05 はらぺこ上司様の実力、その片鱗
「おいしいですヴィルフリート」
心配は杞憂だったようだ。
上品に、かつものすごい勢いで食べていくエステルに、作り手であるヴィルフリートは苦笑い。
作り手冥利に尽きるのだが、いかんせんエステルの食べっぷりに圧倒されて、褒められた事よりも食べ進める勢いに思考がいってしまう。
成人女性三人分は食べているというのに、まだまだ余裕の表情で胃の中に収めていた。
どうやらワイバーンをローストしたものは好評らしく、ご丁寧に一口分に切り分けてからぱくぱくと口に運んでいる。
その食べっぷりが嬉しい反面、何とも複雑な気分をもたらしていた。
ご飯を振る舞う事に異存があるというよりは、これを仕事にしなければならないという屈辱にも近い何かが胸に渦巻く。
適正がある、それは理解しているしエステルに気に入られたからこそご飯係になっているものの、ヴィルフリートは魔導師であるし、宮廷魔導師としてある程度のプライドはある。
年下の、それも女性に良いように扱われている事が男としては複雑なのだ。
勿論理屈としては特級魔導師であるエステルが強いのも理解しているし、有望視されていたとはいえ一級魔導師止まり。左遷されたヴィルフリートが下について働くのは、おかしくはないと思う。
けれど、やはり感情としては……どうしても、納得出来ない部分がある。
エステル本人に非がある訳でもないし、単なるヴィルフリートのしょうもないプライドが邪魔をしているだけ。
まだまだ青いとは自覚しつつ、蟠りはぐっと飲み込んでご満悦そうなエステルに出来るだけ棘のない眼差しを向ける。
「ワイバーン、そんなに美味しいですか?」
「はい! いつも出先で狩って食べる時は倒す時にまるごと焼いちゃって、こんがりどころか真っ黒焦げでちょっとの部分しか食べられないので、こうした料理は嬉しいです!」
鱗に耐火能力があり自らも炎を吐くワイバーンをまるごと焼いて殺す魔法とは一体。
「……一体どんな火力をもってしたらそんな事になるんですかね。普通燃やせないでしょうに」
「うーん、そうですね……このくらいしたら普通に燃えますよ?」
ほっそりとした指先が、指揮をするように軽く空気を切る。
その瞬間、視界が一瞬真っ白に染まった。
反射的に目を閉じたものの、次いで熱気が頬だけでなく全身に押し寄せる。地が胎動するにも似た轟音が部屋を満たし、一瞬にしてヴィルフリートの顔を赤らませ汗を滲ませた。
迂闊に息をすれば肺が焼けてしまいそうな、まぶたの裏からでも突き刺さる程の光と熱。
太陽でも目の当たりにしたような、そんな感想を抱くくらいに、エステルが引き起こした状態は激しかった。
瞳を閉じているから正確には分からないが……エステルの一言から想像するに、ワイバーンを鱗の上から焼き尽くす程の火力を、実演したらしい。
「お嬢! 急に何してるんだよ!」
エリクの悲鳴じみた声に、パッと感じていた膨大な熱はかき消えた。
熱の残滓がふわりとヴィルフリートの頬を撫でたものの、それすら何事もなかったかのように雲散霧消。
熱を孕んでいた筈の空気は魔法を使う前のものに戻っている。おそらく、魔法で打ち消したのだろう。
目を開ければ何食わぬ顔のエステルがこちらを見上げている。
机の上にあった書類が燃えていないのが幸いだ。……爆風で散らばりかけていたものの、エステルの魔法でその場に留まっている。
「だって、ヴィルフリートが半信半疑だったんですもん。威力は加減しました」
「だからってここでやる馬鹿が居るか!」
「どこでやれば良かったですか? ご飯食べてたから移動出来ませんし」
ねえ、と同意を求められたものの、それに頷ける筈もない。
あれで威力を加減したとか、エステルは一体何者だ。
……両手で数えられる程度の数しか居ない特級魔導師様だとすぐに思い出して、実力差に愕然。
ヴィルフリートでも手軽にこんな威力は出せない。
それを易々と振るうのだから、エステルの実力は底知れない。
これが特級魔導師、と身に染みて理解して戦慄すると同時に、自分の夢がいかに現実的でなかったのかも思い知らされる。
このエステルの上にまだ筆頭魔導師があるのだ。筆頭の名を戴くには、最低でもこのエステルを越えなければならない。
まだまだ精進が足りないどころかスタート地点にすら立てていないのだ。
突き付けられた実力差に唇を噛み締める。諦めはしないが、道のりは険しく遠い。
こみ上げる苦いものを飲み込んで、ヴィルフリートは今の自分の立ち位置を改めて胸に刻み込んだ。
あと、彼女の不興を買う事はすまい、と心に誓った。
当のエステルはというと、ちょっと困ったように自分の指先を見つめている。
「まあうっかりこんな感じでしちゃうので、美味しく食べられるのは嬉しいです。美味しくてついつい食べ過ぎちゃいますね」
「……そうですか、それなら良かったです。調理した事も食べた事もなかったので不安でしたが」
「……食べた事がないのですか?」
「そりゃあ、俺は庶民ですので。高級食材ですよ、ワイバーンは」
基本仕事で狩った場合は研究に回されたりその場で処分されたりするので、末端に居るヴィルフリートに肉が回ってくる事はない。
興味がないと言えば嘘になるものの、そこまで食べたいという気にもならなかったので気にしていなかったのだが、エステルはそんなヴィルフリートをじいっと見上げる。
それから、手元のフォークに一口サイズに切ったワイバーンの肉を刺して、ヴィルフリートにそっとその先を向けた。
何を意味しているのか、分からない程ヴィルフリートも鈍くない。
ただ、その純粋な厚意を受け取るには、いささか……成人男子には、気恥ずかしいものがあった。
「あの、室長、お気遣いは嬉しいのですが」
「あーん」
「いえ、自分で、」
「あーん」
本人は至って無邪気に差し出すものだから、ヴィルフリートの頬が引きつった。
別に手ずから食べさせてもらうなんて恥ずかしいし、子供じゃないんだから止めておいた方がいい。
それに、年下の少女にこんな真似をされたら善意の申し出とはいえ子供のように食べさせてもらうなど、色々ときつい。羞恥心とか、プライドが刺激される。
どうかわせば良いのか分からずに戸惑っていたヴィルフリートだったが――先に痺れを切らせたのは、エステルの方だった。
椅子から少し腰を浮かせたエステルは、そのままヴィルフリートの口許に肉を押し付ける。
これでは拒む事も出来ない。要らないと言えばエステルに自分が口づけた物を渡す事になるし、廃棄するには高級すぎて勿体ない。
エステルはこれを狙っていたらしくて、のほほんとした笑顔を浮かべて「どうぞ」と肉で唇をつついている。
……そんな事をしてはならない、と誰か教育してほしかったが、誰もする相手がいなかったのだろう。
恥じらい半分、残りはワイバーンの興味で、焼けた肉を口にした。
(……牛肉とかと、全然違う)
舌に乗せただけでほんのりと広がる旨味もさる事ながら、噛むと爆発的に口の中に広がる旨味。
火入れは丁度よく、しっとりと柔らかいけれど弾力のある食感。
元々ワイバーン自体の肉質はやや硬めらしいが、火加減の調整が上手くいったのか程よい柔らかさをキープしていた。
これでステーキでもしようものなら、噛んだ瞬間しっかりした弾力に当たり噛み締めれば肉汁が溢れてきそうで、間違いなく美味しいだろう。
エステルがシンプルな調理法が好みならばステーキにしてもよかったかもしれない。
濃厚で、けれど決してくどくない味。
確かに、そこらの肉では太刀打ち出来ない美味しさだ。稀少だというのにも頷ける。
「……どうですか、ワイバーン」
「美味しいです」
「良かったです。今回珍しく燃やさず首切って仕留めて血抜きした甲斐がありました!」
何だか可愛い顔でとってもえぐい事を笑顔で言っているが、あえて気にしない事にした。
無邪気に「エリクにこうしたらいいって言われてがんばりました」と言っているのでエリクの悪知恵……いや正しくはあるのだが、エリクが教えたらしい。
エステルは喜んでもう一口と差し出そうとするので、流石のヴィルフリートも今回ばかりは固辞しようと首を振る。
「いえ、残りは室長が召し上がって下さい」
「私、誰かと食べるの好きですから。一緒に食べましょう」
「あ、あの、なら自分の分用意するので……手ずからは勘弁してください」
「でもこれだけしかないでしょう? ヴィルフリートが作ってくれたんですから、ほら……」
「あのな、俺居る事忘れるなよ? アンタら打ち解けるのはいいがいちゃつくなよー」
危うくまたも食べさせられそうになった所でエリクの声が聞こえて、今更にエリクも居たのだと思い出す。
……仲裁というよりはいいぞもっとやれなスタンスらしく「まあそのまま食べさせ合いしててもいいと思うけど」とさっきとは真逆の事を言ってからかいだすではないか。
思わずかっと頬が赤くなるものの、エステルが「いちゃつく?」と首を傾げていたので「何でもないので気にしないで下さい。冷めない内に召し上がって下さいね」と口早に告げて、ヴィルフリートは逃げるように洗い物に戻る事にした。
章分けしました。前回更新から二章に入っています。
暫くは書き溜めがあるので毎日更新出来ると思いますので、今後とも応援していただけたら幸いです。




