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32 十年前の真相

 イオニアスの嘲笑に近い声が、耳に未だに残っている。


『……君がこれをどう思うかは自由だけど、疑念の種は咲いただろう。さあ、悩むといい。私とあれの関係を、どうして互いに嫌っているかを、エステルは何を隠しているのかを。……一人で抱えて悩んでも、直接本人に問い掛けても良い。どちらにせよ、私はそれが楽しくて仕方ないからね』


 美しい、エステルそっくりの顔で、酷薄な印象を抱かせる嘲りの笑みを浮かべたイオニアス。


 エステルのようで、しかしエステルとは真逆の雰囲気を持つ男。顔立ちだけは春の日差しのようなものなのに、浮かべるものは冷気を漂わせる。

 苛烈な性格、という評価は恐らく間違っていないだろう。


 同じすみれ色の瞳で見つめられただけなのに、気圧されて冷や汗が流れる。ディートヘルムと対峙してもこうはならないのだが。

 独特の威圧感と、本能的に近寄るべきではない、と体からの警告に、ディートヘルムを押し退けて苦手な人物一位に躍り出ていた。


(――エステル様と、イオニアス様の関係)


 流石のヴィルフリートも、あれだけ顔が似ていて尚且つ互いに知った風だったから、どんな間柄なのかは推測は立つ。

 ただ、憶測でものを言いたくもない。


 本人に聞く事は、おそらく傷付ける事に繋がるだろう。

 聞かずとも自分がエステルにぎこちなくなれば、イオニアスとしてはそれで満足らしい。


 どうしたら良いのか、悩んで――ヴィルフリートは、一つ決めた。

 



「……エステル様」


 第二特務室では口にしなかったが、気兼ねなく話せる自宅で、ヴィルフリートは口を開いた。

 エステルはイオニアスの呼び出しから帰って来ても何も言わなかったが、今ここで静かに名前を呼ぶと、察したらしく眉を下げて微笑んだ。


「私とイオニアスの事を聞きたいのですね?」

「……はい」

「元より覚悟はしていましたから」


 もう、隠そうとはしていなかった。


 正直なところ、聞いて良いのか、今でも分からない。


 けれど、ヴィルフリートはエステルの事が知りたかった。

 エステルの事を傷付けたくはないと思うのに、それと同時にエステルの隠している秘密を知りたかった。

 エステルにどんな秘密があろうが今更態度を変えたりしないという自信があったのも、踏み込む決断をさせた一因だろう。


 エステルは少しだけ俯いて、それから腿の上で指を組む。

 ソファで隣に座った彼女は、しばらく静かに呼吸を繰り返していたが、やがて顔を上げてヴィルフリートを真っ直ぐに捉えた。


「ヴィルフリートがどこまで聞いた……かは、何となくですが分かります。私と同じ顔をするあれを見てきたのでしょう。それから、関係をほのめかされた事も」

「……はい」

「こうなる事は、分かっていました。……あなたに言わなければならなくなる事も」


 気丈に微笑んだエステルは、ゆっくりと胸に手を当てた。

 きゅ、と布地を掴んで少しだけ唇を噛み締め、彼女は口を開く。


「……全部、お話します。あなたもあながち無関係ではないですから」


 言葉にするのは苦痛だろうに、それでもエステルは、ヴィルフリートに応えるように彼の青い瞳を見つめ返す。

 血の気の失せた顔は、余計にイオニアスを思い出させた。


「私は、筆頭魔導師……イオニアスが倒れたら後を引き継ぐ事になります。そのために育てられたと言っても過言ではありません。私の役割は、彼の予備である事です。顔が似ているのは何故か、ですが、血が繋がっているので似ているのは当然でしょう。私は、あれの妹ですので」


 妹、という言葉に驚く事はなかったが、後を継ぐという言葉に驚きを禁じ得なかった。


 確かに、エステルの実力は並外れている。本人も自分に匹敵するのは筆頭魔導師ぐらいだと言っていた。


 ならば筆頭魔導師の候補としてはおかしくないのだが、エステルは沈鬱な面持ちで吐息をこぼす。


「私のイオニアスの代わりに、私は時折職務を引き受けてます。彼は体が弱いので、時折、代理として。……私は彼に使われているのです」

「今まであれ、と言ってきたのは、イオニアス様だったのですか」

「ええ」


 あれ、が示す人間は、どうやらイオニアスだったらしい。

 エステルがその人間に疎むというか苦手意識を抱いているのは分かっていたのだが、まさか実の兄だったとは想定外だった。


 基本的にヴィルフリートの一家は多少いざこざはあれ、兄弟仲はさして悪くない。少なくとも、顔を合わせて軽口を叩ける程度には。

 だから、イオニアスが実の妹(エステル)に向ける感情に、困惑と驚愕を隠せなかった。


「……イオニアスは、私を恨んでいます」

「……何故、恨まれているのですか」

「それはこの後、順を追って説明します。……彼は私の顔も見たくないから、遠ざけているのです。紗をかぶるのも、私と同じ顔が気にくわないから。第二特務室に追いやったのは、私と顔を合わせたくないから。出来うる限り遠ざけています」


 肉親に恨まれている状況を諦めて受け入れているエステル。

 それがどれだけの苦痛を飲み込んでの言葉なのか、ヴィルフリートには想像もつかなかった。


「……第二特務室、なんて聞こえの良い名前はついていますが、要は私の隔離場所であり檻です。必要な時だけ引っ張り出して使うための、ね。この檻で適度に自由を与えているのは、反抗させない為と、いざという時に使うためですから」

「それではあなたがあまりにも、」

「でもね、飼い殺しなのは、私もあれも一緒なんです。私はイオニアスのために、イオニアスは国のために留められていますから。エリクもマルコも、ある種の見張りですから。私が国から逃げ出さないように」


 それぞれ鎖で繋がれている、そう自嘲したエステルは、絶句するヴィルフリートに気弱げな笑顔を向けた。


 その笑みに手を伸ばせたらどれだけ良かった事か。


 けれど、エステルは視線で拒み、美しい容貌を悲しげに歪めて、それでもまだ続けた。

 全部話すまで、何も受け入れないと言わんばかりに。


「……イオニアスが全部悪い訳ではないのですよ。元はと言えば、私も悪いのです。……始まりは、ラザファムの行った事からでした」

「前筆頭魔導師が?」

「……調べたのでしょう、ヴィルフリートは。そしておかしいと思ったでしょう? 記録が不自然なのが。あれは後から消したり誤魔化したりしたのですよ。魔導院にとって、汚点とも言える所業をしたのです。彼は、それだけの悪事を働いた」


 心臓が跳ねた。


 ヴィルフリートがどれだけ調べても、十年前の真実に辿り着く事はなかった。鍵となりそうな前筆頭魔導師の記録も殆ど消えていた。


 だがら調べる内に、誘拐事件と前筆頭魔導師が亡くなった年が重なっている事、大幅な人事異動があった事がほぼ同時期に行われていたと気付いた。

 それが全部偶然の可能性は低い、そうは思ったものの――調査は手詰まりで。


 そこに、疑問を解決する光が射し込んだ。


「……十年前の事。次々子供が誘拐される事件がありました」


 ちいさな、けれどよく響く声で、エステルは言葉を紡ぐ。


「それは庶民達ばかりが狙われた事件でした。誘拐される子供は五歳から十二歳程の、魔力を持った子だけ。これは、ヴィルフリートもご存知な筈です。あなたは、あの場に居たのですから。……十年前の誘拐事件、あの現場には私も居ました」

「え」

「……全てを聞いてから、私達を責めて下さい。あれは、私達のために行われた凶行でした」


 くしゃり、エステルの顔が歪んだのが分かった。

 言いたくなさそうで、でも言わなければならないと悲痛な色を隠して話すのは止めない。それが償いだと言わんばかりで、苦しそうに一言一言唇から落としていく。


「先代の筆頭魔導師は、十年前のその頃には長くないと言われていました。老衰と、身に巣食う病から。けれど、後任を託すには相応しくない魔導師ばかり。彼の基準ではディートヘルムですら駄目でした」

「ディートヘルム閣下ですら……?」

「ラザファムから見れば力不足だと思ったのでしょう。筆頭魔導師は、その身を国に捧げる存在。欠かせば国の運営に支障が出ます。しかし役目を果たせる適役がその頃は居なかったのです」


 完璧主義者の彼にとって、後釜が中途半端な魔導師になるのは許せなかった。


 そう呟いて、エステルはぎこちない表情のまま、続ける。


「だから――彼は、こう考えたのです。後任を造ろう、と」


 造る。

 その単語に違和感を覚えたヴィルフリートだが、エステルの言葉を待つしかない。


 途中で口を挟むよりエステルの言葉を待った方がいい。

 それは分かっていたが、どうも寒気のようなものを感じてしまって肩をさすった。


 聞きたいのに、聞いてはならないような事を聞こうとしている気がして。


「彼は、とある子供達を選びました。孤児の兄妹を。彼の手が届く範囲で、そして好きに出来る範囲で一番有望な子供でした」


 誰だか分かりますね?

 視線で問い掛けられて、ヴィルフリートははいともいいえとも答えられなかった。


 話の流れとしては、もちろん分かっているのだ。

 けれど、それを口にする事ははばかられた。


「彼は秘術……ううん、禁術を使って、人工的に最強の魔導師を造ろうとしました。その兄妹の可能性を信じるのではなく、確実に優秀な魔導師になるようにと多くの子供の犠牲を生み出す外道を選びました。……禁術はまだ成長しきっていない幼い頃だから出来る事。ラザファムが亡くならない内に、体を弄ってラザファムが納得のいく後任にしようとね」

「……造る、って、まさか」

「その禁術は、魔力の性質が似た子供の魔力を奪い取るものです。体が壊れる事をいとわず魔力を無理に奪い取り、被験体の体に流し込み、強制的に体の内側から作り替えるという所業。完全な一を作るために、どのような犠牲を払っても良い、そう結論付けた彼はそれを実行に移しました。――私はその禁術を受けた片割れです」

「もう一人は、イオニアス様……?」

「はい。……中途半端に終わってしまった私とは違い、彼だけは完全に成功しました。ですが……先にも言いましたが、あれは元々体が弱いのです。実験には成功したけれど、彼の寿命は削った」


 イオニアスと同じ色の髪を揺らし同じ色の瞳を伏せたエステルは、一呼吸を置いて。


「私は、途中で失敗したので、完全ではありません。失敗したんですよ、その禁術は、私だけ。……ここから、ヴィルフリートにも関わってきます」


 自分の名前が出た時、ヴィルフリートはあまりの事に声が出てこなかった。


 心臓が暴れる。

 自分がこの段階で関わってくる、という事は自分が想像していたよりもずっと深いところに関わっている事になる。

 巻き込まれた、という事はその禁術に自分も関わっていたのだ。


 そして、巻き込まれたにも関わらず、自分一人がほぼ無傷の状態だった、これが意味するのは何か。


「儀式の最中、子供達が意識を失っていく中……私は一人の少年に手を握られました。苦痛にのたうち回る私に、その男の子は自分も倒れそうにも関わらず私の事を気遣いました。綺麗な碧眼の、私よりちょっと年上の男の子。……だからでしょうか、私は無意識に……その男の子に、魔力を分けました。居なくなって欲しくないから。禁術で無理に繋げていたから出来た芸当でした」


 ほっそりとした指先がヴィルフリートの指先を擽り、それから絡められる。

 小さな掌。

 記憶になくて、でもどこか懐かしいような、そんな気がした。


「ラザファムは、最後まで気付きませんでした。私が彼に魔力を分け与えた事に。彼もそれどころではありませんでしたからね。その禁術は実行者の命をも奪うもの。もう止められません」


 きゅ、と握る指先に力がこもったのは、当時の事を思い出したからなのだろう。


 ヴィルフリートには、ほとんど記憶はない。断片的なものが心を苛む事はあれど、何が起こったかまでは正確に知らなかったのだ。


 けれど、エステルは完全に記憶している。だからこそ、こうしてヴィルフリートに何があったか説明出来る。

 それは、恐怖と罪悪感から逃げられないという事でもあった。


「そうして、前任筆頭魔導師は事切れ……残されたのは、私達三人と、魔力が枯渇した子供達。……筆頭魔導師付きであるディートヘルムが駆けつけた頃には、全て終わっていました。子供達は一命はとりとめたものの魔力枯渇からの飢餓状態、回路の消失。そして数日間の記憶をなくしていました。廃人になった人も居たでしょう。――唯一軽傷で済んだのは、私の側に居た男の子だけ」


 そこで、エステルはヴィルフリートの瞳を泣きそうな顔で見つめる。ちょっと自慢でもある、青く澄んだ瞳を。


「……もう誰だか分かりますね」

「……俺は、あなたに会った事があったのですね」


 ヴィルフリートに、当時の記憶はほとんどない。怖い事があった、誰かに助けてもらった、その程度のものだ。

 覚えている、なんて嘘はつけずにただ眉を下げると、エステルは「覚えてなくて当然ですよ、あんな事があり記憶も消されていますから」と苦笑する。


 彼女からすれば、覚えていて欲しかったのかもしれない。

 ただ一人、小さな彼女の側に居てくれた、という事を。


 忘却を責める気はないらしいエステルは、ヴィルフリートの手に触れたまま瞳を伏せる。


「当然、国を守る役割を担い魔力持ちの憧れの頂点である筆頭魔導師がこのような凶行に及んだ事が明るみとなれば、国民からの非難は逃れられません。だから――不幸な事件として、隠蔽されました」


 エステルの口から語られるのは、とても部外者には言えないようなものだった。


「元々真実を知るのは極少数。ならば隠せるとラザファムの凶行を隠し、記録を消却改竄し、消せる記憶は消し、魔法での誓約をつけた箝口令を敷き。……ディートヘルムが全部上手く隠蔽しました。当時の人員の入れ替わりが激しくなったのも、そのせいです。彼に重責を課してしまったのは、私達のせいなのです。必要悪として君臨させてしまったのです」


 私達のせいで良からぬ噂が付きまとうようになってしまった、と苦い顔で呟いた彼女は、ほのかに手を震わせる。

 手を繋いでいるヴィルフリートには、いかにエステルが当時を思い出して罪悪感に駆られているか、よく分かった。


 泣きはしないけども、今にも破裂しそうなくらいに色々な感情を溜め込んでいるエステルは、か細い声で話の続きを口にする。


「……私達は、ディートヘルムに保護されて、それから色々な事を教えてもらいました。魔力の扱い方とか、立ち振舞いとか、今後の身の振り方とかね。イオニアスは幼くして筆頭魔導師を継ぎ、私はそのスペアとして扱われつつも、ディートヘルムが色々と教えてくれました。彼は、私の恩人なのですよ。あの日ヴィルフリートを助けたのも、若かりし頃の彼ですから。多分、私とヴィルフリートを引き合わせたのも故意でしたし」


 そこで、ようやく合点がいった。

 どうしてエステルがディートヘルムを悪しからず思っているのか。


 そもそも、ディートヘルムはエステルを助けた側だったのだ。ヴィルフリートから見れば他人を陥れる人間だと思っていた男が、その実人助けをした結果そういう噂が流れたのだ。

 ディートヘルムは、エステルも、そしてヴィルフリートも救っていた。


 ふと気になったのが、ディートヘルムがヴィルフリートとエステルと引き合わせた、という事だ。

 確かにディートヘルムに従おうが従うまいがエステルの所に異動させるつもりだった、とは言っていたのだが……異動させる意味が分からなかった。


(……ディートヘルム閣下は、俺が十年前の関係者だと知っていた)


 ここまでエステルの口から聞けば、ある程度は予測がつく。

 エステルが助けた男の子だった事も、当時の資料を持っていたならば分かるだろう。ディートヘルムが隠蔽の責任者なのだから、持っている可能性はある。


 そこまでは分かるが、近付けるメリットが分からないのだ。もし、ヴィルフリートが十年前の事件について探ってもし真相に辿り着いた時、エステルに何かしないとも限らない。

 するつもりはさらさらないものの、近付けるデメリットの方が大きいようにも思える。


「……ディートヘルムは、ヴィルフリートが十年前のあの少年だと、知って私の元に送ったんだと思います。ディートヘルムに睨まれたから、なんてもっともらしい理由をつけて、誰にも手出しさせられないようにして、イオニアスに見付かる前に私の元に配属させたのですよ。ディートヘルムはイオニアスより実際は権力を持っていますから、先んじて手を打ったのです」

「……どうして、エステル様の元につけたのでしょうか。イオニアス様云々だけなら、ディートヘルム閣下の元に問答無用でつけるなり権力で辞めさせるなりも出来たと思うのですが」

「それはその……ディートヘルムは、昔の私の言っていた事を覚えていたのだと、思います」


 最後はとても言いにくそうに呟いたので聞き返すものの、エステルはあまりその事には触れたくないらしい。一瞬顔を赤らめて、困ったように眉を下げる。

 ただ、すぐに色を失って、苦しそうな表情に戻ってしまう。

 

「ここから、最初の疑問に戻りましょう。私とイオニアスの関係。どうして、私はイオニアスに恨まれているのか。……それは私が裏切り者だからですよ」


 エステルには似つかわしくない言葉が、震える唇からこぼれた。


「……私達が孤児、というのは、話しましたね。私は実の親の顔を知りません。物心ついた時には、捨てられていました。孤児院に入れたのは幸いとも言えましたが、私達は排斥されて生きてきました。魔力のせいで」


 何もされなくてもそこら辺の魔力持ちよりも強かったのですよ、と苦笑というには笑みがぎこちない表情を浮かべたエステルは、また昔を思い出したらしく眉を寄せている。


「イオニアスは……兄は、唯一の肉親である私を、人よりも病弱な体ながらに守ってくれました。小さな私が生きていけるようにと」

「では、何故それが恨む事に」

「簡単ですよ。……私が恩を仇で返す事になったから。イオニアスが小さな私を抱えて弱い体で必死に守ってきてくれたのに、あの事件の後から私だけ自由になったから。……イオニアスは痛い思いをさせられ、なりたくもない筆頭魔導師にさせられ、国に服従を誓わされ、体も弱り、自由がなくなった。私は中途半端に失敗してしまったが故に見放され衣食住保証されて好きに生きられる。これは、イオニアスにとって裏切りにも等しいものでした」


 淡々と紡がれる言葉は、痛みに耐えるような響きで。


「自分だけどうしてこんな苦しまなくてはならないのか、お前も自分の分だけ苦しめ――彼は、そう私を呪ったのです。だから、私はこの第二特務室という檻の中で過ごしているのですよ。私が出来る、贖罪です」


 そこで言葉を切ったエステルは、改めてヴィルフリートを真っ直ぐに見る。

 菫青石の瞳は、今にもこぼれ落ちそうなくらいに雫をまとっていた。


 けれど側に居るヴィルフリートにすがりつく事はせず、ただ、十年前の事件の当事者として、真っ直ぐに背を伸ばしてヴィルフリートと視線を交わす。


 何も口に出来ないヴィルフリートに、エステルは泣き笑いを浮かべて――頭を下げた。


「……これが私がお話出来る真実です。……あの時は巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」


 話を全て聞いたヴィルフリートは、泣きそうな顔で頭を下げてくるエステルのつむじを見ながら、どう返したものかと言葉を紡ぎあぐねていた。


 エステルの話した事が分からなかった訳でもない。

 疑問は晴れたしそんな事があったのかと驚いた。ずっと知りたかった事が十年を経て教えられて、喜んでいいのかそれとも巻き込まれた事実に憤ればいいのか分からない。


 ただ、エステルがとても申し訳なさそうにする意味が、分からなかった。


「……何で俺が謝られてるんですかね。別にエステル様が悪い訳じゃないでしょうに。むしろ被害者側では?」


 そう、エステルがさも加害者のように懺悔しているのだが、話を聞いた感じではむしろ被害者の方だろう。

 十年前といえばエステルは七歳で、前筆頭魔導師であるラザファムの凶行を阻むはおろか抵抗するにも出来なかった筈である。


 エステルが自ら力を求めていた訳ではなく、役目を押し付けられただけ。望まぬ力を。望まぬ役割を。

 それをどうして責められようか。


「で、でも」

「いやそこは勝手に凹んでるだけで、あなたもイオニアス様も巻き込まれた被害者側でしょうに。そりゃ魔力ぶんどられた子供達やその親からしたらあなたは憎む相手かもしれませんが、あなたそのものが悪い訳じゃないでしょう」


 確かに、贄にされた子供達の親からしてみれば、元気に生きているエステルの存在は許さざるものなのかもしれない。


 けれどそれは怒りのやり場がないからであって、エステルが悪い訳ではない。本来の加害者はラザファムであり、エステルに責任はないのだ。


「それとも俺に責めて欲しかったんですか」

「そ、それはその……嫌というか、き、きらわれたく、ない、です。でも、責めは受けなきゃと思って」

「俺があなたを嫌いになる筈がないでしょう」


 何故そこで嫌いになるという発想が出てくるのか、ヴィルフリートとしてはさっぱり理解出来ない。


 ラザファムを嫌いというか多少なりと憤りを向けたくなる事はあっても、巻き込まれた側のエステルを嫌うとかそういうものはない。無事だったから寛容になっているのかもしれないが、エステルそのものを憎いとはちっとも思わなかった。


 あまりにあっさりと言い過ぎたのか、エステルの瞳は呆然としたように丸くなっている。


「……き、嫌いに、なってませんか?」

「俺はなってませんよ。というか嫌いになんでなるんですか」


 いきなり嫌いという話が出て来て訳が分からないヴィルフリートに、エステルはまたしょげたように瞳を伏せた。


「……私は、犠牲の上に成り立つ存在です。この力も、作られたものです。あなたの尊敬を受けるような相手ではないのです」

「あのですね、何でそんな卑屈になってるんですか。結局それを扱うのはあなたですし、それだけ弄られても生き残るんですし元々才能があったんでしょう。成り立ちがどうあれ、俺は今のあなたを尊敬してます」

「……ヴィルフリート」

「あなたは他の人間も気にするでしょうけど、他のやつらは知りませんし、そもそも当人達はそんな事知らないでしょうに。公表しないんでしょう?」

「……出来ません。国防の要であり希望でもある筆頭魔導師の名を穢す事になりますから」


 それは当然の判断だろう。

 幾ら十年前の出来事とはいえ、被害者の家族は覚えている。もし言ってしまえば魔導院や筆頭魔導師への批判は避けられないし、被害者でもあるエステルにまで批難の声がいく筈だ。


 エステルを守るためにも、そして魔導院を機能させ魔導師の立場を守るためにも、決して口外出来る内容ではない。

 汚い大人の事情と言えばそうだが、それが国を揺らがせるものとあれば秘する事も致し方ない、のだろう。綺麗なだけでは守れないものがある、という事なのだ。


「ならどうしようもないですね。あなたが謝罪したくても出来ません。そもそも、あなたは巻き込まれた側です。謝るべきなのは今は亡き前筆頭魔導師でしょう」

「でも……」

「……あなたが懺悔したい気持ちも分からなくはないのです。ただ、あなたは実際なにもしていません。あなたが負うには不釣り合いなのですよ、その責任は」


 これは、ヴィルフリートの本心だ。

 エステルが直接何かした訳ではない。前筆頭魔導師であるラザファムの独断で行われたものであり、エステルに責任がある訳でもない。

 幼いエステルやイオニアスに、老獪な大人に立ち向かえという方が無謀なのだ。


 けれど、これだけではエステルは罪悪感から逃れられないのも、分かっていた。


「あなたが割り切れないのは重々承知してます。……ですから、あの時側に居た俺が、言わせてください。……助かった側の意見で申し訳ないですが……俺は、あなたを責めたりはしませんよ。あなたに助けられたからこそ、俺は生きられた。魔導師を目指してあなたに出会えた。それだけは否定しないで下さい」

「……ヴィルフリート」


 こんな事を考えるのはかなり不謹慎なのだとはヴィルフリートも分かっていたが、それを理解した上で、その事件があったお陰で今エステルと出会えたのだと喜ばしく思っている。


 無事だから言える事なのだろう。無傷だったヴィルフリートはとても恵まれているのだろう。他の被害者からすれば事件なんてなければよかったと思うだろう。


 だから、起きてしまった事を覆せないと理解して、その上でヴィルフリートはエステルと会えて良かったと思っている。

 それが他の被害者からすれば非道だと思われるかもしれないと知って尚、今ある出会いを感謝した。


「あなたが罪悪感に苛まれるなら、俺はその側で支えましょう。二人なら負担も半分こになるでしょうから」

「で、でも、それじゃあヴィルフリートが」

「いいんですよ、俺が自分の意思であなたの側に居るんですから」


 その一言に、エステルは雷に打たれたように固まった。


 大した事を言ったつもりがなかったヴィルフリートとしては、ここまで固まられるのは意外で、どうしたのかとエステルの顔をじっと見つめる。

 ほんのりと、顔が赤くなった。どうやら大分昔話の衝撃から立ち直ってきたようだ。


「それとも、ご不満が?」

「い、いえ! その、……いいのですか」

「よくなければ言ってません」

「嫌ったり、しない?」

「しません。 ……嫌われたいのですか」

「やだ! 嫌いにならないで下さい!」


 慌ててヴィルフリートの手を握るエステルが泣きそうだったので、ヴィルフリートも苦笑して空いた片手をエステルの頭にぽん、と置く。

 それだけで少し表情を和らげたのだから、ヴィルフリートへの信頼度が窺えて本人としてはくすぐったかった。


「だからならないって言ってるでしょう。……俺は、あなたに会えた事を感謝してますし」

「感謝……?」

「こっちの事情ですよ、お気になさらず」


 まだ、言うつもりはない。

 同情とかそういうものと勘違いはされたくなかったし、自分の内側に芽生えつつあるものの名付けに躊躇いがあった。


 エステルには気付いて欲しくない胸の疼きを押し留めて、不思議そうに見上げてくるエステルの頭をそっと撫でた。

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