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27 第二特務室という箱庭

 第二特務室の人員はエステルとヴィルフリート以外、みな気ままな勤務体制だ。エリクは比較的来ているものの偶に欠勤するし、マルコは気が向けば。レティなる人間はヴィルフリートに一度も姿を見せていない。


 普通ならば有り得ない勤務体制なのだが、そもそも仕事が大して部下に回らない程度の量なので、結構に自由にしているらしい。


 閑職なので割り振られる仕事も適当なものが多く、重要視されていないのだろう。

 エステルが処理しているものはそれなりに必要なものでもあるが、それでも他の部署と比べれば大したものはない。


 そんな訳で緩い職場ではあるのだが、今日は基本的に居る筈のエリクの姿が見当たらなかった。


「……今日はエリクさんが居ませんね」


 どこかの誰かとは違って比較的真面目な勤務態度を見せるエリクの姿がなく、代わりに気ままにやって来てはエステルとの仲を勘繰る少年が今日は出勤している。


「多分定期報告の日でしょうから」


 珍しいものもあるものだ、と目をしばたかせていると、相変わらずゆるゆると仕事をとても嫌そうにしているエステルが、顔も上げずに呟いた。


「定期報告?」

「別のお仕事だと思っておいて下さい。多分今日は彼来ませんよ」


 珍しく、抑揚のない声で告げたエステルは、やる気もなさそうにペンを動かしている。

 表情はいつも通りだったものの、心なしか、冷たさを感じるような気もする。


 普段はエリクと仲が良い方であるし、気心知れたようなつきあい方をしているのだが……喧嘩でもしたのだろうか。それにしては、何だか悲しげにも思えて。


 何があったのかさっぱり分からないヴィルフリートをよそに、エステルは静かに仕事を進めていた。

 マルコは、沈黙を守ったままだった。




「ねえ、ほんとに知らないんだよね?」


 休憩で外の空気を吸ってこようと第二特務室を出た所で、ヴィルフリートは小さな掌に引っ張られて物陰まで連れてこられた。

 引っ張ったのは、珍しく小言を言わなかったマルコだ。


「何がですか」

「エステルの事もそうだけど、僕らの事も」

「エリクさんやあなたの、ですか?」

「それ以外に誰が居るんだよ」


 馬鹿にするような眼差しを向けられたので多少イラっとしたものの、マルコの表情は至って真面目で、こちらも色を正すしかない。


「レティーツィアだけ別枠だけどね、あれは純粋に飛ばされたから。……ああもう、何でほんと、君はエステルに気に入られたかな」

「いきなりすぎる上に俺に言われても困るのですけど。エリクさんやあなたにの事に何の関係があるんですか」

「……報告せざるを得ないんだよ、僕も」

「報告って」


 エリクの欠勤理由はエステル曰く定期報告、それにマルコも関係しているというのだろうか。


 しかし、誰に、どんな事を、という疑問が新たに浮かぶ。

 上司はエステルであるのに、エステル以外の人間に定期報告するというのもおかしな話だ。


 その意味を、マルコは沈鬱な表情で説明する。


「第二特務室はやけに人が少ないと思わなかった?」

「……ええ、まあ。そのレティさんですか、その方を入れても五人というのは」

「レティと……多分君も含めて特殊事例だとは思うけど。何で第二特務室は人が少ないと思う?」

「それは……上層部に楯突いて隔離された人達の居場所だから、そう居て貰っても困るのでは」

「これだから上っ面しか見れない男は」

「分かる訳ないでしょう」


 説明するにあたって何故こちらが馬鹿にされなければならないのか。


 分からないから聞いているのだから、もったいつけずに教えてくれればいいものを……と視線に宿ったのが分かったらしいマルコは、深々とため息をつく。

 やや、逡巡する気配を見せたものの、口は閉ざす事もなかった。


「まあ別にエステル本人も知っている事だから言うけど、第二特務室って左遷先って言われているし実際そうではある。でも僕とエリクは監視のために配属された」

「……監視?」

「そ。まあそんな事細かに見張ってる訳じゃないけどね、僕は何かない限り出てこないし。細かく報告しなくても良いし、好きに研究出来るって条件で居るから。第二特務室は変人の巣窟、と言われているけど、本来はエステルという人間を閉じ込めておく箱庭の役割なんだよ」


 まあ僕が変人なのは認めるけど、と全く思っていなさそうな顔で付け足したマルコ。


 エステルを閉じ込めておくための箱庭。

 元々特級魔導師であり何故こんなところに居るのか、疑問に思った事は多々あるが……何者かの意思で追いやられているというのなら、話は分かりやすい。


 けれど、監視が居る程のものなのだろうか。


 たとえばだがディートヘルムに逆らったとして、左遷されるのは分かるが監視が必要だとは思わない。それならばヴィルフリートも監視されてしかるべきだが、エリク達の監視の目はエステルで自分にはない。


 そもそもディートヘルムとエステルはそう仲も悪くなさそうで、監視する必要がなさそうなのだ。


 となると、他に監視をする指示が出来る人間となると……それこそ他の特級魔導師や、その上の筆頭魔導師になる訳で。


「誰に指示されているのですか」

「それを君に言ったところでどうにもならないだろう。ご想像にお任せするよ」


 答えは出さない、自分で考えろ、そういう事なのだろう。


 ヴィルフリートもある程度予測は出来るしそうした相手は絞られてくるものの、動機が分からない。エステルが上層部に睨まれているという割に、彼女は奔放に振る舞っている。

 特別な役目を任されるくらいなのに、何故こんな僻地に居るのか。


「……エステルが無害で大人しく居るなら、僕らは何も言わないし報告も殆ど要らないんだよ。現に今まではエリクは側には居たけど本人も楽しんでいたし、特に変わらないと報告してきたのに」

「……のに?」

「君が来てから、エステルが変わり始めたから。……だから、僕も、報告しなきゃいけないんだよ」

「……それはエステル様に不利益になるのですか」

「どちらかと言えば、そうかな。それよりも君に不利益になるかもしれないけど」

「俺が?」

「だって、君が変わった原因だもの」


(……俺が?)


 マルコの一言に一瞬固まった。


 変わった、と言われても、ヴィルフリートは着任前のエステルなど知らないから比べようがない。

 実感出来るのはエステルが無邪気な信頼を寄せるようになった、くらいのもので、それは本人が変わった訳ではないだろう。何が変わったのか、ヴィルフリートには見当もつかない。


 変わったと断言したマルコは、赤の瞳を伏せた。

 憂い気な眼差しは、年齢よりも落ち着いた雰囲気を匂わせる。


「……僕も、余計な刺激にならないよう向こうに気を付けて報告するけど……せめて、僕やエリクの前で変な事はしない方が良い。見てないところでされたら僕らは知らないままだから報告しようがないし」

「……ご忠告とお気遣い、痛み入ります」


 どうやらこちらを慮っての事だったらしく、何も知らなかったヴィルフリートとしては感謝するのと同時に、どこかやるせなさを感じてしまう。


 これでは、エステルは第二特務室で一人ではないのか。

 監視役が二人居て、レティなる人物もろくに来ず、ヴィルフリートが来るまでは本当の意味では誰にも気を許せなかったのではないだろうか。


 だからこそ、あんなにも自分になついたのではないだろうか……そう思うと、喜んでいいのやら、嘆けばいいのやら、感情を飲み込むのに苦慮する。


 エステルとて誰でもよかった訳ではないだろう。ただ、専属料理人としてでしかなく、エステルにとっての特別ではないのかと思うと、ほんのり……悲しくなった、気がした。


「……あなたは、エステル様の事を重要に思っているのは、監視が理由ですか」

「まさか。僕がエステルを大切に思っているのは、役目とは別に個人のものだよ。……何だかんだ、僕も彼女と過ごすのは長いし。かれこれ五年は居るからね」

「……つかぬ事をお伺いしますが、マルコさんはおいくつですか」


 マルコの見かけはどう考えてもエステルより二つ三つは年下だ。

 それで五年となると一桁年齢になるのでは。


「……あのね、君より年上だからね、言っておくけど」

「本気ですか」

「何それ!? 疑ってるの!?」

「いや、見掛けが……その、若々しいですから」


 子供、という言葉は飲み込んで穏便に済ませようとしたのだが、何を言おうとしたかは理解したらしいマルコが頬を赤らめてまなじりを吊り上げている。

 その姿がいかにも子供らしい幼さがあるのだが、本人は怒りの方で気付いていないようだ。


「人が気にしている事を……成長止まってるから仕方ないだろう。僕だって君みたいに成長出来たら良かったものを」

「すみません」

「ふん。……まあ良いよ。とにかく、過度にエステルと仲良くするのは僕らの目の前ではやらない方が良いよ」


 エステルに近寄るな、と言っていた初期から比べればマルコの態度は軟化したのだが、マルコの言う事には素直に頷けない。


 従わない、というよりそもそもの前提がおかしいというか……過度にエステルと仲良くする、という事がおかしいのだ。


(いやまあ普通の上司部下の関係では有り得ないくらいに、親しみを持たれているというか気に入られているが)


 夕飯を食べに来たり休日を共に過ごしたり、わざとではないが泊めたり。

 こうして言葉にしてみればまず間違いなく、恋仲と思われるような事をしているのだ。実情ははらぺこなエステルのお腹を満たすためなのだが、他人から見れば分からないだろう。


「……仮に過度に仲良くなったとして、それ出来るの俺の家くらいになりませんか」

「連れ込んでふしだらな行為に及んだら怒るよ」

「しませんよ。俺を何だと思ってるんですか。……というか上司に恋愛感情は」

「そういうものは抱かない?」


 抱かない、そう言い切ろうとしたが、出来なかった。


 好きか嫌いかで言えば、好きだ。


 好きでもない相手を自宅にあげて料理を振る舞ったり、休日を一緒に過ごしたりはしない。

 好ましいと思っているし、天真爛漫でその癖ふとした時に見せる憂い気な表情や影のある表情は、目が離せない。

 放っておけばどうにかなってしまいそうで怖い。出来る事ならそれを解消してやりたいとも思う。


 けれど、異性として好きかと言われると、そう簡単には頷けない。


 もちろん可愛いとは思っているし、なつかれて悪い気もしない。触れられたらどきどきする。

 それは本能的なものであり、好きだから恋人になって触れ合いたいとかそういうものではない、とヴィルフリート自身では思う。


 ただ……変化しないか、と聞かれたら断言出来ないので、口ごもるしかない。


 全く対象にならないかといえばそうでないのだ。

 チョロいといえばそうなのだが、あんなに純粋に慕われては、ヴィルフリートも悪しからず思ってしまう。


「ほらね。……エステルがあんなに気を許してるし君も満更でもなさそうだ。気を付けなよ」

「……心しておきます」


 マルコの呆れた顔に反論出来ず、ヴィルフリートは渋い顔で頷いた。

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