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42 蛇と昔話

 ヴィルフリートは、ディートヘルムの事が嫌いという訳ではない。

 以前は非常に苦手であったが、エステルの話を聞いてからは極端に避けるというものでもなくなった。多少話しにくいというか性格的な問題で苦手意識はあるものの、会えば会話くらいは出来る。


 どちらかといえぱ今はイオニアスの方が苦手なので、ディートヘルムと話す事自体は苦ではない、のだが。


「そうかしこまらずと楽にしてくれれば良いのだが」


 流石に密室で二人きりでテーブルを挟みお茶をする、という状況になれば、気まずさは覚えるのだ。


 魔導院で二番手、実質的な権力で言えば一番かもしれない男と和やかに会話出来る豪胆さは、ヴィルフリートも持ち合わせていない。廊下で偶然出会った時に誘われ、逆らえる筈もなく席についたのだが、とてつもなく気まずい。


 時間と仕事的には余裕があるが、ヴィルフリートの精神的にあまり余裕はなかった。


「あの、何のご用で」

「時間が空いたから偶々見かけた君を誘ったまでだ」

「は、はあ、そうですか」


 暇潰しに呼ばれた、という事は何となく分かった。

 普段忙しいディートヘルムが見つけた隙間時間をヴィルフリートに割くのも不思議ではあるが、彼がそう言うのなら疑う必要もないだろう。別部署に書類を提出した帰りに、本当に偶然に筆頭魔導師補佐官(ディートヘルム)の執務室の前を通ったのだ。そこで出会ったのだから意図も何もない。


 急ぎの用事もないし、お茶を出されては飲んで少し話すまでは帰れないようだ。

 嫌ではないが、談笑するにも話題に困る。

 片や筆頭魔導師補佐官で魔導院のNo.2、片やこちらは一介の魔導師。共通の話題など、エステルくらいのものだ。


 しかしエステルの事は先日本人と今相対しているディートヘルムから粗方聞いてしまった。気になっていた過去の事を聞いたので、今聞きたい事というものはあまりない。

 何を話そうか。沈黙が気まずい。


 カチャ、と陶器が擦れる音がする。カップをソーサーに戻したディートヘルムは、ただ静かな瞳でヴィルフリートの姿を捉えている。


「ヴィルフリート第二特務室室長補佐官」

「はい」

「エステルの様子はどうだ」


 ディートヘルムも、共通の話題がエステルの事以外ないと分かっているのだろう。

 気にかけているエステルが普段どうなのか、という色々発展しそうな話題を選んでくれた事に、少し安堵を覚える。


「エステル様はいつも通り……というか、まあ仕事は普通にこなしてくれます。元気だと思いますが。いつもにこにこしてますし」

「そうか。……いつも笑っているか」

「……おかしいですか?」


 ヴィルフリートとしては、見たままを口にしている。

 彼女は毎日楽しそうだ。仕事は面倒そうにはするが、ご褒美(おやつ)があれば自主的にしてくれるし、充実感は感じているようだ。鬱屈している事はないだろう。


「いや、知ってはいるが、随分と明るくなったとしみじみしただけだ」

「……ディートヘルム閣下は、エステル様の幼少期もご存知なのですよね」

「そうだな。……何だ、エステルの小さい頃が知りたいのか」


 少し気になった程度だったのだが、ディートヘルムはそれすら見抜いたように笑う。


 エステルの過去。

 ディートヘルムが知る小さい頃、というのは、事件後の事だ。今のエステルに至るまでの十年間。ヴィルフリートも知らない空白の時間。

 エステルという人間が形作られたのもこの十年間の間なのだろう。


 知りたくないと言えば、嘘になる。


「……エステル様は、どのように過ごされていたのですか」


 根掘り葉掘り聞くつもりもないしディートヘルムも答えはしないと思うが、聞ける範囲で問いかけていくつもりだ。

 彼女がどのようにして育ったのか。


「そうだな、本人から聞いているかもしれないが、彼女は一人ぼっちだった。……そうならざるを得なかった、と言ったら良いだろうか」

「……イオニアス様が、何かした、という事は何となく」

「あれも子供でね、エステルが幸せになろうとすると邪魔する癖が付いているのだよ。親しくなる侍女や教育係が居たら担当から外させたり、なついた動物は命を奪ったり。今は比較的落ち着いているが」


 比較的落ち着いている、とはディートヘルムが言うものの、ヴィルフリートをエステルから離そうとしたのは記憶に新しい。強行手段に出ていないという点では落ち着いているというのも間違いではないだろうが。


 歪んでいる、というのは簡単だが、歪まざるを得ない状況に追い込まれていたのだろう。それだけ、あの十年前の事件は様々な人間の将来をかき乱した。


 ヴィルフリートは、恵まれている方だ。魔力を失わず、ほぼ無傷で居た。精々衰弱していた程度だった。

 他に犠牲になった子供達は、違う。二度と魔法を使えず、下手すれば一人では生活出来ない子供も居る。死んだ子供も居ただろう。


 そして、エステルとイオニアスもまた、大人の犠牲となり人生を狂わされた側だ。これで性格の一つや二つ変わらない方がおかしい。


「エステルは、孤独を強いられた。……私もイオニアスの教育の方に時間をとられて、あまり構ってやれなかったというのがある」


 筆頭魔導師補佐官を続けていたディートヘルムは、どうしてもイオニアスに構わざるを得なかったらしい。本人も時間のある時はエステルに構っていたそうだが、比率はイオニアスの方が多い。


「結果的に、というよりは元々孤児院に居た時代のせいで人嫌いの気があったのだが……随分と内向的でね」

「内向的……ですか?」

「今のエステルからは想像がつくまい。だが、実際非常に引っ込み思案で大人しかったのだよ」


 その頃を思い出したのか、苦笑にも苦いものが余分に混じっている。苦渋、といっても良いのかもしれない。


「エステルは、魔法の面では非常に飲み込みの早い優秀な子だった。手のかからない、と言っても良いだろう。……他に気をまぎらわせるものがなかった、とその時に気付いてやればよかったのだが」

「……一人で黙々と魔法の鍛練をしていた、とは聞いています」

「だろうね。私が居ない時は、そうしていただろう。……優秀すぎたのが、また孤独を生んだ」


 突出しすぎる才は、群れの中には居られない。孤高と言えば聞こえは良いが、孤独なのだ。


 ただでさえ実の兄からは遠ざけられ、憎まれて。

 周囲が親しくなろうとすればイオニアスが遠ざける。なりたてとはいえ筆頭魔導師であるイオニアスが裏で手を回せば、それも可能だろう。

 結果として、エステルは誰の手も取らない事に決めた。一人を選ばざるを得なかった、と言い換えても良い。


 ディートヘルムも止めていたのではあろうが、事件の処理と筆頭魔導師の教育で手一杯だった。そんな所だろう。

 昔そんな事があったから、彼には好き勝手させないようにとディートヘルムが堤防の役割をしているのかもしれない。


「第二特務室を与えられてからも、基本的には人を信用しないしあまり喋らない子だった。エリクやマルコが尽力したお陰かようやく人並みに喋るようになったんだが……結局、監視という事も分かっているから完全に打ち解けるまではいかなかった」

「……本人達は、あまり監視もやる気がなさそうではありますけどね」


 だからこそエステルも話せたのだろう。ただ業務に従って見張るだけの人間が側に居たならば、余計に萎縮しておとなしくなるだろうから。


 そういう点では、二人の選択は正しい。見張りとしては失格かもしれないが、人付き合いを覚えさせるといった観点から見ればまずまずだ。

 同年代の女子が居なかった事が悔やまれる。同じくらいの、せめて普通の感性を持った女性が居たならば、エステルのゆるい姿はもう少し改善されたのかもしれない。


「まあ監視など二の次だ。エステルは、イオニアスが筆頭魔導師である限りどこにもいけない。逃げるつもりがないのだから、監視など無意味だ。イオニアスが様子見するために居るようなものだからな」

「……それはまた、なんというか」

「屈折した愛情を持ってるからな、イオニアスも」


 静かに紅茶を口に含んでいるディートヘルムは、喉を潤してからヴィルフリートを見る。


「エステルは、予想以上に君を気に入っている」

「……それは言われずとも」

「あれを知って君の態度が変わらないお陰で、エステルはようやく呪縛から解放されつつある。それは感謝している。……喜ばしい事ではあるのだが、無垢さにつけこんで早まった真似はしないでくれたまえ」

「しませんよ」


 真顔で釘を刺されている、と気付いたので即否定すると、ディートヘルムはやや愉快そうに唇の端を吊り上げる。

 冗談なのか本気なのか判断に困る表情ではあるが、おおむねからかいの方だろう。


 ディートヘルムもエステルの無防備は認識しているらしい。ヴィルフリートがエステルののほほんとしたマイペースさに振り回されているのも承知の上な筈だ。

 何もしない、と分かった上でからかっていそうで、たちが悪い。


「ヴィルフリート第二特務室室長補佐官」

「何ですか」

「これは、単純な興味なのだが。エステルが苦しんでいる時、君はどうしてやれる?」


 質問の意図が分からずディートヘルムを見返すと、彼は静かな瞳でこちらを見つめている。

 何かを試されている、それだけは理解出来た。


「――俺に出来る事なら、何でもしますよ。負担を代われるなら代わりますし、何も出来ないならせめて側に居ます」

「補佐官として?」

「第二特務室室長補佐官としてであり、何よりヴィルフリート=クロイツァー個人として」


 それだけきっぱりと答えると、珍しくディートヘルムは混じりけのない笑みを浮かべた。

 そこにこもる感情を一つ取り出すならば、安堵に近いものだろう。感心も含まれているかもしれない。


 嘘偽りなく答えたヴィルフリートに、ディートヘルムはそれで満足したかのように一つ頷いた。


「彼女の歩む道は平坦ではない。時折躓いて転ぶ事も、前が見えず苦しむ事もあるだろう。その時に支えてくれる人が居たならば、と願っていた」

「それが俺だと?」

「さてね。それは君が決める事だ。私が言う事でもないだろう」


 それだけ告げたディートヘルムは、ふと閉じられた扉を見る。


「そろそろ迎えが来る筈だ」

「迎え?」

「――ヴィルフリート、ここにいたのですか」


 何を、と首を捻った瞬間に、扉が開いて見慣れた桃色が揺れる。

 肩には、伝達魔法の鳥が乗っている。飛ばしたのはディートヘルムだろう。いつ飛ばしたのかは、全く気付かなかった。悟られないように飛ばす技量の持ち主、というのを思い知らされる。


 二人で向き合ってお茶をしていた姿は予想外だったのか、エステルの鮮やかな紫と青の混じった瞳がぱちりと瞬きを繰り返していた。


「お茶をしていたのですか? 私も呼んでくだされば良かったのに」


 二人だけずるいです、と膨れっ面を見せたエステルに、ヴィルフリートは苦笑。

 流石に過去を聞いている時に本人が居ると気まずいので、姿が見えない方がありがたい。お茶したかったらしいエステルには申し訳ないが、あとから来てくれて助かった。


 ディートヘルムもヴィルフリートと話したい事があったからこそこうして二人だったのだろう、と思って彼を見て、少しだけ瞠目。

 彼は、慈しむような眼差しを向けている。当然だが、エステルに。


(……なるほど、かなり可愛がっていると)


 雛鳥を見守る親鳥のような雰囲気に、ヴィルフリートは口にしなかったものの相当可愛がっている、と結論付けてそっと視線を逸らす。なんというか、蛇が鳥に代わった瞬間を見てしまって、気まずかった。


「また今度すれば良いだろう。私もこれから仕事でね」

「……それは分かっています。ディートヘルムは忙しいでしょうから」

「エステルも、また忙しくなるだろう」


 その言葉に、エステルは体を強張らせた。

 ディートヘルムも、表情をいつものものに戻している。


 ディートヘルムの言うエステルが忙しくなる、というのは、仕事の繁忙期とかそういうものではない。

 ――イオニアスの代役が回ってくる。そう言いたいのだろう。


 表情を曇らせたエステル。ヴィルフリートは立ち上がって歩み寄り、それからエステルに微笑みかけた。


 ディートヘルムの前で体に触れる事は出来ないが、自分がついていると主張くらいさせてもらう。支えると決めているし宣言もしている。ディートヘルムにも、そう言った。

 おそらく、ディートヘルムはこれがあったから問い掛けたのだろう。苦しむエステルにどうするのか、と。


 エステルは、ヴィルフリートの表情を見て瞳を和やかにする。ふにゃ、と頬が緩んだのは、きっとヴィルフリートが居ると分かってくれたからだろう。

 信頼に満ちたすみれ色の双眸に、ヴィルフリートは強張りをほぐすように穏やかに眼差しを返してただ微笑む。


「ディートヘルム閣下、では俺はここで失礼いたします」

「ああ。付き合わせて悪かったね」


 エステルが落ち着いたのが見えたらしいディートヘルムは、それだけ言ってエステルから視線を外した。

 どうやらヴィルフリートが居るから良いだろう、という事らしい。


 エステルを伴って退室する際に、ディートヘルムが「一度見せておいた方が良いかもしれないな」と小さく呟いたのが聞こえたが、ヴィルフリートは振り返らずそのまま筆頭魔導師補佐官の執務室を後にする。


「戻りましょうか」

「そうですね」


 隣のエステルがいつものように笑みを浮かべた事にほっとして、ヴィルフリートも同じように笑みを返してかなり離れた第二特務室に向かってゆっくりと歩み始めた。

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