45 初対面では礼儀が必要です
元々到着した時間が夕暮れという事もあり、部屋で今後について話し合っただけで辺りは暗くなっていた。
エステルのお腹の音で話し合いを中断して、軽くお菓子をあげつつエステルを伴って食事場所を求めて町を出歩く事になった。
はぐれたら悲惨な事になりそうなので、手を繋いでいる。それだけなのに、エステルははらぺこな筈なのに食事後のようにご満悦そうだ。
周囲の人達も、エステルの表情とヴィルフリートのほんのり照れた顔を見て、微笑ましげやらやってられねえと言わんばかりの苦い顔をしている。後者はおそらく独り身なのだろう。
「おそらく食堂のようなところがありますから。通る時に看板で見かけましたし」
「はぁい」
「……何故そんなにこにこしているのですか」
「いえ、こうして見知らぬ土地に監視なしで出られるっていいなあって。ヴィルと二人旅してるみたいです」
基本的に王都にこもらざるを得ないエステルが漏らした本音に、自然と繋いだ手を握る。
仕事で王都を出る事はたまにはあったのだろうが、エステルにとっては息苦しいもので、ただの仕事という認識だったのだろう。そもそも、町を見て回る事もなかったのかもしれない。
上機嫌で町をきらきらした瞳で見ているエステルは、おのぼりさんというよりは深窓の令嬢のお忍びといった風体だろう。今は魔導師の制服でもある上着を脱いでいるので、ただ可愛らしく品のある少女にしか見えない。
「……帰り、時間があったら見ていきましょうか」
「怒られませんかね」
「先に鳥を飛ばせて報告してから、疲労回復のために一泊するとでも言っておけばいいのですよ」
おそらくこの言い訳は嘘にはならないだろう。エステルは魔法を使うとすぐにはらぺこになるだろうし、登山するとあれば女性の体力では辛いものがある。
下山直後でほぼ丸一日馬車に乗って帰れなど無茶だろう。エステルの体のためにも、休む必要があるのだ。正当な理由なので、責められる筋合いはない。
「ヴィル、案外不真面目ですね」
「そんな事はありませんし、上手く排除対象に出会えるか分かりませんから。登山下山と戦闘、それから大地の調査も含めていたら、疲労状態を考慮に入れずとも直帰は無理かと思いますよ」
「むむ」
「……それに、エステルも、誰も自分を知らない場所で羽を伸ばしたいでしょう?」
気分転換も兼ねてディートヘルムは仕事を寄越したのではないか、とヴィルフリートは思っているのだが、真相はディートヘルムの胸の中で、今分かる事でもない。
何にせよ、ある程度裁量と日にちを与えられているのだから、そんなカツカツした日程で帰る必要もないだろう。
呆気にとられるエステルに「良いんですよ、たまには」と笑ってヴィルフリートは唆す。
珍しく緩いヴィルフリートにエステルもくすりと笑って「そうですね」と頷いた。
ヴィルフリートとしては、仕事を終えてもエステルが疲労回復するまでは帰るつもりはない、という言葉は嘘ではないが、建前ではある。
エステルも楽しませてやりたいのが本音の半分。もう半分は、なければ良いとは願っているが、横槍が入った際の後始末か何かになるだろう。憲兵に突き出すのか、はたまたこんなのが居たが残念な結末になった、という町長への報告になる。町長への忠告もそれとなくするつもりだ。
本音の半分は杞憂であってくれたらいい、と思いつつ、ヴィルフリートは手を繋いだエステルを見る。
「どうかしましたか?」
「いえ。……あ、ほらありましたよ、食堂。美味しいと良いですね」
「なるべくヴィルと比べないようにしますね」
食堂の料理人も、エステルにとっての大好物……ヴィルフリートの魔力がこもった料理と比べられても困るだろう。
お腹が満たせて適度に美味しいと良い、くらいが希望なのだが、果たしてどうなるやら。ヴィルフリートも密かに楽しみにしていたりする。実家が食堂なため、他店の味が気になったりするのだ。
それぞれに期待を込めつつ入店すると、やや嫌な雰囲気がした。
正しくは、店の一画からあまりエステルには好ましくないであろう荒くれ者達が騒いでいるから、気分がよくないといえばよいのか。
堅気の人間には到底見えないような装備をした彼らは、十数人で一塊となって店の一画を支配している。おそらく、ではあるが、彼らが同じ宿に泊まっている魔物狩りを狙う人間なのだろう。
店員達も迷惑そうな視線を向けているので、少なくとも町民ではなさそうだが。
「彼らは?」
「……流れの傭兵だとかなんとか。この町を救ってやると豪語してます」
「なるほど、おおよそ理解しました。ありがとうございます」
エステルには聞こえない範囲で小さくやり取りをした後に席に案内される。店員の女性を気遣うように微笑めば、安堵したように微笑み返してくれる。
彼らは騒いでこちらに気づいた様子はないので、これ幸いとひっそり席につかせてもらう。エステルの外見は非常に良いので、目をつけられると面倒臭そうだ。
当のエステルは、何だか面白くなさそうにこちらを見ていた。
首を傾げても「何でもないです」とだけ返されたので、向こうのうるさい男達が気に障ったのかもしれない。
それともあれ、黙っていればきっと問題ないだろう――と思っていたのだが、その目論見は外れた。
そう、エステルの普段の食事量に慣れすぎていて、それが異常だとは思わなかったのだ。
「……あ、あの、本当にこれだけお召し上がりになるのですか?」
「はい」
「あー、彼女は見かけによらず健啖家なので」
「……可愛く食いしん坊くらいにしておいてください」
頼んだ量が量というか、三人前頼んだエステルと一人前で頼んだヴィルフリート。普通は食べるとしても逆であろうが、エステルが何の疑いもなく手をつけようとしているので、運んできた店員も半信半疑だ。
ヴィルフリートとしては今日は控えめだなーとすら思っているのだが。
普段ならヴィルフリートの料理を四人前は食べるので、味が分からない食堂だから多少遠慮したらしい。
まあこれは驚くよな、と苦笑しつつ、食べ始めたエステルを眺める。
上品に食べ進めている彼女だが、どうやら比較的お気に召したらしい。まずかったり良くない感情が入っていたら食事の手を止めてしまうので、問題ないという事だろう。
見ているだけでお腹一杯になりそうな食べっぷりもいつもの事なので、ヴィルフリートも頼んであったサラダを小皿に取り分けて口にする。
対照的な光景に、店員が絶句するのも仕方のない事だろう。
「エステル、ここ、口許にソースがついていますからね」
「ほんとだ」
ついている場所を示しつつ持っていた布を手渡すと、エステルもちょっと恥ずかしそうに拭ってはにかむ。これで量が逆なら可愛らしい光景なのだが、エステルが次々と空の皿を生み出しているのでなんとも奇妙な光景になっていた。
はぐはぐ、と楽しそうに食事をする姿は贔屓目なしに可愛いので、それを眺めつつヴィルフリートも自分の料理をつつく。
個人的には実家の方が美味しいが、このチキンソテーにかかったソースは掛け値なしに美味しいので、参考に出来るようにじっくりと味わう。何か隠し味が入っているような気がするのだが、果たして聞いたら教えてくれるだろうか……と考えていたら、ふと、視界の端で男が席から立ち上がるのが、見えた。
びく、と周囲の空気が揺れたのを感じて、ヴィルフリートはひっそりと溜め息を落とさざるを得なかった。
一度人目を惹くと、どうしてもエステルの美貌は目立ってしまう。元々非常に整った顔立ちというのもそうだが、纏う清廉な空気が人を惹き付けて止まないのだろう。
大柄な男性がこちらに近づいてくるのにエステルも気付いたのか、半分ほど食べたところで手にしていたナイフを音も立てずに置いた。
「お嬢ちゃん良い食べっぷりだねえ。どうだい、こっちで一緒に食事でもしねえか」
むわ、と男が口を動かす旅に酒気が漂ってくるので、エステルはヴィルフリートにしか分からない程度に眉を寄せた。
デザートや料理に使われるならまだしも、飲み物としてのお酒は好きではないらしいエステルは、あまりにどぎつい匂いに不快感を覚えているらしい。
そもそも、見知らぬ人にいきなり話しかけられるのがあまり得意でないエステルは、こちらに助けを求めるように視線を投げてくる。
関わりたくない、と眼差しが語っていた。それは同感だし、彼らの滞在目的も理解しているヴィルフリートとしてはあまり接触したくはなかった。
「すみませんが、見ての通り俺の連れですのでお誘いはご遠慮くださると助かるのですが」
「お前には聞いてねえよ。すっこんでな」
かなり酔っているのか、赤らんだ顔で厳つい表情を作り上げこちらを睨んでくる。ガンを飛ばされた、と言えばいいのだろうが、それくらいで怯む訳もないのでただ彼を静かに見上げた。
気付けば、向こうの集団から数人、こちらに来ていた。
はた迷惑な、と思うものの、店員や客が止められずにいるのも仕方のない事である。酔った、それも腕に覚えがあるらしい男達とは関わり合いになりたくないだろう。
威圧感を振り撒く彼らに、ヴィルフリートはどうしたものかと眉を下げる。
単にどうあしらおうか困っただけなのだが、それを怯んだと見たリーダー格の男はそれからエステルにニヤリと笑いかける。
「そっちの青臭い男より、俺らと一緒に居ようぜ。食事も、その後も」
「……ヴィル、青臭いのです? 良い匂いしますけど」
「わざとボケてるんじゃないですよね、エステル」
「ふふ、今のは冗談ですよ」
つまり普段のは天然だという事はよく分かったのだが、今突っ込むのは止めておこう。
男達の視線を受けたエステルは、あくまでのんびりとした笑顔をヴィルフリートに向けている。
ただ、いかにもエステルが苦手なそうな性格の男達が近付いているのは嫌らしく、少しだけ肩が揺れていて今すぐヴィルフリートに飛び付きたそうにしていた。
「私、知らない殿方に囲まれてお食事するのは好きではないのでご遠慮します。お酒の匂いも好みではありません」
見かけはか弱そうなエステルが毅然とした態度でお断りを述べる姿に、成り行きをハラハラとした様子で見守っていた周囲の客達は感心と畏怖、それからやや咎めるような眼差しを向けていた。
余計に刺激したらどうなるか分からない、という心配なのだろうが、いざとなれはヴィルフリートが全力で潰すしエステルも余裕で対処するのでその辺りは気にしなくてもいいだろう。
きっぱり断られた男は面食らっていたものの、凛とした態度を崩さないエステルをどうやら気に入ったのか、屈服させたいのか、笑みが少しだけ粘着質さを増したものに変わる。
「まあそう言うなよ、痛い目を見るかもしれねえぞ?」
「そうですか。でも多分無理ですよ。それに、私、自分より弱い人には興味ないのです。ごめんなさい」
若干面倒になったのか、明け透けな言葉で拒絶したエステルに、食堂の空気が凍った。
(いや確かに事実なんだろうが、もうちょっと言葉を選んで欲しかったというか)
彼らが知る筈がないのだが、エステルはいかにもお嬢様という外見をして魔導院の中では間違いなく三本指に入る実力の持ち主だ。
一般人相手なら抵抗の間もなく消し炭にするくらいやってのける事の出来る(実際はエステルの性格的にしないだろうが)人であり、ヴィルフリートでもとても敵わない。
「その条件だと勝てる人間多分一人になりますよ」
そんな無茶な、という意味での突っ込みだったのだが、エステルはヴィルフリートが自分にも興味がないのではと思ったのかと危惧したらしく、あわあわと手を振る。
「あっ、ヴィルには興味津々ですからね! 今日は一緒に寝るから一杯お話ししたいです!」
「休むために泊まるんですが」
「お話ししてても癒されるから、広義の意味では休んでいます」
えへん、と堂々と言い切るエステル。お泊まり特有のテンションが高くなる現象が確実に裏目に出ている。
今夜は全力で寝かし付けようと心に決めつつ、ヴィルフリートはそろりと男達の方を窺う。
少々気分を害した程度で世間知らずのお嬢さん、という認識で済んでくれたらしい。ただ、やや苛立ちと哀れみの視線を送ってくるが。
「お嬢ちゃん、少なくとも俺らは細っこいお嬢ちゃんやそこのひょろくてなまっちい野郎より断然強いんだぜ?」
「人を見かけで判断する人ほど弱いって聞きました」
「ちょっと口つぐんでくださいね。ややこしくなりますから」
珍しくやや攻撃的なエステルを宥めるように視線を送ると、ちょっぴり不満げな眼差しが返ってくる。
どうやら食事の邪魔をされたので気が立っているらしい。おまけに見知らぬ男に馴れ馴れしくされたのがどうも不愉快らしく、ぷくっと頬を膨らませていた。
可愛いなんて場違いな感想を抱きつつ、色んな意味で絶句しているらしい男達に愛想笑いを浮かべるヴィルフリート。
どうも、穏便に行こうと思ったがそうならない予感がした。
「……ええと、そこのお兄さん方、引いてくれませんか。こっちは静かに食事したいので」
「舐めてんのか」
「いえいえ。食事の場で喧嘩をするなど無作法ですし、あまり騒ぐと憲兵が来るでしょう? お兄さん方も、つまらぬ事で憲兵の詰所にご案内などご遠慮願いたいでしょうし」
こちらとしては早くエステルの機嫌を直したいし、ヴィルフリートも食事の邪魔をされて不愉快ではあるので、さっさと視界からご退場願いたいのだ。
憲兵が来れば確実に男達の方を咎めるだろう。
この食堂の店員達もそれを証言するだろうし、そもそも彼らは今事を荒立てたくはない筈だ。魔導院の忠告を無視して、魔物狩り目的で山に入ろうと企んでいるのだから。
ヴィルフリートとしては、むしろ憲兵に一日二日この男達を拘束してもらえた方が余計な事を考えなくて楽なのだが。
彼らが少し考える様子を見せたので、ヴィルフリートはなるべく無害に見えるように心がけながら穏やかな表情を浮かべる。
素のままでいくと冷たい印象を抱かせると理解しているので、柔らかい印象を与えるようにしなければ彼らに生意気だとも捉えられかねない。既に遅い気もするが、やらないよりはましだろう。
「……ところでお兄さん方、もしかして山の魔物を退治しにいこうとしている方ですか」
「そうだが……なんだ、今更ビビったのか」
「え、あなた方なのですか? 魔導院の忠告無視してるの。こっちのお仕事を邪魔されるのは困ります」
「は?」
「あー言っちゃうんですね、わざわざコート脱いできたのに」
彼らと出くわす危険性がなきにしもあらずだったので一応魔導師の分かりやすい目印であるコートを脱いできたのだが、エステルの言葉で気遣いが砕かれた。
今日やけに彼女は不機嫌なのだが、余程食事と仕事を邪魔されるのが気に食わなかったらしい。折角のご飯がすっかり冷めてしまっているのがご機嫌ななめに拍車をかけているようだ。
男達のリーダー格が驚きというよりは微妙に呆れが強い眼差しでこちらを見てくるので、ヴィルフリートとしても立場を表明せざるを得なかった。
「……一応俺達は退治に派遣されてきた魔導師ですので、俺達が報告されている魔物を倒します。魔導師が退治するまで山に入らせるなと町に通達もされています。ですので、業務妨害は控えていただければと思うのですが」
見付かったのだから仕方ない、と忠告も兼ねて口にすると、彼らは少しこちらを見て口許を震わせたものの、やがて堪えきれなくなったように笑いだした。
「あんたらがあの魔導師? ないだろ、そんな弱そうなナリのガキんちょの癖して。せめてもうちょっと貫禄のある歳になってから言うんだな」
「魔導師ってのは才能あるやつらが十年単位で鍛練してなるもんだろ。まだガキのお前らが魔導師って」
「大体、魔導師って証拠がどこにあるんだよ」
口々に言う彼ら。酷い言われようだが、まあ魔導師の制服を着てないのだからあまり信用出来ないよな、とはヴィルフリートも思う。
確かに、魔導師の平均年齢は二十代後半だ。魔導師の資格をもらう人間も、二十代になってからが多い。
エステルなんてまだまだあどけなさの残る少女の外見だし、ヴィルフリートも同年代くらいに思われているらしい。彼らにしたらガキが魔導師とは思えないようだ。
一応ヴィルフリートは一級魔導師で、エステルに至ってはほぼ敵なしの才能を持つ特級魔導師。
見かけで判断すると痛い目を見るのだが、彼らには到底理解出来ないのであろう。
「俺達が魔導師であろうがなかろうが、あなた方が忠告を無視して魔物の元に行こうとするのは事実です。あなた方が何か知りませんが、この国に住んでいるなら分かる事でしょう」
「へっ、知った事かよ。大体、そんな決まり魔導師のお偉方が勝手に決めた理由だろ。どうせ魔物の素材を独占しようとしてるんじゃねえのか。今回のやつとかな」
魔物の黄金の角の事を言いたいらしい。
彼らが事情を知る由もないだろうが、黄金の角など報告されていないし正味どうでも良い。個人的な感情を言うなら、仕事さえさせてくれたならくれてやってもいいくらいだ。
流石に立場上は確認して入手した方がいいのだろうが、エステルが消し炭にしましたと言ってしまえばそれで済む。おそらくエステルが加減せずとも怒られる謂れはない。
ただ、エステルを汚い欲の対象として見ているらしい相手方の態度が非常に不愉快なので、ヴィルフリートも渡す気はなくなっていた。自分が馬鹿にされるのは良いが、エステルによからぬ感情を向けるのは許せない事である。
「……どうして魔導院が忠告したのかも分からないなんて」
エステル本人は、怒りというよりは呆れ、そして悲しむような眼差しに。
魔導院に長く勤めているエステルは、ヴィルフリートよりも魔物のもたらしてきた被害を知っている。実際に目で見たり、書類上で被害者の数字を見たりして。
魔導師が出向く事が、何よりエステルが出向く事が、危険性を示しているのだ。
おそらく、彼らが犠牲になる未来を予想しているのだろう、すみれ色は痛ましげに揺れている。エステルとしては、わざわざ被害を出したくないのだ。
ヴィルフリートとしては、彼らがこうして魔導院の忠告に加えて魔導師が直接忠告したのに無視して突っ込むのなら、何があろうが自己責任と思っている。自分は冷たい男なのかもしれないとちょっと悩む事となった。
二人の思惑を知らない男達はその眼差しを侮蔑と取ったらしく、こめかみをひきつらせている。
「……お嬢ちゃん、可愛い顔してるがあんまりな口の聞き方してると、痛い目を見るぞ?」
ヴィルフリートに手を出してくるなら、正当防衛で殴り返すつもりだったのだが――リーダー格の男は、エステルの方に手を伸ばした。
この時点で、ヴィルフリートは上手く立ち回る事を諦めた。
もう自分もエステルも彼らを刺激しているのでどうにもならないと分かっていたし、なにより、エステルに触ろうとした。
これだけで、ヴィルフリートは彼らを排除対象に入れた。
「うちのお嬢様にはおさわり厳禁ですので、何卒ご了承ください」
傍目には、ただ窘めて止めるように手首を掴んだだけ。表情も穏やかな微笑みを浮かべている。
ただ、ヴィルフリートは本気で手首を折るつもりで握っている。流石に折れるとは思っていないが、それなりに痛いだろう。
折るのではなくてもっと物騒な破壊の仕方をするなら魔法で幾らでも出来るのだが、公共の場でするつもりはない。
リーダー格の利き腕を潰しておいたら一日二日は魔物狩りを延期してくれるかな、と大真面目に考えているヴィルフリートは、自分でも相当に苛立っているのだと気づいた。
苦痛に歪んでいる男の表情を見て、やり過ぎただろうかと手を離して微笑む。
「すみません、少々力が入りすぎまして……、っ」
離した瞬間頬を殴られたので、まあこれは仕方ないとよろめきつつ素直に痛みを確かめていると、側のエステルが魔力を溜めている事に気付いた。
直接触れていないヴィルフリートですら感じられる魔力に、これはまずいとエステルの手を掴む。それは相手に叩き付けるには駄目だ、と優しく触れると、エステルは収めてくれたものの涙目でこちらが睨まれた。
殴られる程度で相手の怒りが収まるのなら、結果的に挑発したのは自分なのだし良いか……と思っていたのだが、エステルはそう思ってはくれなかったようだ。
これは帰ったら沢山宥めておかないと翌日に響きそうだ。
エステルの不可視の圧力に気圧されたらしい男に、ヴィルフリートは殴られた頬が熱を持っているのを感じながらぎこちなく微笑む。
「これで手打ちという事にしましょうか。別に俺はあなた方真っ向から対立したいという訳でもありませんし。あと、そろそろおしまいにしておかないと本当に憲兵呼ばれますよ」
店員達がこちらを窺っている事に気付いたのか、リーダーの男は舌打ちをかまして荒々しい足音を立てながら店を出ていった。
仲間達も、ざわつきながら彼を追うように店を後にしていく。
これで終わった、とは思わないが、一難は去っただろう。
「……ヴィル」
「ああ、大丈夫ですよ。向こう利き手じゃなかったみたいでそうダメージはありませんから」
最初にヴィルフリートが掴んだ手とは逆で殴ってきたので、おそらく利き手ではないだろう。顔をある程度逸らし正面から食らわないようにして衝撃を流したので、エステルが心配する程でもないのだ。
そもそも殴られるように若干仕向けた感はあるので、殴った事についてはそこまで彼らに怒りは感じていない。
だというのに、エステルは泣きそうな顔でこちらの頬を心配してくるのだ。
彼女に暴力的なシーンを見せたのは失敗だったな、と反省。もっと穏便にすませられただろうに、どうして怒りを買う方向にしてしまったのかと後悔はしている。
エステルに、彼らが触れようとしたからだろうか。
ぽんぽん、と不安げなエステルの頭を撫でて宥めていると、こちらが注目されていた事に今さら思い至る。
他の客もこちらを見ていたので、遅れて微妙な気恥ずかしさが浮かんできた。
「すみません、お騒がせして。……ええと、一応俺達が魔物退治に派遣されてきた魔導師です。まあ、こんなナリでは格好がつきませんが。また明日、町長の方にご挨拶に向かって、正式に通達してもらいますので」
ほんのりと苦笑を浮かべて殴られていない方の頬をかく。
「皆様ご存知かと思いますが、北の山には強力な魔物が住み着いておりますので、立ち入りはしないで下さい。もし皆様の身に何かあっては遅いのです。俺達が安全を確保するまでは、ご協力お願いします。なるべく早く事態の解決が出来るように、俺達も尽力いたしますので」
ぺこ、と騒いだ事に対する謝罪も含めて腰を折ると、少しざわめくものの否定的な声は聞こえない。
宿屋の女主人の話では男達は柄が悪いらしいし実物を見てもそうだと思える。そんな男達が魔物を無許可に狩るのと、正式に派遣されてきた魔導師が退治するの、どちらがいいかと問われたら後者だろう。
丁寧に頭を下げておけば悪い事は基本起きない。先程の男達には態度を少々失敗してしまったが、先程のやりとりを目撃していたギャラリーにまで同じ態度をするつもりもない。
先程の事を含めてもそこそこに悪くない反応なので、ここでヴィルフリートはエステルの事も紹介しておこうと決めた。
もう目立ってしまったのだから仕方ない。正当性があるのはこちらだと印象づけておく事にする。
「こちらの可愛いらしい魔導師は魔法のエキスパートです。食いしん坊ではありますが、その分の働きはしますので」
「もうっ!」
決して馬鹿にした訳ではなく場を和ませるためのジョークだったのだが、エステルはぷくうと頬を膨らませてヴィルフリートの腕を叩く。
といってもか弱いものなので痛くも痒くもないが。
魔導師というのは偉そうなイメージがあるらしいので、こうして親しみやすいイメージを持ってくれた方がいい。それと、地元民は味方につけて損はない。
イメージアップをしておけば、今後あのグループと何かあってもこちらの味方についてくれるだろう。そもそもいかにもといった風貌の男達と美少女のどちらに味方するかといえば、間違いなく後者なのだが
実際、エステルの姿に店員や客は見惚れていたり和んでいたりする。
ちょっぴり不満そうなエステルの背中をぽんと叩き「エステルからも少し言って下さい」と囁くと、意図は理解しているらしく、打って変わってふわりと柔らかな微笑みを浮かべた。
「近日中には立ち入り禁止を解けるように頑張りますので、どうかご協力の程よろしくお願いいたします」
丁寧にお辞儀したエステルに、この食堂に居る人達は穏やかな眼差しを向けた。




