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40 お怒りな上司様

 エステルに魔力を整えてもらってからというもの、ヴィルフリートは室内で出来る鍛練は欠かさず行っていた。


 何も魔法を使う事だけが鍛練ではない。内側に巡る魔力の流れを把握し思い通りに操れるようにする、これも重要な事だ。むしろ、こちらに比重を置くべきだろう。


 魔法という型に捕らわれ振り回されるより、まずは自身の力を把握して完全に制御下に置く。

 魔導師たるもの当然の知識であるし基礎であるが、おろそかにもなりやすい。魔法を扱えるようになり強力なものを振るえるようになるにつれ、基礎の基礎を忘れがちになる。


 今回は初心に戻り、自身の魔力を把握する事に努めている。魔法を使うのは、自分を理解してからの方がいいだろう。今まで通りの使い勝手ではないだろうから。


 だから、ある意味今の仕事は最適だろう。

 戦闘職のような魔法を使わざるを得ない職場では、自分を理解する前に魔法をふるってしまう。

 その点、第二特務室は事務作業と特殊業務(エステルのご飯作り)がメインなので、仕事をしながらでも鍛練出来る。仕事をおろそかにする訳ではなく、あくまで意識する、という程度ではあるが。


 仕事をしつつ自分磨きが出来るというのは、ヴィルフリートにとって最高の仕事場かもしれない。本業については少々やり甲斐が足りないかもしれないが、エステルの面倒を見るという事においてはこれ以上にない環境だろう。


「マルコさん、こちらの仕事お願いします。期限が明後日までですのでそのつもりで」

「……めんどく」

「さくてもこなしてくださいね。あなたは出来るのにさぼるんですから」


 最近ではマルコとも打ち解けた、とまではいかないものの、普通に会話は出来るようになった。

 ある意味気を使わなくても良い相手ではあるので、案外気楽だ。


 不服そうに細められた赤眼にも負けじとにこやかに微笑むと、彼は逃れられないと悟ったらしく渋々書類を受け取っている。

 口で「こんなのやらなくても支障ないのに」とぶつぶつ呟いているが、他の部署に白い目で見られたり罵られたりという状況が更に悪化するので、しない訳にもいかない。


 本音を言えば、今渡したものは別にしなくても運営に関わる事でも誰かが困るようなものでもないから投げ出したくなる気持ちも分かるのだが、これも仕事なので諦めて欲しい。


「マルコも真面目になったなあ」

「エリクさんはこっちお願いしますね」

「げっ」

「文句言わないで仕事してください。俺もしてるので。エステル様の分出来るものはこっちがしなくては」


 エステルの補佐とは言え、ヴィルフリートも書類仕事を当然する。

 彼女の仕事をしやすいようにサポートしつつ、自分でも処理はしている。その上でエステルのご飯を用意しているので、暇という訳ではないのだ。

 ただ仕事の総量が少なめなので、そこそこゆったりも出来るのだが。


 今日は、エステルが居ないので、その分仕事がこちらに割り振られている。


「……エステル様、粗相をしてないと良いのですが。お腹空いていないでしょうか、お腹すくとやる気なくなるのは先方も分かっていると思うのですが……お弁当を持たせれば良かったでしょうか」

「おかんか」

「保護者には違いないだろうけどね」


 第二特務室に居ない、といっても今日はイオニアスの代役を務めている訳ではなく、ディートヘルムの所で何やら仕事を手伝っているらしい。

 相手がディートヘルムなので問題ないだろうが、のほほんとしているので仕事の失敗をしないか心配なのだ。魔法を使うというだけの仕事なら、恐らく彼女は自在に扱えるので心配ないとは思うが。


 ヴィルフリートの脳裏で「お腹すきました……」としょげているエステルが思い浮かぶ。

 あの潤んだ瞳で上目遣いにしょんぼりされたら、ご飯を与えたくなるのだ。せめてお菓子を携帯させれば良かったかもしれない。


 恐らく仕事を終えてくる頃には「ヴィル、お腹すきました……ごはんー」とねだってくるだろう。夕飯はいつもより多目に仕込んだ方が良さそうだ。


 体の魔力を慣らしつつ夕飯を何にしようか、なんて事を考えていたら、時間はいつの間にか経過していておやつ時に。


 この頃になってくるとそこまで仕事のない第二特務室はほぼ仕事も終わっているので(普通に仕事をしていれば)、結構余裕がある。ヴィルフリート謹製のおやつを摘まみながら残った仕事をしたり雑談をしたりと、割と、いやかなり緩い職場なのだ。


「しっかしまあ、よくお嬢のためにこんだけ作るよな」


 今日はエステルが居ないので、お菓子は余っている。


 そもそも日持ちがして作り置きが出来るものに関しては先に用意して、食べる際にエステルに出している。クッキーなんかはその例で最初に挙がるものだ。

 ただし、クッキーは作り置きをしてもエステルが天板一枚分など軽々胃に収めるので、早々になくなるのだが。


 本日は居ないので焼き菓子は手付かず。

 普段はエステルが全部胃に収めているものだが、口が物悲しそうなので二人にも提供していた。


「まあ、エステル様が喜んで食べてくれるのを見るのは、楽しいですし作り手冥利に尽きますよ。あの人ほど美味しそうに食べる人は見た事ありませんよ」

「エステルは食に関しては妥協を許さないというか、本当に食べるの好きだからね。あんたの料理より美味しい人は幾らでも居るのに、あんたの料理を選ぶんだよねえ」

「俺の魔力がこもっていて美味しい、らしいですが俺にはそういうものは感じませんから本人の感覚なのでしょうね」


 もちろんヴィルフリートも自分の料理が最高、とはこれっぽっちも思っていない。上手い人なんて幾らでも居るのだ。ヴィルフリートが作るものは大衆食堂のものであり、家庭料理だ。凝ったものはない。

 それでもエステルが美味しいというのは、ヴィルフリートが作ったからこそ、という事らしい。気恥ずかしくも、やはり嬉しいものだ。


 最近はご飯係なのか、それとも気心の知れた異性の友人という立ち位置なのか、分からなくなっているが……どちらにせよ側に居て支えるという事には違いないので、関係性にまだ名前をつける事は出来ないししない。


 絞りクッキーを摘まんでいるマルコは、ヴィルフリートの説明に納得したのかしてないのか、ただつまらなさそうに「ふうん」とだけ返す。

 これでも態度は柔らかくなった方ではあるし初対面の時より遥かに寛容なので、ヴィルフリートもそれ以上は何も言うつもりもなかった。


 エリクはというとあまり甘いものは好きではないらしく、甘さ控えめに作ってあるサブレをコーヒーと一緒にちまちま摘まんでいるようだ。

 視線が合うと「これはイケる」と手をひらひら振られた。


 これからはお裾分けというよりは彼らの分も作った方が作業効率が上がるかもしれない、甘いものは脳には欠かせないし……なんて思いながら今後のお菓子の生産について考えていたら、扉が勢いよく開かれた。


 板を叩いたような音と金属が擦れる音にそちらを見れば、エステルが立っている。


 お早いお帰りだ、と思ってエステルの表情を見て――取り敢えず、戸棚にあったフィナンシェの載った皿を手にする。


「お帰りなさいエステル様、お疲れ様です」


 とりあえず、近寄ってお腹がすいて珍しくへばっているのではなく気が立っているらしいエステルの口にフィナンシェを突っ込んでおいた。


 普通なら無礼だろうが、はらぺこマックスの飢えたエステルにエネルギーを与える事の方が優先なので、エステルも気にしないだろう。


 もきゅ、と頬張ったエステルがリスのように頬を膨らませてフィナンシェを収納しているのを苦笑しながら見守るヴィルフリート。

 もぐもぐとしっかり噛んで(ヴィルフリートの言い付けを守っているらしい)飲み込んだ彼女は、またぱかりと小さめに口を開く。すみれ色の瞳には、なにかを渇望しているように見える。


(全部食わせろと)


 お腹がすいているのは分かりきっている、というかお腹の音が主張してくるので、仕方なしにヴィルフリートは手ずからエステルの小さな口にフィナンシェを運んでやる。

 さながら餌待ちの雛のようなエステルに、親鳥気分になったヴィルフリートは苦笑いをしつつせっせとおやつを与えている。背中に呆れた視線が刺さるのは、おそらく気のせいではない。


 流石に喉が乾くのも予想されたので、エステルがどこぞのげっし類のようにはぐはぐ食べている間に、ヴィルフリートはさっさとお茶の準備をしてエステルをテーブルに誘導する。

 カップを温めたり茶葉を蒸らす時間が必要なのですぐには出せないが、エステルが喉をつまらせる前には提供出来るだろう。


「……疲れました」

「様子を見れば分かりますよ」

「別にディートヘルムが悪い訳じゃないですけどね。……とにかく、疲れました。癒してください」


 癒してくれ、と言われても人前であまり接触をするのは……と思ってマルコ達を見ると、二人はどこで通じあってるのかそそくさと扉の方に向かっていた。

 マルコは物言いたげではあったが、エステルがくったりしているのを見て休ませてやろうという判断に至ったらしい。二人して仕事は終わっているので、そのまま帰宅するのかもしれない。


「二人共、」

「偶々席を外すだけだぞ?」

「……同じく」


 マルコが渋々といった雰囲気ながらも追従する。変な気の使われ方をされているのは分かるし逆に気まずいのだが、エステルが安心して気を緩めるには二人きりの方が良い。

 二人きり、という事にマルコは思うところがあるのかもしれないが、エステルが我慢しているのを見たのか、あっさりと廊下の方に姿を消していった。


 ぱたん、と扉が閉まってしばらくして、エステルは隣に座ったヴィルフリートの二の腕にもたれる。


「……式典の準備、ディートヘルムのお手伝いでしていたのです。魔力量の関係で、私が適任だと」

「式典……ああ創立記念の」


 魔導院創立記念の式典が、一週間後に控えている。

 ただ、第二特務室には関係のないものといえる。ここは、本人も言うがエステルのための箱庭であり、隔離するためのもの。わざわざ式典に参加させる訳がない。出席するなと遠回しに伝わってきている。


 だから式典などヴィルフリートにも関係ないし、当日もいつも通りの業務に励むつもりではある。むしろその日は勤務するな、と言われるかもしれないが。


「そしたら運が悪い事に、イオニアスに出くわして」

「……あー」

「私の事ねちねち言うのは良いのです。それは我慢します。でもヴィルの事も悪くいうから、むかむかしたのです」

「言い返してませんよね」

「……無視はしました。事を荒立ててこれ以上ヴィルに迷惑かけたくなかったので」


 気が立っていたのは空腹だけではなく、イオニアスに言い返すのを我慢した事にもよるそうだ。

 ヴィルフリート本人としては目の前で言われた訳でもないし、そもそも言われたところで大して何とも思わない。実力不足と言われたらそうであるし、納得もするのだ。


 それに、エステルが怒っていると、何だか自分が怒る気が失せる。エステルが自分の代わりに怒った、それだけで十分なのだ。


「別に、俺の悪口を言われようと構わないのですよ。まあ何かしら因縁つけられてクビになったら困りますが」

「それはディートヘルムが許しませんし、イオニアスも職権乱用しようとすれば上層部がうるさいのです。私の件もありますので、そう自由って訳でもないのですよ」


 イオニアスは基本的に最終決定権は持っているが、イオニアスの思うままという訳でもないそうだ。王国の運営は王が全て決める訳ではなく宰相達が政策を話し合って決めるように、横暴に振る舞う事は許されないらしい。

 お飾りとも違うが、実権を担うのはディートヘルム達、という事なのだろう。


 ディートヘルムも補佐官という事でイオニアスを幼い頃から指南していたというのもあるらしく、イオニアスもディートヘルムに大きな反抗はあまりしない、そうだ。頭が上がらないというやつなのかもしれない。


「……まあ、ヴィルが良いというのなら、これ以上は何も言いませんが」


 ぐりぐり、と額で二の腕をつついているエステルは、静かにため息をついてヴィルフリートの腕を抱き締める。

 段々くっつかれる事に慣れてきた……とまではいかないが諦めているヴィルフリートは、エステルが満足するまで好きにさせてあげよう、と決めた。


「……ヴィルは、私の部下ですもん」

「あなたの部下ですよ」

「それに、私の大切な人ですもん」

「……ありがとうございます。光栄ですよ」


 どういう意味で大切なのか、エステルの口から聞けたらどれだけ良いことか。


 まあ当分そういう事を考えてもらうのは難しいだろうな、と苦笑して、エステルの掌を握っておいた。

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