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50 問われる覚悟

 その日は、自然と早くに目が覚めた。


 当事者ではないというのに、妙な緊張感がある。

 事前に知らされた上、今回はいつもよりも状況が悪そうだ、とエステルから聞いているのが原因だろう。


 エステルは気負う事はなさそうだったが、非常に気は進まなそうだった。そもそも担えば疲弊する事が確実な役割を好んで受ける人間は中々に居ない。

 エステルも、出来る事ならわざわざ疲れる仕事など放り出して静かに過ごしたいだろう。


 寝床から体を起こして、いつものように朝の支度をするヴィルフリートだったが、どうも、落ち着かない。


 儀式の場に入れる訳でもないが、ただ待つのが落ち着かないのだ。

 呼ばれたらすぐにエステルの家に向かうつもりではあるが、それまでずっともどかしい思いをしながら待たねばならないだろう。


 せめて、自分が筆頭魔導師補佐官の立場であれば。


 そうすれば、自分は筆頭魔導師の役割に関われただろう。


 けれど、現段階でヴィルフリートは第二特務室室長補佐官。

 室長としてのエステルの仕事には関与出来ても、筆頭魔導師代理をこなすエステルに関わる事は出来ない。

 それが歯がゆかった。


 エステルを支えるためにも、もっと実力を磨いて、筆頭魔導師補佐官(ディートヘルム)を押し退けるまではいかないものの肩を並べられるようにならなくてはいけない。

 いつか本当にその役に就いてしまう、エステルのために。


 しばらくの間非常にやきもきした時間を過ごしていたヴィルフリートであったが、淡く光る小鳥がどこからともなく舞い降りてきた事に気付き、慌てて手の甲を差し出す。


 衝撃もなく着地した伝達鳥は重さもなく、ただ可愛らしいしぐさで手の甲の上で一度羽ばたいてみせる。


『――聞こえるか?』


 しかし、聞こえてきたのは予想していた声ではなかった。


「閣下?」

『エステルではなくて残念だったか』


 声で驚いているのが分かったらしく、伝達鳥の向こう側でくつくつと喉を鳴らした音がする。


 揶揄する、というには響きは穏やかなものであったが、言い当てられた事に言葉をつまらせると、ディートヘルムは『まあそれは良いのだが』とあっさり流していた。

 余計に気恥ずかしくなるのだが、ディートヘルムは分かりはしないだろう。


「……何かご用事で? まさか、エステル様に何かあったとか言いませんよね」

『用事と言えば用事だな。少し見せたいものがある、魔導院の私の部屋まで来てくれるか』

「休日にわざわざ呼び出すという事は、エステル様関連ですか」 

『話が早くて助かるな。エステルが役目に就いている今でないと意味がない。来たまえ』


 用件だけ言ったディートヘルムがすぐに伝達鳥を消したのは、拒否権がないという事であり、そしてヴィルフリートが拒否しないと分かっていたからだろう。

 元々エステルの部屋に行く用意はしてあったし異論はなかったが、一体何なのか、と眉を寄せるのも仕方のない事だ。


 声の調子や口ぶりから、切羽つまった緊急の用事ではない。しかしエステルが代理をしている時でないと意味がない、という用事。

 何なのか、と首をかしげつつも、ヴィルフリートはコートを手に取り家を出た。




「来たまえ」


 言われた通りにディートヘルムの元に顔を出せば、ねぎらう事もなくディートヘルムはただ自分のあとについてくるように指示してくる。


 道中に説明してくれるだろうと信じて、ヴィルフリートは彼の背中を追う。

 ただ、ほのかにぴりぴりとした雰囲気がディートヘルムから漂っている事に気付いて、声をかけてよいものかと悩んだ。


「ディートヘルム閣下、一体何の用で」

「君は、この国の維持の仕方は聞いているだろう」

「そうですが……」

「その地脈はどこにあるか聞いているか」

「具体的な場所は知りませんが、国の最奥部だとは」

「そうだな。地下の奥深くにある」


 そこでディートヘルムは言葉を切り、ある扉の前で立ち止まる。


 連れられるがままにディートヘルムと歩いてきたが、魔導院の中心部、筆頭魔導師の執務室の前までやってきた。


 中にイオニアスが居るのではと身構えたヴィルフリートであったが、ディートヘルムの「今日は自室で寝込んでいる」という言葉に肩から力が抜ける。


「あの、筆頭魔導師の執務室に何か……?」

「ここに入り口がある」

「え?」

「正しくは、この部屋から繋がる路の奥にあるのだが」


 それだけ告げて、ノックもせずに鍵を開けて堂々と入るディートヘルムに、良いのかと躊躇いつつもヴィルフリートはその背中をまた追いかける。


 正直なところ、この部屋にいい思い出はない……というかイオニアスの事があるので、あまり近寄りたくはなかったのだが、もう逃げようもないだろう。


 しつらえられた調度品の見事さに改めて感嘆する暇もなく、ディートヘルムは奥に。


 部屋は続いているらしく、この応接間のような場所の奥にあった扉を抜けると、廊下がある。

 幾つか部屋があったらしかったが、ディートヘルムは途中にあるどの部屋にも目もくれず、ただ細い廊下を歩いていき――その一番奥、照明も薄暗くなった先にあった壁の前で立ち止まった。


 変哲のない壁には、魔力灯があるだけ。

 行き止まりには違いなく、どうするのかとヴィルフリートがディートヘルムに問い掛けようとすると、ディートヘルムはその魔力灯に手をかざした。


 次の瞬間、壁は鈍く地響きをたてながら横にずれ、その奥の空間をヴィルフリートの視界にさらした。

 といっても、その奥は真っ暗。廊下の光が届かない場所から先はなにも見通せない闇が続いている。


「さて。……この奥にエステルが居る」


 振り返ったディートヘルムは、真剣な面持ちで控えめな声で呟く。


 エステルが居る場所、という事は国の最奥部に繋がっているという事だ。

 わざわざ筆頭魔導師執務室の一番奥、それも何もなさそうな壁にこのような仕掛けをしているのは、よからぬ輩が近寄れぬように、気付かぬようにという事だろう。


 筆頭魔導師な役目であるので筆頭魔導師が行きやすく筆頭魔導師しか通りにくい場所にあってもおかしくはないのだが、このような形をしているとは思わなかった。


「ここまで連れてきたのは良いですが、俺には入る資格がないでしょう」

「何のために私が連れてきたと思っている。……君には見せておかねばならないと思ったのだ」


 見せておかなければならない、というディートヘルムの言葉に瞬けば、ディートヘルムは神妙な面持ちのまま吐息をこぼした。


「君はエステルを支えると言ったのだろう。なら、全貌を把握しておくべきだ。どうせ、いずれ君は見る事になっただろう、今から知っていても損はあるまい」

「見る事に?」

「エステルを支えるなら、それ相応の地位に居なければならない。それくらい分からぬ君ではなかろう」


 彼が暗に筆頭魔導師補佐官になれ、と言っているのは、理解出来る。

 しかし、実際にそれを叶えられるかといえば、容易いものではないのも理解出来るのだ。


「俺にその場所に立つ資格があると? まだ、その場所にはたどり着けないでしょう」

「たどり着けないではなく、その地位に就いてもらう。――出来ないなどと言わせるつもりはない」


 実力が伴わなければならない筆頭魔導師補佐官に()()()()()()、と言う事は、その地位をいただくに相応しい実力を付けろ、と言っているのと同じだ。

 確かに彼女を支えるためにも筆頭魔導師補佐官を目指すと誓ったばかりであったが、それを他人から急務だと要求されるとは思わなかった。


「……期待されていると受け取ってもよいので?」

「好きに受け取るがいい。君は、あの件で充分に素質がある事が分かっていたし、そしてそれは先日エステルから刺激を受けて開花した。あとは君次第だ。無理にこの奥に進めとは言わない。引き返すなら引き返してもいい。――エステルの側に居るなら、覚悟を決めろ」


 その覚悟が出来ているなら、足を踏み出すといい――そう締めくくったディートヘルムが闇に消えていくのを少し立ち止まって見たヴィルフリートは、強く前を見据える。


 見通せない闇は、自分の歩む道にも等しいだろう。自分の立ち位置をしっかり理解して、それから前に進まなければならない。


 もしその足元が不確かならば、エステルを支える前に自分が倒れる。

 足元を掬われないためにも、エステルの側に居るためにも、自分の立場は明確にしておくべきなのだ。


(……それぐらい、分かっている。だからこそ、俺は)


 少しだけ歯を食い縛り、それから、ヴィルフリートはディートヘルムが消えた闇へ一歩踏み出した。

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