48 憂うエステル
結局、道中アクシデントに見舞われたものの、結果として問題なく仕事を終えてヴィルフリートとエステルは帰路についた。
挫いた足も翌日には歩行に問題のない範囲にはなったため、ゆっくりと下山して町に戻り、町長に報告してから馬車に乗ったのだ。
ディートヘルムへの報告は伝達魔法を使って道中に簡単にしておき、詳細は後日報告書を提出する事に落ち着いた。
ディートヘルムもエステルやヴィルフリートが疲れているのを考慮したのか、報告は急ぎではなくてもいいとのと事で、それに甘える事にしたのだ。
「……また暫く馬車に揺られるんですよねえ」
「こればかりはどうしても。しかし、一泊しても良かったのでは」
「それも考えましたが……イオニアスの体調も考えて、あまり私が王都を空けるのもよくないですから」
代理する事態が近くに起こると考えているらしいエステルは、気は進んでいなさそうではあるが早めに魔導院に戻るつもりらしい。
ほんのりと憂鬱そうな顔を見せたエステルは、隣に居るヴィルフリートの視線にやんわりと微笑んでみせ、微かに疲れたような吐息をこぼした。
結果的に強行軍になってしまったものの、濡れ鼠になった事による体調不良については心配はしなくても良さそうだ。
身を寄せあって暖を取った事については、あまり思い出さない事にする。思い返すと、かなり際どい状況だったと改めて思い知らされるのだ。
隣に居るエステルは、やはり疲れているのかヴィルフリートの腕にもたれて脱力した状態。
逆に、ヴィルフリートはやや体を強張らせる事になったのだが、これはエステルがくっついているからだ。
エステルは安心している状態らしく、瞳を閉じて体を預けてくる。
「けど、残念でしたね。もっとゆっくり過ごせたら良かったんですけど」
「ディートヘルムは多少なら気にしないでしょうけど、他の人がいい顔をしないと思うのですよね。逃げるんじゃないかって疑いますから。……逃げたりなんて、しないのに」
他の人、というのはディートヘルムを除いた魔導院の上層部の面々を指しているのだろう。
彼らは、ヴィルフリートも顔を見た事があるくらいで関わる機会のないような人達だ。
実力も、そして権謀術数の渦巻く中生き抜いてきた老獪さも、段違い。
ディートヘルムもその中で勝ち残って今の地位にあるのだから、普段エステル達に見せる顔とはまた違う、最初にヴィルフリートが想像していたような面も持っているのだろう。
彼らにとって、エステルは次の筆頭魔導師の地位に就く存在であり、決して逃してはならない人だ。
自ら第二特務室という場所に収まっているとはいえ、彼らは外に出せばいつ逃げるか気が気ではないのかもしれない。
余程疲れているのか、普段の天真爛漫な雰囲気は鳴りをひそめ、どこか気だるげで投げやりなものを感じさせる。投げやり、というよりは憂鬱そうなのが近いか。
「……私って、何なのでしょうね」
「え?」
しばらく寄り添った状態を続けた後、エステルが呟いた言葉に、思わずヴィルフリートは素で聞き返してしまった。
「どうしようもない事ではありますが、私は私として役割を果たしている訳ではなくて、あくまでイオニアスの代わりなのです。予備でしかない。都合のいいスペアな訳です」
「それは」
「いえ、ヴィルやディートヘルムがそう思っていないのは分かっているのですが、他の上層部の面々には御しやすい人形くらいにしか思われていないでしょうし、なんならディートヘルムの手駒として思われてるでしょう」
隣を見ると、諦念の混じった憂い気な表情を浮かべるエステルが居る。
「私って、私そのものが必要とされてる訳ではないんだなあって。……たまに、ちょっと虚しくなったりするのです」
「エステル……」
「私もイオニアスも、国の繁栄のための歯車としてしか見られていないんだなあって思うと、やるせないですね。……いえ、すみません。変な事を言って」
自分が置かれている状況を正しく把握しているエステルは、ただ困ったようにヴィルフリートに微笑んでみせた。
強がりなのは、ヴィルフリートにはすぐ分かる。
エステルは、この状況を疎んでいるのだ。けれど拒めもしない。自分一人が足掻いてもどうしようもないという事は分かりきっているからこそ、素直に今の状況を受け入れている。
どう転んでも、エステルはいずれは筆頭魔導師となって、望まずとも国に献身しなければならないのだから。
そこにエステルの意思はないし、エステルという個は必要とされない――そうまとめたエステルに、ヴィルフリートは静かにエステルの手を握った。
「……俺が必要とするだけでは、駄目でしょうか」
「え?」
今度はエステルが意表を突かれたように声を上げるので、ヴィルフリートはぽかんと呆気に取られたような表情のエステルを見つめる。
「おこがましい事を言っている自覚はあるのですが、あなたを誰も必要としていない、という訳ではないのですよ。少なくとも、俺はあなたが必要ですし……たとえあなたが魔力をなくしたとしても、俺にとってあなたは必要です」
次期筆頭魔導師としてのエステルの境遇についてどうこう解決出来る訳ではない。
しかし、エステルが必要云々であれば話は違う。ヴィルフリートにとって、エステルは必要な存在である。筆頭魔導師になろうが関係なく、エステルを必要とする。
正しくは異性として慕う、という形になるが、エステルだからこそ想いを寄せるのだ。
まるで筆頭魔導師としての能力しか価値がない、といった判断をしたエステルだが、ヴィルフリートからしてみれば逆なのだ。
先に告げた通り、魔力がなくなろうとエステルはエステルに変わりないし、側に居ようと思う。今更能力でエステルへの想いが変わる訳がないのだ。
「存在価値が魔力だけだなんて思わないでください。あなたそのものに、なにものにも代えがたい価値があり魅力があると思っています。俺はそんなあなただから支えようと思った訳です。たとえ上層部の方々があなたを道具として見ていても、俺は関係なくあなたを大切な一人の女性として見ていますよ」
勢いで告白まがいまでしているのだが、ヴィルフリートはもう言ってしまったのだからと諦めて、まっすぐにエステルを見つめる。
どうせ、鈍いエステルに気持ちが通じるなど思っていない。
ただ、自分がエステルを大切に思っていて、エステルという存在そのものを支えるという事だけ伝わってくれたらよかった。
暫くヴィルフリートの言葉を噛み砕いていたらしいエステルは、それから十数秒経ち馬車が起伏に揺れるまで、どこか呆然としていた。
がたん、と大きく揺れた馬車。
もたれていた華奢な体がずれるので受け止めれば、エステルはすみれ色の瞳のふちを滲ませる。
「ありがとう、ございます。……ヴィルにそう思ってもらえるだけで、幸せです」
目に見えてこぼれるものこそなかったが、眼差しや表情から、エステルの気持ちはありありと伝わってくる。
眉を下げて笑った彼女は、震える声音でそう返して、ヴィルフリートの胸に顔を埋めた。




