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38 特訓と上司様のご乱心

 エステルに貸してもらった訓練室は、部屋一面に特殊な加工がしてあるのか、立っていたら魔力が弾かれるようなそんな感覚を抱く。

 魔力を流さない材料を幾つか配合して出来たらしい部屋は全面白色で、清潔感はあるが、人を拒むような雰囲気を漂わせている。エステルはこんな場所で一人で練習をしていたらしい。


 慣れた様子で部屋をロックしているエステル。きっちり鍵を閉めているのは、エステルがデモンストレーションをした際に外に漏れてはならないからと、ヴィルフリートがあまり人に見られたくはないからだろう。

 エステル専用の訓練室に近付くような命知らずは居ないと思うが、その配慮はありがたかった。


「これでいいですよ。まあこの区画に近付ける人はそう居ませんし、わざわざ来る人なんてもっと限られています。来たとしてもディートヘルムくらいですよ」

「出来れば来ないでいただきたいですね」

「教えるのはディートヘルムの方が圧倒的に上手ですよ」

「何を言われるか分かったものではないので。からかわれるでしょうに」

「それはあるかもしれませんね」


 エステルの師であるディートヘルムが教える事に長けているのは百も承知であるが、ディートヘルムの休日を割いてもらえるような仲ではないし、そもそも苦手意識は残ったままだ。

 借りを作るくらいならば、罪悪感はあれどエステルに付き合ってもらう方がずっと良い。


 それに、ヴィルフリートの個人的な事情ではあるが……ヴィルフリートも男なので、年上の男と共に過ごすよりは、自分の懸想する可愛らしい少女と過ごした方が、精神的にも健やかなのだ。

 やや苦手な男と親しい少女、どちらに天秤が傾くなど決まりきった事である。主な理由はあくまでディートヘルムに借りを作りたくない、からかわれたくはない、共に長時間過ごすには苦痛、といったものだが。


「私はディートヘルムにからかわれる事はあまりありませんから、ある意味ヴィルはお気に入りなのかもしれませんね」

「勘弁してくださいよその気に入り方」

「あの人は分かりにくいようで案外分かりやすいのですよ」


 流石長年師と仰いできただけの事はある、とは思ったものの、好んで近寄りたい訳ではないので適切な距離を保とうと心に誓っている。


「……まあ、ヴィルがディートヘルムを苦手なのも分かってますので、私がディートヘルムくらいに教えられるように努力します」

「はい、よろしくお願いします。……師匠と言った方がいいですか?」

「なんだか気恥ずかしいのでいつも通りが良いです。私も未熟者ですから」


 どうやら師匠と呼ばれるのは気恥ずかしそうなエステルに、ヴィルフリートは苦笑して彼女のほのかに赤らんだ頬を眺めた。




 エステルに師事する、という事ではあるが、取り敢えず教えるにも実力を把握しなければならない、との事で、エステルの前で魔法を使う事になった。


 第二特務室に配属されてから、数ヶ月。

 この間エステルの前で魔法を使った事はない。正しくは、攻撃的な魔法を使った事がない、だが。


 伝達魔法や生活魔法などを使う事は当然ある。日常生活を豊かにするための魔法の使用は惜しまなかったし、魔力を授かったものなら当然だろう。庶民のヴィルフリートなら、尚更使用頻度は高いのだ。


 エステルとしても一度ヴィルフリートの実力を見たかったらしく、ヴィルフリートの後ろでのんびりとヴィルフリートが魔法を繰り出すのを待っていた。

 熱心に見守られながら魔法を扱う、というのはいささか気恥ずかしかったものの、指導してもらうから今更だろうと諦めて、体に巡る魔力を意識する。


 幼い頃に比べて、随分と増えている魔力。

 エステルほどではないものの、保有魔力だけなら一級でも群を抜いていると言われるもの。しかし、第二特務室に入ってからはその真価を発揮することもなくただ無駄にしていた。


 どのくらい出来るのか、という挑戦ではあるので、自分に扱える範囲で魔力を消費して魔法を生み出す。


 実力を見せる、となれば分かりやすい形が良いので、炎を選んだ。

 いつかみたような白炎は、ヴィルフリートには出せない。エステルやイオニアス以外、あのような芸術とも言える美しい死の炎を生み出す事はままなるまい。

 あの極致に達するには、どうしたらいいのか。


 そんな事を思考の隅で考えながら繰り出した魔法は、青い炎となって視界を拭うように広がる。


 目を焦がすような紅蓮ではなく、いっそ落ち着きを誘うような、蒼穹を思わせる蒼炎。しかし一度触れたならば間違いなく存在ごと焼き尽くすだろう。

 ゆらゆら、と風がないのに揺れる様は、不思議と幻想的な雰囲気を醸し出している。


 圧倒的な存在感を放つ炎に、ヴィルフリートは少しだけ眉を寄せる。

 熱さからでも、眩しさからでもなく。

 ――自分の至らなさに。


「……ヴィル、何だかちょっと魔法に揺らぎがあります」


 エステルは、ただ生み出された炎を見て、そう呟く。

 そう、完璧のように思えるその蒼炎は、術者であるヴィルフリートから見れば穴があるのだ。穴、というよりは違和感、淀みのようなものと言えば良いだろうか。


 以前にはなかった、ゆらぎ。


 その全てが悪影響を及ぼしているとは思わないが、どうもしっくりこない感覚がある。十全ではない、とは断言出来る。

 威力が弱まった訳ではなく、むしろ強くなったからこそ制御から漏れている、とも言えるかもしれない。


「ご明察です。流石エステル」

「その、何となくですよ。理由は分かりますか?」

「……調子が悪いというか、ここ最近出力の調整があまり上手くいかないのですよ。前はそうでもなかったのですが」


 魔法は制御してしかるべき。

 制御出来ない威力のものを放つなど、魔導師にとっては恥だ。元々制御しない設計の魔法ならともかく、操る事を最初から前提とする魔法ならば操れて当然なのだ。


 今目の前の炎は完全に制御から外れている訳でもないが、完全に意のままに操れはしない。前ならば手足のように振るえたものが、今は道具を扱うような感覚になっている――というのが近いだろう。

 少しずつ制御の感覚を取り戻してはいるが、万全に至るまでには時間がかかる。


 魔力の供給を止めれば、その蒼はかき消える。


 エステルは、少し思案顔をして、炎があった空間を見上げた。


「うーん。……あ」

「あ?」


 何か思い当たる事があったらしい。

 やや、気まずげにこちらを見る。


「……んーと、私に影響されてるかもしれません」

「エステルに? 何故エステルが?」

「多分、ですけど、私とヴィルはパスがあるというか、魔力を流しやすいんです。基本ヴィルから私に流れますが、逆もあり得るのです。私の魔力が、ヴィルを刺激してるのではないでしょうか」


 エステルが言うには、ヴィルフリートとエステルの間にはもう完全に魔力を通すようなパスが出来ているそうだ。十年前の事をきっかけに、食事やふれあいでそれがどんどん拡張されて固定されたらしい。


 だからこそ、エステルはくっつくと心地良さそうにしている。

 密着は、魔力の恩恵を受け取るためなのだろう。流石に現状で何度も口づけを許すつもりはないので、皮膚接触をしているらしい。単純にエステルが人肌好きなのも大きな要因だが。


「異物としてなら反発して体調不良を起こすというか、最悪死ぬのです。ですから、あの時命懸けだった訳で。まあそれは置いておきますが、私の魔力はあなたにもとてもよい効果を発揮します。あなたの内側で溶け込むついでに何らかの影響を及ぼしているのではないでしょうか」

「……なるほど。俺の影響に心当たりが?」

「うーん、確かめてみない事には分かりませんが、ある程度の見当はつきます」

「見当とは」

「そうですね、まあ幾つかありますが……私に十年前に起こった事の擬似的かつ縮小版が起きている、とか」

「え?」


 思わず聞き返す。


「魔力を司る機能が拡張というか成長というか、……この場合だと、多分解放……でしょうか?」

「……ちょっと待って下さい、あれは」

「ええ。そもそもあれは能力の向上を目的としたものです。魔力の性質が定まりきらない子供、尚且つ似たような魔力の持ち主限定。まあその辺はいいのですが、要するにヴィルは儀式の最中に私が思い切り魔力を流した、結果ヴィルまで強化されていたのでは、という事です」


 寝耳に水とはこういう事だろう。

 十年前の事件はエステルから聞いたしエステルの力が増したのは分かるが、まさか自分にまでそれが及んでいるとは露にも思わなかった。


 いや、思い返せばもしかしたら、という事はあったのだ。

 あの事件の後、異様に調子がよかった事。しばらくすれば落ち着いたが、以前よりも扱える量は増えていた。危機的状況に体が反応したものだとばかり思っていたが、指摘されてみればその可能性も否定できないのだ。


「その事件の時に、刺激して成長させたものは事件後休眠していて、私と接するようになって目覚めた――というのもあり得るのです。あ、でも私ほど無理はしてない筈ですよ。あくまで、私は命を繋ぐために流した程度で、刺激しただけです。私みたいな大規模な改造はされていません。成長を手助けしただけで、伸びたのはヴィルの才能ですから」


 ヴィルフリートの表情がやや歪んだのに気付いたらしく、エステルもあわあわと落ちつきなさげに手を振っている。

 別に不快に思ったとかそういうものではなかったのだが、ヴィルフリートが落ち込んだと思ったらしくエステルはぎゅ、と腕にしがみついてきた。


 不安げに見上げるエステルの姿に、ヴィルフリートはそっと苦笑を落とす。


「別に落ち込んでる訳ではありませんよ。ただ、自分に起こっていた事を今知らされてびっくりしているだけです」

「それなら、良いのですが」


 安堵したエステルが腕にくっついたまま、指を絡める。

 まるで恋人のような触れ方に思うところがなかった訳でもないのだが、エステルが思いの外真剣に触れて、それから微弱に魔力を流してくるので、何か意図があるのだとそのままにしておく。


 確かめるように内側を探られる感覚があったが、嫌なものではない。例えるなら、抱き締められて優しく頭を撫でられるようなものに近い。

 心地好さすら覚えるのは、エステルの魔力だからだろう。十年前の内側を引っ掻き回されるような感覚とは、全く違った。


 しばらく探っていたエステルは、ゆっくりと離れて小さく吐息を落として。


「やっぱり、不調の原因は私との接触です。十年前に強化されたまま眠っていた魔力が私との接触で目覚めつつあるので、制御に手間取ってる感じです」

「……つまり、まあ、強くなると?」

「ざっくり言えば? 不調は、ええと溜め池に加えて水路が広がってしまっていてどれくらい水を流せばいいのか、体がまだ馴染んでないせいで分からない、みたいな感じです。なので、先に完全に目覚めさせて、そのあとにその体に慣らす事を始めたら良いと思います」


(なるほど、それなら上手くいかなかった事にも頷ける)


 伝達魔法や生活魔法には影響があまりなかったが、大きなものだとゆらぎも大きくなる。

 先程の魔法が本調子でなかったのもそのせいだろう。今まで通りに扱おうとしたら扱う機能そのものが変わっていたのだ。今まで子供だった人間がいきなり大人の体を与えられたらそりゃあ戸惑うし上手くいかない、たとえるならそんな感じなのだ。


「では、どうやって目覚めさせるのですか」

「そうですね。じゃあ、ヴィルフリート」


 魔法を扱っていたら自然と起きてくるのだろうか、と考えていたヴィルフリートは、ふとエステルがこちらに手を伸ばすのが見えた。

 そっと、エステルからすればヴィルフリートの大きな掌を、彼女の両掌が包み込む。


 まるで祈るような体勢だ、と思ったのも束の間。

 エステルはすみれ色の瞳を細め、まっすぐにヴィルフリートを見上げる。


「脱いで下さい」


 ヴィルフリートの手を握った彼女は、とても大真面目にそう言った。

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