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34 真相の裏側

「……ディートヘルム閣下」

「おや、君から訪ねてくるとは珍しい事があるものだ」


 エステルから真相を聞かされてから数日。

 ヴィルフリートは、ディートヘルムに宛がわれた執務室を訪れていた。

 筆頭魔導師補佐官には専用の一室が与えられており、そちらで仕事をする事も多いそうだ。実務は筆頭魔導師が、書類仕事は補佐官が、といった感じに割り振られているらしい。


 イオニアスとは顔を合わせたくなかったため都合がいいのだが、ディートヘルムと一対一で相対するのは、なんというか非常に度胸が必要だった。


 ディートヘルムは緊張気味のヴィルフリートの姿に少し瞠目したものの、いつもの意味深な笑みを浮かべてあっさりと招き入れた。

 ソファを勧められてぎこちなく腰かけると、ディートヘルムもまた正面に腰掛ける。


 そこで改めてディートヘルムを見たが、以前見た時とは印象が違った。


 ヴィルフリートにとってディートヘルムは狡猾で老獪な人間で血も涙もない男だと思っていたのだが、全てを知った上でこうして見ると、存外穏やかそうな人間に見える。

 多少嫌みなところは見えるが、人を陥れる事を趣味にしているなんて噂が嘘のよう、というか実際嘘なのだろうが、とてもそうは思えなかった。 


 それから、威圧感からもっと年齢を重ねているかと思っていたが、思ったよりも若かった。緩い笑みを浮かべている彼は、三十代前半といったところだろうか。

 エステルから真実を聞いてみれば、確かに十年前ヴィルフリートを助けた青年は二十代前半で、年の頃は一致していた。


「……その。……十年前に助けていただきありがとうございました」


 命の恩人に、そして憧れていた男に会ったらずっと言いたかった事を、口にする。

 相手がまさかディートヘルムだとは思っていなかったが、真実を聞けば感謝の気持ちを素直に口に出来た。


 きっちり頭を下げたヴィルフリートに、ディートヘルムは少し困惑するような気配を漂わせる。


「おや。エステルから聞いたのかね」

「……はい」

「それでわざわざ私に礼を言いに来たと。律儀だね君も、私の事が嫌いだろうに」


 今までが今までだったので、ディートヘルムもヴィルフリートが苦手意識を抱いていた事はよく分かっているのだろう。


「……嫌い、とまではいきませんよ、今では。あなたには感謝の念は覚えていますし、あなたに憧れて俺は魔導師を目指しました。あの人に助けてもらったお礼を言いたくて魔導師になったのですから、お礼は言うべきだと思って」


 たとえディートヘルムが苦手であろうが、人生の目標にはなった。あの日、逃れようのなかった暗闇を切り裂いて光を与えてくれた彼に、ヴィルフリートは間違いなく憧れたのだから。

 人生の指針を与えてくれたディートヘルムに、彼は感謝していた。それこそ、最初から言ったならば素直に従ったくらいには。


 頭を上げた時、ディートヘルムは本当に意外そうにヴィルフリートを見ていた。


「そうか。……むしろ責められると思っていたんだがね。ラザファムの凶行を薄々察していながら最後まで止められなかったんだから」

「……それは、あなたが悪いとは思いません」

「まあ君がそう思うなら好きにすると良い」


 ディートヘルムは、感謝を受けとりはしたがそれ以上はしなかった。

 ヴィルフリートにとって、それでも充分だった。礼を言いたかったのは自己満足であり、その後ディートヘルムに何かアクションを求めるつもりもない。ただ、心からの気持ちを伝えたかっただけだ。


 真っ直ぐに射抜く眼差しに、ディートヘルムは少しだけ瞳を伏せ、嘆息をこぼす。


「私は今でも後悔しているよ、何故止められなかったのか。お陰でイオニアスとエステルという重責を負った子供が生まれてしまった。私が彼の認める実力があれば、ただ私が筆頭魔導師になっただけだっただろうに」


 一瞬だけ、ディートヘルムは悔しそうに唇を噛んだのを、見逃さなかった。

 それは無力さを思い知ったような顔であり、そして、ここには、この世界には居ないであろう元凶に向けての憎悪が、揺らいでいた。


 すぐに雲散霧消したものの、初めてディートヘルムが包み隠さぬ本心を露にしたものだ。


『ヴィルフリートが思うよりも、ずっと、真面目で思慮の深い方ですよ』


 かつてエステルが言った言葉を思い出し、それが正しいのだと今実感した。

 彼は、誰に言うでもなく真実を隠しエステルとイオニアスを守り、そして幼かった二人に逃れられない重責を強いてしまった事を、一人で後悔し続けていたのだ。


 普段何でもないように振る舞っている彼は、またその心を押し隠すようにいつもの読めない笑みを浮かべる。


「まあ良い。取り返しのつかない事だ。それに、君にとってはある種あの事件に感謝しているだろう、あれのお陰でエステルと出会えたのだから」

「……一つ聞いてもよろしいですか」

「私に答えられる範囲でなら」

「最初から俺が十年前の事件に関わっていると知って、第二特務室に飛ばしたのですか」


 エステルから聞いた事を確認するように問いかけると、ディートヘルムはあっさりと頷いた。


「そうだな。私が君を誘う前に一度会っただろう。あの時に十年前の事を言ってから持っていたデータと照会して、エステルの助けた人間だと分かったからね」


 初めて会った時の会話から、全ては始まっていた。

 あの時にディートヘルムに十年前の事を聞かなければ、今の状況はなかったのだろう。


「十年前の生き残りで魔力が使えるとなれば、イオニアスが興味を示しかねなかった。だから、一度私の手元に置いておこうとしたのだが……君のプライドをいたく傷付けてしまって突っぱねられたがね」

「……それは」

「私はやり方が強引なのは自覚しているよ。……だから、私は君をエステルの元に飛ばした。イオニアスは普段筆頭魔導師の職務で忙しいし、こもりきりだ。実際の権力だけでいえば私が魔導院では上であるし、イオニアスでも手出し出来ないようにするには私の機嫌を損ねた形にするのが一番だと思ってね。いつも私が関わった者に手出しは出来ないようにしているから。第二特務室にはレティーツィアという前例も居るからね、イオニアスの目も欺きやすかった」


 まあ、それにエステルも望んでいた事だ。

 そう小さく呟いたディートヘルムに、先日エステルが「それはその……ディートヘルムは、昔の私の言っていた事を覚えていたのだと、思います」と言っていた事を思い出す。


 エステルは、ヴィルフリートを探していたのだろうか。

 あの時にあった事を思えば、確かにもう一度会いたくなるのも分からないでもないのだが……それだけでエステルが隠そうとするとも思えない。それだけならば普通に会いたかったですと彼女は言うだろう。


 しかし詳しく聞く前に、ディートヘルムはそっと溜め息をついた。


「……結果的に私の目論みは大成功だったようだ。エステルは君になついたし、君は真実を知った。その上でエステルの側に居る事を決めただろう」


 どうやら、ディートヘルムはこうなるように働きかけていたようだ。

 ヴィルフリートの存在を知った時から、エステルの側に行くようにした。エステルがなつくのも、ヴィルフリートが真実を知るのも、そして知った上で彼女の側に居るのも、ディートヘルムの予想していた事らしい。


「何もかもあなたの掌の上ですか」

「いいや。エステルが君に大きな好意を寄せたのは想定外だったよ。イオニアスの抑圧があったからこそなのだろうが、君が私が思うより誠実で懐深かったのが原因だろうね」

「……料理につられたのもありますよ」

「彼女は、見抜く事に長けている。あの事件以降、込められた感情や魔力を感じられるようになってしまったからこそ、ああして近寄る人を選ぶのだよ。悪意あるならばそもそも料理に手をつけない。君はそのエステルに認められて好かれているのだから、誇っても良いくらいだ」


 好かれている、というのは異性としてなのか人としてなのか。間違いなく後者だとは思うが、それでもヴィルフリートとしてはやはり嬉しかった。


「君が側に居るようになって、エステルはよく笑うようになった。エステルの変化は私としては願ってもない事であり、素直に喜んでいるよ」

「……そう、ですか」

「おや、私がしていた事に文句は言わないのか」

「……エステル様と出会わせてくれた事には感謝しておりますので」


 たとえ、ディートヘルムの思惑通りになっていたとしても。


 ヴィルフリートは、エステルに会えた事を感謝していた。

 エステルは、自分のもう一人の命の恩人であり、生き甲斐を与えてくれた、魔法に心血を注いできたヴィルフリートに抱いた事のない感情をもたらしてくれた。


 とても人には言えないような感情()ではあるが、確かにそれは胸の内で息づいている。

 当分、本人にも言えないようなものであり、押し留めておくつもりであったが――。


「ふむ。惚れたか?」

「んなっ」


 ディートヘルムが悪気なく問いかけた言葉に、ヴィルフリートは言葉をつまらせた。


「いい、みなまで言うな。私はそこには関与するつもりはないし、私の邪魔にならない限りでエステルが喜ぶならそれで良いとは思うから」


 咳き込みそうになっているヴィルフリートに、ディートヘルムはややにやりとした笑みを口許にたたえている。

 まるで子供達を微笑ましく見守るような笑みではあるのだが、どうもディートヘルムが浮かべると何だか心をささくれ立たせる。何も言われていないのに揶揄されている気分になるのだ。


「……ディートヘルム閣下は、エステル様の何なのですか」

「前にも言っただろう。そうだな、付け足すなら……私にとって可愛く危なっかしく放っておけない子供、と言うのが良いかね」


 エステル曰くディートヘルムには昔から世話になっているとの事で、エステルにとっては師のような存在なのだろう。それは、ディートヘルムも一緒で、彼女を可愛がっているようだ。


「……娘のように可愛がるなら、言葉で先に言っておいてくださいよ」

「次からはそうしよう。君が誤解してエステルと拗れてもたまらないからね」

「……っ」


 どうして一々余計な解釈をするのか、と呻きたかったが、これ以上何かを言われてもたまらないので押し黙るヴィルフリート。

 そんな彼に、ディートヘルムは何もかも見通したようにいつもの悪どい笑みを浮かべるのであった。

これで三章は終わりとなります。次から四章に入ります。

四章は二人の距離を更に縮めるのがメインになります。今後とも応援していただければ幸いです。

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