43 二人きりのお仕事
「ヴィルまで付き合ってもらって、すみません」
ガタガタと揺れる音に紛れるように、澄んだ声が小さく耳をくすぐる。
言葉の通り申し訳なさそうに眉をしょんぼりと下げているエステルは、ヴィルフリートの隣でちょこんと座っている。がたん、と大きく揺れると華奢な体が傾いでこっちに寄り掛かるのだが、視線が合うとはにかむものだからなんというかどきりとしてしまう。
馬車で移動するなど滅多にないのだが、今回は特別だ。徒歩ではとても行けそうにない場所に向かっているので、こうして馬車を手配して向かっているのである。
といっても私用ではなく、あくまで仕事なのだが。
「お気になさらず。というか、補佐官ですので付き従うのも当然ですよ」
「お目付け役ですか?」
「純粋に心配なのと、一人で放り出すと迷子になりかねないですし」
「……私を子供扱いしていませんか?」
「していませんよ」
ぷく、と頬を膨らませる姿は幼いのだが、本人に言うのも酷なので口は閉ざしておく。知らない方が良い事もあるだろう。
ただ視線が生暖かくなってしまったのは気付かれたらしく、すみれ色が不服そうに揺らいでいる。心なしか瞳も細められていて、ご機嫌斜めになってしまった、とすぐに分かった。
「仕事とはいえ、エステルを一人で野外に放り出すのは嫌ですから」
この度特別に割り振られた仕事は、とある場所の魔物を狩るのと大地の様子を見てくる事。ディートヘルム直々に頼まれては断りようがなかったし、ディートヘルムもヴィルフリート同伴前提で任せたのだろう。
「幾ら強いとはいえ女性でしょう、体力的に厳しいですし、万が一があっても困りますから」
エステルは、強い。
実力を目の当たりにしているヴィルフリートは断言出来る。おそらくこと魔法において叶う人間は筆頭魔導師であり実兄のイオニアスくらいだろう。
それでもエステルはか弱い女性だ。
魔法の腕前と、体力は違う。あくまで魔法に秀でた女性であり、体力は一般の令嬢と殆ど変わりはないだろう。あの華奢な体で男顔負けの体力を発揮されたら、ヴィルフリートは色々と自信を失う。
それに加えてだが、エステルは燃費が非常に悪い。エステル単体で放置したなら、おそらく空腹で倒れかねないのだ。
エステル本人は料理がてんで出来ないそうなので、動物や魔物を狩ってご飯を作る、など出来ないだろう。故に料理が出来ておまけにいざとなれば魔力を直接分け与えられるヴィルフリートが側に居るのだ。
最終手段はなるべく使いたくないので、積極的にご飯を作る気である。
「へばったら背負う人が必要でしょう」
「……やっぱり子供扱いじゃないですか?」
「子供ならそもそも危険な場所に送るのを見過ごしたりはしませんよ。……支えると言ったでしょうに」
一人で無理をさせるくらいなら、ヴィルフリートはその隣で支えてやる事を選ぶ。エステルは基本的に荒事は一人で何でも解決しようとしがちなので、頼る事を覚えさせたいというのもあった。
頼ってもいい、そうエステルに伝えてあるのだから、こういった仕事では頼りにして欲しい。ヴィルフリートとしても、鍛練にもなる。
支える、という言葉に分かりやすく反応したエステル。
ぱあ、と白雪のような頬に春色を訪れさせ、それから照れ臭そうにヴィルフリートの肩に寄り掛かる。
彼女が遠慮がちに身を寄せてくるので、その度に甘い香りがふわりふわりと鼻先をくすぐるわ時折信頼に満ちた眼差しを見てはにかまれるわ、色々と狭い室内では自制心というものが鍛えられるのだとヴィルフリートは思い知った。
元より強い方ではあるのだが、エステルのせいでがったがたに揺らいでは立て直しを幾度となく繰り返されている。
筋肉は痛め付けた後による修復で強く太くなるそうなので、理性とかその辺りもおそらく強くなっているのかもしれないが――単純に脆くなっている気もした。
「……これから行く場所の仔細、ヴィルフリートは頭に入れていますか」
寄り添ってくるエステルにどぎまぎとするヴィルフリートに、本人は意識した様子もなく問い掛ける。
「ええ。仕事内容と地形、近隣の生態系も報告されている限りは頭に入ってますが」
基本的に第二特務室は魔物討伐の仕事は滅多に来ない。きた時は余程、という認識をエステルもしている。
今回のはディートヘルムから直接請け負った、という事だが、それはその余程の事に入るのだろう。
仕事に就くにあたって、必要な情報は当然記憶してきた。
今回の行き先は王国の北東にある山で、王都から距離が離れているので途中一泊して向かう事になる場所だ。
強力な魔物が住み着いた、との近隣の町から声が寄せられたので、こうして討伐の指令が降りている。
エステルが動く理由は単純にいつもの討伐部隊の手が空いていない事と、大地に何かしら異常が出ているらしくイオニアスの調整とは別に現地調査してこい、というものだ。
筆頭魔導師の代理を務める事もあるエステルならば現地でも確認は出来る、との事で、こうしてエステルが駆り出された訳である。
ヴィルフリートはその付き添い、というよりは無駄な魔力を消費させないための護衛だ。ご飯係と雑用も兼ねているが。
ふわふわしているエステル一人だと迷子になったり足場の悪い斜面も登らなくてはならないので転んだりしたり、とにかく戦闘以外で仕事の達成困難になる事を防ぐためにヴィルフリートは居る。
勿論、ご飯も一食分は用意している。(二食分はエステルの消費量的に無理だった。道中の宿で用意する予定である)
「……私が動員される時点で一定の危険性があるのも理解しているのですよね?」
「それは勿論」
「……分かってるなら、良いのです。ついてきてくれるのは、嬉しいです。……私だって、一人で行きたい訳ではありませんから」
困ったように微笑んだエステルは、以前と違ってついてこなくてもいいのに、とは言わなかった。
ヴィルフリートを側に置きたい、という気持ちと、現実問題山に登るのなら一人では危険だと分かっているから、拒まなかったのだろう。
もたれるように二の腕に頭をくっつけるエステルは、ゆるゆると掌をヴィルフリートの掌に重ねて、指先でくすぐる。
甘えるような仕草であり、どこかヴィルフリートを確かめるような仕草でもあった。
本当についてきてくれるのか、と不安だったのかもしれない。
「……さっさと終わらせて、帰ったらご馳走でも作りましょうか。頑張ったご褒美という事で」
「ほんとですか!」
「ええ、腕によりをかけてお作りしますよ」
ご飯を作るだけで喜んでくれるなら、エステルの満足のいくまで作るつもりだ。おそらく、今回の仕事はエステルには負担になるだろうから、ヴィルフリートの出来うる限りで労ってやりたいと思っている。
やったぁ、と無邪気に喜んで頬を染めるエステルに、ヴィルフリートも手早く終わらせられたら良いな、と希望を抱いて窓の外を眺めた。




