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37 部下君は成長をご所望です

 基本的に、休日のヴィルフリートは実家の手伝いに行くか一人で静かに過ごす。

 元々インドアというか魔法の研究をしたり腕を磨いたりする事に時間を割く男なのだ。一人の方が気楽と思う節がある。


 だが、エステルの存在は 別に苦にはならない。

 そもそもエステル自体口数が多いという訳ではないし、ただ側に居るだけで充分に満足するらしい。


 時折くっつかれてほんのり甘えられるが、それを払う気にはならないし、むしろ構ってあげたいくらいには懐に入れているのだ。そもそも恋情を抱いた時点で、どこまでも受け入れるつもりではあるのだが。


 そんな訳でエステルとなら休日を共に過ごしても心地好いと思っているヴィルフリートは、少し考えた結果、珍しく自分からお誘いをする事にした。


「エステル、ちょっと今度の休み俺に付き合ってくれませんか」

「いいですよ」


 夕食を終えて切り出せば、エステルは即座に承諾した。

 まだ用件も言っていないというのにあっさりと頷いて嬉しそうにしているので、エステルも暇をしていたのだろう。それにしても少々軽率すぎやしないか、とは思うのだが。


「用件は聞かないのですね」

「ヴィルのお願いですもの」


 にこにこ、と屈託のない笑顔のエステルに、何故だか自分が悪いことをしているような、気まずさを覚えた。


 エステルの期待するような、ほんのり甘いようなゆったり空間で過ごすという訳ではない。しかも自分の都合でエステルに助力を願うのだなら、罪悪感も少し覚えるのだ。


「あー、その、俺の鍛練に付き合って欲しいんです」


 ヴィルフリートの頼みは、楽しいものではない。

 むしろエステルには無駄に疲れさせてしまう事だ。


 意外だったのかきょとんとすみれ色を丸くしているエステル。


「鍛練、ですか?」

「ええ、まあ。……俺は弱いです。あなたほど強くなれるとは思いませんが、強くなりたいのですよ」

「別にヴィルは今のままでも充分だと思うのですが。 一級ってそう簡単にはなれませんよ」

「あなたは特級でしょうに。……あなたの側に居るなら、出来るならば、特級になれるくらいの実力は欲しいのですよ」


 理由としては、やはり筆頭魔導師の夢は諦めきれない……というよりは、いつの日か筆頭魔導師に就任するだろうエステルの側に居るためだ。


 筆頭魔導師の側に居るためには、補佐官になる必要がある。


 つまり、現筆頭魔導師補佐官であるディートヘルム並の実力が求められるのだ。


 エステルがとりなして補佐官に任命される可能性もなくはないが、実力でその隣に立つべきだろう。

 ディートヘルムが続投するかもしれないのだから、それを押し退けられる、もしくは二人起用するくらいに、ヴィルフリートの実力を磨かなければならないのだ。


 悔しい事に、今のヴィルフリートでは特級魔導師には届かない。

 だからこそ、エステルが今の役職に居る間に、認められなければならなかった。彼女の側に居るために。


「私は気にしないのに。側にいてくれたら、それだけで」

「俺の沽券に関わります。……守れるくらいに強くなりたいんですよ」

「ヴィルは私が守りますよ?」

「……不相応だとは分かりますが、俺が、あなたを、守れるくらいになりたいんです。……あなたに説明しても、多分ぴんとこないから説明しませんが、とにかく腕を磨きたいのです。本来あなたに教えを乞う自体間違っていますが、他に頼める方が居ませんし」


 エステルと同等若しくは上の存在となると、数は限られる。イオニアスは論外。エステルの師であるディートヘルムは、借りを作ると何かしら面倒そうであるし、にやにやされそうだ。

 守りたい本人に指南を乞うのは、恥ずかしさもある。しかし、手段は選んでいられないだろう。


「……そういうものですかね? まあ、私でよければ」


 エステルはさして疑いもせず、お任せあれと微笑む。

 守りたいのは嘘ではない。支えたい。側に居たい。そんな感情が、エステルが想像しているよりも強い、というだけだ。


 まあ当分分からなくても良いだろう、と苦笑したヴィルフリートは、お礼の先払いでキンキンに冷やしておいたシャーベットを提供する事にした。






 休みの日、エステルの元にヴィルフリートは向かっていた。

 理由は簡単で、そもそも魔法を街中で使う訳にもいかないので魔導院の設備を借りる事にしたのだ。なんでもエステル専用の訓練室が用意されているらしい。


 実に贅沢だと思ったが、設置された理由が『一般の設備ではエステルがちょっと真面目に魔法をふるうと倒壊するので、広さと特殊な措置を施した設備でないと練習出来ない』だそうなので、仕方ない措置と言えよう。

 本気のエステルはどれだけの馬火力なのか、想像つかなかった。


「あ、ヴィルフリート、いらっしゃい」


 城に専用の住まいを与えられているエステル。

 一応場所としては以前聞いた事があったが、実際に脚を運ぶとなるとやや緊張する。ヴィルフリートが女性の家を訪ねるなんてまずないのだ。


 玄関代わりの扉を叩けば、まだ眠いのか眼を擦りつつドアからひょっこりと顔を覗かせたエステル。まだ着替えていなかったのか寝間着らしい。

 ゆったりとしたネグリジェは、体型も肌もそこまで出ないので目のやりどころに困るという訳ではないが……ちょっとだけ、視界にはよろしくない。


 ドアの向こうには、エステルの部屋。

 女の子の部屋、と言うと何だか緊張してくるものの、あがる用事はないのでドアの前で待つ事にする。さすがに、部屋にあがるのは抵抗がある。


「……寝起きですか?」

「んー……一応起きてたんですけど、こう、うとうとーっと」


 うとうとー、と言いながら目の前のヴィルフリートの胸にぽすんと顔を埋めたエステルに、勘弁してくれとヴィルフリートは額を押さえた。

 まだ廊下だというのに、こうくっついている姿を人に見られたらあらぬ誤解を招く。互いのために、それだけは避けておきたい。第二特務室の面々に知られるのとはまた違うのだ。


「……眠いならまた今度にしますか?」

「いえ、起きまふ……顔を洗えば目も覚めるので……居間でちょっと待ってて下さい」


 え、と言った時には、ヴィルフリートはエステルの部屋……といっても居間に通されていた。奥に寝室やら何やらがあるらしく、幾つか扉がある。

 構造的に部屋が幾つかあるのはなんとなく分かっていたが、やはり広いし調度品は高級そうなものばかり。座るように促されたソファも、自宅とは全く比べ物にならないふかふかで張られた布地も手触りがよい。


 家主はというと、ふらふらと着替えを持って別室に移動していた。どうやら、そちらに洗面所があるらしい。


 ぱたん、と扉が閉まる。

 扉の向こうではエステルが着替えている、そう思うとやはり気まずく、手持ち無沙汰に持ってきた昼食入りバスケットを眺め、そっと溜め息。


 しばらくすれば、エステルも着替え終わったらしく扉から出て来て――取り敢えず、ヴィルフリートはもう一度溜め息をついた。


「エステル、櫛」

「え?」

「まだおぐしが乱れております。俺がしますから」


 上品なワンピースをまとっている、それは良い。ただ、髪がやや残念な事になっていた。

 ぴょこんと跳ねている髪はある意味アクセントではあるが、元々ふわふわと柔らかく波打つ髪ではただ乱れているように見える。乱れていても可愛いとは思うが、折角なので整えるべきだろう。


 普段はどうやって整えているんだ、という疑問を抱きつつも手招きをすると、エステルはぱあっと顔を明るくしていそいそと櫛を携えヴィルフリートの隣に腰掛けた。

 櫛を手渡して背を向ける彼女は、ほんのりと楽しそうである。


(……俺から言った事だが、髪を触らせるという事は本来極親しい人にしか認められないんだけどな)


 しかしそこを指摘する気にもならなかったし、今までヴィルフリートも触ってきているので、話題としては触れない事にする。気を許している、そういう解釈をしておいた。


 滑らかな艶を放つ薄桃色の髪は、指を通すと引っ掛かることもなく落ちていく。これだけ細いと絡まりそうなものだが、不思議とするする指が落ちていくのだ。

 ほんのりと甘い香りのする髪に少しだけぼうっとしてしまい、エステルがこちらに頭を預けさせるようにして見上げてくる。


「どうかしましたか?」

「い、いえ、……ただ、いい匂いがするな、と」

「そうですか? 石鹸か香油の匂いでしょうか。私はヴィルの匂いが好きですけど」


 ヴィルフリートを仰ぎ見るエステルは、そっとヴィルフリートの頬に触れて微笑む。それだけで胸が疼くのは、おそらく好意のせいだろう。

 あまり触られていると髪のセットに手がつかなくなるので、なるべく内側から滲み出てくる羞恥を表に出さないようにして、そっとエステルの体勢を元通りにする。


 ややつまらなさそうにしていた彼女だが、ヴィルフリートが髪をくしけずる事を再開すれば上機嫌で姿勢を正す。

 口に含めばいかにも甘そうな春の髪を櫛で整えていく、これだけで心臓がいつもより早くなった。


「……一部まとめてもよろしいですか?」

「ヴィルがしたいようにしてくれて構いませんよ」


 手先の器用なヴィルフリートに任せる、という事だろう。

 お言葉に甘えて、ヴィルフリートはさくさくと髪を編み込みのハーフアップにしておく。何故出来るかと言えば、実姉の髪を弄らされたからだろう。母や姉に弱くこき使われるのはいつもの事である。


 束ねるリボンやピンも用意していたらしく、手渡されたそれで固定し結えば、いつもよりもお嬢様らしさのでたエステルがそこに居る。


 元々振る舞いは無邪気であれ上品な所作をしているエステルだ、静かに背筋を伸ばしてソファに腰かけていれば、正真正銘の淑女だろう。……ただまあ、笑顔でヴィルフリートにくっついてお礼を言っているので、淑女感は台無しになっているのだが。


「似合いますか?」

「ええ。そうしているとお嬢様らしいです」

「まあ普段はそうは見えないかもしれませんけどね、そこは自覚してます。……ふふ、褒められちゃった」


 はにかむエステルは、上機嫌も露に立ち上がって、ヴィルフリートに手を差し出す。

 普通なら手を差し出すのは逆であろうが、今日はご機嫌なお嬢様に連れ回される従者のように見えるだろう。


「さ、訓練場に行きましょうか。今日はとことんヴィルに付き合いますからね」

「……ありがとうございます、エステル」

「いえいえ。私にも得がありますし」

「得、ですか?」

「今日一杯はヴィルと過ごせるんですもん」


 どこまでも無邪気に告げられた言葉に絶句して、それからヴィルフリートは小さな掌に自分の掌を重ねた。

 掌に宿った熱が気付かれない事を祈って。

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