」
魔導院を出て近くのレストランに引っ張られたヴィルフリートは、注文した料理が出揃ったところでエリクに質問をぶつけられた。
彼は酒を飲むのか、頼んだエールを煽ってにやっと唇に弧を描かせている。
(このままはぐらかしていたら酔って確実に面倒な事になりそうだよな)
酔ったらしつこそうだ、という勝手な予想を立てて早々に観念したヴィルフリートは、二人の視線を感じながら軽く肩を竦めてみせた。
「根掘り葉掘り聞かれても困りますが……ええ、まあ」
「随分と素直に認めるんだな」
「エステル様から聞いているでしょうし、そもそもエステル様の様子を見れば隠し通せる気なんてわきませんよ」
「……まああれはね」
めちゃくちゃ意識してたからね、と複雑そうに同意するマルコに、エリクはただ愉快げな笑みを浮かべている。
マルコはエステルを大切に思っているのは、ヴィルフリートも知っている。
恋というよりは妹分としてらしいが、大切な妹分がぽっと出の男に振り回されているのが面白くないのだろう。実際に振り回されているのはヴィルフリートだが。
微妙に歯痒そうなマルコに、ヴィルフリートから何か言える事もなく、皿の上にあったパンをちぎって口にする。
可もなく不可もなく、と元同業者として内心でこっそり評価をしつつ胃の中に収めていると、しばらく鶏の詰め物をつついていたエリクがふと真面目な表情に。
「……なあ、聞いてもいいか」
「何でしょうか」
「お嬢の全部を知って、言ったんだな?」
いつもより低い声で、確かめるように問いかけを投げたのは、エステルの心配からだろう。
二人は、ヴィルフリートよりずっと長い時間をエステルを過ごしてきた。
それが課せられた役割からであっても、半分は本人達の意思でエステルと接して見守ってきたのだ。エステルの事をきちんと知らないで好きだなんてぬかすのは、許しがたいだろう。
「あなた方がどこまで知っているのか、どこまでを指しているのか、俺も分からないのではっきりした事は言えませんが……少なくとも役割の事や過去の事は全部知って、それでも言ったつもりです」
十年前の事について彼らがどこまで知っているのか分からなかったために言っていないが、出会った時期だけで言えばヴィルフリートの方が早い。
エステルがああなった事件の当事者でもあるので、エステルの境遇については知って受け入れて好きになっている。
いずれ筆頭魔導師になる事も承知した上で、エステルの側に居たいと願ったのだ。
求めている覚悟は備えているつもりだ、と言葉には表さず目で伝えると、エリクは少しだけ瞳をしばたかせて、それから緊張をほどいたように笑みを浮かべた。
「まあ、俺としてはマルコと違ってお嬢が幸せなら、それで良いんだけどさ」
「ちょっと、僕がエステルの幸せを望んでないみたいな言い方やめてよ。……僕だって、エステルが幸せならそれで良いんだよ」
「幸せにするつもりですよ」
「返事をもらってない癖にエラソーにっ」
「告白自体は時間さえあれば受け入れてくれるかなという公算が大きいと思ってます」
正直な事を言えば、振られる事はまずないと思っている。
受け入れられるのがいつになるか、といった時期の違いがあるだけで、エステルはヴィルフリートの事が好きだ、と自惚れではなくそう理解していた。
というよりあんなに甘えて心を許して受け入れて、それで好きではない、と突っぱねる事はないだろう。
「そこは計算づくなんだな」
「計算、というか、俺は無意識だろうとあそこまで態度に出てるのに分からない程鈍くはありませんよ」
「すごい余裕綽々なのがむかつく」
「余裕綽々ではないですよ。……いつも振り回されてきて、ようやく言えたんですから」
ここまで来るのに、どれだけヴィルフリートは我慢してきた事か。
エステルの事情を教えてもらった後から、エステルはとことんヴィルフリートに無防備になった。エステルを好きと認識した側からエステルが甘えてくるので、耐えるのに必死だったのだ。
それは薄々想像がついていたのかエリクが「あー」と苦笑い。
「まあお嬢、はたから見ていてとんでもないスキンシップしてたりしたからな。むしろここまでされて耐えてたのは尊敬するわ」
「へたれの間違いじゃない?」
「俺が何かしたらそれこそあなた方は怒るでしょうに」
エステルを可愛がっている二人だ、エステルが望まない事をすればすぐに排斥に移っただろう。
それは分かりきった事だったし、ヴィルフリートもエステルを悲しませたい訳でもないので、耐えるのは構わなかった。
まあ、ヴィルフリートとしてはもう少し無防備さをどうにかしてほしかったが。
「良いんですよ。今すぐ返事がほしい訳ではないですし、エステル様に無理強いもするつもりはありません。ゆっくり待ちますから」
「……よく待てるね」
「大切にしたいのですよ。たとえ断られたとしても彼女の意思は尊重します。……エステル様は、幸せになるべきですから」
出来うる事ならば、その幸せはヴィルフリートが与えたいが、仮に拒まれてもそこに不服を申し立てたり無理に迫ったりする事はない。
勝算があるからこそ告白したヴィルフリートであるが、もし駄目だった場合でも追い縋るような真似はしないつもりだ。
「……ふぅん」
ヴィルフリートの言葉を聞いたマルコは、興味なさそうに相槌を打った。それが見せかけだというのはヴィルフリートもエリクも分かっているので、ヴィルフリートは穏やかに微笑み、エリクは仕方のないやつめと言わんばかりにマルコの肩を叩いている。
「まあ、そういう事なんだよマルコ」
「……ふん」
「素直じゃねえなあ。ほら飲め飲め」
「ちょっと、やめてよ」
微笑ましげな表情でマルコにエールを飲ませているエリクの姿に、ヴィルフリートも苦笑いをしつつ止める気もなかった。
はたから見れば成人前の少年(実際はヴィルフリートより歳上)に無理矢理飲ませる悪い大人の図が出来上がっているのだが、マルコも本気で嫌がっている訳でもなさそうなので制止はしなくてもいいだろう。
アルコールはあまり強くないヴィルフリートとしては巻き込まれてもたまらないので、何だかんだ仲良しな二人を眺めて静かに笑った。
そうして、マルコが見かけの割に酒には滅法強い事が判明したあたりで解散して家に帰ったヴィルフリートだったが――扉の前で見慣れた桃色が揺れている事に気付いて、碧眼を丸くした。
「こんな時間にどうしたのですか、エステル」
今日散々意識して避けていた彼女が、ヴィルフリートを待ち構えていた。




