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41 上司様は鈍感です

「静かですね」


 式典の日は、魔導院が静かだった。

 業務を行う棟には人気がなく、普段ならどこかから音がするのに今は静謐そのもの。元々第二特務室は閑職と言われるに相応しい端の位置にあるのだが、棟全体が静かなのはまずないのだ。


 皆、式典に出席しているのだろう。

 出ていないのは、おそらく第二特務室の人間だけだ。

 そしてこの棟には二人しか居ない。エリクもマルコも、出勤すらしていないのだ。


『え、俺ら出席義務ないし仕事もほぼないから出ないぞ』

『ぶっちゃけ式典とかめんどくさいし、わざわざお偉方の長い話を聞くの時間の無駄でしょ』


 二人揃ってそうのたまって、出勤拒否をしている。随分と緩い職場であるが、これが許されるのが第二特務室である。

 エステルも大人しくしていると踏んでいるのか、見張りはしないようだ。もしかしたら気を使っているのかもしれないが。


 まあ真実はどうあれ鼻つまみ者扱いの第二特務室は式典に出席しなくても良い、というかするなと言われているのだから、構わないのだろう。イオニアスもエステルと顔を必要以上に合わせたくないだろうし。式典では顔を隠しはするだろうが筆頭魔導師も挨拶をするだろうから、余計に。

 ディートヘルムも気遣ったらしく「周囲の視線で居心地も悪いだろうし、わざわざ出ずともよい」とお墨付きだ。


「そうですね、私達しか居ませんから」


 今日はお仕事もしないとばかりにゆったり紅茶を飲んでいるエステル。

 仕事はないが、何もしないのも落ち着かないので取り敢えず出勤だけはしておいた二人だが、やはりというか暇なものは暇だ。先んじて仕事をしておいたので、やる事はない。精々、エステルのおやつを仕込むくらいである。


「今頃式典で何かしらやってるのでしょうね」

「そうですね。私は出られませんから興味はありませんが」

「まあ出たところで長いお話を聞くだけかと」


 おそらく上層部に聞かれたなら叱責では済まない事を言っているのだろうが、ここには誰も居ない。エステルとヴィルフリート、二人だけだ。

 エステルは、ヴィルフリート謹製のおやつを食べながら優雅にお茶を飲んでいる。お茶もヴィルフリートが淹れているが。


 職場ではあるがゆったり寛げるサイズのソファを置いているので、隣に座って他愛ない会話を花咲かせて一日潰す事も出来るだろう。幸い食料はあるし、お菓子も作りおきがある。

 暇を潰すために作り置きを増やしてもいい。今日一日は、第二特務室はいつもよりまったりとした空間になっている。


 ヴィルフリートも、折角なので習慣と化した魔力操作に精を出す事にした。

 体に巡る魔力を掌握しきる、これが肝要だ。日々自分の魔力を見直しているが、昔と比べてかなり増えているのは自覚している。これを操りきってこそだろう。


 意識を体の内部に集中させ、内側に満たされた魔力の流れを感じとろうと神経を尖らせて――。


「ヴィル」


 そこで声をかけられたのだから、思わず肩が驚きに縮んだ。

 声をかけたエステルもびっくりしたらしく、長いまつげに縁取られた菫青石の瞳は真ん丸に丸まって、揺れている。


「ご、ごめんなさい、集中の邪魔しましたか?」

「いえ、大丈夫ですよ。どうかなさいましたか」

「……や、大した用事じゃないんですが……ヴィルは、嫌じゃないのかなって」

「嫌、とは?」

「……第二特務室は、知らない人の嘲笑の的です。こうして不遇なのは、私のせいですから……」


 栄えある式典の出席すら許してもらえない、という事がエステルには申し訳ないようだ。

 エステルからすればヴィルフリートはディートヘルムによって、元を正せば自分のせいでここに配属されてしまった。本来ならば前の職場で着々と実績を積む筈だった。その辺りを考えているのだろう、


 しゅん、と眉を下げているエステルに、ヴィルフリートはそっと手を伸ばした。

 それから、頬をむにっと摘まむ。


「ふひゃ」

「あのですね、俺が嫌々ここに居ると思っているのですか? 俺はあなたを支えると言いましたし、側に居ると言いました。二言はないですし、俺が好きでここに居るんですよ。お分かりになりますか」


 やわいほっぺを引っ張って伸ばすと、可愛らしい顔立ちが一気に気の抜けたような顔になる。非常にもちもちすべすべの手触りにうっかりもっと引っ張りたくなったが止めておき、そっと滑るように撫でた。


 じっと、澄んだすみれ色の瞳を見つめて「嘘だと思いますか?」と問い掛けると、そのすみれはどんどん水を得たように潤み始める。

 そんなに衝撃的な事なのか、とやや戸惑うヴィルフリートに、エステルはその双眸を隠すように俯いて、ヴィルフリートの肩に顔を埋めた。


「……ヴィルは、本当に優しいです」

「優しいのではなくて私欲を優先した結果ですよ」

「私欲?」


 少し顔を上げたエステルが思ったよりも近かったが、ヴィルフリートはぽん、と頭を撫でた。それだけで、少し安堵の色を見せるエステル。


「エステルの側に居たい、というのは、俺個人の感情ですから。俺はね、エステル。案外身勝手なのですよ」

「ど、どこが……?」

「……さあ、どこでしょうね。少なくとも、俺は自分勝手ですから」


 エステルには、おそらく理解は出来ないだろう。このぬるま湯のような関係に甘んじて、内側に踏み込んで触れている事自体が身勝手なのだと。

 こんなにも、エステルに気兼ねなく触れるのは、きっと許されない事だ。


 親愛の言葉で許されるギリギリの範囲で、ヴィルフリートは今エステルに接している。他人が見たら、アウト判定を食らいそうではあるが。


「まあ、俺が身勝手なのは良いとして……俺が好き好んであなたの側に居るのですよ。俺自身の意思で。あなたが気に病む必要はないでしょう」


 側に居たくないのなら、エステルに食事を作ろうとか、休日を共に過ごそうとは思わない。自ら尽くしてやりたいと思うから共に居るし笑って欲しいから料理を捧げるのだ。

 献身とは違う、利己的で自己満足の行為だ。それをエステルに嫌々やっているのでは、と否定させるつもりはない。


「ですので、あなたが何か罪悪感を感じる事はないのですよ。『私に尽くしなさい』くらいの心構えで居てくれても構いませんし」

「……ヴィルは、どうしてそこまでしてくれるのですか?」


 エステルには、ヴィルフリートがエステルのために動く事が不思議らしい。

 大前提を知らなければ、そうだろう。ヴィルフリートだって初めはこうなるとも全く思っていなかったのだ。


 最初は、仕事で。

 渋々やっていたのは、認めよう。配属当初は、何故自分がこんな事をしているのかと自問自答すらした。


 次は、庇護欲から。

 ふらふら危なっかしいエステルに、見ていられなくて手を差し伸べた。自分が居なければどうにかなってしまいそうだったから。


 そして今は――。


「割と簡単なんですけどね」

「教えてくれないのですか」

「いつかエステルが分かったら、その時に答え合わせと、それからの事を考えましょうかね」


 おそらく、他人から見れば答えなど透けて見えるそれが、エステルに伝わるまで。

 言葉にするにしても、まだ先だろう。エステルは、そういった部分をてんで理解していないようだから。


 まあ鈍いよなあ、とエステルが首を傾げる姿を見守って、ひっそりと苦笑した。

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