28 監視者のねがい
今日は、エステルが居なかった。
マルコも居ない。第二特務室にはヴィルフリートとエリクしか居なかった。
「……今日も、エステル様は……特別なお仕事なのでしょうか」
珍しく二人きりの第二特務室は閑散とした雰囲気で、ヴィルフリートの声がいやに響く。
マルコに監視の件を聞いてから何だかエリクに勝手に気まずさを覚えていたのだが、あまりにも会話がなかったのとエステルの安否が気になったのでつい話しかけてしまった。
エリクは溜まっていた仕事を淡々と処理していたが、ヴィルフリートの声に顔を上げる。
幸い、エリク本人はヴィルフリートの微妙な心境に気付いた様子はなく、ただ眠たげにこちらを見ていた。
「まあそうだろうな」
「……その、特別なお仕事というのはこのくらいの頻度だったのでしょうか」
「いや、昔より増えたさ」
「……エリクさんは、お仕事の内容を知っているのですね」
「そりゃあな。……マルコから聞いたんだろう、監視の役割を」
聞きたくてでも我慢していた事をあっさりと本人の口から話されて、ヴィルフリートは返事も忘れて呆然とした。
それを行程と受け取ったエリクは、吹き出して笑ったものの、どこか乾いたような笑みに変わる。
「監視している事について言い訳はしないが、別に俺としては好きでお嬢の行動を見張っている訳じゃないぞ。こんな男が年頃の女の子を見張って報告するとか、犯罪者みたいだし」
「何故監視をしているのですか」
「頼まれたから、かね。……第二特務室は掃き溜めで変人の巣窟、そう言われているのは知っているな?」
「ええ、それは」
第二特務室は変人の巣窟であり、行き場のなくなった魔導師の掃き溜め、そう揶揄されている事は知っているし、通りすがりに嘲笑された事もある。
ヴィルフリートは若くして一級魔導師まで辿り着いたので妬みを買いやすかったし、それが転落したのだから目障りに思っていた魔導師からすれば愉快で仕方ないだろう。
実際の第二特務室は、掃き溜めと言われる程劣悪な環境でもない。
閑職でありながら、エステルにはある程度の権力はあるようにも見える。……それをろくに使ってはいないが。
「まあ変人揃いというのは否定しない、お嬢もマルコもレティも変わってるからな。だが、それは建前で……お嬢の箱庭だ。俺は、お嬢が逃げないように見張っている」
「逃げないようにって、何故」
「大きな子供が玩具を手放したくないから、が一番強いかな」
「……玩具?」
「癇癪持ちで偏愛と憎悪と嫉妬を拗らせた人が居るんだよ、お嬢にとってははなはだ迷惑な話だろうが」
自分の雇い主に対して苦笑混じりに告げたエリクに、ヴィルフリートは余計に分からなくなってエリクを見る。
エリクが嘘をついているようにも見えない。
エステルにそんな感情を向ける人間が居るとは聞いた事がない。そもそもエステルは式典に出ない上に基本は第二特務室にこもっているし、あまり第二特務室の長だと周りに知られていないのだ。
そもそも、エステルがあまり人に恨みを買うような人間には思えない。
マイペースで多少いらっとさせられる事はあるが、基本的には気性も穏やかで人に怒ったりもせず、側に居てついこっちが緩みそうになる人だ。
「……その人が、エステル様をここにおいやったのですか」
「そうなるな。ただ、お嬢も、結局は逃げ出さないんだよ。逃げ出せるけど逃げ出せない。自ら留まっているんだ。だから俺も監視なんて適当にやって、普通に一人の人間としてお嬢に接しているんだが……」
アンタが来ちまったからな、と肩を竦めたエリク。
「俺個人にとってはお嬢が年頃の女の子らしくなるのはいい傾向だと思うし欲求を素直に口にするようになったのは喜ばしいが、あれにとってはそうじゃない。大人しくて言う事を聞くお人形のままで居て欲しかったんだろう」
「……それが誰なのかは、教えてくれないのですね」
「教えたところでどうにもならないし、多分……その内知るさ」
やはりエリクも教えてはくれないらしい。
ヒントはここまで、と決めてあるのだろう。マルコもある程度情報制限はしていた。指示の主を口に出してはならないという事のようだ。
想像は段々ついてきたものの、その理由がちっとも分からない身としては、相手の名を迂闊に出す訳にもいかない。
唇を噛んだヴィルフリートに、エリクはやんわりと苦笑した。
微笑ましいような、物悲しいような、そんな曖昧な印象を抱かせるもの。
「さてヴィルフリート。……お嬢の事をどう思ってるかとかそんな野暮な事は聞かんし、アンタとてまだ分からないだろう。……ただ、これは俺からのお願いだが……お嬢がアンタを真っ先に頼ったら、出来れば支えてやって欲しい」
「……俺に出来る範囲でしか、出来ませんよ」
「それで充分だ。精神的に脆いお嬢の側に居てやってくれたら良い。出来れば、俺らの居ないところで」
「……それは監視があるからですか」
「まあな、好き好んでしている訳じゃないぞ。……二人きりなら何しても構わんぞ?」
「ふざけないで下さいね」
誰がするか、という言葉はやや批難めいた響きになるので飲み込んだものの、何が言いたいかは分かったらしいエリクが眉を下げて笑った。
それは期待していたのか、それともしないで欲しいのか、どちらなのかはヴィルフリートには分からない。
「とにかく、俺としても彼女は放っておけないので、出来うる限りで側に居ますよ」
「……そうか」
強いのにか弱くて、ただ甘える人が居なかった少女――それが、エステルだ。
危なっかしくて見ていてはらはらするし、手を差しのべたくなる。好意というには庇護欲に片寄っていて、でもただ守りたいかといえばそうでない。
自分でも上手く表現しきれない感情。
確かなのは、あんな悲しい顔をして欲しくない、という事だろう。
ヴィルフリートの返答に、エリクは安堵したように微笑む。もう、寂寥は滲んでいなかった。




