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39 ご乱心の理由

 何を言ったか、瞬時には頭が理解できなかった。正しくは理解を拒否した。


(今、何て言った?)


 言葉を噛み砕いて理解を示そうとしたが、脱げという要求に頭がついていかない。


 何故脱げと言ったのか。

 おそらく目的があっての事だとは分かっているのだが、年頃の少女が言って良いことではない。他人に聞かれようものなら誤解されるし、たとえ見知った第二特務室のメンバーに聞かれてたら呆れ返るか破廉恥だと騒ぐだろう。


 恥じらいもなく言ってのけた彼女にヴィルフリートが頬を引きつらせると、どうやら聞こえてなかったと判断したらしいエステルは「脱いで下さい」と繰り返す。

 可愛い顔で大真面目に言われて、ヴィルフリートは絶句するしかない。


「……あ、下は結構です。確認したいのは心臓の方なので。魔力の通りがいいのは心臓に近い位置や頸動脈ですので」


 そこでエステルも言葉が足りなかった事に気付いたのか、付け足しのように目的を口にする。


「本当に紛らわしい言い方しますねあなたは。……前を開くだけで構いませんか」

「はい」

「ならどうぞ」


 言い方に誤解をしかけたが、単にヴィルフリートの魔力を見たかっただけ、のようだ。もう少し恥じらいを持ち言い方を変えて欲しかったが、エステルにその辺りの機微を求めても無駄だと薄々察しているので追及はしなかった。


 それなら拒む理由もあるまい、とヴィルフリートはシャツのボタンを弾き前を開く。

 性別が逆なら問題にも程があるが、幸いヴィルフリートは男だ。上半身を見せるくらいなら特に問題はないだろう。淑女に見せるのは問題だとは思うが、検診のようなものならば拒む事もない。


 あっさりと肌をさらしたヴィルフリートに、エステルはじーっと前をみている。

 見苦しくはない、と自負している。ある程度鍛えてはいるのでしなやかな筋肉がつき、余分な贅肉は見当たらない。エステルも以前服の上から触って硬いと評価したくらいなのだから。


 しばらく眺めていたエステルは、触りにくいからとヴィルフリートに座るように求めた。壁際に移動して望み通りに腰を落とすと、エステルも腰を落とした。

 ただし、向き合うようにして、ヴィルフリートの腿に。


「あ、あの、エステル?」

「こうでもしないとしにくいので。あ、ヴィル、多分ヴィルは見たくないと思うので目を閉じて下さい。あと逃げないで下さい」

「……はあ」


 まあ座られた事がない訳でもないし、必要なら、と自分を無理矢理納得させて、指示通りに瞳を閉じる。


(見たくない、というのは何なのか。何か危険な魔法とかか……?)


 それなら逆に見ていないと不安だと思うが、一体何なのか、ヴィルフリートには分からなかった。


 大人しく視界を閉ざしエステルの動向を窺っていたのだが……ふと、鋭敏になった聴覚が、しゅるんと布が擦れる音を拾った。

 本当に小さな、衣擦れの音。聞こえるのは、目の前。少なくともエステルのスカートとヴィルフリートのズボンが擦れた音ではない。そう、丁度エステルの首元を飾っていたリボンがほどかれたような、そんな位置で。


 それから、硬直したヴィルフリートとても温かくて柔らかいものが押し付けられた。


(――待て待て待て)


 目を閉じていても、それが何かなど簡単に推測が立つ。こんな柔らかくて人肌を持った滑らかな感触など、一つしかない。

 いやまさかと思いつつも、恐る恐る、あくまで確認のためにそうっと薄目を開いて……そのままもう一度瞳を閉じた。


 眼下には、視界の暴力が広がっていた。


 真っ白な果実が押し合いへし合いでぶつかりあって、寄り合った場所に深い陰影が落ちている。

 アラバスターと言って良いほどに透明感のある白い肌は、その柔らかさを存分に見せつけるように形を変えてヴィルフリートの肌にくっついていた。


 大きすぎず、しかし女性の魅力をこれでもかと詰め込んだような、豊かな膨らみ。ただで拝むにはあまりにも申し訳ないような、とても魅力的なそれ。

 ふにょん、と押し付けられる度にまろやかな感触を伝えてきて、ヴィルフリートの中にある色々なものがガリガリと削られていくような音が聞こえた。


 幸いと言えばいいのか、彼女は前を緩めているだけで、裸ではない。胴体部分はビスチェに覆われていて、あくまで胸の上部が見えているだけ。今ほど下着に感謝した事はない。

 それでも柔らかさを発揮する膨らみに、危うく意識が飛びかけた。


 ただ、ヴィルフリートを正気に戻すのはエステルが真剣に体を密着させているという事実だ。

 彼女は、医療行為のような感覚で触れ合っているらしい。ヴィルフリートとしてはこれはなんとかならなかったのかと異議申し立てたい。


「……あの」

「何ですか」

「とてもよろしくない状態な気がしますね」


 気がするのではなくて実際世間体的にもヴィルフリートの精神衛生的な問題でもよろしくないのだが、エステルはその辺りを全く理解してくれなかった。


「我慢してください。……ヴィル、平静になってください。魔力を落ち着かせて」

「落ち着けるか!?」

「きゃっ」


 思わず素で返して肩を掴んで引き剥がした。

 これで平静になれたならばどれだけ女慣れをしているのか分かったものではない。最近エステルと接する事で多少慣れてきたものの、耐性などほぼないし、滑らかな素肌を露にした胸を押し付けられるなんて経験がある筈ないのだ。


 どっ、どっ、とエステルの思惑とは全く逆に心臓が働きすぎて息切れしそうな状態のヴィルフリート。

 剥がすために少し目を開けたのだが、エステルはあくまでワンピースのボタンを盛大に外してはだけているだけで、それ以上脱いでいる訳でもない。タオル一枚よりは遥かにましであるが、直接押し付けられたという点ではそれよりも動揺がひどい。


 エステルは、不服そうな顔も露だ。


「我慢してください」

「俺に何をするつもりなのですか」


 間違っても情事でない事は確かだが、いきなり薄着で体を密着させられたこちらの身にもなって欲しい。

 不慮の事故で体を触れさせたならともかく、何かしらの意図があっての事なのだ。先に説明してしかるべきだろう。問わなかったこちらも悪いのであろうが。


 目のやり場に困りそうな、はだけた姿のままのエステルは、ヴィルフリートの言葉に瞳を瞬かせた。


「えっと、今のヴィルは無意識に制限をかけている状態です。だから、その制限を、パスが繋がっている私がゆっくりと緩めていこうと思いまして。肌を重ねるのが一番良いらしいので、こうして素肌をくっつけているのです。心臓、というか胸が伝えやすいから」


 目覚めさせるために、こうしたらしい。

 それは分かったのだが、ヴィルフリートとしてはもう少し手段がなかったのかと小一時間は問い詰めたい。ヴィルフリートがもし不埒な思いを抱いた男だったらどうするつもりなのだろうか。


(……いや、それをしないからこそ、ここまでなつかれているのではあるだろうが)


 もし、ヴィルフリートがエステルによからぬ事をするような男だったら。

 恐らくエステルは最初から近付いてこなかっただろう。十年前の事件云々の前に、差し出された料理を手につけなかったに違いない。

 魔力で持ち主の感情やある種の性根というものを見抜いているらしいエステルは、既にヴィルフリートの選別を終えていたらしい。安全な人間であるからこそ側に置いているのだ。


 ヴィルフリートとしては、信頼されるのは良いが魔が差す事がないとは断言出来ないので、過度の信頼は止めておく方が向こうにとっても良いと思っている。


「理屈は分かりました。……落ち着けという方が無理ではありませんか」

「なんでですか」

「なんでもです」

「……別に裸じゃないですよ?」

「そういう問題ではなくてですね」

「別に減るものではありませんよ」

「俺の神経と理性辺りがすり減りますので」

「諦めてください、尊い犠牲という事で」

「減った場合犠牲になるのはあなたですからね」


 すり減った結果何が起こるのか分かっているのだろうか、とエステルの認識に危うさを覚えるのだが、本人はどこまでものほほんとしている。


「……これが嫌なら、粘膜接触になりますよ? キスしていいなら手っ取り早いのでそちらに」

「どうぞくっついて下さい。出来るだけ手短にお願いします」


 素早い変わり身だった。

 勿論嫌とかそういう嫌悪の類いではないが、この調子だとしばらく触れ合う事になるだろう。つまり唇を合わせたままになるという事で、それが続くのは、ヴィルフリートにとって心臓によろしくない。


 それならば多少思うところがあれど、まだ密着の方が幾分ましという判断が出たのだ。


 胴体の逢瀬を阻むために掴んでいた肩から掌を離すと、エステルは「そんなに嫌だったんですか」と何だか不満げにしていた。

 不満ではなくて、羞恥とうっかり理性の枷から外れたら歯止めが効かなくなるという可能性を考慮しての遠慮なのだが、エステルに理解しろと言ってもおそらく無理だ。後者はまず無理だろう。


 ほんのりご機嫌ななめになったらしいエステルにはぽん、と頭を撫でる。それだけでご機嫌は取り戻せるので、ヴィルフリートははだけた胸元から目を逸らしつつ宥めておいた。


 元通りのご機嫌になったエステルが、早速ヴィルフリートに抱き付く。


 心構えは出来ていたのでうろたえる事はないが、やはり、女性特有の柔らかさや甘い香りを感じて、もやもやしてしまう。そもそも腿の上に跨がられている状態なのがかなり危険なのだが、本人は全くそんなつもりはないだろう。

 だらりと下げた腕を華奢な背に回せたら、どれだけ良い事か。


「……ヴィル、取り敢えずリラックスして下さい」


 出来ないとは言わせてくれないだろう。

 動揺を表に出さないようにして、ヴィルフリートは静かに瞳を閉じた。


 壁にもたれるようにして、体から少しずつ力を抜く。エステルの魔力を拒まないように、魔力も平常通り回す。

 ゆっくりと染み込んでくるエステルの魔力が、自身の魔力と混ざりあって体の内側を巡っていくのが、何となくだが分かった。


「……ゆっくり、ゆっくりでいいです。体から力を抜いて安らいで下さいね。……私が、導いてあげますから」


 囁き声は、いつもより優しく、甘い。

 ずぶずぶと沼に浸かっていくような錯覚があるのに、苦しいとはちっとも思わない。

 鈴を転がしたような透明感のある声は、甘やかすような、慈しむような、そんな響きでヴィルフリートの体から力を抜いていく。


 力が抜けるに従って、エステルの魔力が内側に滑り込み、ヴィルフリートの意識していなかった部分にまで流れる。

 目覚めさせる、とはこういう事なのだろう。休眠状態で知覚出来なかったそれを、エステルが揺り起こしているのだ。


 エステルの魔力は、例えるならば清流。体を弄られている、とは言っているものの、魔力の質はエステル元来のものそのままなのだろう。

 濁りの一切感じない、澄み切った爽やかなもので、よくぞここまで綺麗に保たれているものだと感心すらする。本人の純真さはここからきているんじゃないかと思うくらいには澄んだものだ。


 それが体の中を巡っているのだから、心地よくない訳がない。

 溺れるのとは違う、ふわふわとたゆたうような、そんな感覚だ。


 ゆっくりゆっくりと知覚出来る範囲が広がっていくのを感じながら、ふと瞳を開いてエステルを見る。

 彼女は瞳を閉じて真剣な表情で、ヴィルフリートと同調しているらしい。まるで眠るような姿にも見えた。


 ヴィルフリートもまた、瞳を閉じる。

 それだけで心地好さはまた増えて、体を内側から清められている感覚が満たす。少しだけ意識の端からほどけて眠ってしまいそうになったが――しばらくすれば、エステルはゆっくりと体を離した。


「……一応、これだけすれば概ね目覚めたと思います。何か、お腹すいたーとか眠いとかそんな欲求とか、減った感覚はありますか?」

「今のところ、特にといって」


 エステルの心配していたはらぺこであるが、こちらは全く感じない。

 エステルの燃費の悪さはあくまで何十人もの子供を犠牲に無理をして体を弄った結果らしいので、多少エステルに広げられた程度のヴィルフリートが感じるものでもないだろう。


 眠気に関しては、エステルの魔力が心地好くてややうとうととしてしまったものの、こちらも体によるものではなかった。


「それならよかった。……恐らく、しばらくは魔法の使い勝手が違って慣れないとは思いますので、魔法の前に体の感覚を把握する事に努めてください。慣れたら使って体に覚えさせていく方針でいきましょう」

「そうさせていただきます。……なら、今日はこういう風に訓練室は借りなくても良かったですね」


 大きな魔法を使わないのだから、わざわざここに来なくても良かったかもしれない。結果論ではあるが、無駄になったのも事実だ。

 エステルに手配させてしまった事が無駄になったのが申し訳なかったのだが、本人は気にした様子もなさそうだった。


「そうでもないですよ。私としては、気兼ねなくヴィルフリートの側に居られる場所の一つですもの。ゆっくりできますね」


 どこまでも無邪気に微笑んだエステルに、ヴィルフリートは少しだけ唇を結ぶ。


 狙いもなにもない、ただ本心を言っていると分かっているからこそ、破壊力も大きいものだ。

 エステルとしては見張りなしに静かに過ごしたい、という心持ちなのだろう。ヴィルフリートの側に居たい、というのも親愛からくるものだ。


 もう何も言うまい、と羞恥がじわじわ湧き出てきた頬をそのままに、ヴィルフリートはただエステルの頭を撫でた。

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